そして 傍にいないミヤコダさん(1)
そして
11月に私は一人暮らしに戻った。
時間は私の気持ちなんて一切考えてくれなくて、普通に当たり前に同じように、ただどんどん過ぎていく。
架乃は遠くで歩き始めた。だから、私もちゃんとしないといけない。
『無事着いたから』
『大丈夫?』
追撃が来た。
元気だよ、と返した。空元気も元気の仲間だよね。
『ビデオ通話のアプリをインストールして。顔と声が欲しい』
ははは、架乃も早速寂しいみたい。一緒だね。
架乃がいなくなって、最初に片付けたのは、食器類とか二人で揃いで使っていたものだ。二人で使っていたものを自分の分だけ私が一人で使っていたら、私の分だけヘタってしまう。だから、去年までのアパートで一人で使っていたものを引っ張り出して使うことにした。やれやれ捨てなくて良かった、なんて思う。
私は、そうして、架乃の気配を少しずつ隠した。何を残そうかと考えながら。残し過ぎても全部隠しても、どっちも寂しいから。
「難しいなあ」
苦笑いが零れた。
ーーーーー
11月と言えば、大学祭。
ぬるめの液体窒素
油性マジックで背中にそう書き殴られたXLの白のTシャツ。これを着ると、大学祭だなと思う。
3度目になった秋の本祭。そして、焼き鳥屋『ケミカルチキン』6度目の開店だ。私の属しているクラスは、1年の時から3年間、初夏祭と秋の本祭で焼き鳥の出店を出し続けてきた。去年の2年の秋までは全員参加だったけれど、今年3年目になって、留年、他大学への転学なんかで抜けた学生もいて、もう終わりだと思っていたところ、同じ学科の後輩である1年生と2年生の一部が『ケミカルチキン』を継いでくれることになって、今年も初夏祭・本祭と無事開店できた。
サークルに入らなかった私にとって、『ケミカルチキン』は大きな思い出で、この店がいつまでか分からなくとも、今しばらくは続いていくのならとても嬉しい。
「…
架乃は2年の時に店を手伝ってくれたこともあって、私のクラスの中には架乃を覚えている人がたくさんいる。
「留学したんです」
私が肉を串に刺しながら答えると、その同級生、シモダくんは残念そうな顔をした。
「ああ、僕、彼女の分のシャツ作っちゃった。」
このTシャツは、同じクラスのシモダくんが考えて書いたのだと知ったのは2年になってからだ。クラス全員分のTシャツに何か化学っぽいことが書かれていて、そのほとんどが間抜けな感じ。例えば、私と仲良い吉原のTシャツには、『精密ピンセットで白髪を抜く』って書いてある。吉原の彼氏のには『轟々燃焼アルコールランプ』ってロボットアニメみたいに書かれてる。シモダくんはおとなしいけれど、変なセンスがある人らしい。
「…僕、いつもタイミング読めないんだよなあ」
そう言いながら、シモダくんは、私に架乃の分だというTシャツを渡してくれた。帰ってきたら渡しますね、と言いながら私はそれを受け取った。
「いひつわ子…?」
豪快かつ達筆でそう書かれてる。どこが化学なのか、流石にこれは分からない。するとシモダくんは空中に文字を書きながらその意味を教えてくれた。
「化学を分解したんだ。化がイとヒ、学がツとワと子でしょ」
いひつわ子…
ぶはっと私は吹き出した。シモダくん、センスがおかしい!ちょっと笑いが止まらなくなる。
「あ、香貫さんに受けた。やった…!」
私が笑ってたら、シモダくんは仲間たちに連行され、店の隅で抜け駆けしてんじゃねえよと小突かれていた。抜け駆けは何だか分かんないけど、シモダくんたち、いつも4人でつるんでて仲良くていいなあ。
「おーい、香貫、学祭実行委員が呼んでるよー」
「あ、はーい」
今年も学祭名物のカップルコンテストがある。
1年、2年とコンテストに絡んだ私は、また『カヌキくん』としてコンテストに関わる。今年は架乃がいないので関係ないと思っていたら、なんと今年は司会者のアシスタントを頼まれた。司会者の先輩のご指名とのことだった。今年の衣装も架乃の友達のアライさんがどこからか調達してくれたもので、上は学ランで下はやっぱり半ズボンと、白靴下と革靴。白っぽい昔の学帽を被らされてランドセルまで背負わされた。今年のコンセプトは昭和初期の小学校の入学式らしい。そして、自分で言うのも何だけど、我ながら
似合う…
「カヌキくん、ミヤコダさんに遂にフラれたそうですねー」
「や、僕、まだフラれてないですよっ」
オープニングで早速、司会者にいじられる。前回前々回と同じく司会者を務めている先輩は今年は4年生で、就職の内定を無事にもらったそうだ。営業職だそうで、ピッタリだと思う。
「またまた、だって、ミヤコダさん、来てないじゃないですかー」
「え、えっと、あれです、彼女、留学しちゃったから、今はエンキョリレンアイなんです」
「おや、それは寂しいですねー」
私は、うんうんと頷く。だって、本当に寂しいし。
「会場の皆さーん、ミヤコダさんの代わりにカヌキくんを慰めてくれる人募集中でーす。立候補する人は手を上げてー」
え?
