そして 傍にいないミヤコダさん(5)

そして




 かくして私の浮気騒動は終わった。

 というか、浮気はしてません。ちょっと揺れただけ。ちょっと。ちょっと。

 あの後、架乃かのからは、もう2、3本、鬱になりそうな映画のタイトルを伝えられたが、さすがに拒否させていただいた。もう、「鬱になる映画」を検索するのはやめてほしいな。鬱映画よりもホラー映画の方が、よっぽど後味がさっぱりしてるのに。

 架乃が帰ってきたら鬱になるホラー映画を絶対観せようと決意した。


『そんなに泣いたの?』

「ホントですよ、ラストカットでぼたぼたって涙が落ちてきて。もう感情が揺さぶられまくり。」

『へええ、深弥みやでも映画でそんなに泣くんだ』

「ホラー以外の映画では普通に泣きます!帰ってきて一緒に観れば分かるから」

『ごめん、パス。深弥ですらそんなんになる映画、絶対わたし見ないから。ああ、でも号泣する深弥は見たかった。心底見たかった!』

「もう!」


 やっと架乃と笑えたような気持ちになった。

 穏やかに笑う架乃に、ルームメイトの女性が何かを話し掛けてきて、架乃がそれに私には聞き取れない言葉で答えると、架乃がじゃねって言って会話の時間は終わりになった。

 架乃がいなくなったパソコンの黒い画面に、ぼんやりした表情の自分が映り込んでいる。

 多分、架乃はわざと私に罰を与えた。

 私が、シモダくんに揺れてしまったことへの自己嫌悪や罪悪感に囚われていることに気付いて、そこから抜け出せるよう、架乃が私を許したという体を取るためのルートを敢えて作ってくれたのだと思う。シモダくんへの罪悪感が消えて落ち込まなくなる訳ではないけど、架乃への申し訳なさは消えつつある。

 私は架乃の取り扱いを知っているけど、架乃も私の取り扱いを知っているということだ。架乃からしたら、私なんてチョロいもんなんだろうな。

 


 ーーーーー



 無事、大学院に合格して、私はとりあえず、もう2年、この街で学生生活を送ることになった。

 架乃と違って、さして英語が得意ではないこともあって、学科試験の結果に自信が持てず、少し不安だったけれど、少しだけ先が見えて、これで気が楽になった。


 吉原ら同じクラスの仲間たちも無事に就職や進路が決まっていく。

 そして、それはお別れでもあって、私は大学に残るけれど、みんなは卒業して社会人になる。


 なんて、

 感傷に浸れるのは、卒論が終わってからだ。


 4年目の冬、卒論の締め切りが近づくにつれ、研究室付近には屍がゴロゴロ転がるようになった。

 みんな目の下に隈を作っている。中には何日も家に帰らず、怪しげな臭いを漂わせている者もいる。私の白衣も灰衣になってきた気がする。少なくとも女子学生は家に帰って寝なさいと教授からお達しが出る日まであった。

 クリスマスも正月もない、

 かと思ったけれど、吉原たちと10人くらいで空教室でケーキを食べたし、汚い服のひどい顔色のまま、初詣に行っておみくじを引いた。

 そうしてボロボロになって論文を書き上げて、泥のように眠って、論評を受けて。


 気が付くと2月で、もう卒業式に出るくらいしか大学に用がなくなっていた。家賃を払うのは勿体ないという理由で、この街から出て行く学生たちはアパートや下宿を引き払い始め、残っているのは私とアライさんくらいになっていた。アライさんは、この街に自宅があるし、大学院に行かないと取れない専門の資格があるそうで、私と同じで大学院に進学することになっている。

 他の人たちが引っ越してしまったので、4回目の架乃の誕生日を祝えるのは、アライさんと私だけになってしまった。

 架乃の22歳の誕生日は、アライさんと私の「サシ飲み」を架乃がハラハラしながら見ているというよく分からない状況の飲み会になり、寂しいかと思ったけれど、私は笑いっぱなしだった。

「カヌキさん、残るのは私らだけだから仲良くしよ」

「カヌキさん、ピアス空けてみない?やってあげるから」

「カヌキさん、私、今日、いつもどおり泊まってくね」

「カヌキさん、あ、私のあげたパジャマ、着てくれてる?」

 アライさんが私をかどわかそうとすることで、もう、架乃を煽る煽る。勿論、ただのおふざけな訳だけど、嫉妬なんかできないくらいクリアになったって言っていた筈の架乃が、ディスプレイの中で顔を真っ赤にして『アライ〜!!カヌキさんから離れて!』と怒鳴っている。音声は小さく絞ってあるので、どんなに架乃が大声を出しても全然気にならない。

「ナツメさん、そんなにミヤコダさんをいじめないで」

『な、ナツメ!?』

 しかも、私は私で、アライさんを名前で呼んで、やっぱり架乃を煽っていたりする。

「ミヤを揶揄うのがサイコーの酒の肴だよね」

 ははは、同意!



