第32話 別離・決別

「それではこれで締結という事で良いですね。」


 この場の全員が書類に目を通し、署名と捺印を済ませた。


 鼻をほじりそうだと思ってしまった弁護士は漸く仕事が出来て満足そうだった。

 

 結論として、両親は離婚成立。

 親権は俺が親父、倖が母親が持つ。慰謝料はなし。これは驚くかも知れないが色々妥協した結果である。

 その代わり、俺が入院する病院には立ち入らない、退院後も半径5km以内には近付かない。

 もし見かけた場合は、本当の偶然を除き刑事告訴もすると一文を入れてある。

 まぁ実際5kmなんてわからんけどな。知らずの内に範囲内にいるという事はあるだろうし。

 別にGPS埋め込んでレーダーで確認て事は出来ないんだし。

 そのため、高校は俺とは違うところを受験する事が義務付けられた。


 慰謝料等がないのは、財産分与でもめるのが面倒なのと、支払の関係で接触する恐れが出る事を避けるためというのもある。


 支払いが滞れば弁護士を交えてでも会わなければならない状況になるかもしれない。

 それすらも正直億劫なんだよ。


 俺の治療云々は保険でどうにかなるし、親父がそれは俺の監督不行き届きとかもあるからと納得していた。

 俺自身は一円も払わないのだから別に良いけど。いや、良くはないんだけど。


 妥協しないと母親が離婚に応じなそうだから仕方ないとも思った。


 まぁでも書類は上から下まできちんと読もうな?

 今は慰謝料とか発生しないけど、良く読もうな?

 悪徳金融機関のように小さく書いてあるわけじゃないからな?

 一応苅田弁護士も説明してるからな?上の空だったのだろうけど。


 倖はあの後もごめんなさいを繰り返す壊れたマリオネットと化していたし、母親は……多分タイミングを掴めていない。

 だから言いたい事があるなら今言わないと、向こう何年も機会を失うぞ。

 その機会すらないまま生涯を終える事になるのかも知れないぞ。


 チャンスを与えてるというよりかは待っているというのが正直だけど、甘いのは納得している。


 

 仕方ない……これが最後だ。


「残念だよ、これがだ。母さん。」


 多分俺自身母親の事を母さんとかお母さんとか呼んだのは久しぶりだと思う。

 自分で喋っておいてなんだけれど、ぎこちなかったよな。


「あっ……うっ…」


 なんか涙腺が崩壊しそうだ。


「あぁぁぁぁぁぁっ、ご、ごめんなさい。ごめんなさい。何も気遣ってあげられなくてごめんなさいぃぃぃっ。」


 まぁ遅いんだけど……最低限これで良しとするか。

 孫の顔を見せる事があれば良いな。これは俺の気持ちではなく、言い聞かせる意味での良いなだ。


「孫の顔を見せる時が来れば、そんな機会があれば良いな。」

 

 だから思わず口に出していた。

 その言葉を聞いて母親は一層泣き崩れた。でもそれに感傷されたりはしない。

 頭をテーブルに打ち付けて今更謝罪をしても遅いのだ。


 それを赦す事に関しても、俺自身が過去を割り切る事に関しても。

 それでもごめんなさいの一言もないままお別れというのは後味が悪いな、そう思っただけだ。

 俺の自己満足だがそれで良い。


 孫の話を出した時に扉の向こうで「ガタンッ」という音が聞こえた。

 間違いなく璃澄が聞き耳を立てていて聞いていたのだろう。


 ちなみに隣の部屋は璃澄用に予約されており、飲食も出来ている。

 支払いはこちらの伝票と一緒という事らしい。


 どれだけのモノを頼んだりしたのかはわからない。

 聞き耳立てるくらいだから量は多くないだろうけれど。


 璃澄はこういう時に変な遠慮はしない。遠慮するのは相手に失礼だからと頼まないなんてことはない。

 それでも流石にA5牛肉とかを頼んだりはしないと思う。


 


 書類を纏めた苅田弁護士は席を立って退出していく。

 結局苅田弁護士は水を少し飲んだだけだった。


 最後だけで良いから一緒に食事をしようと親父が提案を持ち掛け、渋々ではあるが俺は承諾した。

 母親は縋る思いでか承諾し、倖も同様に見えた。 


 そして最後の晩餐は終焉を迎えた。 


 最後の晩餐に会話などあるはずもなく、箸も思うように進まない正面の二人。


「それじゃ。」


 なぜかさよならとは出て来なかった。

 他意はないのだが、それが何による気持ちなのか考えなのかは俺自身わからない。


 ただ、色々なモノの引き渡し等のために親父はまだ母親と会う機会がある。

 だからだろうと勝手に納得をする事にした。


 璃澄に運んでもらい部屋から退出する。ガタンと立ち上がった時の椅子の音が響くが振り返らない。恐らくは倖だろう。

 部屋の中からはすすり泣く嗚咽が聞こえてくるが璃澄が立ち止まる事も、俺が止まってくれという事もなかった。

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