霜月2 カヌキさんだけなんだ(前編)
霜月
「私、
突然言われて、一瞬、理解が追い付かなかった。
何が、この強情っ張りの気持ちを変えたんだろうか。
びっくりして足が止まってしまい、そんなわたしを振り返った
くっと、わたしの喉が鳴る。
やばい、泣きそう。
でも、嬉しくて笑わずにはいられなかった。
「おなか空きました。ご飯、食べに行きませんか?」
深弥が繋いだ手を軽く引っ張る。
その小指には、さっきわたしが嵌めた指輪が光っていた。
帰ったら、ぎゅーぎゅーにしてやろう。
そんなことを思いながら、わたしは止まっていた足を前に踏み出す。
そのまま深弥に近付いて、追い抜き様に軽く唇を重ねて、また、いつものように少しだけ自分が先に立って歩き出した。人に見られたらどうするんですか、という深弥の抗議は聞き流した。もう、見られたっていいや、ってそんな気分だった。
ファミレスに寄って、今日あったことを話し、明日の予定を立てながら、ゆっくり夕飯を食べた。
それから、深弥と手を繋いで帰ってきたわたしを愕然とさせたのは、荒らされたわたしの部屋だった。
クリーニング屋の裏にある階段を2階に上がって、手前がわたし、その奥隣が深弥の部屋だ。
いつもどおり階段のいちばん上の段から直角に曲がる。
曲がったところで足が止まった。
ドアが開いたままになっている。
わたしには、しっかりと鍵を掛けたという記憶がある。
そもそも普通開けっぱなしになんてしない。
「…架乃、ダメ!誰かいるかも」
思わずドアを開けようと手を伸ばして駆け出そうとしたわたしを、深弥がぎゅっと手を握って止めた。
確かに。
ホラー映画を見慣れている人は違うな、なんて思いながら、そろーり、ゆっくりとドアに近付いた。
特に物音はなく、人の気配もない。もちろん灯りも点いていない。
自然と口呼吸になり、少しだけ息が上がる。
怖かった。
足を伸ばして、爪先でドアをもう少し開けてみた。
特に反応はない。
深弥と顔を見合わせて、入り口をこっそり覗き込む。
シンっと静まり返っている。
ピッキングか何か、よく分からないけれど、ドアノブの鍵の部分が傷だらけになっている。とにかく何らかの手段でドアの鍵をこじ開けられて侵入されたらしい。
手を伸ばして、玄関と台所の灯りを点けた。
ぱっと見、いつもどおりのわたしの部屋の台所に見えた。
また、灯りを点けても反応はなく、誰もいないようだ。
しかし、台所の隣、1DKのもう一部屋、ふすまを隔てた向こうの居間兼寝室はひどいことになっていた。
タンスや押し入れから服という服が引っ張り出されていたのだ。
狭い部屋中に散らばった服
服
服
わたしの服
「架乃!」
深弥の声に我に返って、まず先に、手持ちの現金や保険証とかをしまってあった引き出しを開けて、中身を確認する。
お金関係はほぼ無事だった。
散らばった服を見て、気に入ってよく着ている普段着ばかりが何着もなくなっているのに気付いた。
一方で、下着類はほとんど手付かずで大丈夫なようだった。
他になくなっていたのは、アクセサリーとコスメ。
金銭的に価値があるものより、わたしが気に入っていたものや普段よく使っているものばかりがなくなっていた。
っていうことは…
「架乃、これって。…秋葉さんの仕業だと思いませんか…」
わたしも深弥と同じことを考えていた。
わたしの服装を真似て、バイト先や大学でちょっと遠くで付きまとっていた秋葉。
多少は気味が悪くても、さして迷惑でもなかったので、「真似っ子ストーカー」なんて、あだ名を付けて友達たちと笑っていたのだけれど、今日、秋葉が、わたしの元彼の佐久間の幼なじみで、なぜか私と元彼を元サヤに戻そうと画策していたのが分かって、ただ真似をしているだけではないことが分かった。
多分だけど、多分、わたしの悪い噂にも関わっている気がした。
そして、とにかく、これだ。
「…警察、呼びますか?」
深弥が心配そうな声を出す。
どうしようか。
ドアが壊されてるとなると、管理の不動産には言わなきゃならない。これは庇いようがない。
警察沙汰とかの大ごとになるんじゃないのか。
そのとき、深弥の部屋の方から、がしゃん、って音がしたような気がした。
「ちょっと待って。先に、深弥の部屋も確認しよう」
そう言うと、深弥がびくんっとした。
深弥の部屋の玄関ドアは閉まっているように見えたけれど、もし、犯人が秋葉だったら、深弥の部屋にも入っていておかしくない。
わたしの部屋を出て、二人で静かに隣の深弥の部屋の前に移動する。
深弥がドアノブを静かに回す。安心したように深弥は言う。
「鍵、掛かったままです」
