如月2 つむじが曲がらないミヤコダさん(前編)
2月
バレンタインデーの少し前だった。
「お帰りなさい」
私が、そう言うと、ちらっと私の方を見て、ただいまと言った。不機嫌、というのとはどこか違う。
私は、それ以上は何も言わず、とりあえず夕飯の支度を続ける。ただの野菜炒め。こういうのは二人分だと独り暮らしのときより安上がりでいい。
「架乃、ご飯の支度を手伝う前に、手を洗って来て下さい」
ん、と頷きながら架乃は立ち上がって洗面所に向かおうとして、足を止めて私を見た。私がちょうど火を落とすタイミングだった。
「…
2月15日は架乃の誕生日だ。
去年は駅の近くの居酒屋でちょっとしたパーティーをしたが、今年は、ちょうど日曜日だから、昼からこの家でやらないかとアライさんに言われたらしい。
長い前髪が、顔の前にさらっと落ちてきて、それをだるそうにかきあげる。
「…今年も祝ってくれるのは嬉しいけど、この家に来られるの、なんかやなの」
ああ、また何か、変なことにこだわってそう。
架乃のこだわりはよく分からない。
あっけらかんとしてると思うと、いきなり繊細で感傷的、人のことを考えてないかと思うと情が厚い。私とは、どこか違うところに「線」が引かれているので、考えが読みにくい。
でも、この顔は、多分、すごくどうでもいいことにこだわってそうだ。
「私は、構わないですよ。吉原も来たいって言ってくれてましたし」
吉原は、同じ専攻で一番親しい友達だ。最近知ったけど、実は架乃と同じ高校を卒業していた。前のアパートは、大学から少し離れていて、吉原や他の学生の多く住む地域と反対側だったから、友達を呼ぶということは全くしていなかった。今の家は、前よりも大学に近いし、友達が住む辺りからもそう離れていないので、友達が来る、ということはあるだろうと思っていて、ようやくその機会が来たということだろう。
ちょっと古い家なんだけど、数人来ても大丈夫なくらいの広さはある。
「えー?深弥は嫌じゃないの」
「はい、だって、アライさんたちですよね。何も問題ないと思うんですけど」
「誰が、は問題じゃないの」
「じゃ、何が気に入らないんですか?」
どうせ、またろくでもないことを考えてるんでしょ、という言葉は出さないでおく。
「二人だけの場所じゃなくなる…」
「…………はぁ?」
架乃が何を言ってるのか、理解が追い付かなかった。
「あ、今、何言ってんだ、こいつって思ったでしょ?」
考えを読まれてしまって、ちっと舌打ちをしてしまった。
「あ、舌打ちした、舌打ちしたよねっ」
「と、とりあえず、ご飯にしましょう、ご飯」
私はその場を誤魔化した。
夕食を食べながら、架乃が言うには、要は、この家は私たちだけの家だから誰も入れたくないということらしい。
え、架乃にとって、この古い家、そんなに神聖だったの?
「どうせ、わたしは自他共に認める嫉妬深くて狭量な重い女だもん」
「…そうですね。流石に驚きました。そこまでだとは」
この家に誰が何人来ようと、私の気持ちも私たちの関係も変わらないのに。まあ、流石は架乃。私が家庭教師しているだけの中学生の女の子にまでしつこく焼き餅を焼き続けているだけのことはある。
場所を提供するだけで、特に、何かを用意しなくていいとのことだ。架乃の主義で、今年もプレゼントはなし。その分、ケーキを含む美味しい食べ物にお金をかけることになっている。今年は、しっかりとお酒も用意されるとのことだ。
「…深弥、吉原さんも呼んでいいからね」
架乃は、まだ、ふて腐れているが、それでも、ちゃんとオトナになって、友達を呼ぶことを納得しようとしている。
さて、架乃をどうフォローしてあげようか。
私は、自分のスマホに予定を入力し、ダイニングの壁に掛けてある、用事を書き込む共有のカレンダーにも、15日のところに「かのBD&PT」と書き入れた。今週の土曜日はバレンタインデーで、日曜日が架乃の誕生日で宴会、っと。
カレンダーを見ていたら、ふと架乃が私にバレンタインのことを訊いてきた。
「チョコレート欲しい?」
「欲しいんですか?次の日が誕生日なのに?」
「…わたしの誕生日のことはいいから、深弥がバレンタインのチョコレート欲しいかを知りたいんだけど」
チョコレートは好きだけど、次の日の誕生日に宴会してケーキを食べる予定があるのに、甘い食べ物ばっかりに、わざわざお金を使うことはしたくなくて断った。そうしたら、架乃がにやりと笑った。
「チョコの代わりにご奉仕いたしましょうか」
ご奉仕って、何?
