第2話 殺ったのはクラーラ / 殺ったのはクラリス

 ずずずずぅぅぅー!

 と、勢いよく何かをすする音が響く食堂兼酒場。

 その音を鳴らしているのは、テーブルの上にいくつもの空になったうつわを積み上げているクラリス。

 対面には、その光景を見て食欲が失せたのか、無言で自分の器をクラリスに差し出すクラーラが座っています。

 

「美味い! このウドンって食べ物、すんごく美味い! しかも、美味いだけじゃなくて腹に貯まる! ね! クラーラもそう思わない?」

「美味しいのは認めますが、あなたは食べ過ぎです。それ、もう10杯目ですよ?」

「そうだけど……」

 

 それの何が問題? と、クラリスは言いたそうに頭を傾げました。

 彼女はとある事情があって、人よりも魔力が多い。そのせいか、常にお腹が空いているのでございます。

 クラーラが言うには、「魔力とは大気に満ちる魔素を原料にして、魂が生み出す生命力と同義。だから、魔力が多いからと言って人よりも早くお腹が空くだなんて有り得ませんし、食べ物を魔力に変換している訳でもありません」だ、そうなのですが、それでもクラリスは、魔力を消費した後はお腹が減るようです。

 なので、空腹は魔力が多いせいなんじゃない? と、思うのも当然なのでございます。

 この酒場の店主が、「言い食いっぷりだ。きっと、ウドンの女神様もお喜びになるぜ」と、褒めているのは無視します。

 と言うか、ウドンの女神って何なのでしょう?

 少なくとも、にそんな女神の知り合いはおりません。

 

「運動量が多いのでは? ほら、この町に着く前も、海の上を走って・・・・・・・来ましたし」

「クラーラが、船賃をケチったせいでね」

 

 彼女たちが漂着したアワジから、『シコク』と呼ばれている島の右端、『カガワ地方』のここ、『タカマツ』まで渡し船は出ていました。

 にも拘らずクラーラは、「そんな無駄金を使わなくても、走れば良いじゃないですか」と言って、自分と荷物をクラリスに担がせて海の上を走らせたのでございます。

 

「あの方から頂いたお金に、限りがあるからです。それに、お礼に好きなだけウドンを食べて良いと言ったじゃないですか。船賃よりも、ウドンの代金の方がはるかに安いんです」

「ふぅ~ん。ちなみに、おいくら?」

「1杯120円。銅貨に換算すると、10杯で12枚です」

 

 つまり銅貨一枚が、この国の通貨である円。

 その中でも、下から三番目に価値が高い100円硬貨と同価値という訳でございます。

 

「この国って、通貨の種類が多いよね。1円、5円、10円、50円、100円、500円の六種類が硬貨で、1000円、5000円、10000円の三種類が紙幣なんだっけ。紙のお金とか、簡単に偽造されちゃうんじゃない?」

 

 クラリスが思い浮かべる利点としては、持ち運びのしやすさ。

 ブリタニカ王国やその周辺諸国で流通している金貨、銀貨、銅貨は、持ち歩くとそれなりにかさばります。

 それに対してオオヤシマの通貨は、価値が高い紙幣が文字通り紙で出来ていますので、王国の通貨と比べると段違いに持ち運びしやすいのでございます。

 

「紙幣には特殊な魔術がほどこしてありましたから、偽造はほぼ不可能だと思います」

「ほぼ? それってつまり、偽造する手段があるってこと?」

「この術式と同じ術式が施せるなら可能。つまり、わたくしなら可能です」

「あ、そういうことね」 

「貨幣の仕組みも不思議ですが、わたくしはこの国の統治制度が珍妙で仕方がありません。わたくしたちが育った、ブリタニカ王国とは全く違います」

「え~っと、たしか『ミカド』って呼ばれてる王様みたいな人はいるけど、偉いだけで政治には干渉しないんだっけ?」

「大雑把に言うと、そうですね。王は存在するのに王政ではなく、ミンシュシュギと呼ばれる、民衆が指導者を選ぶ制度によって選ばれたコッカイギーンと呼ばれる人たちが、国の方針を決定するそうです。こんな国は、世界広しと言えオオヤシマ国だけです」

