だから カヌキさんを抱きしめる(前編)
誰かがいる
玄関の前に座り込んでいる女性
それが誰なのか分からなくて、次の瞬間、
いる筈のない人が、そこにいることにゾッとした。
そして、どんって頭の中に、その名前が響く。
どうして架乃がこんなところにいるの?次はそんな疑問が湧いて、出てきた答は、
だった。
ああ、最後に私に会いに来てくれたのか。
そう思って胸がぐううって締め付けられて、強烈な悲しみがこみ上がってきて、涙がすぐに目に溜まってぼろぼろと流れ落ちた。
…でも、よく見ると私の知ってる架乃と違ってもいて。
前よりも長い髪が黒に近い色になっていて、服も見たことがない夏のジャケットだった。そんなスリットの入ったスカートも見たことがなかったし、そのローファーも知らない。あれ?
「架、乃…?」
呟くように声を掛けてみたら、幽霊の架乃が顔を上げて目が合うと、きょとんとした顔をしてから、くしゃって、私の大好きな笑顔で笑った。
「
私の知っている少しハスキーな甘い声で名前を呼んでくれた。
それから
「ただいま」
そこでようやく気付いた。
あれ、あなたは幽霊じゃなくて実体?
そう感じた瞬間、全身の力が抜けちゃって、もう、立っていられなかった。
後になって、深弥は、そんな風に再会した時の気持ちを教えてくれた。
ちょっと、わたし、幽霊じゃないよ!生身だよ!!
…だよね?
ーーーーー
わたしには何もないと思ってた。
お姉ちゃんはお姉ちゃんだから、わたしのことを見てくれるけれど、お父さんとお母さんはお姉ちゃんしか見ていなくて、お姉ちゃんのついでに生まれてしまったわたしのことはどうでもいいんだと思う。親の言う自由にしていい、って言葉は冷たい。そんなわたしの気持ちをいくら言っても伝わらず、逆に、こんなにお前を愛しているのに分からないのかと残念そうな顔をされた。
綺麗になれば、見てくれる?
この曲を弾けるようになれば、見てくれる?
勉強で1番になれば、見てくれる?
なんだ、無駄じゃんって気付くのに、何年も掛かった。頑張っても頑張らなくても一緒なら、何も意味がない。だったら、もう、いいか。そう思ったら楽になった。
15歳の頃のわたしは今よりもっとずっと馬鹿だったから、同級生にチヤホヤされて恋人がいれば、それで満たされるって思ってた。
学校では、ぎゃあぎゃあ騒いで、げらげら笑って。
休み時間や放課後の教室を盛り上げて。
部活や委員会で活躍して。
勉強もそれなりに頑張っちゃって。
家に帰ったら着替えてオシャレして。
夜の街を誰かと泳いで。
恋人のことが好きだって思い込んで
キスをして
服を脱いで
キモチイイことして
背伸びして
とにかく大人ぶって
でも、上っ面だけを飾ったわたしには、外側しか見ない恋人しかできないし、友達の内面に踏み込むこともできない。だから関係性はそんなに長続きしないし、中高時代の友人たちはそれなりにいるけれど、特に親しい者はいない。
それでも必死で楽しく生きてた。そうしないと空っぽが襲ってくるんだもの。水は手の中にとどまってはくれないで、どんどん流れてしまうから、水の中に手を突っ込んでおかないと、わたしの手には何も残らない。
ーーーーー
お姉ちゃんから「ふらふらしてないで、しっかり生活しなさい」とお叱言を食らった上、家から離れた場所での独り立ちを勧められて、この街の大学への進学を決めた。ふらふらしてるつもりはないのだけど、まあ、お姉ちゃんから見たらそうなんだろう。
そうして入った大学では、早速、同級生から嫌われて独りぼっちになった。無駄に女っぽい外見しか取り柄がないのに、それを逆手に取られて「誰とでも寝る女」なんてレッテルを貼られてしまったのは不覚だった。
