第6話

 医者め、余計な事をしやがって。

 救命した事ではない。こいつを病室に入れた事がだ。

 家族の皮を被った悪魔をなぜこの部屋に入る許可を出した。


 書類上の家族でしかないこいつを……


 もはや俺の中で妹は、こいつとかそいつで処理していた。


 しかし医者を責めるのはお門違いか。他人の家庭事情なんて知るはずもないんだ。

 心の中で思っている事とはいえ、筋違いだった。

 事情を知っていてだったらギルティだけどな。



 あぁ隣で何か言ってる雑音は気にしない。

 最初から気にしないとか、華麗にスルーなんて技能があったら、こんな事にはなってなかっただろうけど。

 なんだろうか、一度死を求めたら色々出来る気がするようになったのも不思議だ。


 諦めた人生、ある意味では惰性となる残りの人生だけど、本気で色々考えて実行しないとな。


 

 少し思い返してみよう。

 地面に到達する寸前目があった事は覚えている。

 こいつが大きな目を開けて俺を見ていた事は覚えている。


 あの時のこいつの表情は一体なんなんだ?

 人が落ちて来れば驚くのは分かる。しかしどういう驚きなんだ?


 まさか俺が本当に死のうとするなんて?とでも?

 自分の表情はわからない。

 こいつに向かってどんな表情をしていたのかは気になる。


 もしかして笑ってたのか?

 どうだざまぁみろという感じで?

 

 気になるな。

 そういえば俺の遺書はどこまで知れ渡っているのだろう。


 こいつらの目には入ったのだろうか。

 目にしてないわけはないけどさ。だって机の上に広げてたんだぜ?

