MAY 暴かれるミヤコダさん(前編)
5月
「どうしたの?」
「緊張してまる」
緊張してる、と、緊張してます、が混ざってしまった私に気付いて、
架乃は、右手の甲を口に当ててくっくと喉で笑っている。そういう仕草は綺麗だと思うけど、恥ずかしくなるから、そんなに笑わないでほしい。
私たちは珍しく電車に並んで座っていた。
私には乗り慣れない路線。
ゴールデンウィークが始まったばかりで、本来は空いているような時間だけれど少し電車は混んでいる。
なんで、慣れない電車に乗っているかというと。
「次で降りるよ。駅からそんなに離れてないから、ちょっと歩いてすぐウチ」
架乃の実家に行くのだ。
ゴールデンウィークにどこかに遊びに行こうという話になって、架乃の実家から地下鉄か電車に乗れば、観光できる有名なランドマークやお洒落なスポットにすぐに行けることを教えられた。私は基本田舎者なので、都会にはちょっとビクビクしているけれど、架乃が案内してくれるというから腰を上げた。
「ウチをホテル代わりにすればいいじゃん」
って軽い感じで言ってくれたし。
それと用事がもう一つ。
私は架乃のお姉さんに紹介されるらしい。
親じゃないんだ、と私が言うと、架乃いわく、今までは、彼氏ができても別れても全て自己責任なので、親に紹介なんてしてこなかったそうだ。逆に、お姉さんには彼氏ができたり別れたりする度に嫌でも報告させられてきたけれど、『特別』な私のことだけは自分からお姉さんにきちんと紹介しておきたいのだという。
「架乃って、本当にお姉ちゃん子」
私がそう言うと架乃は照れ臭そうに笑って頷いた。
駅を出て架乃の実家に向かう。
「とりあえず、一応親にも紹介するかもしれないけど、まあ、時間の無駄かな」
さりげにちょっと変なことを言う。
「架乃?親御さんと仲悪いの?」
「え、全然。仲は悪くもないし愛されてますよー」
なんだか棒読み。
私が怪訝な顔になったのに気付いたらしく、ふっと目を細めて微笑んだ。
「…ちょっと普通じゃないとこがあるだけ」
「普通じゃない?」
私が聞き返すと、架乃は少しだけ目を伏せた。
「ま、そもそも『普通』の親なんて定義できないよね」
そう言われて、自分の親を思い出す。うちの両親は多分普通だけど、やっぱりちょっと普通じゃない。
架乃の実家はアイボリーに塗られた瀟洒な庭付きの二階建てだった。
ただの建売住宅のうちと比較すれば豪華と言える、とてもお洒落なデザイナーズハウスの大きい版みたいだ。
「別に豪邸じゃないでしょ。家族4人だったから、そんなに大きな家にしたって意味ないじゃない。お姉ちゃんが中学校に入る時に、通学しやすいって理由で建てたとかって言ってたから、築15年くらいだし」
それでも、ここって知る人ぞ知る高級住宅地じゃなかったっけ。
「…架乃んちって、裕福なんだね」
「否定はしない」
架乃はセキュリティー、そんなの私の実家にはない!、を解除して、無言で鍵を開けて家に入る。
ただいま、って言わないんだ。
2階の架乃の部屋は広かった。ロフトまである。
「大事なものはそんなに多くないから全部今の家に持って来ちゃった。ここにあるのは、高校までの過去の思い出ばかりだよ」
勉強机には、まだ受験の名残の問題集とか教科書が残されている。埃を被っていないのは誰かが掃除をしているからだろうか。
「とりあえず、大きな荷物は置いて、お姉ちゃんち行こう。歩いて10分くらいだから」
階段から降りていくと、女の人がいた。
「あら、架乃、お帰りなさい」
「ただいま、お母さん」
架乃のお母さんという綺麗な、架乃がそのまま年を取ったらこうなるだろうなという女性を見て、私は一瞬固まってしまった。
「…お友達?連れて来たの初めてじゃない?」
「あ、初めまして、
「私の恋人」
私の自己紹介を遮って、ものすごくあっさりと架乃が言った。
架乃のお母さんの目が丸くなって、表情が固まった。
それから私の顔と架乃の顔を見比べる。
「…そう。仲良くね」
柔らかく微笑んでそう言った。
「大丈夫、すっごく仲いいから」
架乃もにっこりと笑顔を作った。整いすぎて作り笑顔って丸分かりなんだけど、架乃のお母さんには分からないのだろうか。
「それならいいわ。じゃあ、会社に戻るから」
「うん、お疲れ」
分からなかったみたい。
「架乃、あれでいいの?」
狐につままれたような気分で、架乃の実家を出て、お姉さんの住むマンションに向かった。架乃の表情は特にいつもと変わらないし、歩き方は、私の歩幅に合わせてゆっくりだ。
「ん、多分、90歳のお爺ちゃんを連れて行っても、あの反応だと思う。
そう言って、ようやく少しだけ、眉間に皺を寄せた。
「…愛する娘の選んだ相手ならどんな人でも受け入れる、と母は思ってくれている。でも、私は、私のことはどうでもいいんだろうと感じてしまうの」
架乃は私の手をぎゅっと握る。
「深弥に言われて分かったんだけど、わたしがやたらに失うことや見捨てられることに不安になる起因は、うちの親の愛し方が『普通』とちょっとずれてるからみたい」
それから架乃は黙ってしまったので、私も何も言えなくなってしまった。ただ黙って、手を繋いで歩いた。
すれ違う人から見たら少し変だったかもしれない。無表情で黙って手を繋いで歩いてる女二人。
どうする?
