第7話 そうだとしてもです!
ここはブリタニカ王国立魔術学院。
その地下にある禁書庫でございます。
そこで、魔道具の灯りを頼りに分厚く、今にも崩れてしまいそうなほど古い書物を読みふけっているのは、幼き日のクラーラ。
クラリスとクラーラがオオヤシマに辿り着いた日から数えて、およそ4年前になります。
「ああっ! これって蘇生の魔法じゃなくて、男性を粗チンにする魔術じゃないですか! こんなんじゃあ全っ然ダメです! って言うか、どこの馬鹿がこんなくっだらない魔術を考えたのですか!」
クラーラが魔術学院を飛び級で、しかも主席で卒業し、世にある魔術、魔法の半分が集められていると言われている魔術学院の図書館で日がな一日過ごすようになって早二年。
彼女は大方の魔術や魔法は覚えましたが、肝心の魔法が見つからなくてイライラが募るばかりの日々をおくっていました。
「はぁ……。禁書庫でこれでは……」
このまま書物を読み漁っても、求める魔法が見つかるとは思えない。
ならばいっそ、その手の噂話や伝承を信じて、それらを探す旅に……。
と、何度目かわからない自問が頭をよぎるなり……。
「それこそ駄目ですね」
即座に否定しました。
この頃の彼女は、魔術を扱う知識も技術も規格外に優秀ですが、奴隷商人が奴隷を大人しくさせる過程の副産物として製造し、売っている、中級程度の魔術を発動できるだけの魔力が込められた魔石がなければ魔術を使えなかったからです。
そんな彼女が旅に出たところで1ヶ月ともたず、野垂れ死ぬかモンスターなり野盗なりに殺されるのがオチでしょう。
野盗に捕まったりでもしたら、死ぬより最悪です。
この頃の彼女は、胸は控えめですが貴族の令嬢が多く在籍する魔術学院の中でも、五本の指に入るほどの美少女。
転生者たちが広めた、ブレザーと呼ばれている制服が学園で一番似合っているとまで言われていますし、不細工でオマケに汗臭くて気持ち悪くて常に「ブヒブヒ」言ってるような男しかいませんが、ファンクラブまで存在します。
もし野盗の類いに捕まったら、とても口には出せないほどの
は、ひとまず置いといて……。
「手詰まりですね」
彼女には護衛を雇うお金もありませんから、国からの要請にしたがって魔術研究員になって探しつつ、お金を貯めるのが現実的。
ですが彼女の場合、それまで自分の想いが爆発せずに済むかどうかが問題でした。
「……気分転換に、あそこへ行きますか」
クラーラはため息をつきながら椅子から立ち、禁書庫をあとにしました。
彼女が歩を進め、学園から出てもひたすら進むその先にあるのは、とある路地裏。
そこにある、とある人物を象った彫像です。
彼女が学園を卒業した年に完成しましたから、あの聖女像が完成して、もう二年。
どうしてこんな路地裏に造られたのかを彼女は知りませんでしたが、慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべるあの像は、在りし日のあの人に良く似ていると感じていました。
彼女がまだ孤児だった頃に、毎週日曜日に教会でパンを配っていた彼女に……。
「あの子、何をしているのですか?」
クラーラが昔を懐かしみながら、像が見える位置に差し掛かると、サイズがあっていないブカブカのワンピースを着た金髪の女の子が、その細腕で頭ほどの大きさがある大木槌を振り上げている様が目に飛び込んで来ました。
まさか、像を壊すつもり?
だったら、黙って見ていられません。と、思うなりクラーラは……。
「風よ、拘束しなさい!
持ち歩いている魔石を一つ取り出し、魔術で木槌を空中に固定しました。
よほど力一杯振り下ろそうとしたのか、そのせいで手がすっぽ抜けて女の子は顔から地面へ激突してしまいました。
鼻血まで垂らして凄く痛そうですが、聖女様を傷つけようとした罰だと思っているクラーラに、罪悪感は欠片もありません。
「誰よアンタ! なんで邪魔すんのよ!」
「邪魔をするに決まっているでしょう! 聖女様の像を傷つけようとするなんて罰当たりです! 不敬です! 不信心過ぎます!」
「お姉さまは聖女なんかじゃない!」
クラーラの説教で彼女、幼き日のクラリスの怒りのボルテージはさらに上がったようですが、クラーラの怒りは少しだけ小さくなりました。
今、何て言いました?
