第6話 仁喜さくら(一)

 桜が咲いていた。


 満開の桜が咲き誇っている。その中心に、わたしはいた。

 花びらが、雨のように、はらりはらりと散っていく。やがて桜の木は緑の葉をつけ、その葉もやがては散り――気付けば、わたしは寒々しい枯れ木の群れに囲まれていた。

 寂しい。胸に穴が空いたような、とっても寂しい気持ちだった。

 けれど、季節がまた一つめぐったのだろう。また桜は花をつけ始めたのだ。


「さくら」


 そのことに、わたしは、ひどく安心した……。


「さーくーらーっ」

「ほへ……」

「さくら、当てられてるよ」


 前の席のカナちゃんだ。どうして小声なんだろう。


「――」

 

 教室の中は、あまりにも静かだ。哲学の先生が、こちらを見ている。

 つ……と冷や汗が流れた。


(ここ。ここからここまで読んで)


 カナちゃん、女神か!

 慌てて立ち上がって、教科書を取り上げた。


「アレナとは、中世の哲学者メルートスによって提唱された、生命エネルギー、またはその概念である。彼によれば、人や動物は、この世に生を受けたときから限りある生命エネルギー(アレナ)を持っており、これが枯渇することによって死を迎えるとされる。アレナは増えることはなく、減る一方であるため、その損失を少しでも減らすための研究が、当時盛んに行われた。しかし、アレナを直接測定することが困難であったため、やがて研究は冬の時代を迎える。アレナが再び注目を集めるようになるには、科学技術の発達によって、アレナと思わしき生命エネルギーの測定が可能となった現代まで待たねばならない」


 ちらと先生を見るとOKサインをもらったので着席した。ほへ。

 カナちゃんが起立した。


「アレナは、量だけでなく、質という概念も含んでいる。アレナの質が劣化すると、病気にかかりやすくなったり、物事に対するやる気がなくなったりする。近年、自殺者が世界的に増加しているのは、アレナの質が現代以前と比べて、大きく低下しているからではないかと言われている。アレナの質は、生活習慣や他者との交流によって、日々変化することが知られており、これを高めるための研究もまた行われている」


 授業が進んでいく。黒板が消されないことを祈りながら、必死に板書を取った。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったとき、ようやく気が抜けた。


「さくら、珍しいよね。居眠りなんて」

「うえ~ん、カナちゃん、ごめんねぇ」

「いいよ、別に。疲れてるの?」

「う~ん、そんなこと、ないと思うんだけど」


 夜ふかしした訳でもない。激しい運動をした訳でもない。居眠りなんて、小学校含めて初めてのことだった。本当にどうしたんだろう? それに、さっきの……。今まで見た夢の中で、一番リアルに感じた夢だった。手のひらに舞い降りた花びらの感触さえ、今なら思い出せる……。


「むに~」

「ほへ~」


 ほっぺが伸びる。


「ま、明日は学校休みだし。ゆっくり休みなさいな」


 明日は休み。

 なら、今日は――だ。魔法少女に通じる者として、務めを果たさなければならない。

 この年で魔法少女なんて、カナちゃんたちに話したら笑われるかも知れない。

 だから、このことは誰にも秘密だ。

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