霜月2 カヌキさんだけなんだ(中編)

 わたしは、深弥みやを追って走り出した。


 夕闇の街。

 この辺りは住宅地だ。


 どっちに向かったんだろう?


 もし、秋葉なら、うちの大学生なら、住んでいるのは大学の近くだ。

 わたしは、大学に向かって走りだした。



 走りながら考えた。

 全然分からなかった。


 なんで、秋葉はこんなことを?


 ろくに付き合いもないわたしと、全然関係ない深弥に、何をしたいんだろう?


 わたしの真似をしたくて服を盗もうとする。

 わたしの隣にいる深弥が気に入らなくて、その大切なものを壊す。



 意味なんて、理由なんて、ないのかもしれない。


 ただ、そうしたくなっただけなのかもしれない。


 アライが言ってたっけ。

 自分でも何をしたいのか分からなくなってる



 偶然出会っただけの人が、突然、大きな意味を持つことはある。

 深弥が、わたしにとって、そうであったように。

 分からないし、分かりたくもないし、多分、納得できないだろうけれど、

 秋葉にとって、わたしは意味を持つ人間になってしまっている。


 ああ、分からない。



 見えた


 2車線の県道に出て、大学の方向に曲がったところで、先の方の歩道に、走る深弥とその前を大荷物を持って走る女の子が見えた。

 深弥がスカートの裾を掴むと、女の子はバランスを崩して、バッグを深弥に向かって振った。上半身を傾けて深弥はそれを避けた。女の子の方はバッグが重かったのか、体勢をちょっと崩す。深弥はそれを見逃さず、女の子の手首を掴んで引っ張った。バッグが地面に落ちて、ガシャンと金属音を立てたのが聞こえた。

 何か、重いものが入ってる。

 深弥がバッグを避けきれなかったら危なかった。


 何を言ったまでは分からないけれど、深弥が大声を出した。

 女の子がバッグを持っていない方の手を、深弥に振り上げたのが見えたが、その手の手首も深弥が掴んだので、両方の手首を深弥が押さえた形になって、揉み合いになった。

 

 早く、あそこに追い付きたいのに。

 スローモーションのように二人の動きが見える分、自分の足も重りが付いたように重い。


 また、深弥がけがをしたら?

 もう、あんな痛そうな顔を見るのはゴメンだ。


 あと少し


 ズシャっという地面を滑る音がして二人とも転んだ。


「深弥っ!!」


 深弥だけが上半身を起こして、ちらっとこっちを見たが、また、女の子の方に目を戻した。深弥の左腕が女の子の右腕を後ろに捻り上げるのが見えた。女の子の顔が痛みで歪む。

 深弥が何か大きな声を出した。


 滅多に見れないキレている深弥だ。


 追い付いた。


「なんで、なんで、あんなことを!?」

 深弥が大声で追求するが、その答はない。


 やっぱり、この子が秋葉雪世だったのか。


 わたしのバイトしているカフェによく来る半ば常連のお客様。

 注文のときと配膳のとき、少しだけ言葉を交わしただけで、会話らしい会話をしたこともない。

 わたしとよく似た髪型と髪の色。

 今着ているジャケットとスカートは似たようなのをわたしも持っている。…靴もか。

 そして、ピアス。

 左手小指の指輪。


 全て、わたしを真似たものをまとっている。


 でも、顔は似てない。わたしみたいな老け顔じゃなくて、普通に可愛い。わたしの真似なんかしなくたっていいのに。


 そばにかなり大きなトートバッグがあって、溢れるくらい、わたしの服が詰め込まれているのが見えた。でも、多分、服の下には工具みたいのが入っている。さっき、音がしたし、服の隙間に何か金属が見える。

 転んだまま、愕然とした表情。うつろな目。落ちた髪が顔にまとわりついたままだ。


 深弥は息を切らしながら、転んでいる秋葉の袖を左手で握り閉めながら、その顔を見詰めていた。

 ああ、深弥の右手は握力がまだそんなに戻ってないから、左手を使うことが前より増えてるんだった。なんて、関係ないことをわたしはふと思った。

 深弥がわたしを振り返って苦笑いする。

「…は、はは。むかし、子供の頃、兄貴と…取っ組み合いのけんかをしてたのが、初めて役に立ちま…」

 そこまで言うと、急に深弥の手足が震え出し、膝を着いた。


 そこで、おなかの中に熱いものが、たぎるように持ち上がった。


 これは、怒りだ。

 自分だけならまだしも、深弥の部屋まで荒らしていたのが許せなかったのだ。



「あんたは……!!」

 わたしは、秋葉と思われる女の子を怒鳴り付けようとした。

 拳に力が入った。

 初めて人を殴りたい、って思った。


架乃かの


 深弥がわたしの方を見た。


「この人、秋葉さんですよね?名前…」


「名前?、秋葉でしょ?!」

 わたしはそう言いながら、座りこんでいる秋葉に目線を合わすようにしゃがんだ。


「…ちが……」


 小さな声の反応が返ってきた。


「わたし…みやこだ、かの」


 !?


