長月 戸惑ってしまうミヤコダさん(後編)


 お父さん、お母さん、ありがとう。

 と、心の中で両親に手を合わせる。架乃かのへのお礼に便乗して、私までちょっと贅沢できてしまった。

 自分の使える範囲のお金だったら、こんなホテルには絶対に泊まれない。

 …いいこと、一杯あったし。

 私は左手の小指の指輪を見て、一人でにやにやする。


 朝、もう1回だけ温泉に入って、ようやくチェックアウトだ。


 軽自動車のエンジンをかけて、駐車場を出る。

 バックミラーに映るホテルがだんだん遠ざかっていく。

 ほんの少し前まで、あんなとこにいたのか、というような不思議な気分。


「また、二人で旅行行こう。ホテルのランクはもっとずっと下でいいから」

 架乃の声が助手席から聞こえる。

「じゃ、貯金しなきゃ。アルバイト、また始めますね」

「わたしの働いてるカフェはどう?」

「えー、なんか、やじゃないですか?」

「なんでよ?わたしはいいけどなあ」

「だって、お母さんと一緒の職場で働くみたいな気がします」

「……言い得て妙な」

「でしょ?」

「あれ?ペンションは一緒にバイトしてくれたじゃん」

「ああ、あそこは、親戚のお手伝いみたいだから、違いますね」

深弥みやって、ときどき理系とは思えないような感覚的なこと言うよね」

「ははは、そろそろ理系女子のイメージ変えましょうよ」


 軽自動車は昼前の湖畔を走る。昨日とは反対方向に1周する感じだ。


 途中で、架乃が白鳥をかたどった足こぎボートに乗りたがる。


 浜に降りて、二人で素足になって遊ぶ。


 お土産屋さんを冷やかして回る。


 実は食べたことのなかった地元の名物料理のランチを食べる。


 できることで、目一杯遊ぶ。



「そろそろ帰りますか?」

 架乃は、明日は、先にアパートに戻ることになっている。

 ちょっと日が傾き始めていた。

 お母さんには、夕御飯までには帰るって言ってあるし。


「うん、楽しかった!深弥と一日中遊ぶのって久しぶりだから」

 そう言ってもらえると嬉しい。

「でも、今夜でも、明日の午前中でもいいから、行っておきたいとこがあるんだ」

 架乃が思い付いたような顔で言い出す。

「どこですか?」


「映画、見に行こ」


 もし私が文太さんだったら、千切れちゃうくらい尻尾をぶんぶんに振っていただろう!


「今、深弥の行きたい映画ってある?」

「いつでもあります!!!」

「うっわ、表情が変わった。ヨダレたらしそう」

 思わず、自分の口許に手をやる。よだれを垂らしてはいなかったけれど、満面の笑顔になっているのが分かった。


「さ。帰りましょうか!」

「深弥、慌てなくても映画館は逃げないよ」

「逃げたら、とことん追い詰めますから!!」

「…ねえ、深弥。前にも聞いたけど、

 わ た し と 映 画 どっちが大事?」

「映画」


 …迷いなく即答したら、思いっきりデコピンされた。




 夜の最終の上映回の映画料金は、昼間よりも安い。

 ただ女一人では行きにくい。

 だけど、今日は架乃がいるから大丈夫。ありがたし。


「で、何見るの」

「もちろん」

「ほらあ、だよね」


 映画館に飾られているポスターは、てかてかしていてキレイ。

 今から観る映画のポスターはホラー映画にしか見えない、おどろおどろしい図柄。黒地に赤い字のタイトル。ヒロインの目が血走っている。ああ、いいなあ、このポスター。ヒロインの目に刺さりそうなタイトルのレタリングが、いかにもでたまらない。


「そんないい表情かおしないでよ」

 ポスターに見入っていた私に、架乃がちょっと拗ねた顔で言う。

 ?

「…ったく。分かんないか。行こ」

 架乃が座席まで私の腕を引っ張っていく。なんなんだろ?



 夫との関係に悩む主人公の女性。夫と衝突して流産してしまったその日から、主人公は奇妙な殺人鬼の夢を見るようになる。まるで、その現場にいるかのように殺人事件のリアルな夢を見るが、実は、それは現実に起きている連続猟奇殺人事件であった。主人公は、子供の頃に養子になっており、自分の過去が殺人鬼と関係していると考え、義妹と一緒に自身の過去を探り始めた。一方で、警察は、主人公を殺人事件の犯人として疑っていた……