好きな服を着て、好きな本を読んで、気の合う人とだけ言葉を交わす。嫌われ者は嫌だけど、こうして隠キャで過ごすのも悪くないかもしれない。
なんて思い始めた頃に、同じアパートの隣に住んでいたカヌキさんとどんどん親しくなった。
「ミヤコダさん」
名前を呼んでもらえると安心した。
背伸びして粋がっていたわたしは、カヌキさんの前では、ころんと転がるように素の甘ったれに戻されてしまう。
お隣さんから、友達へ、親友へ、
誰よりかけがえのない人へ。
そんな相手に逢いたくて、でも、出逢えるわけないって思っていたから、深弥に逢えたのが嬉しくて、わたしは深弥を手放せなくなった。必要な人に、必要とされる心地良さに酔いしれる日々。
でも、深弥を腕の中に抱えておかないと、逃げてしまうか、誰かに奪われてしまう気がして、怖くて仕方がなくて、どんどん縮こまってしまう。深弥は何度も何度も、「ずっと一緒にいたい」と語り掛けて抱きしめ返してくれているのに。
怯えてばかりいる自分に、やっぱり何もないままの自分に、うんざりしていた。
だから、敢えて自分から深弥の手を離した。
深弥以外の何かを手に入れたくて。たとえ深弥がいなくても自分で立てるようになりたくて。
深弥がいなくても
でも、深弥は、ずっといてくれた。
あの「わたしたちの家」に。
わたしの中に
ーーーーー
1日早く帰れる便のチケットが取れて、嬉しくて、それを深弥に伝えようとしたら、手が滑ってスマホを落としてしまった。スマホは床から階段へ、階段からアスファルトの上に落ちた。画面がビシビシに割れただけでなく壊れて電源が入らなくなった。うぅぷす!
「ま、いいや」
とにかく帰国してしまおう、とわたしは思い直す。心ははやる。あの家に帰るんだ。やっと。
…深弥!
ーーーーー
「鍵がない」
久しぶりの風景を懐かしむ気持ちになれなくて、それよりも、とにかく早く、この家に帰りたかった。昼過ぎに、ようやく最寄駅に着いた。6月のこの街にはもう夏の気配がして、流れている湿った風の匂いを嗅いで、やっと、懐かしいという感情が湧く。
ところがだ。
早く帰ってきたのはいいけれど、深弥に家の鍵を預けていったから、わたしは家に入ることができない。深弥に連絡しようにもスマホは完全に壊れてる。
深弥はわたしが明日帰ってくると思ってるだろうから、今日は多分大学に行っている。帰ってくるのは夕方過ぎか、下手したら夜だ。
深弥のスマホの番号はうろ覚えだから、公衆電話から留守電を入れておくことはできないし、大学の研究室に電話するのは気が引ける。
まあ、お財布はあるから、1年の深弥と初めて会ったときみたいにアパートのドアの前で完全に詰んでるというわけではない。どこか適当な所で深弥が帰ってくるのを待って時間を潰せばいい。
そう思いながらも、何だか気が抜けて、玄関に寄りかかるように座り込んだ。立て付けが古くなっている玄関からぎしっと音がした。
相変わらずのボロ家。懐かしの我がボロ家。わたしの
「せっかく帰って来たのになあ」
わたしは、独りごちりながら膝に顔を埋めた。
飛行機では、よく眠れなかったから、眠たくなってしまう。真昼間に、こんなところで寝るわけにはいかない。怪しいにも程がある。そろそろ立ち上がろうかと考えた時。
「架、乃…?」
かすかな声がわたしを呼んだような気がして、その声の方向に顔を向けた。
スニーカー、ストレートのデニム。足先から視線を上げていく。
小柄な上半身を、ホラー映画のキャラクター柄のTシャツで包んで、灰色のパーカーを羽織っている。肩の少し下まで伸びたストレートの髪。あれ、記憶にあるよりちょっとだけ茶色い。
黒目がちの目が眼鏡の中にある。眼鏡はアンダーリムから縁なしに変わってる。
え?泣いてる?