私は架乃から手を剥がす。え?という顔で架乃は私を振り返ったが、私は剥がした手を架乃の腕に巻き付かせてから指を手に絡めた。
「うわ、ねちっこい恋人繋ぎ」
「…いいの。どうせ、私はこの街の住人じゃないし、見られても平気」
ふんっと架乃が鼻を鳴らした。
「わたしは、元住人なんだけどな、まあ、恥ずかしくないけど」
ほら、ちょっと元気になった。私には架乃の取扱説明書が頭の中にあるんだよ。
そうこうしているうちに高層マンションに着く。
見上げると首が痛い…。
「…なんで架乃は私と同じ大学に通って、あんなボロ家に住んでるのか分からなくなった」
私のぼやきに架乃が苦笑いする。
「わたし自身は、何も持ってない、ただの貧乏大学生。親はそこそこの資産家で、お姉ちゃんも就職と結婚で、一部資産を受け取ったから、その仲間入りしたばかりね。お姉ちゃんは、この春に入籍して、このマンションで暮らし始めたばかりだから、わたしもここに来るのは初めて」
そう言って、架乃はインターフォンを押して、お姉さんに連絡を取った。わ、コンシェルジュがいる!
「あんなの、昼間だけいる管理人さんとおんなじって、お姉ちゃんが言ってた」
そういうモノなのだろうか。
広くて防犯もバッチリしてそうなエレベーターに乗る。色々別世界な感じにちょっと慣れてきた。
「架乃が、『お姉ちゃん』って呼ぶから、なんか、もっと庶民的なイメージだった」
「えー、『お姉さま』みたいに呼べば良かった?やっだ、気持ち悪い。お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ。会えば分かるけど、お母さんと違って、わたしと同じ、お嬢様のなり損ないだから」
はは、お嬢様のなり損ないって、自分で言っちゃうんだ。
ドアホンを押す前に、玄関扉が開いた。
架乃と少し面影が似ている女性が出てきて、架乃の顔をチラッと見た後に、ぱあっと笑顔を私に向けた。架乃は、さっき会ったお母さんにはそっくりだったけれど、このお姉さんらしい女性は、顔立ちが少し違うから、お父さん似なのだろうか。て言うか、すごい胸!半端なグラドルよりすごいって架乃が言ってたけど、ほんとだ!!
