如月 カヌキさんとご一緒したい
2月
わたしのバースデイ・イブは、いわゆるバレンタインデーである。
要するに、わたしの誕生日は2月15日だ。
今年のバレンタインデーは明日の土曜日。わたしの誕生日は明後日の日曜日。
頑張る女子たちは、明日のデートや告白のために、今日はチョコレートを準備したり、自分磨きに精を出している
らしい。
「チョコレート欲しい?」
数日前、
「欲しいんですか?」
質問に質問で答えるのはやめて。
「次の日が誕生日なのに?」
さらに質問を重ねられた。連チャンで甘いものが食べたいの?と言いたいのね。
「…わたしの誕生日のことはいいから、深弥がバレンタインのチョコレート欲しいかを知りたいんだけど」
彼女はわたしの顔を見ているようで、見ていなくて、今、頭の中でチョコのことを考えている。
「
欲しいか、欲しくないか、YESかNOかで素直に答えていただけないだろうか。
「深弥がほしいのなら、いくらでも」
……
「じゃ、いりません」
深弥は可愛い顔をして、なかなかの捻くれ者である。そして強情っ張りなので、こうして「いらない」と言ったからには、もうわたしがチョコレートを用意したら、怒ってしまうだろう。
まあ、それも、わたしが深弥のためにお金を遣ったり苦労したりするのが申し訳ないと思っているところによるものなので、そう思うと、こういう生意気な反応も可愛いと思ってしまう。
「チョコの代わりにご奉仕いたしましょうか?」
……じわじわっと深弥の顔が赤くなった。
「深弥ちゃん、何を想像しているのかな?わたしは家事のことを言ってるんだけど」
わたしの余計な一言で深弥がへそを曲げたので、その日から今朝までのところ、わたしは自分の部屋で一人寂しく寝ることになった。
もう一緒に暮らしているというのに、彼女はまだ純情さをかなり残している。そこがいいんだけど、毎晩だって構わないなんて思っているわたしの性欲は、その純情さに打ち勝てず、しょっちゅうもやもやさせられている。
で、本日はまだバレンタイン前日だというのに、既にカフェはカップルのみなさんの甘ったるい雰囲気で一杯だった。日本中の恋する人たちが頑張ってる、このカフェはその一端だ。願わくば、みなさん、お幸せでありますように。あなたたちがこのカフェで代金という形で幸せを分けてくれれば、わたしとしては大変ありがたい。毎度あり。
「都田さん、チョコは用意したの?」
バイト先の先輩にきかれて、わたしは首を横に振る。
「じゃ、私からの本命チョコレートを受け取ってくれない?」
この先輩から、口説かれるのは日常茶飯事である。
「お気持ちはありがたく拒否して、チョコだけ拝領させていただきます」
「都田さんのけちー」
そう言って、泣き真似をしながら先輩はチョコをくれた。
「ごちそうさまです」
先輩、パッケージに義理チョコって書いてあるぞ、何が本命ですか。
家に帰ってくると、深弥も既にバイトから帰宅していた。
テーブルの上に、市販のチョコレートと手作りのチョコレートケーキ。
あら、わたしのために実は用意してくれてあったとか?
「かてきょーの教え子とそのお母様に、このチョコいただいて、こっちのケーキは、吉原が彼氏用に作ったケーキの余りです」
……違った。ちょっとがっかり。
まあ、人のことは言えず、わたしも用意はしていない。
が、チョコの類いはわたしももらっている。
「バイト先の先輩からの義理チョコと、アライからの友チョコ。あと、やっぱりニトウが彼氏向けに作ったチョコの余り。さらに、バイト先で余ったガトーショコラ」
バッグの中から、それらを取り出して並べる。
結果として、チョコを用意しなかったのに、こんなに集まってしまった。
今ある分だけでも、吹き出物が顔一杯にできそうだ。
なお、吉原さんは、深弥と同じ専攻のお友達かつわたしと同じ高校の同窓生。
アライとニトウはわたしと同じ学科のナカマ。もう一人、モリってのがいるが、あいつは明日、チョコと一緒に告白という名の特攻を掛ける予定らしい。頑張れモリ。去年もバレンタインデーに特攻して振られてたけど。
「少しずつ食べましょう。足の早いケーキだけは食べちゃった方がいいですかね」
「だね」
あと2~3時間で、今日の金曜日はバレンタインデーの土曜日になる。
「……深弥ぁ」
「はい」
返事をしながら、紅茶の入ったマグカップをわたしの前に置いてくれた。
「チョコはいらないけど」
「けど?」
「お願いがあるの」
「何ですか?」
「一緒に、お風呂に入らない?」
深弥は、にこっと微笑んだ。
「おやすみなさい。今夜も自分のお部屋でごゆっくり」
ノーとすら言ってもらえない!!
