第9話 さっさと起きなさい!

 その日、クラーラは違和感を感じていました。

 べつに取り決めをしていたわけではないですが、クラーラが聖女像を拝みに来る時は必ず鉢合わせるクラリスの姿が、今日は見えなかったからです。


 「毎回半殺しにしていましたから、ようやく悔い改めたのでしょうか。それならそれで……」


 金銭的に助かりますから、クラーラからすれば喜ばしいことでした。

 何故なら、魔石とは魔力が少ない者でも使うことができる、魔道具を動かすための燃料。電池のような役割をします。

 その魔道具が高価なのですから、燃料である魔石も当然高くなります。

 しかも、クラーラが購入しているのは質が不安定な代わりに、物によっては中級魔術を発動できるだけの魔力が蓄えられた非正規品。

 故に、質が安定している代わりに、蓄えてある魔力が初級魔術をかろうじて発動できるだけしか蓄えられてない正規品よりも高くなるのでございます。

 クラリスと喧嘩をするようになって10回かそこらを過ぎたくらいに、魔石よりもはるかに安いトゲ尽きの鉄球が先端についた杖をクラーラは購入しましたが、それでも拘束するために魔術は使わないといけませんでしたので、彼女の財布は常に空に近かったのです。

 しかも……。


「会うたびに、強くなっていましたね」


 特に、操気術を身に付けてからのクラリスは、それまでとは一線を画しました。

 クラーラからすれば、操気術自体は体外へ魔力を放出する量を増やすだけの単純なモノでしたが、その恩恵とも言える攻撃力、防御力の上昇は目を見張るものがあったのです。

 実際、杖で殴る回数が増えていましたし。


「あら? これは……紙ですか?」


 いないならいないで、今日は存分に祈りを捧げようとクラーラが膝まづくと、目の前に小石を重し代わりに乗せられた、二つに折り畳まれた紙が置いてあるのに気づきました。

 クラーラへ。

 と、書かれていますから、自分宛の手紙だとすぐにわかりましたが、内容よりも紙の扱いが不思議でした。

 これは数年前から出回り始めた、羊皮紙と違って木の皮から作られた紙。庶民では手に入れることができないくらいの高級品なのに、こんなにも粗末な扱いは異常。

 いったい、これをここに置いた人はどんな人なのでしょう。と、疑問も生じたのでございます。


「ここに……来い」


 意を決して紙を開くと、そこには口に出した一言と、地図が描かれていました。

 場所は、ここからそう遠くはありません。

 歩いても20分足らずで着くでしょう。

 ですがここ、正確には、指定された場所がある通りは……。


「やはり、歓楽街でしたか」


 酒場や娼館があるのは当たり前。

 路地の入り口では、娼館に所属していない野良の娼婦と思われる女性たちが、真っ昼間なのに通りかかる男性を誘っています。

 このような通りでは、学生服を来た自分は浮きまくってしまうと尻込みしましたが……。


「えっと……ここで、合ってますよね?」


 それでも手紙に従い、クラーラは指定された場所まで来ました。

 ですがここ、どう見ても娼館です。

 守衛兼客引きらしい強面こわもての男性が、クラーラを不思議そうにジロジロと見ています。


「おや、もしかして、アンタがクラーラかい?」

「え、ええ、そうです」


 入ろうかどうか躊躇していたクラーラに、かっぷくの良いオバサンが娼館から出てきて声をかけてくれました。

 クラーラは、こんないかがわしいお店の人が、どうし自分の名前を? と、いぶかしみましたが……。

 

「タムマロから話は聞いてる。入んな」

「は、はぁ……」


 有無を言わさず、オバサンこと女将さんは、タムマロって誰です? と、新たな疑問がわいたクラーラを招き入れました。

 ですがその疑問は、女将さんにうながされるままに初めて娼館に入ったことで湧いた妙な緊張感と、独特のにおいの方が気になって霧散してしまいました。


「タムマロ、入っても大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫です」


 そして二階に上がり、三つならんだドアの内、真ん中のドアをノックしながら女将さんが問いかけると、男性が返事をしました。

 クラーラは、聞き覚えのある声だなと思うと同時に、目の前のドア……いえ、正確には奥に広がっているはずの部屋の不自然さに眉をひそめました。

 クラーラには、両隣の部屋からその部屋の主と思われる人の魔力が感じられているのですが、このドアの向こうからは何も感じとれない。

 中には確実に人がいるのに、魔力を一切感じ取れないなんて状況は、魔力を遮断する結界が張られている場合以外は考え辛い。

 でも、どうしてそんな事を?

