霜月2 カヌキさんだけなんだ(後編)

 結局、2日目の大学祭を見て回ることも、「ケミカルチキン」を手伝うこともできなかった。

 秋葉のしでかしたことの結果、それどころではなくなってしまったのだ。



 秋葉は、警察に連れていかれたけれど、精神的に不安定なこともあって、取り調べを受けただけで逮捕されるまでにはならなかった。


 わたしたちの方は、昨日の夜から警察やら管理会社やらとあれこれ話をしなくてはいけなかったし、今日は早朝から部屋を片付けなければならなかった。

 わたしの部屋も深弥みやの部屋も修理しなければならず、その修理自体は大して時間は掛からないとのことだったが、問題は、大家さんが怒ってしまったことだ。わたしたちは悪くはなくても、同じ大学の大学生同士のトラブルだから、という理由で、わたしたちはアパートを退去することになってしまった。

 ヤバいと思ったが、秋葉の親たちは、被害届を出さないというわたしたちに感謝してくれて、単なる弁償だけでなく、あれこれと金銭的な補償をしてもらえることになった。事件が起きても、被害者がきちんと弁償してもらえずに泣き寝入りになることは多いと聞く。秋葉の親が誠実で良かったと思う。

 秋葉は、療養のために大学を当面休学するので、留年はほぼ確実になったが、それぐらいで済むのなら十分だということだった。


 今日は、早朝から緊急の引っ越し準備となった。使えなくなったものを廃棄して、家電やすぐ使わない荷物はとりあえず貸倉庫に保存して、次の家に引っ越すまで、最低限の荷物だけ持って、とりあえず昨日の夜から駅裏のビジネスホテルに泊まることになっていた。わたしと深弥は、まず、わたしの部屋、それから深弥の部屋という順で二人で片付け作業をしたので、多分、それぞれが一人でやるよりは早かったとは思う。アパートに住んで1年半。荷物は少ないような多いような。半日でまとまるくらいだから少ないのかな。

 引っ越しに掛かる費用やホテル代、全て、秋葉の親が出してくれることになっているのは、かなりありがたかった。

 あと、深弥は、事情を親に電話で説明したところ、またお母さんから厳しく怒られてしまったらしく、ちょっといじけながら作業していたのが、それはそれで可愛らしかった。


 いきなりの引っ越し準備やら何やらで、ようやく慌ただしくて忙しい一日が暮れ、わたしと深弥は、夕食の後にホテルに戻ってきた。

 疲れた。昨日だって、寝れたのは深夜過ぎだったし。

 明日が大学祭の代休なのは大助かりだ。


 とりあえず泊まっているのは、普通のビジネスホテルのツインルームだ。

 引っ越すまでは、ここから大学にバスか自転車で通うことになる。


 ユニットバスから出ると、先に入浴を済ませて、片方のベッドうつ伏せでスマホをいじっている深弥の横に寝転ぶ。


「何調べてるの?」

「秘密です」

 深弥は手を伸ばしてスマホを枕元に伏せて置く。



「深弥」

「はい?」


 深弥は返事をしながら、わたしの方を見て、体勢を横向きに変える。

 わたしは、1回だけ深呼吸する。




「一緒に暮らしてくれる?」



 一拍置いてから、深弥はしっかりと頷いてくれた。

 今度はダメとは言われなかったことにほっとして、顔がにやけた。


「明日は、アパート探しですね。ははは、こんなに早く引っ越しすることになって、その費用がこんな形で浮くなんて思いもしませんでした。」


「実は、もう、いくつか見繕ってあるけど、イチオシがあるんだ」


「え?」


「3DK。家賃はそんなに高くなくて、大きな音が出せるところ。だいぶ古いけど、今のアパートよりは大学には少し近いかな」


 最初に、深弥に断られたときから、それでも、わたしは部屋を探し始めた。

 深弥の気が変わったら、引っ越しができるように準備だけはしておこうと考えていたから。


「よく、そんな物件見付けましたね」

「頑張りましたから」

 わたしは胸を張ってみせる。


「だけど、架乃かの。無理に私と暮らすために、諦めたり適当にしたりしないで。ちゃんと自分の将来は考えて下さい」


「うん、分かってる。まだ、全然何も決まってはいないけど、もし、深弥が大学院に行って、わたしが一緒に暮らせないところに就職しても、週末は帰ってきて、家賃も持てばいいってところまでは考えた」