 そんな風に、わちゃわちゃしているうちに卒業式が来てしまう。

 4年間なんて、長いようで短い。


『卒業式、着物だよね袴だよね。写真送って送って!!袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴袴…』

 成人式以来、久しぶりに架乃から気が触れたとしか思えないメールが送られてきて爆笑する。仕方ない、写真を送ってあげよう。

 袴の裾と草履だけ。

『違う!!!!』

 ははは、怒ってる怒ってる。

 どうせ、私が送らなくても、さっきお母さんに写真送ったから、お母さんから転送されるでしょ。


「カヌキさーん」

 卒業式の会場になっている市の文化会館で、少しだけ、アライさんたち架乃の同級生と合流した。

 ニトウさんとモリさんは袴だけど、アライさんはパンツスーツだ。

「ミヤは、6月に帰ってくるんだっけ」

「そうですよ」

「じゃ、ミヤが帰ってきたら、夏に集まろうね、必ず」

「今年は、都田架乃誕生会ができなかったからねえ」

「次は米寿のお祝いしたかったのにね」

「惜しかったねえ」

 なぜか架乃は米寿直前に亡くなった人みたいに扱われている。

「あー、もう、みんなで卒業したかった!」

 モリさんが大声で言った。


 本当に、一緒に卒業したかった。


 でも。

 そう、あと3ヶ月で架乃は帰ってくる。



 ーーーーー



 大学院に進学しても、自分のやりたいことだけができる訳ではなく、担当教授の助手、新入生や留学生への対応などなど、学生でありながら違うことをやらされている。なぜこんなことをさせられてるのかと時々解せない。

 普段の話し相手は、大学院の同輩・先輩とか教授とかになって、学部生のときには余り関わらなかった人たちと接することが増えた分、日常的にどうでもいいような会話をする友達はガクッと減った。気の置けない相手はアライさんくらいしかいなくて、それも学部が違うから約束しないとなかなか会えない。少しつまらなくて、少し寂しい。


 そうして、架乃がいない寂しさを紛らわしてくれるような友達がほとんどいなくなってみると、架乃が言っていた『クリアになる』ということが少し分かったような気がする。


 あなたがいなくて、それを埋め合わせるものがなくて、代わりに誰かを好きになることもない。

 だから、ただ、あなたが好きだという気持ちしか残らない。


 これが、クリアってこと?



 ーーーーー



 5月に入ると、架乃から帰国する日と時間を教えられた。

「空港に迎えに行くね」

『え、やだ』

「やだって、何それ。何でそんなこと言うの?」

 私が文句を言っても架乃はとぼけた顔をしている。

『おかえりって、その家の玄関で言われたいんだもの』

 来た、謎のこだわり。思わず吹き出してしまう。

『え、何笑ってんの?』

「…ははは、架乃が帰ってくるんだなって」


 架乃が帰ってきたら、きっと、私は、また架乃に振り回される。

 困ったことに、それが楽しみで仕方がない。


『深弥、飛行機のホラー映画ってあるの?そう言えば、前に飛行機の中が毒蛇だらけになるやつ見せられたっけ』

「言ったでしょ、ホラー映画は何でもあり」

『飛行機が落ちる映画は見ないで』

「…爆発するのは駄目?」

『駄目!!』


 駄目って言われると観たくなるから、その日、私は、飛行機が爆発する映画を観てしまった。


 パリに修学旅行に行く筈だったのに、空港で騒ぎを起こして飛行機を降ろされてしまった7人の生徒や教師。彼らの乗る筈だった飛行機は空中で爆発した。7人は、運良く生き残ったと思われたのだが、事故死する筈であったという運命を変えることはできず、一人ずつ無惨な死を迎えていく。まだ生きている主人公たちは死ぬ筈だという運命から逃れられるか。


 ちょっとだけ、架乃が事故に遭ったら、と思ったのだけど、飛行機事故に遭う確率は、自動車事故に遭う確率よりもずっと低いと聞いた。



 だから


 私は何も心配していなかった。



 ーーーーー



 いよいよ明日だ。


 架乃は向こうの大学の卒業式を終えて帰って来る。

 結局、1年と8ヶ月。

 長かった、と思う。でも、これが短かったと感じられるくらい、これから、ずっと一緒にいられればいいんだ。


 そんなことを思っていた。



『カヌキさん!!』


 アライさんから電話が架かってきたとき、私は研究室にいた。

『ニュース、海外ニュース見た?!飛行機事故!!』


 事故と聞いて血の気が退く。

 寒気がブワっと背筋を駆け上った。


 急いでテレビを点けたけれど、どこのチャンネルもそんなニュースはやっていない。


 スマホで、架乃が乗る予定の便を検索する。



 離陸直後に機体が不調を起こし、急遽空港に戻ったものの、車輪が出ず、胴体着陸となった。

 乗客を降ろしている最中に爆発が起き…



 目の前が真っ暗になった。


 ガクンと膝を着き、そのままペタンと座り込む。

 もう1度ニュース速報を読む。


 まだ、詳しい情報は出ていない。


 架乃のスマホに電話を架ける。

 無機質な音声ガイドが流れる。


 電源を切ってるだけだよね。



 すると、スマホが振動した。


『カヌキさん』


 今度は、那乃さんからの電話だった。

 那乃さんは、架乃のお姉さんだ。身内だ。冷やっとする。


『ニュース見た?』

「那乃さん、架乃、架乃は?」

『まだ、分からないの』


 その言葉に少しだけ安心する。だからと言って。


『こっちに来てもらえない?もしも…』


 もしも


 もしもなんて。


「分かりました。今、まだ大学なんで、これから、一回帰って、支度して、すぐにそちらに伺います」


 気持ちとは裏腹に、思っていた以上に冷静に答えている私がいた。


 架乃の実家に行く。でも、何が必要なのか、さっぱり分からない。

 とりあえず、お金。お金さえあれば。

 でも、私、パスポート持ってない。

 ああ、とにかく、家に。



 もう1度、架乃に電話を架ける。


 繋がらない。


 繋がらない

 繋がらない!


 私は、キャンパスを走って、そのまま門を駆け抜けた。


 空気が砂利のようだ


 足元は沼で、息が上がっていく。


 ちっとも前に進んでいる気がしない


 あんな映画観るんじゃなかった


 架乃


 架乃


 走りながら何の反応もないスマホを何度も確認した。














 玄関前に座り込んで膝を抱えている人が見えた








 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ネタにした映画タイトル

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)

「ファイナル・デスティネーション」(2000)

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