 

 クラリスは理由を知っているのか、「そういえば……」と言っていますが説明する気はないようなので補足しておきましょう。

 オオヤシマ国は異世界からの転生者が最初に行き着く国なせいで、彼らが好き勝手に自分たちの世界の常識を持ち込み、今の状況になっているのでございます。

 ですが好き勝手にやらかしているとは言え、オオヤシマ国の治安は世界のどの国よりも良く、交通網や水道網も世界で一番整備されていて、魔道具無しでも庶民が蛇口をひねるだけで水がいくらでも出てくるくらい、インフラが整備されているのでございます。

 

「文明のレベルが違う……と、言うよりは、いびつですね」

「歪?」

「ええ、身近な例だと街道です。このシコクはオオヤシマ国でも田舎の部類ですが、街道は不必要なほど綺麗に整備されています」

「歩きやすくていいじゃない」

「ただ歩くだけなら、アスファルトと呼ばれているモノで街道を覆う必要がありません。あれはおそらく馬車……いいえ、馬車よりも早く、快適に移動できる乗り物ができた時のための道なのではないでしょうか」

「あ、それっぽい話をアイツに聞かされた気がする。たしか、ジドウシャ……だったっけ? それの実用化に向けて、ドーロとか言うものを十数年前から作ってるとか言ってたわ」

「では、アレはそのドーロですね。それはそうと、タカマツの娼館には、連絡が届いているのですよね?」

「うん。うちの女将さんが連絡してくれてるはず」

 

 クラリスが育った娼館の経営者。

 通所、女将さんはめちゃくちゃ顔が広い。

 このような極東の島国の、さらに田舎の娼館にも知り合いがいるくらいでございます。

 なので二人は王国を出る前、女将さんにオオヤシマの有名処の娼館に手紙を出してもらったのでございます(もちろん有料。かなりふんだくられたようです)。

 それもこれも、全ては寝床と情報を得るため。

 西だろうが東だろうが、情報は娼館に集まるからでございます。

 それは何故か。

 男性というものは、誰も彼もが大なり小なり、女性の前では自慢をしたがる生き物。

 故にヤることヤってスッキリしたら、お堅い軍人だろうと機密情報をポロっとこぼしてしまうことが多々あるのでございます。

 例えば、「俺、今こんな任務に携わってるんだぜ」とか、「どこそこにこんな財宝が眠ってるらしい」と、いった感じで……っと、なんだか、二人の席の周りが騒がしくなってきました。

 

「よう、姉ちゃん。異人さんかい? 良い乳してんなぁ、おい」

「ちょっくら揉ませてくれねぇか?」

 

 ああ、なるほど。

 どうやらクラーラが、この町のチンピラに絡まれてたようです。

 数は……10人もいます。

 その様子を、クラリスは「クラーラったらモテモテね」などと言いながら、冷めた瞳で見つめています。

 ですがクラーラはオオヤシマ語がわからないので、何を言われてるのか理解してないようです。

 それでも、嫌悪感は丸出しにしていますが。

 

「ねえ、クラリス。この下衆どもは、何と言っているのですか?」

「その無駄にデカいオッパイを揉ませろってさ」

 

 もっとも、それだけで済ませる気は、このチンピラどもにはないのでしょうね。

 きっと彼らの脳内では、すでにクラーラはすんごい事をされています。

 穴という穴に突っ込まれ、手やオッパイどころか、余すことなく全身を犯されていることでしょう。

 

