4話
アスファルトに潰された桜の花びらを踏みながら、歩く。街路樹から差し込む陽光が少しでも体調を回復してくれないかと考えて歩みを進める。
安っぽいエンジン音を響かせながら、すぐ横を軽が走り去っていった。
大講義室に入ると、まだ人はちらほらといった所だ。
ズキッ
「ッてぇ……」
早く座りたい。
適当に真ん中らへんの座席にあたりをつける。
座面を展開して座る。前方の時計を見ると、講義が始まるまでまだ20分以上ある。
適当に音楽でも聴くかとイヤホンを出し、ケースを開いた時だった。
俺のすぐ横を誰か通った。
それ自体は何ら普通の出来事だが、俺は気づいた。すぐに偶然同じだけかと思った。そうであってくれと願った。でも、現実は小説のように狭い世間と縁でできているらしい。
俺は、この匂いを知っている。
近所のスーパーでワゴン品を買ったら、気に入ってしまったのだと笑っていたその柔軟剤。そでの匂いを嗅がせてくる君の笑顔。鼻腔をくすぐるシトラスの香り。
「……ッ」
前の座席、座面を下げようとして振り返り、固まって俺の顔を見つめる君がいた。
りおなは何か言おうとしたのか口を開いたが、数秒固まった後、口を閉じて視線をそらした。椅子につけていた手を上げ立ち去ろうと背を向ける。
ほとんど無意識だった。俺は咄嗟に立ち上がって、椅子から離れたりおなの手を掴んで引き止めた。驚いたような表情で振り返ったりおなは、すぐに表情を冷たくしてこう言った。
「もう関わらないでって約束しましたよね? 今更何ですか」
そう言い放ったりおなに俺は何も言うことが出来ない。
久しぶり。
大学、一緒だったんだね。
そんな言葉も出てこずに、俺はりおなの瞳を見つめる。掴む手がどんどん冷えていくのが分かった。
「……離して」
りおなは一言だけ言って俺の手を振りほどいた。すぐに体を翻し後方に歩いていく。
俺は後ろを見なかったが、りおなが講義室を出ていったんだろうと簡単に想像がつく。俺はその場に立ち尽くし、自分の手を見つめていた。
それから、りおなとは会っていない。
おそらく唯一同じだったであろうその日の講義にも、もうりおなは来ない。
俺はあの日から前に進めずにいる。
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