 そして、わたしの名をかたった秋葉は、わたしの隣にしゃがんでいる深弥を見た。


「あなたはだれ?なんで、いつも『わたし』といっしょなの?」


 わたしの体の中の怒りが、急速にしぼんで疑問に変わる。


 ……


「おかしいよ。なんで、あなたばっかり『わたし』のそばにいるの?」


 秋葉の一人称がおかしい。

 秋葉の言う『わたし』は、わたし、都田架乃みたいだ。あなた、と呼ばれているのは深弥だろう。



「まえも『わたし』のちかくにいた」


「あめのひ、かいだんからおとした。そしたら、あなたはきえるとおもったのに」


深弥がピクッとして、右腕の肘部分に左手で触れた。

「…私を引っ張って階段から落としたの、あなただったんですか?」


 深弥の質問に、秋葉は答えなかったが、視線が少し揺れた。


 数ヵ月前、深弥は、階段から落ちて腕を骨折した。

 あのとき、深弥は「なんで、階段から落ちたのか、よく分かんない…。リュック引っ張られたみたいな感じがして」と言っていた。

 今更だけど、わたしは、あの日アパートに帰る途中で、わたしによく似た服装の女の人とすれ違っていたことも思い出した。

 あれは、秋葉だったのだろうか。


 

 深弥が腕を折ったときを思い出して、ゆらっと、また怒りがこみ上げたが、

 でも、秋葉は、危うい。危うすぎる。


 秋葉を捕まえて、ひっぱたいてから警察に突き出してやろうと思っていた。

 だけど



 わたしは、立ち上がって二人から少し離れた。

 ポケットからスマホを取り出して、連絡先を開く。ブロックはしたけれど消去はしていなかった番号に電話を掛けた。

「ああ、佐久間?昼間はごめん。うん、言い方が悪かった。……それは、いいんだけど、秋葉さんの親御さんと連絡付く?うん、トラブってる。…そう、秋葉さんがかなり、まずい状況、うん、精神的に。それで……」

 精神的に、のところを強調した。深刻さは伝わったみたいだった。


 秋葉の幼なじみである佐久間に連絡を取って、警察より先に、秋葉の親に来てもらおうと思った。

 秋葉は明らかに錯乱している。自分が自分であると分からないくらい。


 秋葉は、わたしを自分だと思い込もうとしている。



 とりあえず、秋葉を引きずるようにしてアパートまで戻ってきた。

 でも、わたしの部屋にも深弥の部屋にも戻れない。

 3人で、1階のクリーニング店の駐車場に座り込む。

 11月、そろそろ夜は寒いから、自分の部屋から毛布をもってきて秋葉に掛けた。

 わたしと深弥は、上着を持ってきて着込んだ。

 秋葉の親が駆け付けてくれるらしいが、秋葉とわたしは同郷だから分かるけど、高速道路を使っても1時間は掛かる。



 待っている間に、ちょっとずつ秋葉から話を聞いた。


 幼なじみの佐久間が好きで、高校時代に佐久間と付き合い始めたわたしのストーカーになった。

 それが、なぜか、自分とわたしを同一視するようになっていったらしい。

 佐久間を介してわたしとつながっていると感じていたようだ。

 でも、わたしと佐久間と別れてしまって、わたしとのつながりが消えて戸惑い、わたしを追うことでつながりを維持しようとした。

 そして、佐久間と交際している都田架乃である自分と、都田架乃の親友である自分が生まれる。

 しかし、高校のときから近寄り難かった私には、何かが怖くて、現実では一切私と関わることができない。

 その矛盾した状況を、うまく自分に落とし込めなかった、というところのようだ。


 時間が経てば、矛盾は大きくなって、妄想になる。


 例えば、駅前のカフェでは、わたしは「ノノカ」という都田架乃によく似た店員なので、話し掛けることができる。そのときは、自分が都田架乃になっていたようだ。


 秋葉の頭の中の『わたし』は、佐久間と寄りを戻したいと、秋葉に泣いて訴えた。

 しかし、現実のわたしは、佐久間をこっぴどく遠ざけた。

 おそらく、秋葉は佐久間に叱られただろう。


 現実と妄想の間で、秋葉は、もっと『わたし』になろうとして、アパートに侵入した。

 わたしの部屋の鍵をこじ開けて、服を漁った。それから、多分わたしと深弥の関係に気付いていたので、わたしの部屋のベランダから、仕切り版を壊して深弥の部屋にも侵入し、怒りに任せて、テレビとソファーベッドを破壊した。ちょうどそこへ、わたしと深弥が帰ってきたので、一旦、深弥の家のベランダに隠れ、わたしたちが深弥の部屋に入ったところで、わたしの部屋にベランダから戻って、ドアから逃げ出した。

 しかし、深弥に追い付かれてしまって、今ここ。


 そんなことでここまでする?

