第8話 「あたしの彼氏よ」 緊張に声が震えた。
「ただいま」
その声が聞こえた時、すぐに玄関に向かったのは
でも、一番最初に反応したのは俺だったかもしれない。
みんなと話しているうちにすっかり忘れてしまったいたことを思い出した。
その事実に改めて気づいた途端、一気に心臓が高鳴り、緊張に喉が渇いてくる。
しかしもう逃げられない。逃げるわけにはいかない。
「おかえりなさいませ、お父さま」
「楓、ただいま」
玄関から微かに二人の話す声が聞こえてくる。
俺のいるリビングでは、麗は本を読んでいて、
俺は先ほどまで楓ちゃんにトランプのゲームであるスピードを教えていた。
そんな状況で、俺は今、ただ一人固まってしまう。
足音がこちらに向かってくる。
パタン。
と、麗が本を閉じる音が聞こえた。
「おかえり、お父さん」
「おかえり~!」
「お邪魔してます」
麗、七海ちゃん、心優が順番に声を上げた。
俺も、続いてお邪魔してますと言ったつもりだった。
しかし、声が出なかったらしい。
「君は……」
「あたしの彼氏の妹さんよ」
「
「そうかそうか。こちらこそよろしくお願いします。麗……妹さんの話は聞いてなかったぞ?」
「そうだったかしら……?」
二人が挨拶をし終えた後は当然俺の方に視線がやってくる。
「それじゃあ、君が……?」
「あたしの彼氏よ」
「か、神城
「そうかそうか。私は
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
すごく優しそうな人だ。
話し方も柔らかく、優しい。
「では、康太くんと呼んでもいいかな?」
「はい」
「私のことはそうだな……。ま、とりあえず康太くん」
「はい?」
そこで麗の父親である藍那さん……いや、冬斗さん……?
が、俺に近づいてくる。
そして、こっそりと耳元で囁いた。
「本当に麗と付き合っているのかね?」
「は、はい」
「いつ頃から……?」
「去年の十一月頃から……ですかね」
「それじゃあもう二か月くらいか」
「そうなりますね」
「なるほど……」
冬斗さんは何かを考えるような顔をしながら深く頷いた。
「ちなみに、どこまで――」
「もういいでしょ、お父さん」
冬斗さんがさらに何かを聞こうとしてきた時、麗が口を挟んだ。
「そうだな。おいおい聞くことにしよう」
そう言うと、冬斗さんはリビングを出て行った。
たぶん、部屋に向かったんだと思う。
「ごめんね康太。うちって女の子しかいないでしょ? だから嬉しかったんだと思うの」
「そう思ってもらえると俺も気楽でいいよ」
たしかに、どことなく嬉しそうだったようにも見えた。
俺にはまだわからないけど、そういうものなんだろうか。
でも、俺のイメージ的には、娘を持つ父親といえば「娘はやらん!」 みたいな感じだと思ってたけど。
「お姉ちゃん! 先にお風呂入っていい?」
「ええ、いいわよ」
「やっほー! 心優っち行こ!」
「うん!」
心優と七海ちゃんがお風呂に入るということで、心優は小さな鞄を持ってリビングを出た。
七海ちゃんは部屋から着替えを持ってくるのだろう。そのままリビングを出た。
楓ちゃんは後で入るのだろうか、トランプをしようと誘ってくる。
「ん?」
そこでふと疑問に思った。
「なぁ麗」
「なに?」
「昨日とか、風呂ってどうしてたんだ?」
足が痛いのであれば、誰かに手伝ってもらったりしないと大変なはず。
さすがに楓ちゃんが手伝ったわけはないだろうが……。
「そりゃもちろん七海に……」
「…………」
「…………」
「……七海ちゃんに?」
「……あたしも入るわね」
「手伝いますよ」
「……ありがと」
そりゃそうだろう。
俺は、七海ちゃんにメッセージを送ってみた。
廊下で鉢合わせたりしたら七海ちゃんも嫌だろう。
メッセージには気づいてもらえたようで、脱衣所の前までは麗を連れて行くのを手伝った。
もちろん着替えは先に七海ちゃんに運んでもらった。
さすがにここからは無理なので、七海ちゃんに後は任せる。
昨日は一人で手伝ったようだし、今日は心優もいるから大丈夫だろう。
リビングに戻ってきて、楓ちゃんとトランプを始める。
スピードに慣れてきたようで、楓ちゃんは一回一回気合の入った顔で対戦してくるようになった。
普通に強いんだけど……。
「ついに勝ちました!」
「楓ちゃん強いね……」
「えっへん」
楓ちゃんお得意のドヤ顔だ。
今回は使い方があっている。
「康太くん」
「はい?」
リビングの扉が開いたと思ったら、冬斗さんがやってきた。
どうしたのだろう?
