第7話 仁喜さくら(二)

 宵闇の中、栗色の髪の少女は、街を見下ろすように、ひらりと空中に降り立った。

 そのつま先。そこから、直径1キロを優に越える魔法陣が水平に展開された。夜空から見下ろせば、金色の幾何学模様が大地に浮かび上がっていることだろう。

 はじめは、そよ風。吹きすさぶ魔力の波動は、少女の髪を揺らし、電線をうねらせ、やがて空間さえも捻じ曲げ始めた。であるなら、次に放たれる一撃たるや、どれほどのものであろうか?

 そのとき、ようやくは気付いたのだ。自分たちは、間違っていたのだと。空に浮かぶ少女は、決して悪になびくことはないのだ。その悪意さえも糧にしてしまう怪物に、極上の餌を与えてしまったのだと。


「わたしは……負けない。悪い心になんて、絶対に負けない! だから! 何度だって立ち上がってみせる。それが、わたしという人間だから!」


 魔力の奔流は、一点に集う。そう、少女あるじのもとへと。


「行くよ」


 時間が止まる錯覚――。


「――アステロイド・ヴェルゼスタぁああああーーーーっ!!!」


 ――――


 画面が明滅した。


「ほへ~」


 毎週金曜日、夜7時放送。魔法少女スピカなのか。ローカル局で放送される、大人気アニメだ。こうやってテレビの前にかじりついているけれど、友達には気恥ずかしくて、決して話題には出せなかった。だってもう中学生なんだもん。


「お姉ちゃん、おばあちゃんからイチジクが届いたんだけど、食べる? ……って、またそのアニメ見てるの?」


 ガラスの容器を手に、遥香はるかがリビングにやって来た。あれ、おかしいな。小学生には大人気なのに。


「好きだよね、それ。毎週見てるじゃん」

「うん。わたし、なのかちゃんになる」

「中学二年生のセリフか! もうっ、だいたい、魔法少女になんてなれる訳ないでしょ」

「それは、そうだけど……」

「魔法少女とか言ってないで、ちゃんと進路考えたらどうなの。もう来年受験でしょ?」

「うえっ」


 小学六年生しょうろくからの厳しい指摘が胸に刺さる。

 魔法少女になんてなれる訳ない。それはそうだ。でも、なのかちゃんみたいな、素敵な女の子になりたいと思う。自分の心に正直で、悪いことには悪いって言えて、人の役に立てるような、そんな女の子に。


「じゃあわたし、習い事に行くから」

「うん。行ってらっしゃい」


 お母さんと遥香が出掛けていった。お父さんは仕事で遅くなるみたい。テレビも見終わって、急に静かになったリビングで、ひとり、イチジクを食べた。


「進路、かぁ……」


 そのことを考えたとき、絵の具が切れかけていたことを思い出した。リビングの時計を見る。まだ間に合う時間だ。ぼんやりしていても仕方がないし、ホームセンターに行こうかな。それから、帰って、お風呂に入って、寝る。もう居眠りしないように、しっかり寝ないとね。うん、そうしよう。


「~♪ ~♪」


 スピカなのかのオープニングを歌いながら、道を歩いた。マンションのベランダ。喫茶店の前。歩道の隣。どこを見ても、色とりどりの花が電灯に照らされている。


 都市と花が調和した場所――。


 これが、静海。わたしの生まれた場所。少し前までは、こうじゃなかった。でも、こういう街だから、絵の題材には事欠かなかった。

 途中、長い階段を上って、ホームセンターに無事到着した。


(これと、これと……あ、これも足りなかったっけ)


 お目当ての絵の具をカゴに入れて、レジに向かった。レジ袋が必要ですかと聞かれたとき、しまったと思った。持ってきてない。なんとなく罪悪感を感じながら、レジ袋をもらった。袋を受け取って、店員さんにお辞儀をされたので、慌ててお辞儀を返した。

 閉店を知らせる音楽を聞きながら、ホームセンターを出た。次はどんな絵を描こうかと考えていると、いつの間にか、長い階段のところまでやって来ていた。見下ろした先には、学校の運動場くらいの公園が広がっている。


 そうそう――わたしは、。おとなしく家でテレビを見ておけばよかったんだと思う。そうしておけば、つらい思いをする必要なんて、なかったのだから。

 なんにしろ、これだけは言える。

 九月末の静かな夜。わたしの運命は、大きく、大きく動き出した。

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