 と、この現状から推察できる部屋の中の状態が、不思議だったのでございます。


「ちょっとタムマロ! 昨日よりも酷くなってないかい!?」 

「ええ、このままでは、もって明日の夜明けまでだそうです」


 女将さんがドアを開けると、クラーラは予想外の状況に軽く混乱しました。

 部屋の中にいた人は三人。

 一人はタムマロ。

 もう一人は、勇者とともに魔王を討伐し、現在は王国の魔術師団を束ねる団長の職に就いている大賢者。聖剣の魔女とも呼ばれる、アリシア・ペンテレイア。

 そして、最後の一人はクラリス。

 クラリスは黄金の光に包まれながら、ベッドの上で身体のあちこちから血を流し、アリシアが、その治療をしていたのでございます。


「やあ、クラーラ。わざわざすまないね」

「い、いえ……」


 クラーラが、何が起こっているのか知るため一歩部屋に踏み込んだ途端、強烈な魔力圧が彼女の体を包みました。

 そして同時に、部屋に張ってある結界が三つあると確認し、状況を分析し始めました。

 クラリスが放出している魔力を抑える結界と、それから漏れ出た魔力を吸収し、アリシアが両手をかざす人の頭ほどの大きさがある魔石へと流し込む結界。継続的な治癒を施す結界の計三つ。

 そして床には、オオヤシマ国に伝わる神言文字が書かれた紙が何十枚も散らばっています。

 その術式は封印。

 しかも一枚一枚が、魔神の魔力すら封印できそうなほど強力な力を秘めていると、クラーラは一目で看破しました。


「クラーラだって? あ、本当にクラーラじゃない。久しぶりね。あなたが、古代魔法を教えてくれと言って来た時以来かしら」

「は、はい。その節はお世話になりました」

「その様子だと、訳もわからずここに来たって感じね」

「ええ、いったい、どうしてこんな事に?」

「ご覧の通りよ。この子が、魔力を暴走させているの」


 それはわかっていました。

 どうしてそんな事になり、アリシアほどの人物がこんな場所に住むあんなこの子のために、労力を割いているのかが、クラーラにはわかりません。


「この子は、そこの勇者君の知り合いでね。彼に頼まれたから仕方なく、本当に仕方なく協力したのよ」

「勇者君? あっ! 思い出しました!」


 勇者タムマロと言えば、魔王を倒した正真正銘の勇者。それを思い出して、この状況にも納得できました。

 しかしクラーラの頭に、新たな疑問が浮かびました。

 こんな、目に見えるレベルで濃く、大量の……結界のせいでクラーラはハッキリと確認しましたできませんでしたが、神話級魔法を発動できるだけの魔力が確認できたこと。

 そして、その色。

 通常、魔力とは生まれ持った属性に応じて赤、青、緑、黄、白、黒の六つに分けられます。

 人だろうと、魔族、竜族だろうと、いずれかの色の魔力を持ちます。

 ですがその色、黄金色の魔力があり得なかったのです。

 ここまで膨大な量かつ、全属性に対応した黄金の魔力を持ってたのは、一人だけ。

 アリシアが、壁にもたれ掛かってベッドの上を見守っているタムマロとともに倒した、魔王だけなのでございます。

 その魔力が、クラリスからあふれているのが疑問なのです。

 

「アリシア様。彼女は、魔王の生まれ変わりなのですか?」

「さあ? それは私にはわからない。わかるのは、この子が魔王と同質の魔力を持っていたという事だけよ」


 魔王と同質の魔力。

 その言葉で、クラーラはアリシアの嘘と、その魔力の正体に察しがつきました。

 彼の魔王は、およそ100年前に突如として現れ、世に存在する全ての武術、魔法を操って世を混沌で支配しようとした悪の化身。

 その魔王と無関係で、アリシアに同質とまで言わしめた魔力を手に入れる方法はただ一つ。

 魔王の魔力の源であり、『神具』にカテゴリーされている至高かつ究極の宝、『マナの壺』だけ。

 それを、魔王を倒したタムマロがクラリスに与えたのだと、床に散らばる護符と、落ち着き払っているタムマロの様子から察しました。

 それと同時に……。

 