お姉さまって、言いませんでした?
と、疑問の方が大きくなったのでございます。
「何にも知らないクセに、どいつもコイツも勝手なこと言いやがって。何が聖女様よ。何が路地裏の聖女よ! お姉さまはそんな高尚な人じゃない! お姉さまはただの娼婦よ! 馬鹿にすんな!」
「馬鹿になんてしていません! むしろ馬鹿にしているのはあなたでは?」
仮にクラーラが聖女様と呼ぶ人が、クラリスが言うお姉さまと同一人物で娼婦だったとしても、彼女の行いが変わることはありませんし、クラーラの信仰が薄れることもありません。
いえむしろ、娼婦でありながら、聖女のごとき行いの果てに本当の聖女になった彼女への尊敬の念が、一層強くなりました。
「これ以上、その像に何かするつもりなら、二度と動けなくなるまで痛め付けます」
「やれるもんならやってみなよ。魔術師なんて、懐に入っちゃえばそこらのチンピラ以下なんだから!」
台詞と構えから察するに、何かしらの格闘技を習っていますね。
その実力は、あの子が言ったことを信じるのならそこらのチンピラ並かそれ以上。
と、瞬時に分析したクラーラは、接近された時の備えとして学院で習った護身術の構えを取りました。
問題は、それがあの子に通じるかどうか。と、少しだけ不安を覚えて。
「なっ! アンタ、魔術師じゃないの!?」
「魔術師ですよ」
ですが、それは杞憂に終わりました。
クラリスは、クラーラが自分とそう歳が変わらないから侮ってしまったのです。
その結果、クラーラは真正面から大降りの右ストレートを放ったクラリスの拳を左手で受け流しつつ右側面に滑り込み、限界まで伸びていた彼女の右足を蹴り払いました。
軸足を地面から離されてしまったクラリスはバランスを崩して、左肩から転倒。
クラーラはその隙を見逃さず……。
「風よ、拘束しなさい!
先程と同じ魔術で、今度はクラリスの両手両足に風の鎖を巻き付けて、自分の目の前に大の字で拘束しました。
そして、改めて見て観察を始めました。
この子が着ている服は、聖女様がお召しになっていたのと同じ物。
ブカブカなので、本来なら何年か前に流行った臍だしのセパレートタイプなのにワンピースに見え、スカートも膝下まで丈がありますから、パッと見で気づくことができませんでした。と、二人が知り合いである可能性が高まったことに落胆しながら。
「離せ! 離しなさいよ!」
「あなたが自分の行いを悔い改めて、二度と聖女様の像を傷つけないと誓うのなら、離してあげます」
「嫌だ! あの像はぶっ壊す!」
「そうですか。では、しかたありませんね」
許しを乞うまで痛めつける。
二度とここへ来たくなくなるくらい、ボロボロにしてやる。
聖女様の像を思い浮かべるだけで恐怖に震えるよう、徹底的に後悔させてやる。
と、心の中で言いながら、怒りとともに嗜虐心を高めました。
そして……。
「風よ。
クラーラは手持ちの魔石全てを使って、100個の風の塊を作り出し、それを一斉にではなく、順次発射しました。
もちろん、クラリスの体のあちこちに。
ですが、クラリスに反省の色は見えません。
それを20発ほど打ち込んだあたりで、クラリスは……。
「ア、アンタってさ。もしかして、教会でお姉さまからパンでも貰った?」
と、冷笑を浮かべて言いました。
その問いに、クラーラは……。
「……ええ、そうです。当時は孤児だったわたくしに、あの方はお恵みをくださいました」
と、答え あのパンの味は今でも覚えている。と、心の中で付け加えました。
彼女は、当時は常に空腹だったのもありましたから、余計にでも美味しく感じたのでしょうが、彼女にとってはそれだけではありませんでした。
あのパンは、お祝いで食べるような特別なパン。
銅貨一枚で買える普通のパンとは違い、その十倍はする高級パン。
それを、彼女が聖女と呼ぶ人物は大人が50人いても食べきれないほど用意し、無償で配ってくださいたのです。
