そして 傍にいないミヤコダさん(3)
そして
大学のある温暖なこの街は、秋は長いけれど、春は割と短くて、すぐに夏が来てしまう。嘘か本当か中学校の水泳部は5月になったら外のプールで泳ぎ出すと聞いて、内陸で生まれた私はちょっとゾッとした。
1度だけ、画面の向こうで笑っていた架乃の
なんでもない、なんでもないから、って架乃は言ったのだけど、なんでもない訳がなくて、私は、居ても立ってもいられなくなり、今からそっちに行くからって息巻いた。そんな私を見て架乃は慌て出して、ちょっと寂しくなっただけだから、って必死で私を引き止めて、引き止めてるうちに、その涙は止まっていた。
『
『信じて、大丈夫だから』
『お願い』
私はノーパソの置いてあるテーブルをバンっと叩いて、自分で自分の髪をぐっちゃぐちゃにかきむしった。
すぐ、そこにいるようで、遠い。
遠いことに苛立つ。そんな自分をらしくない、とも思う。深く深呼吸して、画面の中の架乃に指を伸ばした。
「ホラー映画なら、私は画面をすり抜けて架乃に会いに行くのに」
『やだな、わたし、殺されるの?』
架乃が目尻を擦りながら苦笑いする。確かに。それは殺人鬼か悪魔がやることで、恋人のすることではない。
「…うん、ははは、きっと好きすぎて殺しちゃうから、そっちには行かないことにする」
一軒家での一人暮らしがどんどん日常になっていき、最初の時のような猛烈な孤独に脅かされることはほとんどなくなった。…たまに、何かの折に、泣きたいくらい、ひどく架乃が恋しくなるけれど、やり過ごすことはできている。それにゆっくりと比例するように、毎日だった連絡がたまに1日、2日開くようにもなった。その代わり、そういう時の次の日は長く喋ってしまう。
同じ頃から、頭の中の独り言で、いつも架乃につらつら話し掛けるようになって、でも、何を話してたのか忘れちゃうから、実際の通信でパソコンの画面の中にいる架乃には伝えないということが増えた。
「ああ、私もそうだぁ」
幼なじみの恋人と大学4年間、遠距離恋愛中のニトウさんが同意してくれる。頭の中で好きな人と話してしまうのは、もしかして遠距離恋愛あるある?
ニトウさんは架乃の友達だけれど、アパートから原付で走ってきて、ちょくちょく、うちで一緒にご飯を食べるようになった。同じく架乃の友達であるアライさんやモリさん、私と同じクラスの吉原も顔を見せに来る、というか、私の顔を見に来る。
最初は、みんな、寂しがっている私を慮ってくれていたんだろうけれど、なんだかだんだんうちが溜まり場になって、最近のみんなはもっぱら就職活動とか試験準備の息抜きをしてることが多い。うちは、私が大音量で映画を観ることができると言う条件で見つけただけあって、いくら騒いでも大丈夫だし、部屋もあるので誰かが泊まることもできるから重宝されているみたい。
「でも、浮気はダメだよぉ。カヌキさん」
ニトウさんから突然突っ込まれる。
「してませんよー」
「最近、男と歩いてるの、見たよぅ」
「私が?」
「ヒョロッとしてて、猫背で」
「…ああ、シモダくんですね。二人で歩いてた訳じゃなくて、その近くにシモダくんの友達が3人くらいくっついてますよ。…あ、つまり男子4人と一緒でした」
架乃もその4人組のことは知っている。ストーカーというほどでもないし、いい虫除けになっているから丁度いいって言ってた。虫除けって言うほど虫は寄ってきてないと思うんだけど。
「おっとぉ、4股とは、とんでもない浮気者だねぇ、カヌキさんは」
「ははは、ミヤコダさんには秘密にしておいて下さい」
どこから浮気なのか、基準は人それぞれだと思うけれど、架乃を基準にすれば、多分、私は「浮気」をしていることになる。
4月、5月と、私は、好きな映画監督の90年代の映画のデジタルリマスター版のリバイバル上映を観に行って、その2回ともシモダくんと会った。シモダくんもその映画監督が好きだということだった。同じ授業を取っているから行動時間が似ているので、2回とも映画に行く日にちと時間がたまたま被ったらしかった。
4月はストップモーションアニメ、5月はゴシックっぽいホラーで、ホラーの方は画面がとても美しくて、確か、上映された年のアカデミー賞美術賞を獲得している筈。
映画を見終わった後、そのままシネコンの入っているショッピングモールのフードコートで夕食を食べながら、シモダくんと映画談義をしてしまった。他人と映画の話をすることが少ない私には、それなりに楽しい時間だった。
