そして 傍にいないミヤコダさん(4)

そして



 お正月に、高校時代に付き合っていた松崎くんから、寄りを戻そうと言われた時には、ピクリとも心が動かなかったのに、なぜ、シモダくんのプロポーズ込みの告白に、今の私はくらっとしたのだろう。


 シモダくんはい人だ。


 4年間、同じクラスだったから、人となりは知っている。ちょっと大人しくて、お人好しで真面目。『ケミカルチキン』で、クラス全員のTシャツに変な言葉を書いたのは彼で、意外なユーモアがある。

 それから、アニメーターになりたくてもなれなくて、アニメーションを「創作」することへの憧れと諦めを内に抱えている。

 身長は平均くらい。ちょっと細くて、猫背。ずっとボサボサだった髪の毛は、最近は就活のための短髪にしている。顔は格好良いイケメンとは言えないけど、下がり眉で人の良さが透けて見える。


「じ実は、1年の時から、ずっと香貫かぬきさんが、す、す、好きでした。4年になって前より話すようになって、もっと好きになりました」


 そんなことを言われても。



 いや。

 本当は、私、知ってた。シモダくんが私のこと好きだって、気付いてた。気付かないようにしてた。


 この人と一緒にいたら楽だ。

 松崎くんや架乃かのと違って私を一人にしたりしない。きっとずっと一緒にいてくれてくれる。怖い映画だって一緒に観てくれるだろう。

 この人の手を取って、これからずっと一緒にいたら、私はこの人を、いつか好きになれるかもしれない。

 寂しいなんて思わないで済む…




 私、寂しくて、架乃が好きになった?



 違う



『傷の思い出に、キスの思い出を上書きしてみた。これでもう怖いシーンはないから、カヌキさんは無敵ね』

 私の左手の親指にあるうっすらとした2cmくらいの傷

 1年生の4月。初対面だった架乃が最初に私にいきなりキスをしたのは、ここだった。


 それから、色々なことがあった。


 左手には、親指の傷に加えて、今は、小指に指輪がある。その左手でTシャツの心臓の上辺りを掴む。


 胸の中で、架乃がくしゃっと笑う。


 架乃が


 架乃が好きだ。

 寂しいからじゃない。



「…シモダくん、私。私には、…!」


 シモダくんは顔を上げて私を見た。真っ赤に染まった真面目な顔だったけれど、私の表情を読んでしまったんだろう、眉間に皺が寄って、険しい顔になった。


「私には、…誰より大事な人がいます」


 シモダくんの口元が歪む。


「だから、ごめんなさい」


「……僕の方こそ、ごめんね。カヌキさんに、今は、付き合ってる人がいないって耳に入って、だから、いけるんじゃないかって、僕、盛り上がっちゃって、今日、そんな言うつもり、なかったのに、内定出て舞い上がっちゃって、つい、……」