「楓、ちょっと康太くんを借りるよ」
「はい」
「康太くん、少しいいかい?」
「大丈夫ですよ」
そう言う冬斗さんに連れられ、俺は二階に連れられた。
「廊下で悪いけど、ちょっと話したいことがあってね」
「なんですか?」
多少の緊張はあるが、俺の緊張はたぶん、麗によって和らいだ。
今はもう、大丈夫。普通に会話できる。
「麗とは、仲良くやってるかい?」
「そうですね。最近は友達や妹にもさらに仲良くなったねなんて言われます」
「そうか」
冬斗さんは少し嬉しそうに頷いている。
「麗はちょっと言葉が冷たいけど、温かみのあるやつなんだ」
「知ってます」
「誰かに迷惑を掛けまいと、自分を犠牲にしたりもする。今回のこともそうだと思ってた」
足のケガの件についてだろう。
今回も麗は無理をすると思っていたと。
「でも、今回は違った。まさか、相手が彼氏だとは思わなかったけどね」
冬斗さんは笑いながら言う。
今まで
「まぁ、少しおかしいと思う時はあったんだ。十一月の中頃辺りから、十二月中特に」
麗と付き合い始めた頃から、心優が事故にあって記憶がなかった時の期間だ。
急に友達の家に泊まると言い出したこともそうだったのかもしれないが、麗のことだから心配してくれていて、親としては気づくところも多かったのだろう。
「最初彼氏の話を聞いた時、友達の家に行くと言っていたあれは嘘だったんだと確信した。あれは、君の家に泊まりに行っていたんだね?」
「はい。そうですね」
「正直最初は、ダメな男に捕まったのかと思った。でも、とりあえずその考えは置いておいて、今日会ってみようと思ったんだよ」
冬斗さんは俺のことをまっすぐに見つめる。
「麗が君のことを見る目でわかったよ。君は、とてもいい人なんだね」
「そうでしょうか……?」
「ああ」
穏やかな笑顔を浮かべながら、そんなことを言われる。
なんだかくすぐったく感じた。
これが、親というものなのだろうか。
「まぁいろいろあったと思うし、これからもいろいろあると思う」
冬斗さんは、俺の腕を軽く叩いた。
そして、一歩離れ頭を深く下げた。
「麗のことを、よろしく頼む」
「……はい!」
俺も深々と頭を下げた。
「康太~」
下の階から麗が呼ぶ声がする。
お風呂から上がったようだ。
「さて、私はご飯をいただこうかな」
「七海ちゃんと、妹の心優が二人で作ったんです。すごくおいしいですよ」
「ほほう? それは楽しみだ」
にっこりと笑ったその笑顔は、麗たち三姉妹によく似ていた。
※※※
「遅かったわね」
「ごめんごめん」
「まぁ、だいたい理由はわかるけど」
麗はチラッとリビングを見た。
まさにご名答。
「悪いけど、あたしの部屋まで来てくれる? 髪とか乾かさないと」
「それって俺、入らないとダメじゃない?」
「何か問題でも?」
「……ありません」
麗が俺のことを部屋に入れることに抵抗がないことが嬉しくもあるが……。
同時に男として見られてない可能性もあるのではないかと心配になる。
肩を貸しながら麗の部屋がある二階まで一緒に歩く。
お風呂上がりのいい匂いがして、すごくドキドキする。
髪もしっとりと濡れていて扇情的で……。
煩悩を振り払いながら麗の部屋に辿り着く。
麗が扉を開き、二人で中に入った。
「あそこの椅子までお願い」
「わかった」
麗の部屋は結構シンプルな部屋だった。
ベッドが置いてあって、勉強などができる机、そしてたぶん化粧台……ドレッサーとも言うんだっけか、などが置いてあった。
そのドレッサーの前にある椅子に麗を連れて行く。
しかし、麗も女の子。部屋を見渡してみれば、かわいらしいぬいぐるみもいくつか置いてあった。
ドレッサーをよく見てみると、俺のプレゼントしたイヤリングケースがある。
すぐに使えるようにしているようで、なんだか嬉しい。