「この子がそうなの?」
「お姉ちゃん、挨拶が先でしょ」
「あ、
なんとか自分の自己紹介を先にねじ込むことに成功した。ペコリと頭を下げて、顔を上げた。架乃のお姉さんはニコニコしている。
「姉の
「お姉ちゃん!それ全部ダメ!!」
架乃がそう言ってくれるまで、私、フリーズしてしまってた。
「ごめんねー、全然片付いてなくて。わたしも彼、じゃない、夫も忙しすぎて時間がなかったのー」
新婚さんらしい、言い直しが微笑ましかった。片付いていないというか、物があんまりない。リビングのソファーに座るように促されて、私は架乃と並んでそこに座る。ふわんと体が沈み込んで、ちょっと驚く。
「本当は、ここに泊めてあげたかったんだけど、客室を荷物入れにしちゃって、あなたたちを泊める部屋がないの。ダンボール詰めの部屋に寝かすわけにはいかなくて」
「言ったでしょ。実家に泊まるから大丈夫」
「ま、お父さんもお母さんも気にしない、ていうか歓迎しているつもりになるからいいか」
「そういうこと。でも、お母さん、会社だって言ってたよ」
「なんか、開発契約とかバイヤーがどうとかこうとか言ってたから、忙しいんじゃない?」
架乃とお姉さん、那乃さんの会話のテンポが早くて、私の理解がついていけない。
「そんなことより、カヌキさん。この子のどこがいいの?」
「は?!」
いきなり那乃さんから話を振られて私は焦る。
「どこって…」
「やっぱり外見?」
その質問をした時の、那乃さんの顔は笑顔だけど、目力が強くてちょっと怖かった。ホラー映画より、ずっと。
「…外見で好きなのは笑顔です。笑うと、なんか、くしゃって感じになるところ」
「え?わたし、笑うとくしゃってなるの?」
「「なる」」
口を挟んだ架乃に、私と那乃さんの声が重なった。
「他には?」
「体育座りになって一人反省会しているところ。小さくなっちゃうから可愛いです」
ぶっと那乃さんが吹き出した。架乃と同じで手の甲で口を抑えてる。架乃は架乃でものすごく複雑そうな顔。
「あと、いいっていうか、弱いのは、何か頼んでくる時の上目遣いです。あれは狡いです」
架乃の目が泳いだ。那乃さんは納得、と言うように頷く。
「わたしも、あの上目遣いに何度も騙されてる。この子、わたしのこともカヌキさんのこともチョロいとか思ってるから、気を付けた方がいいわ」
「ですよね。でも、分かってるのに引っかかっちゃうんです」
「…外見でいいところ、って、そういうんじゃないと思うんだけど」
架乃が横目で私を見て口を出す。
「綺麗とか、スタイルがいいとか、大人っぽいとかじゃないんだ」
那乃さんにそう言われて、ああ、そう言うことを聞かれていたのか、と私は気付いた。
「それは、そうですね。よく、なぜこんな綺麗な人と私が付き合ってくれてるって、思わされていまっ」
「す」を言う前に架乃に横からぎゅっと抱き着かれてしまって、言えなかった。いくらお姉さんとはいえ、人前では恥ずかしいんだけど。
「ちょ、架乃?」
「…そんなこと思っちゃ嫌だ」
架乃は私にだけ聞こえるように囁いた。嫌だと言われましても、本当に綺麗な人だし、自分とは釣り合わないって思うし。
「ちょっと飲み物持ってくるから、架乃、それまでは充電してていいからね」
充電??
そう言って、那乃さんはふっと笑うと、対面キッチンの方へ向かった。
「外見が釣り合わないなんて悩みは、1年前に散々悩んでとっくに突破してる」
私にしがみついている架乃の腕をぽんぽんとタップして言った。那乃さんにも聞こえてるかもしれないけど、いい。
「そんなことで付き合えないなら、私、あなたに告白してない」
「深弥…」
「カヌキさんは十分に可愛いから、釣り合わないってことはないんじゃないの?それより、告白って、カヌキさんからだったの?わたし、てっきり架乃からだと思ってた、あ、アイスティーでいい?」
そういいながら、透けた琥珀色の液体の入った、少し細身で背の高いコップとクッキーを那乃さんはテーブルに置いた。
「はは、恥ずかしい話で喉が乾いたところです。ありがとうございます。…ちょうど、1年くらい前に、私から告白しました」
架乃が離れてくれないので、私は諦めて、架乃を引っ付けたままで那乃さんに答えた。
「なんて言ったの?」
「お姉ちゃん!やだ、教えないっ。深弥も言っちゃ駄目だからね」
架乃が駄々っ子状態になっちゃってる。
……私がなりたいのはミヤコダさんの『恋人』です
私ではミヤコダさんの恋愛対象にはなれませんか?
うん、私の告白は、一言一句しっかり記憶に残ってる。でも、口に出したら、多分、架乃がめちゃくちゃ怒りそう。
「あの時の深弥の言葉は、わたしだけのものだから、お姉ちゃんでも教えてあげない」
そんな架乃の子供みたいな口ぶりに那乃さんが口をへの字に曲げた。
「昔から、こういうところあったけど、だいぶ重症ね…」
「こういうワガママで独占欲が強いところとか、もう本当に煩わしいくらい嫉妬深いところに、辟易することはあるんですけど」
「煩わしい上に辟易って…」
私のひどい言いように架乃が拗ねた声を出した。
「架乃の、そんな愛情表現に、私、メロメロなんです」
私の言葉に架乃も那乃さんもびっくり目になってキョトンとした。
その表情が同じで、やっぱり姉妹なんだな、って私は思った。それと。
はは、ずっと言いたかったことを遂に言ってやった!
という達成感と爽快感で私は胸一杯になった。
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