神無月 カヌキさんは断った(前編)

神無月



 9月の下旬から10月の上旬にかけて、前期試験があった。

 2年に進級して、高校の延長のような教養科目が減ったのはありがたい。

 

 テスト期間中、わたしと深弥みやはほとんど会ってなかった。

 深弥は真面目そうに見えて、必要以外の勉強には興味も意欲もないと言って憚りなく、試験前に一夜漬けをして何とかしてしまおうとするタイプだった。専門科目はまだしも、興味のない必修の教養の成績はぎり単位を落とさない程度だという。ところが、その一夜漬けをするために、わたしには会いたくない、と言われてしまった。


「一緒にいてもいなくても、架乃かののことに思考が持ってかれがちで、勉強しにくくなりました。困ってます」

 と真面目な顔で言われてしまい、わたしも余り人のことを言える状況ではないので、とりあえず、試験期間中は会わないということになった。というか、まぁ、わたしが深弥の部屋に行かないだけでことは足りる。

 わたしのことで頭が一杯と言われたようなものだからいいか。

 最後の試験が終わって、その後のバイトも終わらせたら、深弥に会える。



 よっし!


 試験の出来が良かったどうかは知らないが、もしかしたら悪いかもしれないが、とにかく最後の試験が終わった、ということでガッツポーズ。

 打ち上げってほどではないけど、アライとモリとニトウといういつものメンバーでカフェテリアに向かう。

 ふだんは安い学食で昼御飯を済ますわたしたちだけど、今日はちょっとだけ贅沢する。

 カフェテリアと言っても、ちょっとランク上の学食だけどね。


 髪をうしろで軽くしばって、スープパスタを食べる。

「ねえ、ミヤ」

 のんびりとニトウがわたしを見て言う。

「ミヤのさあ、その王冠のピアスと似たようなの着けてる子をトイレで見たよ」

 プリンセスティアラを模した小さなピアス。

「あんまり見ないデザインだけん、ちょっと気になったんよ」

「ニトウ、王冠って言うな、かわいくないじゃん」

 わたしはニトウをフォークでつつくような仕草をして、わたしが文句を言うと、ニトウは「だって王冠は王冠やん」と言ってやはりパスタを口に入れた。


……

「ミヤコダさんはクィーンだから」

 深弥が照れながら、そう言ってわたしの誕生日にプレゼントしてくれたピアスだ。

 その後、深弥と

……


「あ!思い出した」

 わたしが思い出にふけりそうになるのを、モリのすっとんきょうな声が止めた。

「それ、多分、国文クラスの子!ミヤの真似っ子!!」

 なにそれ?って顔になるわたしと他の二人。

「あたし、教免のためにさ、文学の講義取ってるんだけど、国文にミヤの服装を真似してる子がいる」

 モリによれば、わたしと似たような雰囲気の子がいる、と思ってはいたのだが、服装が似てるのではなく、真似しているっていうのがだんだん分かってきたという。

「だって、ミヤが着ている服と似たような服を、次の週の講義になると着てるから、ミヤが先で、あの子が真似だって分かった!」

 へええ、とわたしは思う。

「モリって、よくそんなこと気付くねえ。でも、わたしもその子、見てみたいから、今度見かけたら教えて」


 などとわたしがモリに言っていると、アライがわたしの左手の手首を持つ。

「そんなことより、私は、この指輪の方が気になるなあ。ミヤ、夏休み明けから、それ、ずっと着けてるねえ」

 左手小指の指輪、深弥とお揃いであることは秘密だ。

「ミヤ、彼氏できたのっ?!」

 ほーら、アライの言葉にモリが食い付いちゃった。

「えー、そうなのお?見せて見せてえ」

 ニトウまで、指輪に関心を示してしまう。注目されたくないんだけどな。


 どう答える?



 わたしは、何も言わずに意味深に微笑んで、左手をニトウの手から引き剥がした。

 それから、指輪をひけらかすようにして小指を立てて左手の甲をみんなに見せてから、そのまま小指をわたしの鼻に向け、鼻の前で小指を左に滑らせて、目を閉じて指輪を唇に当てる。

 そして、唇から離すときに、あえて、小さくリップ音をちゅっと立てた。


 友達の前で色気の安売りをして、あえて意味深にして見せた。そんなこと聞くのは野暮だという、わたしからのメッセージだ。


 うわっやばい、というニトウのたじろぐ小声がした。ひゅーっとアライが口笛を吹く。


「さーて、デザート行こっか」

 と、わたしは新たにデザートを注文するために立ち上がり、セルフサービスのカウンターに向かう。

「ちょっと、ミヤ!?」

 すがろうとするモリは無視。指輪の話はもうお仕舞い。


 


「いらっしゃいませ」


 駅前のカフェ。ここは夜はお酒も提供する店。

 なんだかんだで1年半、ここでのバイトを続けている。

 クリーニングの効いた黒いワイシャツ、黒のスリムのスラックスに、膝より少し下までの茶色いソムリエエプロン。髪は後ろでまとめる。それがここの制服だ。

 しゅっとしているからこの格好は好き。


 案内した女の子のお客様にメニューをお見せする。

 わたしと服の趣味が似ている、と思っている常連のお客様だ。


「国文にミヤの服装を真似してる子がいる」

 ふと、モリの声を思い出した。

 わたしは、ここでは制服しか着ていないから、このお客様がその真似っ子さんではない筈だ。


「ノノカさん、今日のケーキのお薦めは?」

 その女の子に尋ねられる。わたしは、この店では、お客様に名前を聞かれたら「ノノカです」と答えるようにしている。ご時世がら、本名を名乗るほどバカではないし、店長にも本名を言うなと口を酸っぱくして言われている。