「あんまりジロジロ見られると、恥ずかしいんだけど……」
「いや、かわいらしい部屋だなと思って」
麗は少し恥ずかしそうにしながらもドライヤーを付けて髪を乾かす。
「俺がやろうか?」
「できるの?」
「心優のをやってたこともあったからたぶんできる」
「じゃあ、お願いしようかしら」
麗からドライヤーを受け取る。
麗の髪を掻き分けるように根元を乾かしながら、ドライヤーを小刻みに動かす。
一か所にドライヤーを当てるのはあまり良くないらしい。
そして、根元からやるのは一番乾きにくいところだからだそう。
「すごい髪綺麗だよな」
「そう?」
「すべすべだ」
「ありがと」
全然絡まることのない綺麗なストレート。
触るのが癖になってしまいそうだ。
「康太、上手ね」
「そうか? 心優に鍛えてもらった甲斐があるな」
姉か妹がいると、それなりに知識が付くので、彼女ができた時に活かすことができそうだなんてことを思った。
実際、麗は気持ちよさそうにしている。
こうして麗にしてあげられるのも、心優が教えてくれたからだ。
ある程度髪を乾かし、ドライヤーを返却する。
仕上げは本人がするのが一番だ。
「康太もお風呂入ったら?」
「空いてたらそうするよ」
麗が出た後、楓ちゃんがお風呂に入った。
さすがに俺と入るわけにはいかないので、そうしてもらったのだ。
まだ心優と七海ちゃんがお風呂にいる。
もうしばらく掛かりそうだった。
「なんかあったらすぐ呼んでくれよ?」
「もちろんそうさせてもらうわ」
それだけ言ってから俺は部屋を出た。
廊下を通ると、賑やかな声がお風呂から聞こえてきたので、やっぱりまだしばらく時間が掛かるだろう。
一旦リビングに戻る。
ちょうどご飯を食べ終えたらしい冬斗さんが、キッチンの方で食器を洗っていた。
「手伝いますよ」
「ありがとう」
冬斗さんが洗った食器の水を切り、軽く拭いてから水きりカゴに置いておく。
「康太くん、七海や楓とも仲がいいみたいだね」
「まぁはい。ありがたいことに」
「私としても嬉しいよ。特に、七海と妹さん……心優ちゃんだったかな?」
「はい」
「二人がすごく仲良しみたいでとても嬉しいよ」
冬斗さんは手を止めることなく話し続ける。
「帰りがあまり早くもないし、片親なものだから、なかなか友達を見る機会が無くてね。三人ともいい子なもんだから、家事とかをするためにあんまり遊びにも行かなくて、少し心配だったんだ」
たしかに親からするとそうかもしれない。
俺も心優も、家事をすることが当たり前になってしまっていたから気づかなかったけど、普通の人たちなら友達を呼んで遊んだり、外に遊びに行ったりしているかもしれない。
「特に麗がね。責任感も強い麗は、七海と楓のためってまったく友達の話もしないもんだからさ。最近は休日になると、七海と楓は友達を呼んだり遊びに行ったりはしてたんだけど、麗はそういうこともなくてね」
麗らしいな。
「学校ではどんな感じなのか、そんなことも話せなくて。情けない話だがね」
「そんなことはありません。それに、麗は大丈夫ですよ」
最初は猫被ってたし、なんだか近寄りがたいと思っていた人も多かったかもしれない。
けれども、常に素を見せるようになった麗は、実はフレンドリーで、一緒にいるととても楽しい。
しかも優しくて人のために行動ができる。
「昼休みに、俺のほかにも一緒にご飯を食べている人がいますし、共通の友達に料理を教えたりもしました」
「そうか」
「康太~」
微かに俺を呼ぶ声が聞こえた。
麗の声だ。
「は~い!」
ちょうど洗い物も終えたところなので、手を拭いてからリビングを出るために扉に向かう。
「私も、娘離れの時が来たか」
リビングから出る瞬間、そんな声が後ろから聞こえた。
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