 期待を裏切らない出来に私は満足していた。

「ほらあ、っていうか、前半と後半で違う映画みたいね、これ」

 架乃の感想は率直だ。

「ですね。最後はホラーていうよりアクションっぽくなっちゃったかな。それはそれで、私は好きですけど」


「深弥とほらあばっかり見てて分かってきたけど、映画って、普遍的な人間の二面性…多面性を描き出すじゃない?ほらあは、それを極端に善悪に割り振って見せるから面白いのかな。特に、この映画なんて、前半と後半の変化は典型的な二面性ものを象徴するものとして……って何?」

「はあ、架乃がすっかりホラー映画の解説ができるようになっているのに驚いてました。」

 そう言うと架乃が咳払いする。

「ん、ま、とにかく楽しかった」

「そうですね、強いて言うと、犯人の正体が割りと早く分かっちゃうのが残念です。…んー、わざと分からせようとしていたのかもしれないですけど」

「ちょっと待って!え?わたし、種明かしまで分かんなかったんだけど!?」

「ははは、まだまだ素人ですね。安心しました」

「うわ、そのドヤ顔。相変わらずムカつく」


 架乃は、もう初めて会ったときほどホラー映画をそんなに怖がってくれない。

 でも、一緒に楽しんでくれるなら、その方が嬉しい。


「深弥、なんで嬉しそうな顔しているの?そんなに面白かった?」


「…はい!」




 もう一晩、架乃は私の家に泊まっていって、一足早く、大学のある街に帰っていった。

 私は、地元こっちの整形外科医に紹介状を書いてもらったり、成人式の振袖のことでやり残したことがあったりで、もう数日だけ実家に残らなければならない。

 一緒に帰りたかったな。


「都田さんは無事電車に乗れた?」

 架乃を駅まで送って、家に帰ってきて居間に入ると、お母さんがお茶をいれて持ってきてくれた。

 てててててっと文太さんが「お帰り」っと、私にじゃれついてくる。

 お母さんと二人でお茶を飲む。


 私の両親は、子供の意見を聞かないわけではないけれど、結局は子供をその掌の上で転がしているところがあって、私はそれがちょっと苦手だ。

 今回の架乃へのお礼も先回りだったけれど、大盤振る舞いだったし、私までいい時間が過ごせたのだから、文句は言えない。


「にしても都田さんって、美人よねえ。しっかりしてて大人っぽいし。なんであんたみたいなミジンコと友達なの?」

 あなたの娘はミジンコか?うちはミジンコ科ミジンコ属なのか??

 知り合ったきっかけはアパートが隣同士であることはお母さんは知っている。お母さんも架乃とあれこれと話していたから、私と趣味が合うってわけではないことに気付いただろう。

「本当に、なんででしょうね」

 私にも分からないし、分かるんだったら分かりたい。



「お母さん」

「ん?」



「……私、ミヤコダさんのこと、好きなんです」



「え?」



 ………



 お母さんは、お茶を一口飲んで、湯飲みをテーブルに置く。

 今、頭の中でぐるぐる色々考えてるだろう。


「あんた、女の人が好きなの?」


「それは多分違います。女の人が好きなんじゃなくて、好きになったのが女の子だっただけで。でも、多分、ミヤコダさんが男だったら好きになってないです」


「…ええと、えっと、そうか、そうなの」


 お母さんは、お茶をもう一口飲む。明らかに混乱している。

 受け入れてくれなくても構わない、けれど、知っておいてもらいたくなった。


「で、都田さんの方はどうなの?深弥の片想い?」


 なんて答えようか、ちょっと迷った。でも、そのせいでお母さんは察してくれたようだった。

「…そう、それであんなに面倒見てくれたってことか。都田さんも、こんな強情なミジンコのどこがいいんだか…」

 強情なミジンコ?なんか進化してるんですけど。



「お母さんは、反対ですよね。」


「別に、反対なんかしない」

 びっくりするくらい、あっさり。

「中途半端な変な男に引っ掛かるより、お母さん、都田さんの方がずっといい」

 ははは、高校のとき中途半端な男に引っ掛かってたけど。


 でも、こうして架乃のことを話してしまうと、肩の力が抜けたような気がした。


「深弥は、私のこと、煙たがってるみたいだけど」

 ばれてた。

「母親って言っても、口出しできることと、できないことがあって、その区別くらい付けてるつもりだから。一応ね」

 …そうなんだ。



「気にしないで、また、都田さんをうちに連れて来なさい。でも、まあ、とりあえず、お父さんとお兄ちゃんには秘密にしとく」

「そうしておいて下さい」


「でも、なんか複雑」

「女同士だから?」


「いや、都田さんって、ときどき色っぽくてお母さんもドキドキしたのよお」


 ……ちょっと、お母さん?





 初めて、お母さんの掌の上から飛び出せた気がした。

 なんだかんだで、この人が母親なおかげで私が幸せなのは確かなのだろう。


 私は小指の指輪を撫でながら、お母さんを見ていた。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「マリグナント」(2021)

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