「羨ましそうね。クラーラ」

「羨ましい? 何がですか?」

「この子が発している魔力がよ。あなたにこの魔力があれば、魔王にすら比肩する魔法の使い手になっていたでしょうから」 

「それはまあ……」


 羨ましく思いました。

 ですが、それはアリシア様も同じでは? とも思いました。

 アリシアは、たった一人で伝説級魔法を扱えるだけの魔力の持ち主。

 それでも、神話を再現する神話級魔法を扱えるだけの魔力はありません。

 故にアリシアも、あの魔力は喉から手が出るほど欲しいはずだと、思ったのでございます。 


「うっ……ああぁぁぁぁぁぁ!」

「アリシア、クラリスが」

「わかってる。でもタムマロ、これ以上はどうしようもないわ」


 クラリスの容態が急変しました。

 溢れる魔力の量は増え、致死量を越える量の血を全身から噴き出し、全身が千切れんばかりに身体を反り返しています。

 現状、アリシアが行っているのは、結界内の魔力を扱える量だけ魔石に送り、貯め込まれた魔力を治癒結界として利用した、この場では最適解と言うべき治療。

 ですが、治癒結界の回復を上回る速度で、クラリスの体は裂けているのです。

 もし、これをどうにかできる方法があるとすれば……。


死者蘇生魔法アスクレーピオス……」


 クラーラが口に出したそれは、過剰なほどの治癒を被術者に与え、それこそ魔法名が示す通り、死者を蘇生させるほどの奇跡を起こせる神話級魔法。 

 それを、クラーラは聖女を蘇らせる方法を探す過程で、禁書庫で見つけていました。

 遺体が残っていなければ蘇生することができませんので、聖女を甦らせるのには使えませんが、この状況なら役に立つ。

 そう判断したクラーラは……。

 

「それは神話級魔法よ。この魔石に貯めた魔力を使っても発動は無理だし、私には術式の構築すらできないわ」

「ですが、わたくしなら術式を組めます。そして魔力も、そこにあります」

「この子の魔力を使って神話級魔法を? やめなさい。この私ですら、一度魔石を通さなければ他人の魔力は扱えないのよ? それに、神話級を発動できるほどの魔力に耐えられる魔石なんて、この世に存在しない」

「いいえ。わたくしならできます」


 アリシアの忠告には耳を貸さず、ベッドへ歩を進めました。

 クラーラはギフトの恩恵で、アリシア以上の魔道の才を持っています。

 なので、搾取の首輪の魔術式や、魔石が魔力を貯め込む性質やプロセスも解析済み。

 今日初めて見た、漂う魔力を魔石に送り込む結界の術式も覚えました。

 それらを複合し、調整し、再構築すれば、クラリスはの魔力を利用することも可能なはずだと、考えたのです。


「アリシア。彼女にやらせてみよう」

「でもタムマロ、クラーラじゃあ、結界内に満ちた魔力に堪えられるかどうか……」

「君の結界の治癒対象を、クラリスからクラーラに変えるんだ。それで、クラーラが魔法を発動するまでもつ」

「……それが、ナビ・・の指示なのね?」

「うん、そうすれば、全部上手くいくよ」

「わかった。クラーラ、聞いた通りよ。治癒結界で堪えられている内に、魔法を発動しなさい」

 

 ナビとは? 