「深弥ちゃん、何を想像しているのかな?わたしは家事のことを言ってるんだけど」
さっきまで拗ねている架乃をフォローしようかと思っていたけれど、今のニヤニヤしている顔を見たら憎たらしくなったので、やめた。
「今夜から、私は一人で寝ますから、架乃は自分の部屋で寝て下さいね」
架乃が何かに絶望したように顔を歪めたが、自業自得以外の何者でもない。
ーーーーー
そして、いつものようにホラー映画を観ていたら、バレンタインデーの前日から当日へと、日が変わってしまった。
架乃にお願いされたので、仕方なく一緒にお風呂に入ってあげた後、先にお風呂から出て体をバスタオルで拭っていた私は、全裸で濡れたままの架乃に映画部屋兼寝室に押し込んまれ、ベッドに押し倒された。
「ちょ、まだ、濡れてるじゃないです、っか?」
「大丈夫、すぐ乾くから」
「な、何言ってんで、すか。ちょ、もう、あ」
いつもどおり翻弄されて、その感覚に何がなんだか分からなくなってしまった私が覚えているのは、架乃のつむじ。
わたしと架乃はゆうに10cm以上は身長差があるので、普段は無意識に見上げていることが多い。たまに自分が立っているときに、座っている架乃を見下ろすこともあるけれど、そういうときは特につむじなんて意識しない。
でも、…しているときは違う。
こういう時って、どこを見ていればいいのか、よく分からない。
どこを見ていたって構わないんだろうし、からだを走る電流みたいな感覚に、つい、ぎゅっと目を瞑ってしまってる時が多いんだけど、やっぱり目の端では架乃を追っている。
常夜灯の薄明かりに目が慣れると、さっきまで私の首や鎖骨の辺りにあった架乃の頭が私の胸にあって、もう、その頭を抱え込むことしかできなくて、でも、あんまりキツく抱えたら痛いかな、とか思ってもいて、その時に架乃のつむじが目に止まる。
時計回りのつむじ
快感に体の奥から反応して、声や息が漏れ出てるのに、頭のどこか一部だけは何だか冷静で、つむじが気になってしまう。
「深弥?」
架乃が私の胸から顔を見上げる。当然、つむじが見えなくなって、架乃と目が合う。
「どうしたの?痛い?」
「え?」
少しだけ、つむじに気を取られてたのがバレたみたい。
「ううん、痛くない。……続けて」
「いいの?」
「うん、ん……やめ、ないで」
ああ、こんなこと言うようになっちゃった。しかも、その一言で、私をそんな風にした張本人の目がぎらりとする。どうやらターボスイッチを入れてしまったらしい。
そして、私の体の上を架乃の頭がだんだん下がっていく。私の腕には、抱えるものがなくなって、手はシーツの上をあちこち彷徨う。
それに、私は目が悪いので、常夜灯くらいの明るさだと、架乃の頭が腰付近まで下がってしまうと、さすがにつむじがよく分からなくなってしまう。でも、その頃には、もう何も思考できなくなっているから関係ない……
目が覚めると、もう昼だった。
架乃は、よく寝ている。なんだかんだで、さすがの架乃も疲れてしまったみたいだ。
寝ている架乃の頬と鼻の頭を指先でつんつんとつついてみた。ちょっとだけ顔を顰めたけれど、架乃は目を覚まさない。夜の架乃と違って、なんだか可愛いものだから、ふふっと笑いが漏れてしまった。
ーーーーー
2月は寒いけれど、この街は年が明けても雪はほとんど降らない。
私の実家のある街と違って、雪は晴れた日に山からの風に乗って僅かに舞う程度だ。アライさんたち地元の人は、それを
2月15日、もう一日明けて、今日は架乃の誕生日だ。昨日の夜は、そんなにがっつかれなくて助かった、なんて思いながら換気しようと寝室の窓を開けると、今朝もよく晴れていて風花が舞っていた。
雪もこれくらいなら綺麗なだけなのにな、なんて思う。
さて、架乃の誕生パーティーの準備をしなくては。
パーティーというより、いわゆる宅飲みの宴会だ。
アライさんからは、場所を提供してくれれば何もしなくていいと言われているけれど、さすがに部屋を片付けたり支度したりしなくてはならない。
宴会場として選んだ場所は、この映画部屋兼寝室。ほぼソファーとテレビしかない。
「この部屋に、私の部屋の押し入れに入ってる座机を置来ますね」
「えー、いいよ、2階のわたしの部屋で」
「この部屋が一番物が少なくて広いし、キッチン近くていいじゃないですか」
「だって、ここ、寝室だよ、寝室。わたしたち、ここで寝てるんだよ、人が入るの何だか嫌だ」
「…架乃、それはもう意識しすぎでしょ」
うーっと唸り声を上げる架乃は、しつこいというか、なんというか。まだ、祝ってもらえる嬉しさと、人を家に呼ぶことへの抵抗感とで、頭の中が落ち着かないみたい。本当、この家への思い入れが強い。
それに、そうは言っていても、アライさんたちが来てしまえば、きっと楽しくなるに違いない。
そして、玄関の呼び鈴が鳴る。
「ミヤぁ、カヌキさん、来たよー」
アライさんの明るい声がした。
「始めようよ、都田架乃の喜寿のお祝いだよ!」
「誰が
玄関を開けながら、早速、架乃がアライさんに噛み付いた。
ははは、ほーら楽しくなりそうだ。
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