第4話 時岡璃衣(二)

 その日の夜。

 いかな法か、少女が杖に乗って、静海の上を飛んでいた。ベッドタウンとして名高い街のマンションを、いくつもいくつも通り越して行く。杖の後端には桔梗ききょうの花びらを模したオブジェクトが付いており、そこから青紫の粒子がきらきらとこぼれていった。


「――っていうことがあったの」

「う~ん。璃衣りいちゃんも大変ノシ」


 杖に乗っていたのは、時岡璃衣、その人だった。昼間の制服ではなく、黒のケーブル編みのセーターを着ている。その左肩の上で、ウリ坊が一匹、もぞもぞと動いていた。毛並みは白く、ふかふかで、ぽっちゃりしている。まるで、しゃべるぬいぐるみのようであった。


「璃衣ちゃんは浮世うきよ離れしてるから、話が合わなくて友達いなさそうノシ」

「悪かったわね」


 璃衣は面白くなさそうに言った。


「そんな璃衣ちゃんにも、いつか、きっと素敵な友達ができるノシ」

「へぇ。無責任な発言ね。落とすわよ?」

「ぴゃぁあああっ!」


(あ、ホントに落としちゃった)


 璃衣は少し眉を上げて、数百メートル下の闇を見下ろした。もちろん、そんなことをしても、何も見つかる訳はあるまい。今頃ミンチになっている頃だろうか。


「……」


 璃衣は少し間を置いて、まあ、ちょうどよかったかと思い、ゆったりと地上へ向かった。

 灯りの点いていない、寂れた工場だ。背の高い棟の上に、璃衣は降り立った。


「うぅ……ひどいノシ、璃衣ちゃん……」

「ごめんなさいね、フヨウ」


 まさか生きていたのか、棟の上によじ登ってきた涙目のマスコットを、璃衣はひょいと胸の前で抱きかかえた。


「でもちょうどよかった。この辺りかしらね」

「ノシ……」


 秋の風が、ひゅうと吹いた。

 ショートパンツの下にタイツを履いてきてよかったと璃衣は思った、そのときだった。


「来る」

「――――――――」


 これは……なんだろうか?

 不気味な声を上げながら、夜闇よりも濃い、ぬるっとした影が、形を持って現れた。体長は人の背丈の二倍ほど。目と口のようなものだけが、爛々と赤く光っている。動きは緩慢で、何かを求めるように徘徊を始めた。ショーのようにも思えない。これは、出し物ではないのだ。彼と出遭った者の末路を想像すれば、どう考えても血なまぐさい光景しか見えてこない。いやしかし、なるほど、魔法少女とは、かような化け物を退治するものなのだ。


「……」


 はて、当の魔法少女はしかし、いつまで経っても動く様子はない。怖気おじけづいたのだろうか? 足がすくんで動けないとか……それもうなずける話ではある。十四の少女が立ち向かうには、あまりに異形の生命体だったのだから。


「璃衣ちゃん、討たないノシ?」

「うん。


 魔法少女らしからぬ、驚きの発言だった。


「ボクとしては、璃衣ちゃんにはたくさん経験を積んでもらって、立派な魔法少女になって欲しいノシ」

「そう、ね。あなたの言いたいことも分かるけど。ただ……出来る限りは、先延ばしにしたいの。その間に、できることはやっておきたいの。間に合わないかも知れない。ひょっとしたら、意味なんてないのかも知れない。だけど、それが――」

「璃衣ちゃんの、良心ノシ?」

「そう」

「璃衣ちゃんはやさしいノシ」


 フヨウという名の白猪しろいは、璃衣の指をぺろと舐めた。


「それにね。経験という意味じゃあ、魔法少女相手になら、随分ついてきたのよ?」


 茶化すように璃衣は言った。


「……ボクは璃衣ちゃんが心配ノシ。いつか、大変なことになってしまいそうで……」

「大丈夫よ。何? 今日は心配して、わざわざわたしのところに来てくれたの?」

「ノシ……」

「もう。わたしのことはいいから、新米の魔法少女と一緒にいてあげなさいよ。どんな子なの?」

「明るい子ノシ。とってもいい子ノシ」

「そう」


 そうして三十分ほど経っただろうか。

 一人と一匹が話しているうちに、怪物はするりと溶けて消えた。あれは、一体なんだったのだろうか?


「今日は帰るわ」

「夜遅くまでお疲れ様ノシ、璃衣ちゃん」

「あなたはどうするの?」

「さっき話した、新しい子のところに戻るノシ」

「そう」

「璃衣ちゃん、その子をいじめないであげてノシ」

「さあ、どうかしらね」


 璃衣は薄く笑みを浮かべて言った。


「元気でね、璃衣ちゃん。ノシ」

「ええ、さようなら」


 フヨウはぴょいと棟から飛び降り、いずこかに消えた。

 彼を見送った璃衣は、さて自宅へ戻ろうかと杖を構えた。明日の課題のやり残しがないかを思い出す。



 ブゥゥゥ



 端末の着信だ。璃衣はポケットから端末を取り出して、メッセージアプリを開いた。夜闇に白く光る画面には、次の文字が表示されていた。


(新しい魔法少女が生まれた。詳細は以下。彼女を闇に堕とす)


 ――しばしのあと、璃衣は無言で端末をしまい、街の上を飛んだ。

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