そして 傍にいないミヤコダさん(2)

そして




 年が明けた。

 年末から実家に帰省して、文太さんを構い倒して過ごしている。文太さん、シーズー7歳。女の子だけど文太さん。賢くて愛らしい、香貫かぬき家の末っ子だ。

 川沿いの土手の散歩コース。今年は雪が降り出すのが早くて、あちこちに溶けずに残った雪があって、山の方はすっかり真っ白で、スキーシーズンが始まっている。


 どこにでもある田舎の風景。映画館シネコンがたった一つしかない小さな街。

 それでも、いつか、冬に架乃かのを連れて帰りたいなんて思うくらいには、私は実家のあるこの街が好きだ。


「文太さん、帰ろう。今夜は友達と集まるんだ」

 文太さんは私がそう話し掛けると、分かったわと言うように家に向かっててけてけと歩き出した。

 正月3日。高校時代の親しかった友人たちと集まることになっている。去年も成人式とその後に集まったから、同じ大学の元彼、松崎くん以外のみんなと会うのは、おおむね1年振りだ。

 



 高校生の時の私は、今より更に輪を掛けて視野が狭かったし、自分の世界も狭かった。そんな小さな世界の中で、自分よりとても大人に見えた松崎くんに恋をした。オトナが言うところの恋に恋する方の恋かもしれないけど、それでも、初恋だった。


 実家に戻ってきたせいなのか、今朝、彼の夢を見て目が覚めた。

 着ている制服は夏服。3年生の1学期、文化祭と次の生徒会選挙が終わって、私たちは1年間活動してきた生徒会を引退することになった。お互いを、会長、副会長と呼ぶ必要がなくなった日。いつも文太さんと散歩する河川敷の土手を彼と二人で手を繋いで歩いて、いつも一緒に帰っていた道を少し遠回りしていた。辺りに人がいなくなって、どちらともなく足を止めた。彼が腰をかがめるようにして私に顔を近付けてきて、私は一瞬焦る。でも、受け入れるために目を閉じた。


「ぅあ!!」


 甚だびっみょーーな気持ちで目を覚ました。

 なんで、なんで、なぜ、こんな夢を見るんだろう。地元、実家に戻ってきて、心が高校時代にトリップしたのか。

「せめて夢の中くらい架乃に会いたいんだけど…」

 つぶやくと、布団の隅っこで寝ていた文太さんも目を覚まして、私を見て、うるさいな、という顔をして、また寝た。

 やれやれと思いながら、文太さんを起こさないように気を付けて、私はベッドから抜け出た。



 居酒屋の個室。

 男4人と女3人。生徒会メンバーだった仲間たちだ。私を含めて、女子たちの方が大人びた気がする。メイクと服装とか。The女子大生。私は、架乃のおかげで私も多少は化粧というものを覚えたという程度だけど、他の二人は、さすが都会の大学にいるだけのことはあって、綺麗になったと思う。

 男たちは全員、パーカーかトレーナーにデニムで、高校時代と変わらない。就活の始まっている二人は髪型だけは小ざっぱりしているけれど、浪人して学年が違う二人は適当。元彼は後者だ。


「香貫、元気だった?少しは背が伸びた?」

「ははは、伸びるわけないでしょ」

「今年こそ、海行こうよ。大学最後の夏だよ。あげた水着どうなってんの?」

「綺麗にしまってありますよ」

「着ようよ!」

いーやですー。人前で腹を晒すなんで絶対嫌です」

「なんだよー、高校ん時からそういうとこは変わんないんだから」

 カクテルの入ったグラスを傾けながら、くだらない話に興じる。

「海に行くなら、俺、クルマ出すよ」

 元彼が横から口を出す。

「松崎、自動車買ったんだ、何買ったんだよ」

「中古のフィットだよ。お前らは載せてやんねえよ。自転車チャリで来い」

 男にも優しくしろよと、みんなが松崎くんを笑う。ホンダがどうとかこうとかトヨタがなんとかって男子たちは自動車メーカーの話でちょっとだけ盛り上がる。

「香貫は松崎のクルマ、乗ってんの?」

「はあ、たった今、松崎くんが自動車持ってるって知りましたんで、乗ったことも見たこともありません」

 私と元彼は同じ大学だから、キャンパスで顔を合わせれば挨拶くらいはする。学外で会うことはなく、偶然以外で会うこともないのだから、自動車のことなんて知らなかった。

「冷てええ。元カノって言ったって、おんなじ大学でしょうが」

「香貫が松崎にあたたかくしてやる義理ないじゃん」

 女子たちは、大学入試に落ちてから次の年に合格するまでの1年間、松崎くんが当時彼女だった私を1年丸々放置したことを知っているから、松崎くんには割と冷たい。それを知らない男子は私たち女子は松崎に冷たいと言うけれど、苦笑いして松崎くんを小突いた男子たちはそれを知っているらしい。

