第8話 魔法少女(一)

 手すりを握って、階段の一番始めの段に下りたときだった。


「なに、あれ……?」


 はじめ、それは穴かと思った。公園の白い照明灯に照らされた、黒い穴。穴は、ゆっくりと動いていた。そんなこと、ある訳ない。わたしは目を凝らした。


「――――――」


 声が聞こえる。赤い口が見える。人の背丈よりも大きい、と思う……。

 お化け? そんな存在が、本当に?

 でも嫌な予感がする。いくら近道になるからって、この階段を下りてはダメだ。きっと不幸になる。そんな気がする。震え始めた足を、ようやく持ち上げた。


「ぁ……だめっ」


 とっさに声が出ていた。坂を下りようとする動物がいたからだ。人の言葉が分かるはずない。だけど、行ってはならないという思いが届くように祈った。


「君……あの影が、見えているノシ?」

「え?」


 けれど、返ってきたのは、人間ひとの言葉だった。動物が、こちらを振り返って、つぶらな瞳を向けている。白い毛並みのウリ坊が、街路灯に照らされていた。この動物がしゃべっているの? そんなこと……。でも、周りを見渡しても誰もいなかった。


「ボクのことも、見えているノシ?」

「あ……あなたが、しゃべってるの?」

「ノシ」


 ウリ坊が鼻をひくひくさせた。


「君には、魔法少女の才能があるノシ」

「ま、法、少女? え? え?」

「ボクはフヨウ。信じられないかも知れないけれど、神さまの使いノシ」

「神、さま……?」

「ノシノシ」

「あ、あなたは霊体、なの?」


 だとしたら、しゃべる動物がいたとしても、不思議じゃない、のだろうか?


「よくそんな言葉知ってるノシ。まあ、そういうものに近いノシ。そして、向こうに見える影。あれは魔物と呼ばれるもの。人の悪、それが形になったものノシ」


 人の、悪……? あの黒いお化けが……?


「魔物を放っておくと、不幸が辺りにばらまかれるノシ。そうすると、大変なことになるかも知れないノシ。たとえば、明日、公園の遊具が壊れてしまうとか、誰かが転んで怪我をするとか……。君は、魔物を止められる力――神さまから与えられる力を、使いこなすことができるノシ」

「それが……魔法少女?」


 なのかちゃんの姿が、脳裏に浮かんだ。


「ノシ。理解が早くてすごいノシ。もし君が望むなら、神さまと契約して、魔法少女にしてあげるノシ」


 わたしは……夢を見ているんだろうか。昼間みたよりも、もっとリアルな夢。こんなアニメみたいなこと、現実にある訳が……。

 黒い影が、大きく身体を揺らした。何か液体のようなものが飛び散って、地面に染み渡っている。それを見たとき、わたしは、とっさに口に出していた。


「……なる」

「ノシ?」

「なるよ。魔法少女に。それが、みんなを助けることになるのなら」


 夢だって、現実だって、決断は変わらない。


「――契約完了、ノシ」


 じつは全部ドッキリでした。

 ひょっとして、そういうふだが出てくるんじゃないかとも思った。どこかでカメラが回っていて、種明かしがされるんじゃないかとも思った。だけど、わたしの足元には、札の代わりに桜色の魔法陣が現れていた。そこから風が舞い起こって……!


「あつ……っ!」


 いつまで続くかと思われた熱の奔流は、突然終わりを迎えた。おそるおそる目を開けると……わたしの背よりも長い杖が、水平に浮かんでいた。まるで、早く手に取れと言わんばかりに。その先端には、手のひらよりもなお大きい、桜の花を模した五枚の花びらが付いていた。


(分かる)


 この杖の使い方。銃を撃つように、杖を構えた。その先は、向こうの黒い影。

 五枚の花びらが畳まれ、蕾のような先端に力が収束する――!


 一閃――。


 まるで放熱するかのように花びらが開き、桜色の粒子がこぼれていった。その向こうをのぞくと、さっきの影はどこにも見当たらない。逃げた、のだろうか?


「す、すごいノシ! 一瞬でやっつけちゃったノシ! 初めてでこれだけ力を出せるなんて、君は逸材ノシっ」

「そ、そう……なの?」


 ウリ坊が飛び跳ねている中、きょとんとする他なかった。


「ノシノシ! 君の名前、まだ聞いてなかったノシ。何ていうノシ?」


 何があったのか。何が起こったのか。まだ、全然飲み込めていない。ひょっとしたら、騙されているのかも知れない。


「さくら。仁喜にき、さくら」


 だけど、この光は――この桜色の光は、間違いのないものだと思えた。

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