第4話
「こちらのパンケーキとハーフサイズのパンケーキはセットに出来ないですよ。同じものですからそれは」
ギリギリの時間にチェックアウトすると、もう十一時を過ぎていた。あてどもなく、商店街を彷徨っていた七瀬だったが、店先から漂う香ばしい匂いやスイーツの広告が、忘れていた空腹を呼び起こし、二人はパンケーキ屋に入った。
メモ用紙を片手に持った店員はだるそうに口を尖らせ、立ったまま貧乏ゆすりをしている。七瀬はメニューに視線を戻し、ふと思った。
果たして乾屍がクリームたっぷりのパンケーキを食べるのだろうか。もし映画が真に迫っているのだとすれば、彼らが欲しているのは人間の生血のはず。そもそも、死人は食事など必要ない。
「じゃあ、このパンケーキだけで」
運ばれて来た料理を食べながら、今日一日のことを考えた。特に行く当ても行きたいところもなかった。そもそもこの旅行自体、モコの発案なのだ。自分はそれに付き合っているだけ。そして発案者はこのとおり。
せっかくなら、紅海灘を見に行ってもいいと思ったが、モコの言葉を思い出し却下した。ここまで迷惑をかけられているのだ、本人の行きたくない所にわざわざ連れて行ってやる義理もない。七瀬はパンケーキをナイフで両断し、クリームをフォークの腹でつぶした。
唇を噛んで、嘆息を漏らす。彼女はなぜ自分が、この至極真っ当な感情と事実を、すんなり受け入れられないのか疑問だった。
ふと、強烈な視線を感じ、七瀬は顔を上げた。モコの目がクリームの山を凝視していた。
「え、あぁ………食べる?」
クリームをフォークに乗せ、口へ運んでやるとモコは反射的にそれを口に含む。モコはくちゃくちゃとと粘ついた咀嚼音を立てながらそれを食べた。
七瀬は苦笑する。
「なんで、自殺なんかしたの?」
自分の所為だろうかと思った。そして、咄嗟に辞めた。それは絶対に考えてはいけないことだった。
妙な推量から逃げるように、七瀬はバッグへ入れっぱなしになっていたスマートフォンを取り出す。昨夜の一件以降、ずっと電源は切ったままになっていた。
再起動すると幾つかの通知がポップアップして来る。
その一番上にモコからの留守番電話があった。
時刻は電源を切った直後。
モコは口元にクリームをつけたまま、次の一口を物欲しそうに見つめている。画面とモコを交互に見やり、七瀬はゆっくりとフォークを置いた。自由になった手を一度テーブルに付いて、スプライトの入ったカップに伸ばそうとして躊躇う。
逡巡した後、七瀬は通知をタップした。
『あー、もしもし七瀬?………聞いてる? 聞いてるよね? まあいいや。あのぉ………さ。ごめん……ね? 七瀬も行きたかったよね。明日さ、紅海灘見に行こ? 二人で。絶対綺麗だと思うな、だってネットで見た時凄かったんだもん。あんな綺麗なのを生で、それも七瀬と見れたら、幸せだろうなぁ………だから、私―』
七瀬の目は眼前のモコを捉えて離さなかった。色々な考えが頭の中を巡り、凄まじく長く、そして深いため息が出た。
スマホを机に伏せて置き、クリームがこびり付いたモコの口元、ぼんやりとした目、ピンク色の鮮やかな髪の毛を焼き付けるように注視し続けた。
とことんついてない女だと強く思った。
固く目を閉じ、頭を掻きむしる。
「あーッ、もうッ!!」
そう叫ぶと、七瀬はパンケーキを一気にかきこんだ。
「紅海灘行きのバスは………えーっと8番乗り場………13時15分発だから、今発車するよ。これが今日の最終だから、乗り遅れたらまた明日にするんだね」
受付の老婆があまりにあっさりと言うので、七瀬はトークンを受け取ったまま、「ああ、」と間抜けに応えた。
13時15分? 今じゃないか。切符売り場から出て、見ると彼方に8というプレートが見えた。丁度その真下にバスが停車している。
「モコ、走るよッ」
肺を空気で満たし、背負っていたリュックを支え直すと七瀬はバスへ向かって走り始めた。乗り場には観光客らしい姿は一人も見えず、もう既にバスがその全てを収集し終えている様だった。準備は万端。あとはドアを閉め、出発するだけ。運転手の姿も、もうそこにはない。
走り始めて少しして、七瀬は思い出したように振り返った。モコは七瀬のはるか後方でよたよたと、歩くよりもほんの少し早いくらいのスピードで進んでいる。
「ああぁーッ! 早くッ! あんたが見たいって言ったんでしょ!? 急いでって! バス出ちゃうよ!?」
七瀬はその場で足踏みをしてモコを急き立てる。モコの眠そうな目が彼女を見ていた。
「ったくもうッ!」
七瀬は駆け寄って、モコの腰に手を回すと力づくで抱え上げた。左手に彼女の足をかけ、右手で腰を支える。モコは少しの間、戸惑った表情を見せていたが、すぐに大人しくなり、ギュッと七瀬の袖を掴んだ。
女子とはいえ、重心の移動を意識していないモコはそれなりの重さがあった。七瀬は踏ん張りながら、両腕、そして腰へ力を込め走った。
腕の中で揺れるモコの目がうつろになる。
と、バスの扉がブザー音と共に勢いよく閉まった。当てつけかの如く、馬鹿でかいブザーを鳴らしてバスの車体がゆっくりと前進を始める。
一気に重みが圧し掛かってくるような感じがして、七瀬はよろめきながらその場に立ち止まった。
ついていない。そう、本当についてない。
その時、数十メートル進んだバスがロータリーを一周し、大きな円を描きながら、再び停留場へ戻ってきた。そして七瀬達に横腹を見せるように停車した。続けざまに扉がものすごい勢いで開いた。
訳も分からず、七瀬は開いた扉の向こうを見る。
「自分で抱っこ出来るようなら、大したもんだよ。お嬢ちゃんは」
ニッと笑う運転手は昨夜屋台にいた小太りの男性だった。
つづき
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