 架乃→カノ→ノカ→ノノカだ。

「マスカットのタルトはいかがでしょうか?」

 営業スマイルで答える。

「では、それとダージリンをストレートで」

「かしこまりました」


 バックヤードから休憩中のバイトの先輩がこそっと話し掛けてくる。

「あの子、よく来るね。都田さん知ってる子?」

「いいえ、ここでしか知らないです」

「都田さん狙いだね」

「そーなんですか?」

「都田さんは、女の子には興味ない?」

「お客様には全然興味ありませんよー」

「同僚の私には?私と付き合わない??」

「先輩にも興味ありませーん」

「つれないなあ」


 先輩の口説きを完璧に無視して、わたしは件のお客様に紅茶とケーキを運ぶ。


 それからカウンターの裏に立って、お客様を見ていない振りで、目の端で見る。

 お客様は、タルトを口に運ぶときに、耳に髪を掛けた。

 !!

 その耳たぶには、深弥がわたしにくれたピアスと、よく似たプリンセスクラウン風のピアスが着いていた。

 目を細めて見る。よく見ると違うけど、かなり似てる。

 それから、そのお客様はいつものように文庫本を読み始めた。

 ピアスのことは引っ掛かったけれど、まあ、気にしないで、わたしはケーキ皿を下げようとテーブルに近付いた。


「…あ」

 と小さな声がした。

「どうかされましたか?」

 と尋ねながら顔を上げて、お客様を見た。

 その視線は、わたしの左手に向けられていた。

「いいえ、ごめんなさい。何でもないです。……ええっと、可愛い指輪ですね」

「ありがとうございます」

 しまった、指輪、外しておけば良かった、と思いながらお礼を言う。

「先月の給料で自分用に買いました。あそこのモールで売ってますよ」

 営業スマイルでさらっと半分嘘をつく。「給料で買いました」だけが本当。

「そう、ですか」





「でね、そのお客さん、店を出てモールの方に行ったの。ヤバくない?」


 だいたい10日振りの深弥の部屋。狭いダイニングキッチンの二人用の小さなテーブル。

 深弥のつくったホワイトシチューと食べながら、わたしは、そのお客さんの話をしていた。


「架乃のストーカーさんですね」

「まあ、別に害がないから、いいんじゃない?」

 わたしがそう言うと、バターロールを千切って深弥はぼやく。

「架乃がわたしよりストーカーさんに目移りしたら困る……」

「しない、しない!」

 あれ、もしかして、わたし深弥に信用されてない?


「私も架乃の真似をしようかな」

「……絶対、似合わないよ」

「真面目な顔で言わないでください!」


 深弥がつくったから、わたしが片付ける番だ。

 深弥はラックにしまってある何かのブルーレイを探しているようだった。

「なに、ストーカーの映画でも探してるの?」

「うん、そうなんですよ。いくつかあるんですけどねー」

 あるのか、しかも複数。

「ピンと来ないですねえ、私が持ってるのは、有名人のファンがストーカーになるヤツです」

「有名人?」

「ええ、小説家と野球選手と俳優のがあります。どれも面白いですよ」

「みっつあるの」

「ははは、みっつありません、残念ながら」

 さすが、ホラー映画。何でもあり。


「架乃と話してて気になった映画のタイトルが思い出せないんですよ」

 と言って、深弥はスマホに、じぇじぇとかなんとかいいながら検索を掛けている。

「どんな話?」

「うーん、高校に入ったばっかの頃に観たんで、ちょっとうろ覚えなんですけど…」


 同棲していた恋人を追い出した主人公は、同居人を募集する。選んだのは、地味な女性だった。最初は仲良く暮らしていた二人だったが、主人公が恋人と寄りを戻しそうになり、女性との関係がおかしくなる。女性のタンスには主人公と同じような服が並ぶようになり、しかも、主人公と髪を同じ色に染め、同じ髪型にしてきた。そんな女性に違和感を持ち始めた主人公は恋人と寄りを戻しそうとする…


「その話は、ストーカーとはちょっと違う気がするんだけど」

「今度、借りてきます。真似する側の女優さんの演技が凄かったんですよ」

「深弥、映画はいいから、別のことしようよ」

 洗い物を終えたわたしは、まだ話している深弥に後ろから抱きつく。お腹に手を回して首に顔を埋める。

 10日振りの感触と匂いにくらっとして、指に力が入る。


 深弥のうなじに唇を付けると、肩がぴくんと震えた。

「架乃ってば…」

 困ったような声がした。

 腕の中で深弥が振り返り、目が合った。

 長めの睫毛が薄く震える。



 その目を見て、ぽろりと言ってしまう。


「同じ部屋で一緒に暮らそう」



 すぐに、いつものニコって恥ずかしそうな笑顔で、うん、って頷いてくれるって期待していた。わたしは、しょっちゅう、この部屋に寝泊まりしてるんだし。


 でも、沈黙が垂れ込んで、深弥がわたしから目を逸らし、俯く。


 眉をひそめて、深弥はわたしを見る。

 ゆっくりと首を振った。2往復。そして


「…ダメです」



 深弥の声は固く冷静だった。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「ルームメイト」(1992)


カヌキさんが持っていたストーカー映画

「ミザリー」(1990)

「ザ・ファン」(1996)

「ファナティック ハリウッドの狂愛者」(2019)

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