「ちょっ……! わたくしに触らないでください! 汚らわしい!」

「お? 何て言ったかはわかんねぇが、言いたいことはだいたいわかるぜ。触るな、的なことを言ったんだろ?」

「クラリス! ウドンなんか食べてないで助けてください!」

「え? やだ♪ だって、あたしは襲われてないもん」


 彼らは大きいオッパイが好きなのか、クラリスには目もくれません。

 だから、クラリスはクラーラを助ける気になれない。

 これでクラーラを助けたら、オッパイに不自由している自分が嫉妬してるように見えてしまうかもしれないから、クラリスはクラーラを助けないのでございます。

 ですが、チンピラたちはクラリスを見逃す気はない様子ですね。

 

「あぁん? こっちの貧相な嬢ちゃんは、くらりすって言うのか? 変な名前だな」

「前言撤回。コイツら、ぶっ殺す」

 

 しかも、寄りにも寄って彼女の名前を侮辱しました。

 彼女の名前を、クラリスがお姉さまと呼び慕う彼女から貰ったその名を侮辱する奴は、誰であろうとクラリスは許しません。

 クラリスからすれば、例え侮辱したのが一人だけでも、その仲間なら全員同罪なのでございます。

 

「吠えるじゃねぇかまな板女。その細腕で、何ができるってんだ?」

「コイツも一応は女だ 裸にひんむいて、犯すだけ犯して女衒ぜげんにでも売っぱらっちまおうぜ」

 

 クラリスと自分たちの力量差が図れないチンピラたちは、各々の得物を抜いて戦闘態勢に入りました。

 逆にクラリスは、構えや身のこなしから手練れと呼べる奴は一人もいない。これなら、魔力を使わなくても余裕で皆殺しにできると判断し、構えを取ろうとしましたが、クラーラが、首輪を通して魔力を吸っているのに気づいて動きを止めました。

 そして、恐る恐るクラーラに視線を移すと……。

 

林立りんりつせよ。氷柱魔術アイスピラー

 

 それを待っていたかのように、クラーラは魔術を使いました。 

 しかも、ストックスペルを使うほど怒っています。

 ちなみにストックスペルとは、あらかじめ脳内に術式を組んで発動寸前の状態でストックしておき、たった一言の詠唱で魔術を発動できるクラーラの奥の手の一つでございます。

 王立魔術院に所属している魔術師にも使える者はいるのですが、彼らがストックしておけるのは精々中級魔術、しかも、一つか二つまで。

 しかしクラーラは中級魔術に留まらず、上級魔術までストック可能で、さらに、ストックできる魔術の数は宮廷魔術師を大きく上回り、20もの魔術を脳内にストックしています。

 

「わたくしの胸は、聖女様に堪能していただくために育て、磨き上げている至高の果実です。その胸を揉ませろ? あなたたちのような、下賤な輩に? 揉ませるわけがないでしょう! あぁぁん!?」

「あ、やっばいこれ」


 クラリスの怒りが引っ込んでしまうくらい、クラーラはキレてしまっていたようです。

 魔術でチンピラたちの手足だけを拘束していることから考えると、彼女は拷問する気満々。もしそうなれば、クラリスが殺るよりも凄惨せいさんなことになるのは確実でしょう。

 

「クラーラ、とりあえず落ち着こう? ほら、酒場の人たちにも迷惑が……」

「知ったことじゃありません! わたくしの胸を揉もうとするばかりか、イヤらしい目で視姦したコイツらは、殺してくださいと懇願こんがんするまで苦しめたあとにぶっ殺して、豚の餌にしてやります!」