食うに困っていない人からすれば、高がパン。
ですが、空腹に喘いでいた当時のクラーラからすれば、されどパンです。
週に一度、その人物が施しをしてくれたから、クラーラは神父に保護された日まで生きていられた。
六日生き延びれば、またパンをお恵みくださる。
また、あの人に会える。
その希望を与えてくくれたから、今の自分がある。
クラーラは、そう思っているのでございます。
「くくくく……。あーっはっはっは! こいつは傑作だわ! アンタ、その様子じゃあ、お姉さまが善意でパンを配ってたと思ってるみたいね!」
クラーラの答えを聞いて、クラリスは腹の底から笑いました。
傷の痛みを感じながらも、クラーラを精神的に痛め付けるために全力で嗤いました。
「善意以外の、何だと言うのですか? あのような尊い行為、善意以外ではできません!」
その嘲笑にイラ立ちを覚えながらも、クラーラは冷静に言い返しました。
それでも、クラリスは……。
「逆よ、逆。お姉さまはね、あたしですら引いちゃうくらいの性格破綻者だったの。小汚い孤児がパンに群がるのを見て愉悦に浸ってたのよ!」
「嘘です! 聖女様は、そのような悪辣な人ではありません!」
「一番近くで見てきたあたしが、そうだって言ってんだからそうなのよ! お姉さまは金と引き換えに体を売る娼婦! 食い物に釣られる餓鬼を見て喜ぶ、最低のクソ女だったのよ!」
「黙りなさい!」
追撃の手を、ゆるめませんでした。
それに業を煮やしたクラーラは、風の塊を追加で10発ほど叩き込みました。
ですが、クラリスはそれでも……。
「お、お礼を言わなきゃねぇ。お姉さまが楽しむためのオモチャになってくれて、ありがとうって」
「黙れと、言ったでしょう!」
黙りませんでした。
だからクラーラは、残りの風拳魔術を全て撃ち込みました。
打ち込むたびにクラリスの肉は潰れ、骨が砕け、血が舞い散りました。
その光景を見ていたら、何とも言えない高揚感が、クラーラの胸の内に湧き上がりました。
「はぁ……。はぁ……」
そして全ての風拳魔術を撃ち終わり、生きているとは思えないほどグチャグチャになったクラリスを見ているのに、クラーラは助けようと思えませんでした。
むしろ、もっと壊してやりたい。
そうすれば、この体の火照りも冷めるはず。
そう考え、クラーラはクラリスが持っていた木槌を拾い上げ、彼女の頭目掛けて振り下ろそうとしたのですが……。
「こらこら、それ以上は、さすがに見ていられないよ」
タイミングを見計らったかのように突然現れた男性が、それを止めました。
彼に掴まれた木槌は、クラーラがいくら引っ張ってもビクともしません。
「君の気持もわからなくはないけど、これくらいで勘弁してあげてくれないか?」
「嫌です! 彼女は聖女様を侮辱しました! 貶めました! だから許しません!」
「彼女が言ったことが、事実だとしてもかい?」
「そうだとしてもです!」
「そうか。じゃあ、しかたないね」
謎の男性が何か言ったと思ったら、クラーラは地面に叩きつけられていました。
息ができない。
意識も遠ざかっています。
そんなクラーラの瞳に映ったのは、治癒魔術を施しながら彼女を抱きかかえている謎の男性。
彼はクラーラを置いて去ろうとしましたが、ふと、何かを思い出したかのような顔をして振り返り……。
「ああ、君がクラーラか」
と、言いました。
それを聞いてクラーラは、どうして、わたくしの名前を? と、疑問に思いました。
思い出したかのような口振りでしたが、それにほんの少しだけ、何かを察したような、パズルの最後のピースを見つけたかのようなニュアンスがふくまれていたような気がしたと思いました。
ですが、その答えを得るための質問をする前に、クラーラの意識は途切れました。
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