でも、誰かと二人で食事、しかも男子。架乃からしたら絶対に「浮気」にカテゴライズされるヤツだ。バレたらヤバい。私、命知らずなことしてるかもしれない。
「…僕は、あの監督の、子供っぽいところやオタク気質なところが、羨ましいくらい、えと、あの好きなんだよね」
「羨ましいんですか?」
フードコートで、私は冷たいうどんを食べながら首を傾げる。シモダくんは、少し困った顔で、カツ丼をお箸でつつきながら説明してくれる。
「うんと、おと、大人になれって言われるじゃない?僕ら。オタクだから。で、でも、あの監督は、なんて言うか、子供のままでも大人になれることを体現してくれていて……うあ、僕、何語っちゃってんだろ、気持ち悪いよね」
「いや、そんなことないですよ。私そんなにちゃんと考えたことありません。この監督の作風がガチャガチャのおもちゃ箱みたいで楽しいくらいしか」
「そ、そんなもんだよ、僕だって。ちょちょっと今日は、カッコ付けて言ってるだけで」
シモダくんはどんどん小さくなる。
私は、それを可愛いと思ってしまった。
それから、数回、シモダくんや、その仲間と一緒に学食に行ったり、レポート作成をしたりした。クラスではオタク4人組で一括りにされている彼らだけれど、それぞれに好きなアニメが微妙に違っていて、当たり前だけど性格も考え方も違ってて、ひとりひとり面白いことを知った。私も結局はホラー映画オタクだから、通じるものがあったんだと思う。もっと早く、他の人とも関わっておくべきだったのかもしれない。
でも、今までの架乃と過ごせた日々以上のものにはならないって、私は確信しているから、今の架乃のいない生活の中で出会えた楽しさは、架乃を思えば色褪せる。
ははは、私、どれだけ、
ーーーーー
6月。
シモダくんに映画に誘われた。
「かかか、カニュキさんっ」
「…は?」
かかかかにゅきさんって私のことかな?
「こ今度の日曜日、映画、いっ行かない?」
さすがにそれはダメですよね、架乃。
と、私は頭の中で架乃に話し掛けた。
『ダメに決まってんじゃん!』
と、頭の中でも嫉妬深い架乃の声が聞こえてしまう。
シモダくんに誘われたのは、ホラーじゃないけど映画制作をテーマにしたアニメ映画で、原作漫画も買って読んだ私としては観ておきたかった作品でもある。
どうしようか。
院試の願書を提出したばかりで、8月の試験まではまだ少し間がある。これは院試前に映画館に行ける最後のチャンス。
私と映画とどっちが大事?
架乃の声が頭に響く。
ええ、もちろん、架乃様の方が映画より大事です。それはそうです。
でも、それはそれ、
頭の中で架乃様が怒っても。
頭の中の架乃様を怒らせないように一緒にシネコンには行くなんてことはせず、シモダくんとはシネコンの前で待ち合わせた。待ち合わせ時間までにシモダくんは、パンフレットやグッズを先に買っていたらしく、色々と入ってパンパンになったビニール袋をぶら下げていた。その袋いっぱいのグッズに、ちょっと目を見開いた私を見て、下田くんは私に咎められたように思ったのか、慌てて言い訳をする。
「いっ、いつも、買ってるわけじゃないよ、そんなにお金ないし」
その慌てた顔を見て笑ってしまった。
「なんか、香貫さんには1年の時から叱られてるような気がするから、言い訳しちゃったよ」
「1回も叱ったことないと思うんですけど」
「そうでもないよ、実験器具の片付けが雑だったりとか、レポート作成の時に騒いだりしてると、カヌキさんはいつもみんなを叱ってる」
「…そうですか?」
シモダくんがぷっと吹き出す。
「え。気付いてないんだ。すっげ、天性の委員長気質だね。サイコー」
「ね、そのよく言ってる『委員長』って何ですか?」
でも、シモダくんは恥ずかしそうに笑っているだけで教えてくれなかった。
映画だけに情念を燃やすようなアシスタントの青年が、少女のような敏腕プロデューサーに見出されて、監督として映画を撮影する物語。
私の語彙では説明できない熱がそこにあって
やっぱり私は映画がとても好きだということを再確認できた。
なんて浸っていた私の耳に飛び込んで来たのは、隣に座っていたシモダくんのしゃくりあげる音と鼻水を啜り上げる音だった。
シモダくんはベシャベシャに泣いていた。
それを見て、なぜだか、不意にシモダくんの頭を撫でたくなって。
手を伸ばしてはみたけれど、5センチくらい手前で手が止まった。
中途半端なところで手が浮いてる。
シモダくんが顔を上げて、私の手が変なところで止まっているのを見てちょっと驚く。
「何?」
「いや、頭を撫でようかと思いまして」