 シモダくんは俯いて、両手で頭をコンコン叩いた。私に付き合ってる人がいないって、そんなの誰かの無責任な噂だ。フリーに見えるってだけで。


「…卒論、終わったら、また、みんなでカラオケとか、行ってくれる?」

 少しの沈黙のあと、シモダくんは、そう言って、苦そうに、でも、柔らかく、微笑んだ。

 こんな時に、優しく笑えるシモダくんだから、私は、少しだけ揺れたのかもしれない。

「うん、卒論終わって、みんな就職が決まったら、行きましょう」

「その時は、カヌキさんも歌ってくれる?」

「…それは絶対、嫌ですけど」

「へへ、僕、カヌキさんの歌、聴きたかったな」

 クスッと二人で笑った。


 でも、カラオケに行くことは、きっとない。


 シモダくんは、残っていた炭酸を一気に飲んだ。

 それから、カラオケとか就職の話が私たちの間をすり抜けて、シモダくんはふーっと大きくため息をついて、また、苦笑いした。

 そして、図書館で資料を探しに行かなきゃと言って、バイバイと手を振って研究室とは別方向に向かって行ってしまった。

 肩を落とした猫背の背中を見送る。

 見送るしかできない。

 シモダくんとした映画の話が楽しかったことを思い出す。


 一人、友達を失くしたんだと思った。

 ようやくできた映画仲間でもあった。



 気持ちが悪い。

 仕方がないことだけど、誰かを傷つけるのは本当に嫌だ。


 でも、それ以上に、他人の好意に胡座をかいて、寂しさを埋めようとしていて、しかも、それを自覚していなかった自分の浅ましさにムカつく。

 架乃のいない寂しさに慣れたと思っていた。

 全然、慣れてなんかいなくて、ただ、寂しくならないように周りに甘えてたんだ。


 バカだ。



 もっと、しっかり、しなきゃ。


 私は研究室に向かって、また歩き出す。まずは、来月の学会用の原稿作成だ。

 歩き出した途端、日差しと暑さと蝉の声がじゃんじゃん降ってきて、感覚が麻痺するくらい緊張していたことに思い至った。


 夏なんだ、ってことを思い出した。



 ーーーーー




『わーお、プロポーズ!』


 パソコンの画面の中で架乃が笑った。

 思ってたより、反応が軽い。もっと怒るかと思ったのに。


「架乃、怒らないの?」

『え、怒らないけど。変?』

「うん、変」

 架乃はパチパチっと瞬きをする。意外だ、と言うように。意外なのはこっちだ。私の頭の中の架乃はヤキモチ焼きで、ずっと怒りっぱなしだったのに。


『まぁ、そうね。わたしって』

『「狭量で嫉妬深い』」

 架乃がよく言う自己評価だ。すっかり覚えてしまった。架乃は、よーくご存知よねっと言って笑った。


『でも、今のわたしには嫉妬する資格がないわ』

 私は首を傾げた。どういう意味だろう。

『こんなに長い間、深弥をほっぽり出すんだから、他の誰かに深弥を奪われても仕方ないもの』

 背筋が冷たくなった。

 絶対に架乃から離れないつもりでいたのに、少しでも揺れてしまったことへの罪悪感。架乃にそれを見透かされた気がした。


『何、その顔?』

 なんだか決まりが悪くて、私、変な顔になっているみたいだ。

『深弥、断ってくれたんでしょ。結局』

「…それは、そうだけど」

『だから、わたしとしては、めっちゃくちゃ嬉しい』

 ディスプレイの中で、架乃の笑顔がくしゃっとなった。


『あのね、深弥』

「うん」

『こうして離れてしまうと、嫉妬もできないの。だって、自分の選択の結果だから当然でしょ。嫉妬するくらいなら一緒にいれば良かったんだから』

 それはそうなんだけど。

『嫉妬どころか心配することもできない。そっちで深弥に何が起きているのかほとんど把握することができない。でも、それって自業自得だから、そんな気持ちを口にすることも憚られる。だから、こっちに来た最初は、ずっとそれでもやもやしてた』


「今は違うの?」


『クリアになった、感じ』


「どういう意味?」


『こっちに来て、最初は、深弥がいない寂しさどころか、離れているうちに深弥がどこかへ行っちゃうっていう恐怖に苛まれてた。何か…、誰かに縋っちゃいたかった。実際、笑っちゃうくらいお誘いも多かったし』


 嫌な話に私は眉を顰める。寒くないのに手足が震え始めた。


『でも、全然、その気にならなくて!』


 架乃は、歌うように笑いながら言い切った。

 その言葉で、緊張の糸が切れて、フワッとするみたいに、私はほっとする。


『だって、誰も、何も、全然、深弥の代わりになんないんだもん』


『深弥は傍にいない、代わりもない』


『ここに在るのは、わたしの、深弥が好き、っていう気持ちだけ』


『それだけがクリアに存在してる』


『何一つ雑念がないクリアな気持ち』


 クリア…って。

 画面越しに架乃の目を見詰める。


『あんなに捨てられる、誰かに盗られるって怖かったのに、これだけ離れてしまうと、逆に、もう怖がる必要がなくなっちゃうなんて知らなかった。あはは』

 もっと早く離れてたら良かったかな、なんて洒落にならない言葉は、冗談でも言わないでほしい。

『お陰様で、お勉強に打ち込むしかないくらい。まぁ、友達もできたから、それなりに適当に遊んではいるけどね』

「…飲みすぎないでね」

 私がなんとか言葉を吐き出すと、架乃はちょっと目を逸らす。相当飲んでそうだな、これは。


『今は、好きだって気持ちしかなくて、それをよしとしていられるけれど』


 架乃がじっと私を睨むように、目を合わせてくる。


『深弥の傍に戻ったら、わたし、どうなるんだろね』


 架乃の唇の左右の口角が上がる。

 怖くて綺麗だった。


 ずっと、架乃よりも私の方が、思いが強いと思ってた。

 でも、決して、そんなことないかもしれない。



『ところで。ねぇねぇ、浮気しかけた深弥さん』

 言い方!!

「…何ですか?」

『最近、知ったんだけどね、この世には、鬱になる映画ってジャンルが存在するのね。深弥、そういうの観る?』

「え?そういうのは、あんまり観ない」

『浮気の罰として、そういうの観て。それで感想教えてね』

 うふふ、っと架乃は笑って、その映画のタイトルを伝えてきた。ちょっと待って、私、浮気してないし!

 そして、タイトルを聴いて、やばいと思う。

 いや、これは。メンタル相当削られるって噂の…。



 ーーーーー



 プレス工場で働く貧しい移民の女性は失明寸前だった。爪に火を灯すように慎ましく暮らし、同じように目の悪い息子の手術費用をこつこつと貯めていた。ミュージカルの好きな彼女にとって、空想の音楽とダンスだけが唯一の救いだった。


 社会の冷酷さや辛辣さが描かれるバッドエンドな映画は苦手だ。

 なのに、これでもか、これでもか、と言わんばかりに主人公を襲う不幸に私は打ちのめされる。

 ミュージカルのシーンの音楽と映像が素晴らしいだけに、対比となる現実の厳しさが余りにもつらい。

 架乃、これ、下手なホラー映画よりもずっと残酷なんだけど。


 泣きながら、なんとか最後まで見終えた私は、もう金輪際、架乃以外の他の誰かに僅かでもなびくことはしないと改めて決意し、罰を全うしたことと決意表明について、架乃にメールを送った。



 それから、私は部屋を見渡した、

 小さな、古い家。


 もうすぐ、架乃がいなくなって、1年になる。

 もう、家の中に架乃の気配はほとんどない。

 寂しい。寂しすぎて、その分、好きって気持ちがクリアになる、って架乃は言ってた。今の私の架乃への気持ちは、雑念一杯でちっともクリアなんかじゃない気がする。

 でも



 確かに、私の左手に、胸の中に、架乃はいつだっている。


 くしゃって笑って


 我が物顔で










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ネタにした映画タイトル

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)


 年が明けました。

 今年もよろしくお願いいたします。

 今年も頑張ろうと思って、まずTwitterを始めました。何か頑張る方向性が間違ってる?


うびぞお













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