第16話
俺の中で何かが弾けて壊れていく。
家族とはなんだ。血の繋がりってなんだ。積み上げてきた時間や想いは。
人との繋がりってなんだ。交わりってなんだ。
この世の中には、自分が体験してこそ理解出来る事ってのは当然ある。
それがまさかこんな事だとは想像もしていなかった。
冤罪はさておいて、相手の同意のない行為が悪だと、強姦が悪だという事が。
弱者が、抵抗出来ない立場が惨めな想いと苦痛を味わうだけだという事が。
身を以って理解する事になるなんて……
頭痛と共に薄れゆく意識の中でこれだけの事を思考出来てるなんてな。
あぁ、そういえば何か声が聞こえる。
この声は他にはいないな。今、一番見られたくない、知られたくない相手に見られてしまったのか。
「テメェェェェェェ!ナニしくさりやがってんだァッァァァァァ!l
自殺未遂から目覚めた時と同じくらいの、微かな視界の中で俺に跨ってた
その瞬間、白と赤い色した何かが顔の方に向かって飛んできたが、避ける事は当然出来ない。
何かが頬あたりに触れた感触があるけれど、多分吐しゃ物や胃液によって溶けて混ざったと思う。
床面に叩きつけるような仕草は見えたけれど、それ以降は角度の都合でわからない。
妹を投げる時の璃澄の表情は、般若のような怒りと……一寸の涙が零れていたように感じた。
その後の言葉は何やら聞き取れない。
何人かの看護師達が病室に入って来ているのはなんとか見えた。
「離してっ、どいてッ。そいつッ殺せないッ!」
璃澄の大きな叫び声をこの耳が拾っていた。
ドンドン意識が薄れてきてるんだけどな。
一人の看護師が近くに来ると、下半身に何かを被せると顔の前に来るのがわかった。
そして顔を傾けたり拭いているのが分かる。吐しゃ物の除去……だろうな。
仕事ではあるだろうけど、この感じは月見里瑞希さんかな。
タオルを掛けたり迅速な救命措置と周囲への支持出しにしたりと、随所にプロ意識と優しさが見える。
顔を少し動かして口の中を空にして、軌道確保や呼吸を確認している。
仰向けでの吐しゃは本当にまずいからな。詰まって死ぬ可能性がある。
おかしいな。一度は死を選んだはずなのに。
この1ヶ月近くの入院生活で、俺は生を望んでいる。
何故だ……
理由などわかってる。本当は分かってる。
璃澄に依存している。璃澄の介護に安心を得ている。
傍にいる事に心地よさを感じている。
これまでの、璃澄がいて磐梯がいてのマブダチだけの関係じゃない。
甘えている部分は否めなくても、俺は璃澄を必要としている。
隣にいてくれて……満たされている。
このような状態にならなければ気付きもしなかっただろうけど。
今も俺のために叫んで、感情を露わにしているけど。
ちょっと怖いけど、辛うじて意識を保てているこの状態で、璃澄の声が一番響いて。
「この強姦魔ッ!」
璃澄を羽交い絞めにして押さえているのは月見里環希さんか。
パワーヒッター的な璃澄を抑えられるという事は、環希さんも何か運動をしていたのか。
他の駆けつけた看護師や職員によってキモウト(キモイ+妹か、キチガイ+妹か)は押さえられているようだ。
良くは見えないが、俺とおなじように下半身部分は見えないように何かをかけられているのだろう。
一方俺はと言えば、続けて月見里瑞希さんが瞳孔?を確認したり、口の奥を確認したり。
時間にすれば1分にも満たないだろうけど、処置をしている瑞希さんの表情は冴えない。
口の中に詰まってしまっては呼吸すらままならないけど、呼吸出来ているという感覚はある。
しかしあぁ、なんだか頭が痛い。
意識を失いそうで失わないのは頭痛のせいか。
璃澄の声で少し安心していても、それでも身体と心の限界点はやってくるようだ。
喉を「カッ」「カッ」と小さく鳴らして微かに咳込んでいる。その度に唇に飛沫がかかる。
呼吸は辛うじて出来ている。生への渇望か、それとも賢明な月見里さんの処置のおかげか。
妹の蛮行の真意はわからない。わからないまま意識を失うのは怖いが……
頭が処理する許容量を超え、思考する事を放棄しようとしていた。
クラっときたと思ったら景色が揺れている。天井が、カーテンが、ベッドの端が、月見里さんが、押さえつけられがらも怒鳴っている璃澄が……
ゆらりゆらり揺れて、蝋燭の炎のように視界がブレて。
プッと何かが走ったと思ったら、例えるなら座っている時に睡魔に負けて一瞬でフッと意識を失う感覚。
あれ、ここでまた来世にワンチャンのチャンスか。
しかしあの時以上に今は未練のようなものが。
璃澄に何も返せていない。怒り狂ったままの璃澄を残して無責任な事は……嫌だなと最後に過ぎった。
今度は来世にでなく、現世でワンチャンというわけにはいかないだろうか。
「当たってる!当たってるからっ!背中に林檎ッ当たってるからッ!」
「当ててるのよ。」
璃澄と月見里環希さんの声を微かに捉えた。
しかし世界は無情で、俺の脳も意識も所謂落ちる……という感覚と共に意識を手放した。
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