「うわ、いいよ、やめて。余計に恥ずかしくなるっ」
シモダくんは頭を抱えて、私の手から逃げた。
それで、ちょっと、なんだか傷ついたような気持ちになった。
「ほ、本当はアニメーターになりたかったけど、僕、そっちの才能がてんでなくて、だから、創る側の人たちに心底憧れてきて、羨ましくて。なんか、この映画、そこに刺さっちゃって」
フードコートの隅っこで、アイスコーヒーを飲みながら、映画の感想を話し合う。
「ああ、分かります。メイキングとか見てるとワクワクしますよね」
「そうなんだよ、すごく楽しい。アニメの原画とか見るのすげー好き。…でも、なんだろ、作れない僕と、作れる人たちの間に絶望的に深くて広い溝があることに気付くと虚しくなる」
「私は、あんまりそう言うのは感じないですね。自分はあくまで観る側だと思ってますから」
「香貫さんは、一人で映画を観て、一人でその世界に浸る人?」
「一人で観るのは好きですけど、必ずしもそうではないですよ」
「そうかあ、じゃ、じゃあ、またいつか、何か一緒に映画を見てもらえるかな?」
「ホラーだったら、考えます」
「ホラー限定?!」
笑った。こうして誰かと映画を観るのは悪くない。でも、多分、誰とでもいいという訳ではなくて、シモダくんと映画を観るのは、なんだか気が楽だった。
なんだか…
ーーーーー
夏が来た。
夏休みではあるけれど、院試があって、秋の学会の発表の準備があって、卒研を推し進めて。と、夏休みなのに休めない!!
私は、就活がない分、まだ気は楽だ。
吉原は、内定が出ない上に、卒研もやらないといけなくて落ち込む暇もないと言って頭を抱えている。それに比べれば全然マシ。
架乃も向こうで、フィールドワークがどうとかこうとかで、忙しく過ごしているみたい。お互いに忙しいと、連絡が途絶えがちになってしまう。それでも気持ちが冷めたなんてことは一切ない。
ただ、毎日が寂しいと、それが当たり前になって、続く痛みに慣れるように受け入れてしまうようになる。あんなに大きく空いた心の穴は、今もまだ空いているけれど、まるで昔から空いていたみたいだ。
架乃、あなたがいないのは辛い。
でも、いないことに慣れてしまったんだ。
その日の私は、蝉の声と強い日差しにうんざりしていて、早くエアコンの効いている研究室に行こうと思っていた。
「あ、香貫さん、院試どうだった?」
そんな時に、キャンパスに向かう途中でシモダくんに会った。
「試験は終わりましたよ。合否の発表は、えーと2週間後です」
私は頭の中で日数を数えた。
「香貫さんなら、きっと受かるよ」
「ははは、それならいいですね」
「あ、あの、僕、内定出たんだ」
「え!おめでとうございます。お祝いに、ジュース奢りますよ」
「やや、やった!奢られるね、ありがとう」
自販機が3台並ぶピロティ。夏休み中なので学生はいない。掲示板には何かのプリントが剥がれかけている。
日が当たらないので、少しだけ涼しい。
そこで私は、炭酸ジュースをシモダくんに渡し、缶ジュース同士で乾杯した。
「…できれば、開発部に入りたいんだよね」
「へえ、商品開発ってやつですか」
「色々あるみたい。最初から行きたい部署に行けるわけじゃないみたいなんだけど」
「すごいなあ、本当に良かったですね、志望していた会社に入れるなんて」
一瞬の沈黙
「香貫さん」
「はい?」
「…ああ、えっと、僕と、結婚してください」
………
??
「え、え?」
「え、あ、えっと、うあ、間違えた!! いや、間違ってない、のか……」
「しっ、シモダくん?」
「…えっと、ええええと、僕と、結婚を前提に、お付き合いして、下さい!」
シモダくんは思い切り私に頭を下げた。
答は決まってる。
なのに、なぜ、私は揺れたんだろう。
くらり、と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(1993)
「スリーピー・ホロウ」(1999)
「映画大好きポンポさん」(2021)
年内の公開はここまでとなります。
読んでくださっている方から嫌がられそうな展開のところで年越しになってしまいました。それでも見捨てないでいただきたいと切に願います。
「怖い映画を観たら一緒に夜を過ごそう」
読んでいただいてありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
うびぞお
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