「ははは、それはちょっと気が早いですね」


「ちゃんと考えないと、深弥が怒るんだもん」

 わたしは、深弥の頬を手の甲で撫でた。




「…でも、一緒に貯金をしてくれませんか」

 その手を取って、自分の頬に当てて、深弥は言った。


 もしも、一緒に暮らせなくなったときのために、ってことだよね。


 嬉しかったのに、あっという間に悲しくなった。

 やっぱり深弥はわたしと別れることを想定している。


「そんな顔しないで」


 深弥がくすっと笑った。

「視点を変えるだけです」

「貯金の?」



「その貯金は、別れたときの引っ越しに使うかもしれないけど、それよりも、ずっと一緒に暮らせるための貯金にしたいんです」


 え?




 深弥が体を起こしたので、私も起きる。

 ベッドの上に向かい合って座っている形だ。


 深弥が少し顔を傾けて、わたしの顔を覗くように見る。



「二人で頑張って、頑張って頑張って、頑張って、架乃と私がずっと一緒に暮らしていけるようになったら」



 深弥は左手でわたしの左手を取った。

 小指には揃いの指輪が嵌まっている。



「そのときには、その貯金で薬指の指輪を買うんです」


 深弥は右手の人差し指と親指でわたしの左手の薬指を摘まんで、指輪を嵌める仕草をする。

「そこまで頑張れたら、もう薬指の指輪でお互いを縛っても大丈夫ですよね」





 ……そんなのプロポーズじゃん


 もう、わたしには深弥しかないじゃん




 わたしの喉がくっと鳴った。

 視界がじわっとぼやけ始める。




「また泣いちゃうの?」

 深弥はわたしをからかうように微笑む。

 やめてよ、そのドヤ顔。



 ぎゅっと抱き締めて、その生意気な口をキスで塞ぐ。


 深弥は、一瞬たじろいで、また歯を食いしばったけれど、すぐに、わたしの舌を受け入れて絡め返す。

 わたしは、そのまま深弥を押し倒し、着ているホテルの寝間着だか部屋着だかに手を突っ込む。深弥は下着をつけていなかったので、すぐにやわらかな感触に手が届く。




「だ、ダメ」


 無視しようとしたが、深弥が足掻く。これまでにないくらいの足掻きっぷりだった。


「ダメだってば!」

「ダメじゃない、もう、止まんない」


「やだっ、映画観るんです!」


 ええええええええ?


「このホテル、衛星放送のMOMOMが入ってて、もうすぐ観たい映画が始まるんです!」

 この後に及んで、この映画バカは。


 わたしは自分の手を深弥の寝間着から出した。わたしは四つん這いになって深弥を組みしいていて、深弥はそんなわたしを下からじっと見上げている。映画を見るんだ、という決意を湛えた目だ。

 この目に勝てるわけがない。



「もおお、深弥は、わたしと映画とどっちが大事なの?!」


 どうせ映画って言うんだろうけど。



「架乃に決まってるじゃないですか」


 ……!



 わたしが怯んだ隙に、深弥はわたしの下からするりと抜け出して、隣のベッドに乗ると、テレビのリモコンを握った。


 やられた。逃げられた。



「嘘じゃないですよー。架乃は大切な人です。でも、今は映画が観たいんですー」


 リモコンを操作する深弥の顔がへらへらしていて憎たらしい。

 さっきまでの貯金だの指輪だのの、あのいい雰囲気はどこに行ったの?返して、あのときの深弥を!