「それに、松崎くん、今はちゃんと彼女がいるでしょ?」

 文化祭の時、松崎くんは架乃の友達のモリさんと並んで歩いてるところにばったり会って、二人が付き合っているのを知った私が言う。

「…いや、それがさ、振られたんだよね、俺」

 一瞬、その場がシンっとする。

「クリスマスに何も用意してなくて、ていうか忘れてバイトに行ってスマホの電源も落としてて」

 ありえねえ、馬鹿か、信じられない、とみんなが松崎くんを罵倒した。私は、架乃やアライさんたちへの報告事項ができたと心の中にメモを取る。


 帰り道。寒くて、コートのポケットに手を突っ込む。また明け方には雪が降るだろう。

 昔みたいに松崎くんが私を家まで送ってくれることになった。

 他の女子たちも男子がそれぞれ送っていって、その後、また男だけで誰かの家に集まるのだそうだ。

「ここまででいいですよ」

「家まで送るよ」

「…ありがとうございます」

 話すことも特になく、ちょっと居心地の悪い帰り道だった。


「…香貫、さんは、今、彼氏いるの?」

「いません」

 彼氏はいない。恋人カノジョはいる。嘘はついてない。

「俺、振られたのは、クリスマスに無視しちゃったからじゃないんだ。彼女モリさんは俺がそういういい加減な男だって分かってたし」

「じゃ、どうしてなんですか?モリさんって、可愛いし、明るくて率直でいい人だと思いますよ」


「俺が、香貫さんのこと、まだ好きだから」


 松崎くんは握手を求めるように、私に手を伸ばす。

 高校時代のように手を繋いで帰ろう、そう言いたいのだろうか。


「今度は、君のこと、ちゃんと大事にするから。また、俺と付き合ってもらえないかな」


 ぐらり


 どころか

 ピクリ

 とも心が揺れなかった。


 深弥みや


 でも、架乃の少しハスキーな声が頭に響き渡る。なんでだろう、架乃に会いたいって気持ちがぶわっと膨らんだ。


 私が、今、一緒にいたいのは、目の前にいるこの人じゃない。

 この人にも、誰にも、大事にされなくていい。

 私が、架乃を大事にしたい、したいのに。



「私、好きな人がいるんです。とても、とても大好きな」


 手袋の下の小指のリングをなぞる。

 松崎くんの視線が、私の小指に向けられた。


「その人とは付き合わないの?」


 私は、その質問には答えず、口角を上げて少しだけ首を傾けた。沈黙に込められた意味が彼に届かなくても構わない。


「送ってくれてありがとうございます。本当に、ここまででいいです。お休みなさい。…それから、」

「謝らないで、俺が惨めになる」

 松崎くんは苦笑いして、それから右手を振って後ろを向いた。

「お休み」

 たったっという足音がして彼が走り出したことが分かる。



 私も家に向かおうとすると、後ろから、ちくしょーっと叫ぶ声が聞こえてきて、申し訳ないけれど笑ってしまった。今の松崎くんは別に私より大人っぽくない。高校生の私はちゃんと彼を見てなかったんだな。



 今日のことは、架乃に秘密にしておこうかな。

 きっと怒るから。




 ーーーーー



 1月、2月と時間は過ぎていく。


 少しずつ、架乃のいない暮らしに慣れてきた。

 2月15日の架乃の誕生日には、架乃がいないにもかかわらず、都田架乃不存在誕生会と銘打って、また我が家で宴会が開かれた。

 アライさんは架乃に意地悪をするのが好きなので、ネットでわざわざ宴会場面を架乃が見れるようにして、しかも、架乃からの音声を切った!