この家を見付けたときから、3ヶ月もわたしが温めてきたお願いなのに!
この家、風呂が大きいのだ。湯船に二人で浸かれるくらいに。だから、ここを借りたら一緒にお風呂に入ろうって決めていた。
でも、なかなか言い出すタイミングがなくて、なんとなく今、言ってみた
…ら途端に拒否された。
「もう、今さら裸なんて恥ずかしくなんかないでしょ。夏にはホテルの温泉に一緒に入ったじゃない」
深弥の動きが一瞬止まる。
「あれは……」
あのときは、まだ、そういう関係になったばかりだった。
「あの温泉、照明が間接照明みたいで、そんなに明るくなくて、広くて、…私、眼鏡を外してて、あんまり周りが見えてなかったから、まぁいいかって思ってたんです」
あのとき、深弥にしては落ち着いてるなあ、と思ったら、見えてなかったからなんだ。
「この家のお風呂くらいの広さだったら、全部丸見えじゃないですか。明るいし。やですよ」
「骨折してたときだって手伝いながら色々見えてたし。今さら、恥ずかしがるの?」
もう、あなたの体の表面は全部見たし、全部触ったよ。
「今さらどころか、今でも、私は恥ずかしくて仕方ないんです」
深弥は頬を赤くして、ちょっと口を尖らせて、視線を外す。
指先はもじもじとチョコレートをいじっている。チョコ溶けるから、それやめて。
「…ダメ?」
必殺の上目遣いに一瞬深弥はたじろぐ。
「じゃあ、一緒に映画を観てくれますか?」
「見ます、見ます、是非、見せてください」
わたしはテーブルの上に体を乗り出す。
「それ観て、架乃が泣かなかったら、一緒にお風呂に入ります」
……え……?
「本当は、明後日の誕生日に一緒に観たくて借りてきたんですけど」
クリスマスでも盆暮れ正月でも誕生日でも、わたしは、ホラー映画を一緒に見るしかないらしい。
しかも、最近の深弥は、わたしが泣いて怖がるような映画を一緒に観たがるようになっている。
「えっと、何かな、血まみれバレンタインとか、そういう映画?」
「ははは、確か『血のバレンタイン』っていう映画ありますね。観たことないけど、いくつかバレンタインのホラーはある筈ですよ。観たいですか?」
「遠慮しとく」
「いつでもお付き合いしますよ、バレンタインデーじゃなくてもいいんで」
映画についての誘いなら、いくらでも素直に応じてくれるのが、しゃくにさわる。
深弥は、嬉しそうにいそいそと、ブルーレイをデッキにセットして、ソファーを整える。
「この映画は、観たことないんで、架乃が泣いてくれるか分かんないんですけど、多分いけるかなって」
「いや、今日は泣かない。絶対泣かない!」
実話を元にした物語。敬虔なクリスチャンの女子大生が、悪魔払いの儀式の後に命を落とした。悪魔払いを行った神父が起訴され、悪魔払いの失敗で彼女は死んだのか、神父は有罪なのか、前代未聞の悪魔払いの裁判が始まろうとしていた。
大学入学後に悪魔に憑かれ、恐怖の中で狂っていく少女と悪魔払いの儀式までと、彼女が悪魔に憑かれて死亡したことを証明する裁判の進行が、交互に進んでいく……
女子大生の子が悪魔に取り憑かれていく場面や、緊迫した悪魔払いの状況に体が震える。
どうも、わたしは、この悪魔もの映画が苦手で怖い。
わたし自身は無宗教だし、身近にクリスチャンは誰もいない。なのに、なぜ、この絶対悪の存在というのが怖いのだろうか。
いつもどおり、深弥を背中から抱き抱えながら映画を見る。どきっとするシーンではぐっと彼女を抱く腕に力が入るので、怖がっているのが彼女に知られてしまう。
「怖くないの?」
いつもどおり、深弥に尋ねる。
「……んー?ちょっと物足りないくらいですかね」
これで???
そして、女子大生は死んでしまい、裁判が終わり、映画も終わる。
「ほら、泣いた」
深弥が首をひねって、後ろのわたしの顔を見て、にやっと笑った。
「え、だって、これ、ひどくない?なんで、神様は彼女を救ってあげないの?何、何これひどいじゃん」
悪魔に取り憑かれた女子大生は神と話したのに、なのに……そんなの解せない!!
