如月2 つむじが曲がらないミヤコダさん(後編)

 現実逃避というのがあるけど。


「悪魔っていうのは、性善説を正当化するための存在だとわたしは思う」「絶対正しくあるべき神という存在を正当化するためとも言えるよね」「本来さあ、人間には善も悪もないよねえ」「そこに恐怖の感情を伴わせることにはどんな意味があるわけ」

 人文学部4人組は、何だか難しい話をし始めた。

「リアルの家とミニチュアハウスの対比は現実と非現実を象徴するのか」「なぜ男子だけが継承できるのか理由は説明されてないよね」「妹の死は、死であって死ではなく、あの死に方は」「炎による浄化ってことは」「天井を歩くのは重力からの解放で」…


 声や口調は真面目だけど、明らかに顔は怯えてる。

 現実逃避の中に理論逃避という一手法があるんだろうか。


「ねえ香貫かぬき、あの人たち、何専攻してるの?」

 ダイニングでスマホを見ていて、映画をほとんど見ていなかった吉原がお茶を飲みながら私に尋ねてくる。

「なんか、社会科学とか言ってたような気がします」

「何それ?」

「さあ?ただ社会学とか心理学とかの基礎を2年までみっちりやって、それで3年から細かく専門に別れるらしいですよ」

「へええ。それにしても、よく喋るね」

「全く」

「「喋ってないと怖いの!!」」

 架乃かのとモリさんが、こっちに向かって吠えてきた。

「カヌキさぁん、何よう、この怖い映画はあ」

 ああ、ニトウさんが訛り全開になってしまっている。

 そういえば、最近の架乃も映画を見た後、何だか分析を語っていたけど、あれは恐怖から逃れるためでもあったのか。そか。


「うちに遊びに来るのは構わないし、その部屋も使って構わないですけど、汚したら、承知しませんよ」

 改めて4人を正座させて申し付ける。

「あ、でもホラー映画を観たければ、いつでも来て下さいね」

 ホラー仲間が増えてくれるとまでは期待しないけど。

「はい!カヌキ先生」

 モリさんが元気良く右手を挙げた。いわゆる挙手だ。

「先生、って。…何ですか?モリさん」

「恋愛映画をまた観に来てよろしいでしょうか!?」

「ええ、邦画のアイドルものでなければ構いませんよ。でも、うちには、そのジャンルは余り置いてないんです」

「持参します!」

「カヌキ先生、私ぃ、アニメ持ってきていいですかぁ?」

「あ、私はアクション見たいです。カヌキ先生、是非ご一緒して下さい!」

 ニトウさんもアライさんも、私を先生扱いし始めた。

「ウチは映画館じゃありませーん」

 最後に架乃がそう言うと、ミヤのじゃなくてカヌキさんのテレビじゃん、などとブーイングが起きる。

「私もまた来ていい?」

 吉原がまだ騒いでる架乃たちを横目にしながら言う。

「できれば、今週中にレポートの協力をしに来てくれませんか」

「もちろん。あの課題のデータって持って帰って来てる?」

 と吉原と二人で課題について相談していたら、何だか視線を感じて、振り返ると架乃の目がまた尖ってきているのに気付いた。

 全く、あのやきもち焼きさんは……。



 最後は、宅配ピザとバースデーケーキのちゃんぽんというハイカロリーな夕食を摂って、ようやく宴会はお開きとなり、みんなが帰ってしまうと、賑やかだった家がシンっとなった。夕食の分のゴミをまとめてしまえば、もう片付けは終了だ。ちょうど明日はゴミの日だし。

 明日は月曜日。2年生にもなると、月曜日の午前中なんて、必須単位でなければ講義は取らないから、明日はゆっくり朝寝坊はできる。


 架乃といえば、いつものごとく、一人反省会。

 ソファに足を抱えて座り込んでいる。何か失敗したとかやり過ぎたと思っている時に、架乃はあのポーズになってしまう。

 せっかくの誕生日なのに反省会は可哀想すぎるかなと思った。

「架乃、反省会?」

 ソファの前に立って架乃を見下ろした。あ、つむじ。

「うーん、ちょっと違うかな。勿論、反省もあるの。ごめんね、深弥みやがこの部屋を大事にしてるの知ってて、汚しちゃって」

「この部屋で宴会しようって言ったの私ですから、架乃だけが悪いんじゃないですよ。皆さんには、ちゃんと罰も食らっていただいたから気も済みました。あの映画、怖かったでしょう。おとっときだったんです」