「…映画終わるまで我慢する」

 わたしは不承不承、起き上がり、深弥がいる方のベッドに移動して、深弥を背中から抱え込んで座った。




 その街では、凶悪な連続殺人鬼がある殺人現場で魔法の短剣を手に入れた。一方、友達が2人しかいなくて、好きな人には振り向いてもらえなくて、家族仲もギクシャクしていて、行きたい大学にも進学できないかもしれないという、イケてない女子高生がいる。彼女の前に殺人鬼が現れ、女子高生は殺人鬼に殺されかけ、その短剣に肩を刺されてしまうが、九死に一生を得た。

 翌朝、女子高生と殺人の心と体が入れ替わっていた。

 殺人鬼は女子高生の姿で登校し、イケてない女子高生から別人のようにクールになっており、また、殺人鬼の姿で高校に侵入した女子高生は、周りから怯えられ追い掛けられる。

 学校も街も大騒ぎになっていく…


 深弥のおかげで、世の中にはホラーコメディーという笑えるジャンルのホラー映画が存在することを知った。

 もちろん、ホラーだし、これはR15まで付いてるので、うわっと脅かされるし、過剰なまでに血だらけで残酷だったりするのだけど、それなのに笑えてしまうのだ。


 殊に、ちょっと抜けてる女の子に中身が入れ替わってしまった、という役を演じきるおっさんの俳優に笑いが止まらなかった。

 英語がちゃんと聞き取れるわけではないのだけど、女の子しゃべりしているのが分かる。

 女の子っぽい仕草の方は若干無理を感じたけれど、十分かわいい。

 最近、深弥に乗せられてホラー映画を楽しんでいるわたしがいる。

 高校まで映画なんてさして興味なかったのに、すっかり影響されたというか、染められたというか。


 映画が終わって、これから放映する映画のCMが始まると、深弥がうっとりした顔でそれを見ている。

 あれこれ見たいんだろうな。

 そのためにも、ちゃんとテレビを弁償してもらわないとね。

 などと思いつつ、わたしは、ベッドサイドのランプを残して部屋の灯りを消す。


 それから、深弥の持っていたリモコンを取り上げて、テレビを消す。

「ああああ」

 深弥が不満めいた声をあげたが無視。映画は面白かったけれど、それはそれ。


 わたしは深弥の眼鏡をベッドサイドに置いて、もう一度、深弥をベッドに押し倒す。


「架乃、がっつきすぎ」

「うるさいなあ。今からわたしのターン」

 もう1度、深く口付ける。


 が、やっぱり、深弥は逆らってくる、いや、違う。


 キスをしながら、体勢を入れ換えて、深弥がわたしの上になった。

 紅潮した顔の深弥に見下ろされている。


「今の映画と一緒。入れ換わりです」


 え?


 深弥はそう言うと、おずおずと、でも確実に、わたしの寝間着を脱がしていく。触れる指がいつもより冷たくて、僅かに震えていて、緊張が伝わってきた。


 え?え?


「……架乃が住むところを探してる間、私は私で勉強してたんです」


 深弥のやわらかな唇がわたしの鎖骨を辿り、止まっては吸い付き、動いては止まる。

 くすぐったい。むずむずする。


「なにを?なにをべん、きょう、したの?」


「勉強内容ですか?今、わたしのスマホの検索履歴を見たら分かりますけど、どん引きしますよ」


 ええええ?


「…リケジョは研究熱心なんです」


 少し戸惑いながらも、真剣な表情だった。

 勉強したなんて言うけれど、明らかに慣れてなくて、ぎこちない。

 もどかしくて、じれったくて。

 そのくせ、敏感なところに触れてきて、わたしの反応に合わせて、どこがいいのか、どうすればいいのか、どんどん確実に探り当ててくる。

 深弥の指がわたしの胸から脇腹の上の方をするすると撫でたときには、その感触に、全身がぞくぞくっとして、たまらなくなって、声が漏れた。


「架乃、ここ、ここの肋骨と肋骨の間が弱いって、自覚してましたか?」


 そんなの、知らない!

 答える代わりに変な声が出てしまい、首を振る。

 

「架乃の、そういう声、聴きたかった。ははは、思ってたより可愛い」

 深弥に可愛い、って言われるなんて…、なんか悔しい。

 

 わたしの声の間に、架乃、可愛いという深弥の呟きが挟まる。

 何度も、何度も。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「ザ・スイッチ」(2020)

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