 人の心は簡単に壊れてしまうことがあるとはいえ。

 そういうものなのか。



 深弥がコンビニで小さいペットボトルの暖かい紅茶を3人分買ってきてくれた。


「はい、秋葉さん」


 深弥はペットボトルの蓋を緩めてから秋葉の手に紅茶を持たせた。


「深弥、優しいね。怒ってるでしょうに」


 わたしも紅茶を受け取りながら言う。わたしの分は蓋を緩めてくれないけどさ。

 部屋を荒らした秋葉に紅茶を買ってきてあげているし、まだ警察に連絡しないでくれている。



「ははは、凄く激怒してますよ。特に、私の大事なテレビについては…」

 深弥が苦笑いする。


「でも、架乃から目を離せなくなるのは分かるから、なんだか、秋葉さん本人には怒れなくなっちゃった」

「そうなの?」

「そうですよ。…きれいで、色っぽくて、凛としてて…」

「褒めすぎ」

「そうかも。だけど、かなり変な人。…あと、えっちですね」

「おーい」

 エロいとか、いやらしいとかより、言葉的にマシか、そうでもないか。

「えっちなのは置いといて、その変なところが、いいんですよ、架乃は」

 …えーと、照れる、ところ?




「わたしがいちばん、みやこだかののことしってる。ずっとみてた」


 ふいに秋葉が口を挟んだ。たどたどしい口調で。

 今は、自分が『わたし』じゃないことに気付いているらしい。

 でも、わたしより『わたし』のことを知ってると言いそうな雰囲気だ。


「そうなんだね。秋葉さんは誰より、ミヤコダさんを見ていたんだね」

 深弥は、秋葉に話を合わせている。

「そうよ、ずっとみてた」

「ミヤコダさんになりたくなるくらい、見てたんだね」

「あなたより、ずっとずっと、みてた」


 ぼたぼたっと秋葉の目から涙が落ちた。


「あなたは、ずるい。どうして、みやこだかのといっしょにいるの?あとからきたのにずるい。がくぶもちがうのにずるい」


 深弥は秋葉の言葉を否定しなかった。

 何度も何度も、ずるいずるいと責められて、それでも、秋葉の言葉を受け止めていた。


「ゆびわ、ずるい」


「それは、ほんもののゆびわ」


「『わたし』とキスしてた。ずるい」


 え、見てたんですか、と深弥がちょっと顔を赤くした。

 どうやら、秋葉は、ファミレスに行く前のわたしと深弥を見ていたらしい。

 わたしがネックレスから指輪を外して、深弥の小指に嵌め直したところ。

 額をくっつけて、深弥の足袋に気付いて笑い合っているところ。


 手を繋いで歩き出そうとするときに、わたしが深弥にキスをしたところ。



 そうした行動や風景が暴走のきっかけになったのかもしれない。


「ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい……」

 秋葉は泣きじゃくった。

 深弥がその肩に手を掛けて、それから秋葉の背中を何度も何度も撫でていた。

 わたしも、ああやって深弥に慰めてもらったことがあったことを思い出した。




 そうこうしているうちに、秋葉の両親が佐久間と一緒に駆け付けてきた。


 アパートの中を見せて、状況を伝える。佐久間が秋葉の話がおかしかったことを付け加えた。秋葉も自分がやったと両親に告げた。

 何度も何度もわたしたちに頭を下げる秋葉の両親。

 きまりの悪い雰囲気だったけれど、秋葉の両親が、秋葉を責めないでくれたのはありがたかった。

 秋葉は、もう何も言わず、ただ、そこに立っている。佐久間がそんな秋葉の肩を抱いた。



 状況が状況だけに、警察を呼ばないわけにはいかず、自首する形で秋葉の両親が警察と連絡を取った。

 わたしも深弥も被害届を出さなかった。

 大家さんや管理会社は、被害届を出すかもしれないけれど、できれば穏便にしてほしい、そう思うしかなかった。




 秋葉、見ているだけじゃ友達にすらなれないよ。


 わたしはその言葉を表に出さない。

 高校時代から、ずっとわたしを見ていてたのに、わたしのことを何一つ知らない秋葉。

 秋葉なりに、わたしに近付きたかったのだろうけど、秋葉は、その方法を持っていなかった。

 それで自分で自分を追い詰めて、こんなことまでしでかした。


 秋葉は、こんなにわたしのことを見ていたのに、わたしは秋葉のことに全く気付かなかった。高校時代に、わたしに声を掛けてくれれば友達にはなれたかもしれないのに。

 声を掛けてくれれば?


 ……違う。

 

 わたしが気付いていれば、だ。


「深弥、わたし、秋葉に気付けなかった。高校のときから、わたしのことをあんなに見てくれていたのに」

深弥がわたしの手を握る。

「気付いていたって、どうにかなったかは分かりませんよ」

「そうだね。でも、もっと早く気付きたかった。それに、少なくとも最近だったら、なんでわたしの真似するのって、声を掛けてあげることはできたよ」


 秋葉が自動車に乗せられる。最寄りの警察署に連れて行かれる。


「…何かはできたんだよ」


 泣かないで、って言いながら深弥はわたしに腕を絡めて体を寄せてきた。

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