「もう、怖いなんてもんじゃないでしょ、あの映画」

 架乃は、足をソファから下ろして、普通に座ると、そのまま私の腰に手を回して引き寄せて、お腹に抱き着いて来た。

「…去年の誕生日も嬉しかったけど、今年も嬉しかったの。馬鹿みたいに食べたり飲んだり騒いでるだけなのにね。深弥がいて、アライたちがいて、それだけなのに」

 うん、と言って私は右手で架乃のつむじを指でなぞるようにしてから、その髪を撫でた。

「ははは、楽しかったと嬉しかったの反芻してたんですね」

「反芻って、随分と風情のない言葉を選ぶね、もう」

 架乃が私のお腹を頭でぐりぐりしながら笑った。

 ふとその動きが止まる。

「いいことばかりじゃないの。今日みたいに、みんなでいると楽しいのに、物凄く不安になる。誰かに深弥を持ってかれそうで。…頭で分かってる。誰もそんなことしないし、深弥はいなくならないって分かっていても」

「架乃」

「うまく気持ちを消化できないから、一人反省会してた。…消化なんて言うとやっぱり反芻になっちゃうな」

 ぎゅっと、腰に回っていた手に力が入った。どうして、いきなりこんなに繊細になっちゃうんだろう、この人。



「…わたしには、何もない」



 ほとんど聴こえないような微かな声がして、一瞬、架乃が遠くなった気がした。

「架乃?」

「ん?」

 架乃が私のお腹から顔を上げて私を見上げる。いつもの架乃の表情かおがそこにあって少しだけ安心する。


「あ、そうだ」

 私は大切なことを思い出す。

「ちょっと待ってて下さい」

 私は、一旦架乃から離れると、架乃の手が名残惜しそうに宙に浮いた。隣のダイニングに置いてあるリュックの中から、隠していた誕生日のプレゼントを取り出した。

「ありきたりで悪いんですけど、誕生石アメジストのピアスです」

 本当に私にはこういうセンスがなくて、時々架乃には申し訳なくなる。銀の台座に小さな紫色のカケラ。不揃いなカッティングが不安定な光を弾き返している。予測できない反射、私にとっての架乃だ。

「大丈夫、深弥のセンスは映画以外は悪くないよ」

「映画のセンスは関係ないでしょうが。…では、今年は私が付けて差し上げます。」

 架乃が瞬間、目を丸くして、それからくしゃっと笑った。

「去年は、怖いって言って嫌がったのに」

「ははは、あなたに変えられたんですよ、色々」


「耳、痛くないですか?これでいいのかな」

 目を伏せている架乃の横顔に目を向けた。

 架乃は指で耳たぶを触って、付け具合を確認して、私を見て笑顔になる。

「大丈夫、ちゃんと付いてる。似合うよね」

 スマホの画面をミラーにして確認している架乃を見て、ちゃんとピアスを付けてあげられたことにホッとして、架乃の隣に座る。


「どうしたら、私は架乃を安心させてあげられますか?」

「…それは、ほらあ映画を見せないとか」

「そういう意味じゃなくて。…映画は見せますけど」

「見せるんじゃん。…じゃあ、好きって言ってキスして」

 そんなことを言われて、思わず、ソファの上でジリっと体が後ろに下がってしまう。

「え、あ、これ、普段あんまり私からそういうのしないから、私のことが信じられないってやつですか?」

 焦って私がそう言うと、架乃がちょっと驚いてから笑った。

「大丈夫よ、深弥は気付いてないけど、寝言と、してる時に、ちゃんと『好き』って言うことあるから」

 私の口がみっともなく開く。

「…言ってます、か?」

「あはは、やっぱり気付いてなかったんだ。一昨日の夜も言ってたよ」

 一昨日の夜って、それは、寝言の方か、そうじゃない方か、どっちで言ったんだろう、私?



「架乃は…」

 ん?と視線が合う。

「架乃は、よく自分のことを嫉妬深いって言うし、確かにウザいくらいやきもち焼きだけど、それだけじゃなくて、本当は」

 私がそこで息を継いで黙ると、架乃が少しだけ首を傾けて、続きを促す。


「私がいなくなって淋しくなるのが怖い」


 架乃が少し目をそばめて、眉間に皺を寄せた。


「誰も傍にいなくなって、誰からも必要とされてないって感じるのが、怖い」


 架乃の目をじっと見詰める。架乃の瞳の中の虹彩が揺らぐように見えた。

 どうして、と架乃の唇が動く。

 その唇に自分のを掠らせる。 


「お誕生日おめでとう。……架乃が、好きです」

 あなたが抱え込んでいる不安がいつかどこかに消えますように。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「ヘレディタリー/継承」(2018)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る