「架乃は、ないがしろにされている登場人物に共感しちゃうんですね」
わたしの腕の中、深弥はからだも捻り、わたしの顔をティッシュで拭いている。
「深弥は気にならないの?」
「うーん、だって、ホラー映画の登場人物は不条理に襲われるものですから。それより、オカルトホラーなのか法廷サスペンスなのか、どっち着かずで結局あんまり怖くないのが残念とか、女優さんの演技が凄いとか、そういうのに目が行っちゃうんで、架乃みたいに映画に没入できないです」
「なにそれ、わたしの方が映画を楽しんでるみたいじゃない」
「ははは、うん、そうかも。こうして泣ける架乃が羨ましいって思っていますよ、本当に」
結局、賭けはわたしの負け。
「ちぇ、じゃ、わたし一人でお風呂に入ってくる」
「はい、どーぞ」
映画で悪魔に取り憑かれて死んだ女の子がかわいそうで、深弥に負けたのが悔しくて。
わたしは、シャワーを使わず、まず、洗面器に入れたお湯を頭からぶっかけた。
ぶるぶるっと頭を振って、髪をかきあげて、それからシャワーを使って、改めて髪を洗い始めた。
ちょっとイライラしてるせいか、少し雑になってしまう。
先月頭にいつもより暗めの茶色に染めたが、また、春が来たら、赤みのさした明るい色に染め直そう。
そんなことを考えながら、軽くタオルで水気を切ってから髪をまとめた。
そのとき
風呂場の扉が開いた。
「洗い場、空けて下さい」
タオルで胸から下を覆うようにして隠した深弥が立っていた。
!!!
飛び上がるように、わたしは立ち上がって、そのままへなへなと浴槽に腰を掛けた。
「先に湯船に入ってて下さい。寒いでしょ」
シャワーの温度を確かめながら、深弥が言う。
その目は洗面器を見ていて、わたしの方を向いてくれない。
わたしは浴槽に腰かけたままで、風呂椅子に座っている深弥の裸を横から見る形になった。
深弥の胸に目を奪われ、その感触を思い出して、ごくんと喉が鳴ってしまったが、シャワーの音で深弥には聞こえなかった、と思いたい。
「…そんなに見ないで」
わたしの目線に気付かれている。見ないでと言われても、…視線が固定されてしまってる。
流れ落ちるお湯
張り付いた髪
腕が動くと、連動するようにからだが少し揺れる。
深弥の裸は、何度も見たし、触れてきた。
なのに、このシチュエーションは、予想外にインパクト大。
「架乃、先に湯船に入って下さい」
「う、うん」
「で、そっち見て座って、前に詰めて」
え?
上面が長方形の浴槽の、蛇口と反対側の短辺側を向くように言われる。
深弥はわたしの背中側に座る気なの?
わたしのイメージは逆だ。湯船の中で、わたしが深弥を後ろから抱き締める予定だった。
まあ、たまには背中を預けるのも悪くないかな。
背中に胸が当たるのも好きだし。
壁を見て風呂の中で膝を抱えているわたしの後ろ側に、深弥が足を下ろした気配がする。
そして、深弥が湯船に腰を下ろしてからだを沈めると、さすがにお湯が溢れた。
ぺしゃ
という音がして、わたしの背中に何かが当てられる。ふたつ。
「深弥……」
「はい?」
「わたしの背中に当たってるの、それ」
この感触は…
「足の裏、だよね」
「はい、そうです」
…何が嬉しくて、前後で並んで座って、背中に足を置かれなければならないの?
この体勢では、見えるのは自分の膝。それを抱える腕だけ。
「架乃のバレンタインのリクエストにお応えして、一緒にお風呂に入ってますが、何か?」
「わたしのリクエストとはイメージがだいぶ違うんだけど…」
「一緒にお風呂に入りたいしか聞いてません」
「いや、ふつう、違うでしょ。これじゃ、深弥が見れないし、触れない!」
「私には、架乃の後頭部からおしりの上の方まで見えてますし、見えてるところには触れますよ」
そう言って、深弥は右足の指先でわたしの背中をすーっと撫でた。
息を吸い込むような声が出てしまう。
「ははは、悪戯はやめておきますね」
風呂場に滴が落ちる音がする。
ときどき、後ろから、ちゃぷんという水音や息遣いが聞こえて、背中に当たっている足の裏以外の深弥の気配を感じる。
わたしはバカみたいに膝を抱えているだけだ。
でも、何だろう。なんか楽しくなってきた。
だって、なんだかんだ言って、わたしのお願いを聞いてくれたということだ。
あんなに嫌がってたくせに。笑っちゃう。素直じゃない。
「深弥」
「はい?」
「好きよ」
ずるん、っと背中から足が落ちた。
「…先に出ます」
ばしゃんと音がして、深弥が風呂場から出ていってしまう。
真っ赤なのは、お風呂のお湯が熱かったからだけじゃないよね。
わたしもお風呂から上がって、深弥の後を追わなければならない。
もうバレンタインデーは始まっている。
わたしは、チョコレートより甘いものを食べるのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「エミリー・ローズ」(2005)
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