「うん、駄目だこれ」


 だからクラリスは止めようとしたのですが、早々に諦めてウドンを持って待避しようと席を立ちました。

 ですが、彼女が知る男性が入れ替わるように横を通り過ぎたのを見て、再びクラーラへと視線を戻しました。


「こらこら、その辺にしておきなさい。クラーラ」

「邪魔をしないでください! お前からぶっ殺し……って、タムマロ様じゃありませんか」

「うわぁ……。見覚えがあると思ったらタムマロだったのか」

「クラリスもひさしぶりだね。元気そうで何よりだ」

「保護者面しないで。不愉快だわ」

「保護者面もするさ。僕はこれでも、君の師匠だよ?」


 じゃあ、師匠面すんな。と、言い換えてやろうかしら。と、思うだけ思って、口には出しませんでした。

 彼の名は『サカノーエ・タムマロ』。

 クラリスは認めたがりませんが、クラリスは彼から戦闘のいろはを習ったのでございます。

 さらに彼は、彼の話を信じたクラリスとクラーラがオオヤシマに行くと決めたら、諸々の手続きや通貨、地図まで用意してあげました。

 それでも、クラリスは彼に感謝する気にはなれません。 

 だって、彼は……。


「お姉さまを救ってくれなかった素人童貞の三流勇者が、偉そうにしないで」

「相変わらず、手厳しいね」


 クラリスの言葉で、タムマロは少しだけ悲しそうな笑顔を浮かべました。その顔を見たら、クラリスの心は少しだけ落ち着きました。

 ですが周りは逆に、一段と騒がしくなってきましたね。

 それはおそらく……。


「お、おい、タムマロって言やぁ……」

「間違いねぇ。魔王を倒した勇者。生きた伝説だ」

「で、でもよぉ。勇者って割に、装備が貧相じゃねぇか? 俺らと大差ねぇぜ?」


 やはり、彼のせいでした。

 何故なら彼は、先に出たように魔王を倒した勇者。

 しかもオオヤシマは、彼の祖国です。

 遠く離れたブリタニカ王国でも有名なのですから、祖国であるオオヤシマで有名なのは当然でしょう。


「クラーラ。とりあえず、彼らにかけた魔術を解いてあげなさい」

「は? 嫌です。あのクソ虫共は、わたくしの胸を揉ませろとか挟めとかしゃぶらせろとか、それはもう卑猥ひわいな言葉をわたくしに浴びせかけたんです。万死に値します!」


 チンピラたちの名誉を守るためではありませんが、挟めとかしゃぶらせろ云々は言っていません。

 頭ではそう考えていたかもしれませんが、クラーラの妄想でしかありません。

 それに、万死に値するとか言っておきながら、クラーラは少し興奮しているようです。

 はた目には怒ってるようにしか見えないでしょうが、性的な興奮が混ざっています。 

 そんな彼女の様子を見て、クラリスは「まさか、自分がした妄想で興奮した?」と、いぶかしみ、「シスターのクセに腹黒で攻撃魔法しか使わなくて巨乳で拷問好きのドSでオマケに集団で犯される妄想で興奮できるドMなんて、キャラ盛り過ぎでしょ」と、言いながら呆れています。


「まあまあ、ここは僕の顔に免じて……なんだか、外が騒がしいな」

「そういえば、地鳴りや爆発音もしていますね」


 それに加えて、ドラゴンの鳴き声も聴こえています。

 

「もしかして、この港町がドラゴンに襲われてるの? また? オオヤシマって、そんなにドラゴンが多いの?」

「大変だ! み、港で龍神様が、眷属たちを殺した異国の女二人を出せとか言いながら暴れてる!」


 助けを呼びに来たと思われるゴロツキの言葉を聞くなり、酒場にいる全員の視線がクラリスとクラーラに集中しました。

 ええ、大正解。

 間違いなく、二人のせい。

 彼女たちがアワジに漂着するなりぶっ殺したあのドラゴンの群れが、現在進行形で港で暴れてる龍神の眷属たちだったのでございます。

 ですが、ふたりがそれを正直に告白するわけがありません。

 だったらここは、そのほとんどをぶっ殺したクラーラに罪を擦り付けるとしましょう。と、クラリスは思ってクラーラを指さして……。


「殺ったのはクラーラ」


 と、言い、同時にクラーラもクラリスを指さして……。


「殺ったのはクラリス」


 と、同じセリフを悪びれもせずに吐きました。

 

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