「深弥」
思わず名前を呼んだら、つい顔が笑ってしまった。
「ただいま」
おかえり、は返って来なくて、深弥は、見開いた目から涙をボロボロと流しながら、カクンと膝を落として、そのままペタンと座り込んだ。
何?このリアクション。
お帰りなさい、って言って、抱き着いてくるくらいを期待していたのに。人目がなければ、キス付きで。
「…てる?」
「え?何?」
「い…生きてる?」
はい、生きてます。と思いながら、わたしは頷いた。
「なんで、生きてて、今、ここにいるの?」
意味不明!
そして、それが再会の第一声なの?!
さらに、深弥はバッとスマホを手に取って、誰かに電話を架けた。
「那乃さん、架乃、生きてる!生きてて、今ここにいます!!」
ええ、なんでお姉ちゃん?
ーーーーー
家の中は、ほとんど何も変わっていないようだった。匂いも思い出した。深弥は、数日前からわたしが帰ってくるための準備や掃除をしていたと言っていた。まだ2階の自分の部屋には上がっていないけれど、きっと、1年半が経っているようには見えないんだろうな、と想像しながらキッチンに入った。
「インスタントしかないんだ」
そう言いながら、深弥はコーヒーを淹れてくれた。
二人用の小さなダイニングテーブルと椅子。
揃いのマグカップ。見覚えのあるものばかりでほっとする。
「深弥、すごいよ、あの事故。誰も亡くなってないって。避難直後の爆発で、数人が負傷した程度で済んだって」
「あの爆発で?」
深弥はちょっと目を見開いた。
スマホで情報を検索していたら、わたしが乗る筈だった飛行機の事故の顛末が分かった。避難中の爆発というのは誤報だったらしい。もし、これに乗っていたとしても、わたしは生きていたのだろうけれど、数日は帰ってくるのが遅くなったに違いない。
運が良かった。
「良かった、架乃は生きる運命にあるんだ」
深弥は、飛行機の爆発事故によって死ぬ運命だった若者たちが、死から追い詰められる映画を観たんだそうだ。そういう映画、観ないでって言ったのに、もう。
「架乃」
テーブルを挟んで向かい合っている。呼ばれて、スマホから顔を上げると深弥がこっちを見ていた。
「本当に生きてる?」
そう言いながら、カップを持っていない方の左手の指先がわたしの方に伸ばされる。中指と人差し指がわたしの右頬に向かってきた。
「確かめて」
わたしは顎を引いて、その指を避けた。
指なんかじゃなくて、別のところで私が生きてることを確認してほしいと願う。
深弥の頬にすっと朱が差して、わたしの願いを感じ取ったことが分かる。
深弥は立ち上がって、両手をわたしの前に置き、ぐっと顔を近付けてきた。
「ミヤ!!」
玄関の引き戸の音と一緒に、アライが、見事なタイミングで飛び込んできて下さった。
1年半振りの接触が遠のいた瞬間でもあって、既に、深弥は慌てて椅子に座り直していた。なんてこった!
『ミヤ』は都田のミヤ。わたしの友達はみんなわたしのことをそう呼ぶ。ケィノーでもミァコダでもない。帰ってきたなぁと思えた。
「アライさんも、コーヒー飲みますか?」
深弥がアライに声を掛けながら、お客様のマグカップを用意していた。
「あれ、私、お邪魔じゃない?」
アライが肩をすくめる。
「正直言って邪魔だけど、いてもいいよ」
わたしの憎まれ口をアライは気に掛けない。こいつも変わってなくてホッとする。わたしの代わりに深弥を気に掛けてくれていたのだから、本当はちゃんとお礼を言わなきゃいけないんだけど。
「あははは。じゃあ、ちょっとだけ邪魔させてもらうよ」
そうして、わたしは、アライからニトウやモリの卒業後の話を聞かされた。今年のお盆のお休みには、この家に集まる話になっているのだそうだ。ニトウにもモリにも会いたい。
そうして、3人で話し込んでいると、外に自動車が止まる気配がした。
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