カヌキくーん、という声援がかかり、手を上げたりスタンディングしたりしてる人が10人以上いた。うち半分は、吉原とかアライさんとかの知り合いだけど、知らない人もいて、中には、めっちゃ手を振ってるお姉さんもいる。アナタダレデスカ?
この大学、ノリが変な人が多いし、このコンテストはなぜか人気企画で、毎年よく人が集まっている。おかげで私の顔を知っている人は学内に結構いて、普段もたまに学食なんかで「あ、カヌキくんがいた」なんて言われることがあるくらいだ。
「カヌキくん、モテますねー。どう?よりどりみどりだよ」
「普段は全然モテないですよ。ていうか、僕のことより、先輩がこないだフラれた話が聞きたいんですけど」
「ちょっと待って!!カヌキくん、なんでそれ知ってるの?……じゃ、じゃあ、始めましょうか、第2回カップルコンテスト!」
会場がどっとわいた。打ち合わせ通り、掴みはどうやら成功で、私と先輩はこっそり親指を立てる。
ヤキモチ焼きの架乃が「もてるカヌキくん」を見たら、どれだけ怒ってくれるだろうか。想像すると笑ってしまう。
それに、架乃と出会っていなかったら、私、こんな風に大学祭のイベントなんかに絶対に出てなかった。
去年の学祭の時は、アパートを荒らされる事件が起きて大変だったな、なんて思い出しながら、私は3度目の大学祭を楽しんだ。
…できれば、架乃と一緒だったら良かったのに。
ははは、思考はすぐにやっぱり架乃で一杯になる。
ーーーーー
『楽しかったんだ、そっか、良かった』
架乃に大学祭のことを報告する。もちろん「いひつわ子」シャツも見せてあげる。架乃が意味分かんないと言って笑った。学ランコスプレの写真は既にアライさんから架乃に送信されていて、架乃にかかったら私の肖像権はないんだと気付かされた。
「あ、そう言えば、モリさんと松崎くん、付き合い始めたそうですよ」
『やったじゃん、モリ!』
モリさんは架乃の友達、松崎くんは私の高校時代の彼氏。世間は広いようで、時々狭く絡むように収縮するみたいだ。二人が幸せになれたらいいなと心から思う。
「…結局、一緒に学祭回れたことなかったね」
あれこれ報告して、ひとしきり笑ってから、私は呟いた。架乃が仕方ないという顔になる。
『そうね、来年もダメだし』
「再来年、ゆっくり見て回ろう」
『再来年かぁ。気が長いね』
再来年、それは、本当に訪れるのか分からない遠い未来みたいだ。
パソコンの画面の中の架乃がため息をついた。
私たちは、大体、毎日、ネット上で顔を合わせることはできる。
それが無理でもメールは必ず飛ばしてる。
細い糸に縋るみたいに感じる時もあるし、それが日常だと安心してる時もある。
どっちにしろ、私も架乃も、まだバラバラでいることに慣れていない。
ーーーーー
12月になると太平洋岸の温暖な街にもようやく冬の気配がし始めて、クリスマスが来る頃には、風が冷たくなった。それでも最高気温はまだ10°を余裕で超えていて、そろそろ雪が降り始めただろう私の故郷とは大違いだ。
クリスマスイブの街は当然クリスマス一色。赤と緑と金だから三色かもな、なんて愚にも付かないことを考えながら、駅前の商店街を一人で歩いていた。親子連れ、カップル、友達グループ、みんな楽しそうだ。
「香貫ー!」
待ち合わせ場所で吉原が手を振っていた。
吉原とその彼氏、女友達、それからシモダくんたち4人グループ。10人はいないけど、ちょっとした集まりだ。私にしては珍しく、同級生とクリスマスコンパなるものに参加することにしたのだった。架乃がいなくなった私のことを吉原が心配してくれて、何人かで一緒にイブを過ごそうと提案してくれたからだ。
明日のクリスマスも、架乃の友達のアライさんとニトウさんがうちに遊びに来てくれて、一緒にケーキを食べる約束になっていて、彼女たちも私を心配してくれている。
私、そんなに寂しそうに見える?