 と、疑問に思ったものの、クラーラは首肯し、アリシアの結界の中へ入りました。

 途端に、体を押しつぶさんばかりの圧力を受けましたが、治癒結界のおかげで体は裂けるはしから治癒されていきます。

 ですが、結界による治癒を受けられなくなったクラリスは酷いモノです。


「頼むよクラーラ。クラリスを、助けてやっておくれ」

「……わかりました」


 女将さんの祈るような懇願に答えて、クラーラはクラリスの右手を両手で握りました。

 途端に手の平の皮が溶けましたが、少しだけ顔を歪めただけで、手は離しませんでした。

 何故なら、これはクラーラにとってはチャンス。

 才能があるだけで肝心の魔力がないクラーラが、魔王と同等の魔力を得るチャンスなのですから。


「魔力吸収術式構築……完了。次いで魔力の受け入れ、及び変換……完了」


 クラリスの魔力が身体を流れ始めるやいなや、クラーラは内心、「ああ、素晴らしい」と感嘆しました。

 アリシアをはるかに……いえ、アリシアですら足元にも及ばないほどの魔力が、自分の中に満ちていく。

 自分に足りなかったモノが、ようやく手に入った。

 魔法を発動するためだけの量しか取り込んでいませんが、それでも爪先から頭のてっぺんまで貫くような快感が、クラーラに経験したことがないほどの快感を与えました。

 もし、制御できないほどの魔力を取り込んだら、どうなってしまうのでしょう。

 狂ってしまうのでしょうか。

 壊れてしまうのでしょうか。

 と、破滅願望に近い欲求まで、クラーラに与えました。


「ぐっ……ああぁぁぁぁぁ!」


 ですがクラーラには、快感に酔いしれている暇などありません。

 クラーラは、クラリスに恩を売り、自分の魔力タンクとして働いてもらうために、今は助けないと。と、気持ちを切り替えて……。


死者蘇生魔法アスクレーピオス、連続発動……」


 魔法を発動しました。

 神話級魔法を連続で使用し続けるこの行為は、ギフトを持つクラーラだからこそできる離れ業。

 相応に、クラーラの脳にも負担はかかりますが、結界を張ってクラリスが魔力を制御するのを待つよりはよほど現実的です。

 なぜなら、この魔法はクラリス自身の魔力を使っています。

 いくらクラリスに埋め込まれたマナの壺が無限に魔力を産み出そうと、それを上回る量その量を消費してしまえば、一時的とは言え減らせます。

 王国の上級魔術師数十人でようやく発動できる神話級魔法を使い続ければ、アリシアが張っていた結界以上に魔力を消費させ、必ず制御できる程度まで魔力を減らせる。

 クラーラは、そう考えたのでございます。

 ですが、誤算が一つ。


「何? これ……」


 魔法の回数が十に迫ろうとしたあたりで、クラーラの視界が変わりました。

 さっきまで、目の前には瀕死のクラリスが横たわっていたのに、今は左肩から右脇腹にかけ無惨に切り裂かれた、修道服に身を包んだ女性の姿が映っています。

 そして、それを抱き抱えているのは自分。

 次いで、クラーラの意思とは関係なく視線は上がり、ブリタニカ王国では見ることがない、オオヤシマ風の鎧を装備した男を、睨み付けました。

 

 (あれは誰?)


 クラーラが声にならない疑問をこぼすと、それを待っていたかのように場面が変わりました。

 瞳に飛び込んできたのは、ベッドの上で裸になり、男に媚び、罵倒し、淫らに体をくねらせる女。

 その様子を、小さな穴から覗いています。

 そして、クラーラは……。

 

 (あれは……聖女様?)


 じゃあ、クラリスが言っていたことは本当?

 聖女様は娼婦で、本当に孤児を見下して愉悦に浸るために、施しを与えていた?

 と、落胆しながらも受け入れました。


「お姉……さまは、聖女なんかじゃ……ない」


 痛みでうなされたのか、クラリスが発したうわ言で、さっきまでの映像は霧散しました。

 それと同時に、クラリスの想いが伝わってきました。

 クラリスは大好きだったお姉さまが聖女と崇められ、上書きされ、本当のお姉さまが消されそうになっているのが許せなかった。

 クラリスはお姉さまを守るために、あの像を壊そうとした。

 力を得るために、この苦しみを受け入れた。

 それを、クラーラの心を切り刻まんばかりに、強制的に理解させました。


「だったら、こんな所で寝ていては駄目でしょう」


 クラーラは、クラリスの気持ちを理解しました。

 クラリスが、お姉さまを蘇らせるための旅へ出るために、力を求めているのも知りました。

 だから、クラーラは……。


「さっさと起きなさい! この寝坊助が! 起きないなら、起きるまでぶん殴りますよ!」


 と、叫びながら、本当にぶん殴りました。

 周りの、「いやいや、殴るな」と言うツッコミをどこ吹く風と聞き流しながら、クラリスが目を覚ますまで何度も、何度も。

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