第10話
「わーははっははあははははははははっ」
病室に突如大爆笑が響き渡った。
この声は聴き間違えるはずはない。
こいつは……こいつは熱塩磐梯。
俺が遺書を送信したもう一人のマブダチで野球部仲間で幼馴染。
苗字も名前も温泉みたいな名前の友人だ。
さて、なぜ俺は磐梯にいきなり笑われなければならないのか。
少しだけ記憶を遡ろう。
あれは……数分前の事、その前に。
☆ ☆ ☆
「検査結果は通常、親御さんまたは親御さんを交えて伝えたかったのですが……」
病室に医師がやってきた。先日対応した石島医師だ。
俺が運ばれてから3日は過ぎている。
その間中検査や経過観察で、それ以外はほぼ寝たきり生活。
痛みに我慢出来ない時は看護師に座薬を入れられ、尿道にはアレを入れられと羞恥プレーと言う名の医療行為は続いた。
その間幸いにも家族と言う名の悪魔はこなかった。
親父が面会を求めているというのは璃澄づてに聞いてはいる。
まぁ、親父とくらいなら情報合わせのためにもそろそろ会っても良いかも知れないとは思った。
そんな時に検査の結果発表だ。
ちなみに俺が寝ている時に数人の友人達が訪ねてはきたけれど、起こすのも悪いからと寝顔だけ撮影して帰っていったとか。
番人のように聳え立つ璃澄が説明くらいはしていたと。
一体どこからどこまでを説明したのやら。
さて、それで診断結果だけれど。
「頸椎の右側5番から7番を圧迫してます。将来体に中指から小指にかけての外側に痺れなどの麻痺は残る可能性が高いです。」
他に足も外側に痺れが出て残るとも。
「腰椎も一番上が少し潰れてます。人より腰痛になる可能性は高いですし、猫背になる可能性は大と思われます。」
「腰を守るために背中が、背中を守るために肩が、肩を守るために首が時と共にダメージを負う事も考えられます。」
「身体全体が猫背になるイメージを持って貰えるとわかりますかね。」
しかしさっきから将来の話ばかりしているな。
現状どうなんだ?
「肝心の現在の状況ですが、圧迫された神経の影響によって麻痺を起こしてます。」
腰と首のダメージによって足と腕、主に右側が思うようには動かないと。
それは脳のダメージも加味しているそうだけれど、脳内の出血に関しては手術も成功し悪化さえしなければ問題ないだろうと。
悪化とはどういう事だ?と思っていると、過度に急激な負荷……端的に言えば怒りなどの感情を抱かなければ大丈夫だろうと。
怒り以外にも興奮などもダメだとの事だ。
昨日あたりから少しだけ動くようになった左腕だけれど、自家発電も避けるよう言われた。
それはもちろん、誰かに手伝って貰う事もだめだと。
そこで何故かがっかりする璃澄の姿もあったけれど、華麗にスルーしよう。
過度な負荷というけれど、痛みに襲われて痛い痛いと唸るのはどうなのかと思ったけれど、それもあまりよくはないらしい。
そのため、痛み止めは暫く常薬するそうだ。
それでも痛みを我慢出来そうにない時はブスっと座薬が待っている。
「も、もとのような、生活は……」
三日も経てば喉は大分マシになったのか、脳のダメージがまだ残ってるのか若干たどたどしいものの、喋る事は可能となっていた。
「若い貴方に言うのは酷ですが、先に述べた症状が懸念される以上難しいと思われます。」
石島医師の言葉に「フゥー」と息を吐いた。
「随分辛辣な事をさらりと言いますね。まぁ下手に隠されたり遠回しにされて後でがっかりするよりは良いですが。」
抑今世に見切りをつけて一度死を選んだんだ。
こうして友人達のありがたみを思い知ったとはいえ、命があっただけでももうけもんと思うべきだろう。
尤も、迷惑をかけてしまう事には変わらないけど。
「損傷を受け止めリハビリを頑張れば、半身の麻痺との共存にはなるけれど、生きる事は可能と認識しても良いって事でしょうか。」
代わりに答えたのは璃澄。家族ではないけれど、同席を許可されていた。