ーーーーー
「へえ、じゃあ、昨日はカラオケ行って、居酒屋行って、って感じだったんだ」
アライさんとニトウさんがクリスマス当日の夕方になってケーキを持って遊びに来てくれた。架乃と親しい二人だが、多分、もう私とも友達と言っていいのかなと思う。視聴覚室兼居間兼寝室に座卓を運び込んでケーキとおつまみとお酒を3人で囲む。
「カヌキさんて、どんなん歌うのぉ?」
「…歌いませんよ、音痴だから。皆さんの歌を聴く専門です。そもそも音楽を聴かないんで歌をあんまり知らないんですよ」
ニトウさんに尋ねられて、私は無表情になって答える。人前で発表だの司会だの、立って話すのは緊張するけどできることはできる。でも、人前で歌うことだけは絶対にしたくない。架乃の前でも鼻歌ひとつ歌ったことはないのだ。どんなに顰蹙を買ってもカラオケに行っても頑なにマイクを持たない主義だ。
「ええ、カヌキさんの歌、聞きたいなあ」
「やめなよ、ニトウ」
アライさんが止めてくれたのでホッとする。
「で、カヌキさん、今度二人でカラオケ行こう」
…アライさんはニトウさんを止めただけだった。
「カヌキさん、なんか映画見せてぇ」
話題がちょっと尽きたところで、ニトウさんが大型テレビを見て言う。
「どんなのがいいですか?」
「前みたいな超怖いのは嫌だなあ」
ぷるっと震えてニトウさんは右手で左肩を撫でる。以前に家に来た時に、おとっときの怖い映画を見せたのがちょっとトラウマになっているらしい。ニトウさんが首を傾げて悩んでると、アライさんが横から口を出す。
「じゃ、あるなら笑って泣けるホラーがいい」
「アライ、それってぇ、無茶振りじゃないのぉ?」
「や、大丈夫ですよ。ホラー映画は何でもありです」
「「え?」」
「ゾンビ映画の名作です。ゾンビ映画は何でもあれですから、笑って泣けるゾンビ映画もあります」
「「笑って泣けるゾンビ?」」
うだつの上がらないグダグダな駄目男である主人公が、気が付いたら街中ゾンビに囲まれていて大ピンチ。主人公に輪を掛けて駄目男である幼なじみの男と一緒に、家族や恋人を守ろうとするっていうのが粗筋。
そんな粗筋では全く伝わらない、ゾンビ映画への監督の愛が溢れるブラックコメディーかと思わせておいて、それだけじゃない。
「シュール。こんなゾンビ映画あったんだ。おっかしい」
アライさんがニヤリと笑いながら言う。
「おもしろー」
ニトウさんも楽しんでいる。
ラスト、
ゾンビになってしまった幼なじみを主人公はどうするか?
もう彼を、人間に、元の幼なじみに戻すことはできない。
幼なじみは、空気が読めなくて、傍迷惑でぐうたらで、稼ぎのない居候で、ブサイクで屁こきだ。
主人公の選択はコミカルだけど少し悲しい。
「あれ、これ、笑うとこ…?」
「えぇ?私、なんか泣けるんだけどぉ」
「私、最初に観た時、ちょっと泣きました」
「…そっかぁ、ミヤは、こんな風にカヌキさんと映画を観てたんだねえ」
エンドロールを観ながら、ニトウさんは横から軽く私をハグする。
「映画と、カヌキさんと両方見てたんだろうね」
アライさんが反対側から私の肩に腕を回す。
え?…え、
「ミヤがね、カヌキさんはほっとくと一人で引きこもって映画見て過ごしちゃうから、たまに一緒に映画を一緒に見てやってくれって、私とニトウに頼んでった」
アライさんが笑いながら言うと、ニトウさんが続く。
「意地っ張りで寂しいって素直に言えないから、映画ぁ見て、一緒に笑ってあげてってさぁ」
架乃は遠くに行って、自分は一人で頑張ることを選択したくせに
私を一人にしないようにしてくれたみたい。
そんなの知ると、寂しくなってしまう。
せっかく、少し慣れてきたのに。
「駄目だよぉ、カヌキさん、泣いちゃあ」
「…はい」
架乃のいない家で食べるクリスマスケーキはちょっとしょっぱかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「ショーン・オブ・ザ・デッド」(2004)
シモダくんは最初のインターミッションで書いたオタクくん。4人組もカヌキさん親衛隊?として、たまーに出てました。覚えていてくださったらありがたいです。
「怖い映画…」の後に書き始めた「あがれッ」の方が先に書き終わりました。機会があったら読んでいただけると嬉しいです。
https://kakuyomu.jp/works/16816927862120469423
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