 風に吹かれて頁が閉じないように窓も閉めたし。

 それに文鎮置いてたしな。習字で使う重しの事な。


 こいつが最初に読んだのかはわからない。

 親が読んだかもしれないし、警察等の第三者かもしれない。

 最初に読んだこいつにしろ親にしろ、自分以外には読まれないように隠したという可能性もある。


 それを隠蔽されても良いように、写真に撮って友人二人に送ったんだけど。



 それにしても煩いな。雑音はやっぱり雑音でしかなかった。

 俺の思考を妨げるには充分過ぎる。

 こうして考えている間中、窓ガラスに爪を立てられてる感覚だ。


 俺は怪我人だぞ、重傷患者だぞ。気持ち悪いと悶える事も、耳を塞ぐ事も出来ない重篤患者だぞ。

 それに俺がどうこう以前にここは病院だぞ。

 大声選手権の会場なんかじゃ断じてねぇぞ。T〇Sでやってた学校へなんたらって番組じゃねぇぞ。


 目覚めて数分だけれど、死を意識してからの変化がいくつか実感している。

 こいつとか雑音とか思えるようになった事以外に、俺の考え方が荒くなったように感じる。

 もうなるようになれと、今世を諦めたからだろうか。

 諦めたからこそ、俺自身が以前のままではないという事だろうか。


 脳にダメージもありそうだし、何か超能力とか神秘の技とかに目覚めて……たりはしないだろうな。

 そういえば遠い親戚が、事故から生還して目覚めた時、童貞と処女を見分けられる能力に覚醒していたな。

 それで一年後だか二年後だかに修羅場になったんだっけ。あいつ……結局誰とくっついたんだっけ。


 ってまぁいいか。

 そんな会えるかわからない親戚の事なんて。


 あぁ……耳栓欲しい。指すらろくに動かせないんじゃ、ナースコールすら出来ないじゃん……



 雑音に交じって俺の耳に、別の音……そうだ、これは病室の扉が開く音だな。

 扉が開く音がが聞こえた。

 おかげで聞きたくもない声は搔き消されてくれた。

 こいつの声が蝉の鳴き声よりも雑音として残っているので、掻き消されたは考えすぎか。


 本当なら扉の音も歩いて来る音も、この雑音(妹の声)よりは小さいはずなのに、俺の耳にはそちらの方がはっきりと聞こえる。

 いや、拾ってるというのが正解なのか。都合の良い耳に感謝かな。

 本当なら雑音程不協和音となって耳に残るものだろうし。



 「良かった。目、覚めたんだね。」

 足音があいつとはベッドの反対側で止まるった。

 俺の耳にスッと入ってきた高い声は、心地の良いものだった。

 家族の誰でもないからか。俺の耳はフィルターを掛けなかったようだ。


 その高い声には安堵が含まれていたのが伝わって来る。


 この声は聞き覚えがある。部屋に入って来る姿はまともに見れなかったので顔で判断が出来なかったけれど。

 この声の主は、俺があの遺書を送った二人の内の一人だ。

 遺書を送った一人は、野球部でクラスメイトでもある男友達。


 そして目の前に現れたのがもう一人でもある、野球部のマネージャーを務める女友達。

 もっと掻い摘んで言えば、幼馴染の女の子。


 長い黒髪を後ろでハーフアップにしたお胸が残念な女の子。

 あぁ、思い出して脳内で繋がったら色々思い出した。


 恋愛感情には発展しなかったけれど、幼稚園から通う先はずっと一緒だった。

 野球部にいる三人のマネージャー。一人は三年の先輩と付き合っている三年生女子。

 フリーな二人の内一人は二年生。もう一人の一年生が幼馴染の彼女。


 別に幼馴染である俺が野球部に入ってるから、彼女はマネージャーをやっているわけではない。

 中学の時は彼女は陸上部に入っていた。中学に女子野球部やソフトボール部がないから入ったと本人は言っていた。


 恋愛に発展はしていないのは、単に仲の良い友人、馬鹿やってつるんでる仲間というのが、関係としては一番近いからかもしれない。

 恋心よりは友情が育まれていたんだ、男女の友情と言えばしっくりくるか。そんなものは存在しないと言う人もいるけれど。


 将来男女の関係にならないとは言い切れないけれど、今はお互い好きな事に打ち込んでいた。


 あとは俺と他に数人しか知らない事だけれど、この幼馴染はとんでもない汗臭フェチなのだ。

 汗臭いシャツに顔を埋めているところを何度見た事か。


 ここまで言えばこの女が変態だという事がわかるだろう。

 恋心に発展しないのは、そういった変態染みた部分があるからだと思いたい。

 残念美少女という言葉は、彼女のためにあると言っても過言ではない。



 しかし俺は一体誰に説明をしてるんだか。

 あぁ、俺の記憶を俺自身に言い聞かせるためにか。


 まだ覚束ないからな。心が二つあるかのような感覚ももう落ち着いてはきていた。

 意識がはっきりとしてきたからだろう。


 信頼する友人の来訪に、嬉しくて友人語りをしたくなった……というわけじゃないんだからねっ。

 ホっとしたというか、嬉しいのは事実だけど。

  

「貴女は出ていって。」

 マネ子は開口一番辛辣な言葉で妹に罵声を浴びせていた。

 顔が見えないからわからないけど、多分怒りを含んでいる事は何となくわかる。


 あぁ、おかしいな。

 彼女は幼稚園からの幼馴染で、遺書を送った信頼厚い相手なはずなのに……

 名前が出て来ない。


 やはり脳にダメージがあるという事か。

 だから咄嗟にマネ子なんて脳内で命名したわけだけど。


 そういえば他のクラスメイトの名前とかも出て来ないや。

 もう一度会えば、話せば顔と名前が一致するのかな。

 みんなの顔はわかるんだけどな……


「え?」


 そういやこいつはさっきから悲劇のヒロインよろしく、泣きながらずっと何かを言っていたな。

 あれだけの罵声を浴びせておきながら、死ねば良いと人をこき下ろしておきながら、俺が本気で死を選んだら手のひらを返すように謝るとか何様だろうか。


 俺はそんなものは望んではいない。だから最初の一言以外は右から左へ受け流していた。雑音と称するのは求めていない声だからだ。

 携帯アプリで遊んでいる時に付いているどうでも良いテレビ番組の音声のように。


 

「ここは病人や怪我人を治療したり療養する場所。貴女達がいたらせっかく目が覚めたのに、彼はまた意識を手放してしまうわ。」


「ナースコールじゃなくて、【110番】かけようかしら?」

 中々凄い脅し文句だな。

 俺にもこうなる前に、このくらいの気概があればと後悔だな。

 

 は、表情こそ見えなかったものの、すする水音と共に荷物を抱えてそそくさと椅子を立って部屋から出て行く。

 部屋を出て行くその背中は辛うじて見えた。

 少しだけ視界が広がったかな。

 最初は半目開けてる状態の視界だったのに、あいつが去る姿からは普通に見えている気がする。



 二人っきりになっちまった。

 正直、気まずい。遺書を送った相手と二人っきりだぜ?

 気まずい以外に何があるって言うのさ。


「厳しい事を言うね。」

 彼女の言葉が聞こえる。聞こえ方から察するに下を向いているのかな?


「この大馬鹿野郎!なんであんな事をしたの。」

「あんな事したって何も変わらない。寧ろ酷くなるだけだってのに。」


 彼女は厳しい事と言ったけれど、それがあいつらのような罵声ではない事はわかっている。

 彼女の表情は……悲しみを隠すために無理矢理作った怒りだから。


「バカ・アホ・おたんこなす・おまえのち〇ち〇でーべそっ」


 彼女の罵声なのか激励なのか照れ隠しなのかわからない言葉に、何も返せる言葉はなかった。

 ち〇ち〇がでべそって、どういう事?

 それと、残念だけど美少女な幼馴染の口から、ち〇ち〇なんて言葉が出てくるの……小学生の時以来だぞ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る