「それには支えてくれる人の人生も捧げる事になるかもしれませんよ。」
俺からは見えなかったけど、話が次に映ったので何かしらのジェスチャーなりの行動はあったのだろう。
「リハビリは……リハビリの先生とも検証した上で行います。現在出来る事、痛みや違和感がある事は素直に伝えてください。」
そしてリハビリの先生がやってきて今後の入院生活が決定する。
検査とリハビリの毎日が。
いきなりテレビ等でよく見る歩く練習等はない。
まずは可動範囲の確認から。
左手はある程度動くようになった。
右腕には常に点滴の針がブッ刺さってるけど。ピクピクと動かすのがやっとだ。
左手でにぎにぎ……握力は小学生くらいには戻ってるだろうか。
先生に止められはしたけど、自家発電出来るくらいにはなってると思う。
もっとも身体を起こすのはきついので自分で掴むのは無理なんだけど。
あぁ
あ、もし掴めるようになっても運動する事は出来ないわ。
ほとんどずっといる璃澄がそれを邪魔する。
璃澄の目を盗んで出来たとして、どう処理をするんだって話だ。
両手が使えないのに……
さて、リハビリは始まったものの、状況がそれ以上急に変わる事はない。
先生指導の元、車椅子に乗る訓練は始まったものの、一人で乗れるわけではない。
介助する人がいなければ車椅子に乗る事も出来ない。
俺が目覚めてから既に2週間にはなろうかというところ。
野球部は合宿で遠征をしているという情報が入っている。
他のクラスメイトも俺の事を知った人は何人か訪問していた。
しかし璃澄の事に関しては何もツッコミがなかった。何故だろう。
璃澄の顔と名前が一致して以降、他のクラスメイト達も名前が浮かぶようになった。
記憶の中の顔に浮かんだ名前が一致する。
それと共に失った記憶の欠片が戻ってきた感覚になる。
ただし、接着剤を使ったところで割れたガラスが元に戻らないように、記憶や想い出が全て元通りというわけでもないんだろうなと思った。
それでもう少しで常磐の大笑いに繋がるのだけれど。
合宿が始まる前に一度訪れてくれてはいたみたいだけれど、生憎俺が熟睡していた事で顔だけ少し見て帰ったとの事だけれど。
合宿が終わって、残り数日の夏休みといったところでやってきた。
リハビリをしていて可動域が増えた事で、身体の痛みが増えた気がする。
リハビリを頑張り過ぎた後は腰とかが特に痛い。
その日も朝のリハビリを終えて部屋に戻ってから暫くして、激痛が襲った。
リハビリ中は全然痛くなかったのに。
そしたら璃澄が張り切ってしまった。
具体的には、ナースコールをすれば良いのに座薬を入れると言い出したのだ。
確かに医師も看護師も入れて良いとは言ったけれど。
「はいはーい。まおー、身体を少し横に傾けるよー。」
右腕に点滴がブッ刺さってるので、身体は左側に倒される。
ちなみに左を向いてしまうと入り口の扉は見えなくなる。
ぺろんとパジャマを下ろされパンツを下ろされ……
あ、一応大分前におむつは卒業した。カテーテルも卒業した。
それは介助が必要とはいえ車椅子に乗る事が出来るようになったからだ。
本当は急な便意に備えておむつはしておいた方が良いとは言われたけど。
璃澄も何に慣れたのか、俺を車椅子に移動させるのが上手くなっていた。
もうなんだろう、介護士とか向いてるんじゃないか?とさえ思ってる。
そして璃澄は、ウォシュレットで流してるとはいえ、人の尻を拭いたりしてる。
もう、俺は恥ずかしさを捨てる事にしていた。
どうせ人はセクロスをする時にはほとんど全裸だろ?だったらその予行演習みたいなもんだと諦めた。
だから、こうして痛みに襲われた時に璃澄が座薬を入れる事が……しばしばあった。
「それじゃ
こうして小ばかにしながら入れてくる。
将来恋人関係になったら絶対尻に敷かれる事は間違いないだろう。
いや、尻に敷かれる程度なら可愛い方だろうな。
そんな事を思っていたら「コンコン」というノックと共に扉が開いた。
俺からは姿は見えない。だって反対向いてるんだもの。