 架乃がギャーギャー騒いでるのは見える。

 でも、全く聞こえない。

 アライさんとニトウさんは、絶対わざと私とくっつくから、画面の向こうでは架乃がヒートアップしている。

 スマホには架乃から、お怒りメールがじゃんじゃん届いているようで、ブルブルと振動し続けている。

 ははは、架乃にとっては修羅場だ。なんて素敵な誕生日になってしまったんだろう。


 宴会には、モリさんも来てくれた。顔を合わせたときは、お互いちょっとぎこちなかったけれど、モリさんは、すぐにニコッと笑った。

「カヌキさん、あたし振られてばっかだったけど、振ったのは松崎くんが初めてだったんだ」

「あ、そういえば、私も振ったのは松崎くんが初めてってことになります」

 モリさんが一緒だねーって言って、肩を組んできた。私も肩を組み返す。そして乾杯した。

「恋と酒と女の友情は大学の必修単位だからね」

 モリさんはそう言ってビールを一気に飲み干した。



 ーーーーー



 春休みは忙しくなるかと思っていたけれど、意外にスムーズに実験が進んで、まとまった休みが取れることが分かった。

 どうしようかと思っていたところ、架乃の叔父さんオーナーから連絡があって、また、ペンションのアルバイトをすることにした。

 架乃の叔父さんも叔母さんマダムも、私も姪であるかのように受け入れてくれる。ここに架乃がいないのに、私は、架乃がいるみたいな生活を送ることが不思議に思える。

「深弥ちゃん、架乃以外の誰かとシェアハウスしないの?」

 マダムにそう尋ねられて、私は首を振る。

「しません。私、架乃以外の人と一緒に暮らすのは、ちょっと無理です。架乃は、私のホラー映画好きに合わせてくれますけど、そういう人、他にいないんで」

「でも、架乃って変なところあるから、ちょっと手がかかるでしょ」

「…はい。ちょっとだけ。でも、いないと寂しいです」

 本当に寂しい。

 休み期間に一人で過ごしたくなくて、住み込みアルバイトに来たってところもある。忙しい方が寂しさから目を背けられるのも事実だ。

 寂しくても大丈夫、と言うように、マダムが肩をポンポンと叩いてくれたので、それを合図に私は掃除の仕事を始めることにした。


 離れるのはつらかった。

 でも、私は周りには、私の寂しさを癒してくれる人たちがたくさんいる。


 架乃、超絶寂しがりのあなたは一人で大丈夫?

 画面の中では、いつだって笑っているけれど。



 ーーーーー



 4月。新年度が始まる。

 私は無事4年生だ。もう単位を取るべき授業はそれほど多くはなくて、ここから先は卒研と夏前の院試の受験勉強がメイン。

 私には、研究職として入りたい企業があって、そこと繋がりのある教授の研究室に入る、というところまでは来た。

 頑張らないとならないけれど。

 さて、それはそれ。映画これ映画これ


 昔の映画のフィルムをスキャニングして、最新のデジタル技術で処理をしてからデジタルリマスター版として上映することがある。

 昔の映画を映画館のスクリーンで観ることができる機会だ。

 前に架乃と観に行った猟奇殺人ものも、そんなデジタルリマスター版でリバイバル上映された1本だった。


 映画ファンだけでなく、D○ニーファンにも有名かもしれない、ミュージカル仕立てのストップ・モーション・アニメ。


 毎日がハロウィンの死者の街「ハロウィン・タウン」、ハロウィンに飽きた骸骨頭の街の王様が「クリスマス・タウン」を知って、クリスマスを「ハロウィン・タウン」に持ち込もうとして大騒動が起きるという物語だ。


 ホラーテイストの登場人物たちは、可愛いのかどうかは疑問だけれどもキャラクターグッズにもなっている。


 チケット予約した海沿いのショッピングビルの中にあるシネコンにバスで向かう。

 チケットを受け取り、ロビーでぼんやりスマホを眺めながら、上映時間が来るのを待つ。一人で映画館に来るのも、すっかり平気だ。


「香貫さん?」


 突然、名前を呼ばれて驚いて振り返った。


「…シモダくん」


「あ、こんちは」

 シモダくんは照れ臭そうに会釈した。

「一人?何かアニメの映画を見に来たんですか?」

 シモダくんたち仲良し4人組は、いわゆるアニメオタクで、いつも何かのアニメとかゲームの話をしている。共通の話題を持ってる仲間がいるということが羨ましいと思っていた。

「きょ、今日は一人。ちょっといつもと違うジャンルのアニメを観に来たんだ。そういうのはあいつらの趣味とは違うんで」

「じゃ、もしかして」


 シモダくんも私と同じ映画を観に来ていた。


「…それじゃ、ティム・バートン監督が好きなんですね」

「あ、このアニメはティム・バートン監督作品じゃないんだよね。でも、か、香貫さんも好きなの?ティム・バートン」

 お互いに好きな作品名を幾つか挙げていき、一致したところで笑う。

「やっぱり、『マーズアタック』ですよね!」

「そう、それ!本当、馬鹿馬鹿しくてサイコー」



 4年生になって、初めて、映画の話ができる同級生がいることに気づいた。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(1993)











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