てことは、深弥の部屋には入っていないのか。
深弥が静かに鍵を開ける。
カチンという音がやけに大きく聞こえてドキッとした。
ドアの外の廊下からは部屋の中の気配は分からない。
深弥がゆっくりとドアを開いた。
台所は灯りが点いていないけれど、大型テレビとソファベッドしかない部屋の方からは薄明かりが見えた。
電灯の明るさではない。外からの外灯や街灯りによるものだろう。
でも、深弥はいつも出掛けるときには遮光カーテンを閉めて出ていくから外から灯りが入る可能性は低い。
今、犯人がいるかいないかは分からないけど、侵入されたことは確かだ。
一回、ドアを閉める。
「とりあえず、人の気配はしませんでしたけど…」
「でも、入ったら危ないかも」
「多分、秋葉さんですよね」
そう言って、深弥は自分の部屋のドアをガンガンっと強めにノックした。
「入りますよ!」
深弥は大きな声を出した。
やっぱりわたしより深弥の方が度胸がある。
ちっちゃいのに。
深弥は、ばんっとドアを開けて、灯りを点けた。
ドアを開けるとすぐに台所だ。
もう片方の部屋には大型テレビとソファベッドしかない分、台所は、ご飯を食べるところでもあるし、深弥が勉強するところでもあって物が多く、やや手狭になっている。
そして、そこも、わたしの部屋ほどではないにしろ、散乱していた。
深弥が大切にしているDVDやブルーレイの類いが床に散らばっていたのだ。
割れているものもあった。
盗む、というより八つ当たりで散らばされたという感じがした。
入り口のたたきに立っている深弥の顔がみるみる曇った。
深弥は、1枚1枚のディスクケースに、タイトルだけでなく、スタッフやキャストとかの名前をしっかり書いてきれいに並べていた。わたしには分かんないけど、深弥なりに分類してあったようだった。それが床でぐちゃぐちゃになっている。
深弥が靴を脱いで台所に上がった。
わたしは深弥の肘を取った。
「気を付けて」
「……はい」
深弥は大きく域を吸って吐いた。
「ここは私の家です!入ります!!」
大きな声に驚いた。
わざと大きな声を出して中の反応を試しているのは分かる。
でも、それだけではない。
深弥は、怒っている。
大型テレビとソファベッドしかない部屋はしん、っとしたままだ。
薄明かりと一緒に、外の音が聞こえていたので、窓が空いていることが察せられた。
深弥はゆっくりと、でも、わざと足音を立てながら、テレビのある方の部屋に向かった。
わたしも並んで歩みを合わせた。
窓からの灯りで、部屋の中が見えた。
かくん、っと深弥が膝を着いた。
今朝、「ケミカルチキン」の開店準備で早く出るのを忘れて、二人して寝坊した。朝はバタバタしてベッドをソファーに戻すのを諦めて、慌てて深弥の家を出たから、ベッドには二人分の寝具が並んだままだった筈だ。
部屋の大きさには相応しくない大型テレビがあって、その前には二人が寝散らかしたベッドがあって。
二人一緒にテレビの前で寝ていたことが、手に取るように分かっただろう。
そのソファーベッドは、わたしと深弥が出会ったその日に一緒に寝たベッドだ。
それから、何度も何度も、わたしは深弥の部屋に泊まった。
何本も怖い映画を、そのソファーに並んで座って見た。
この夏と先週の週末には、その上でわたしは深弥を抱いた。
でも、もう、そんなことはできなくなった。
二つの枕とソファーベッドのマットレス部分が、ハサミでざくざくと切り裂かれていた。
ハサミはソファーの背もたれ部分に刺さっている。
そして足元の方には、やっぱり深弥が大切にしている、大型テレビが倒れていた。
辺りに散らばってるガラスの破片みたいのは、テレビのディスプレイの破片に違いない。
「……ははは、私、ずいぶん恨まれてますね」
しゃがみこんでいる深弥は私のスカートの裾を掴んだ。
「信じられない」
掴んだその手から力が抜けて、床に落ちた。
!!
隣のわたしの部屋からガシャンという音がして、わたしも深弥もばっと顔を上げた。
それからわたしの部屋のドアが開いて、閉まる音に、たたたたっと階段を走り降りていく音が続いた。
深弥は、ばっと立ち上がると、スニーカーを履いてドアから飛び出していった。
「深弥!!」
わたしの履いていたのはヒールだったから、裸足で廊下に出た。もう、深弥は階段から降りて走り出していた。とてもじゃないけど追い付けない。
わたしは一旦、自分の部屋に戻って、ふだんほどんど履かないスニーカーを履くと、深弥を追って走り出した。
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