そしたら突然、男の大笑い声が。
「わーははっははあははははははははっ」
☆ ☆ ☆
そして現在に至る。
「座薬って……それほどまでに痛いのか?」
大笑いの後に急に真面目なトーンで話してくる。
「少ししたら座薬のおかげで痛みはわからなくなる。」
そう答えるしかない。
磐梯は自殺未遂の件には自ら触れてはこなかった。
彼なりの気遣いのつもりなのだろう。
だから彼はこの合宿中の話ばかりしてくる。羨ましいだろうと言わんばかりに。
合宿で向かいのホテルに宿泊していた、大学生らしきお姉さん達に大声出して手を振ってたら監督から大叱責を受けたとか。
マネージャーの入浴を覗きに行った数人が、バレて正座させられていたとか。
お土産に神社で買ってきたアレを手渡してくる。
「ち……んこ?」
どう見ても男性器だ。魔王……が可愛く見える。
「馬鹿野郎。これは田縣神社で買って来たんだからな。」
「おぱーいのとこも行ったぞ。間々観音?大縣神社?」
そう言って夫婦飴を俺と璃澄に1セットずつ手渡してきた。
「あぁ、そうか。合宿って……愛知に行って来たのか。」
コイツ……絶対月天に行ってきたな。
矢場町……ヤバいっすとか言いそうだ。
愛知県と言えば、知らない人はつい最初に名古屋か栄を連想するだろうけど、名古屋や栄だけじゃないんだぜ……
真のヲタクは矢場町を忘れない。忘れてはいけない。
東京駅からの深夜バスだって通るルートだぜ。
「リアクション薄いな。」
もっとはしゃぐとでも思っていたのか?残念ながら過度に興奮出来ないんだよ。
少なくとも手術痕が消えて暫く経つまでは。脳の血管の安全を確保しるまでは。
「あまり脳に……負担かけられないんだ……よ。」
璃澄がそこについて続けて補足してくれた。
「そうか。そりゃ残念。璃澄が夫婦飴舐めてるところで興奮して貰おうと思ったんだけどな。」
「磐梯……いっぺん死んでみる?」
そんな地獄的な少女みたいにならないでくれるかな、璃澄さんや。
ちょっと洒落にならない殺意の波動をひしひしと感じるよ。
「いえ、勘弁してください。っと俺はそろそろ行くわ。この後ダチ公達と夏休みの宿題を図書館でやるんだよ。」
合宿にも持って行ってはいたけれど、疲労からそこまで進まなかったらしい。
そのため、運動部をメインに宿題が遅れてる人を集めて図書館で宿題をするそうだ。
そういえば、ずっとここにいる璃澄はと言うと……
俺の様子を見ながら、ちゃっかり宿題も済ませていたりする。
まぁ暇だもんな。眺めてるだけなはずもない。
そんな様子を見て健気だとか良妻になるねなどと看護師には評判が良い。
一体誰が旦那になるかなんて想像も出来ないけど。
磐梯が立ち上がると、親指を立ててサムズアップを決めてくる。
「そうそう、巫女さん……良かったぜ。マネージャーの風呂覗きよりもテンション上がったぜ。」
ほら、やっぱり……
はいはい行った行ったと、璃澄に追いやられる磐梯。
磐梯が帰る時、璃澄は扉の先まで見送りに行っていた。
ん?実はデキてるのか?
もしそうだとするならいつまでも俺が邪魔しちゃ悪いよな。
早く一人で何とか出来るようにならないと……
などと考えていると璃澄は戻ってきた。
「バレンタインに使おうとしたネタだったのに……」
磐梯を見送って戻ってきた璃澄が、ぶつぶつと何やら漏らしていた。
一体何の事なのかさっぱりわからなかったけれど。
俺が貰ったお土産はベッドの左頭付近にある、患者用の棚に飾られている。
時折看護師がそれを見て時が止まる事もあった。
月見里環希さんには「溜まってるの?」と言われた事もある。
もちろん、野球部仲間がネタで買ってきたと返すようにはしている。
その日の晩、俺は生まれて初めて夢精というものを経験した。
そしてその時穿いていたパンツが行方不明になった。
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