長月 戸惑ってしまうミヤコダさん(中編)

 9月に入ったばかりで、昼間の日差しはまだ十分にきつい。

 左側に湖を見ながら、私の運転する軽自動車は湖畔を1周する。子供の頃から、遠足だのキャンプだのスキー教室だの、この湖と山での自然教室があったので、よく知っている場所ではあるけれど、自分が自動車を運転して遊びに来ることになるなんて思わなかった。

 助手席に座る架乃は、湖を眺めながら、ラジオに合わせて小さな声で歌っている。私は映画バカすぎて歌を余り知らないから、誰の何の曲なのかさっぱり分からないけど、架乃の声は心地よかった。


 山側に大きな公園があって、花がたくさん植えられているので、まず、それを見に行くことにした。

「あっちに温室がありますよ」

 園内の案内図をちらっと見て架乃を連れて行こうとする。

「深弥、ここ来たことあるでしょ?」

「ええ、何回か」

「ひひ、当てて見せようか。最後に来たの高校のときでしょ」

「え?」

「なーんか、いかにも高校生がデートしそうな場所だもんねー」

「なんで、そういうことをわざわざ言うんですか、もー」

 …架乃は意地悪だ。私は口を尖らせる。架乃は大きく口を開けてからから笑う。

 架乃の言うとおり、高校のときに元彼とここに来たことがある。田舎だから高校生の行けるところなんてたかが知れているんだから仕方ないじゃん。まあ、架乃が元彼の存在をまるっきり気にしてないってことだから、いいんだけど。


 にかっと歯を見せて架乃が言う。

「高校生の深弥が見たかったなあ」

「どうせ今と大して変わりませんよ」

「帰ったら卒アルとか見せてね。嫌がっても部屋ん中漁るから」

「そこまでする?!」


 そうして、架乃を案内しながら、あちこちを回る。

 架乃があっちだこっちだと私を振り回す。しかも、目を離すと勝手にどこかに行ってしまうこともある。一瞬あせるけど、ちょっと背が高くて人目を引く容姿なので、すぐ見付けられるのはありがたい。にしても、もうちょっと私に合わせてはくれないものだろうか、この人は。

 でも、そうしてふらふら回っていると、地元民なのに、行ったことのない場所が意外にたくさんあるのに気付かされる。カフェや雑貨屋さんなんて、ほとんど行ったことはなかった。

 高校生の頃の私は、ただでさえ視野が狭いのに、持ってるお金が少ないから最初から自分にそぐわない店に目を向けもしなかったのだろう。


 それに、結局のところ、架乃がいれば、どこでもいいのかもしれない。




 そして、もちろん、こんなホテルも泊まったことがない!あるのは知っていたけれど、泊まりに来ることなんて考えもしなかった。

 湖を見下ろす山の中腹にあるリゾートホテルだ。

「一般的な大学生風情が泊まるとこじゃないなあ」

 架乃が広いロビーを見渡しながら呟いた。


 案内されたのは、和洋折衷のツイン。

 手前の和室、奥に洋室の寝室。

 架乃が言うように、脛かじりの大学生には勿体ない部屋だ。


「お父さんたち、奮発してくれたみたいですねえ…」



——————



 片方のベッドの上に、向かい合うように座っている。


 ほんのさっきまで、温泉だのディナーだのと、子供のようにはしゃいでいた架乃が、今は、大人の顔をして、自分で帯をほどいて浴衣を肩から落とした。ベッドから脱いだ浴衣を落として、前髪をかきあげる。

 それから、私の浴衣を脱がせながら、顔を近付けてきてキスをする。


「また、歯を食いしばってる」

 架乃が唇を離して、頬を撫でる。首筋から肩へ手を撫で下ろす。浴衣が脱げて、肌が空気にさらされるのを感じる。

「うん、ごめんなさい。…まだ、緊張します。…怖くはないんですけど…」

 私が謝ると、ふふっと架乃は目を細めた。架乃の手が鎖骨や胸元、肩をゆっくりと撫でてくる。

「やめる?」

 返事をする代わりに、自分から顔を近付けて架乃の唇に自分の唇を当てた。

 架乃にスイッチが入ったのを感じた。




 ベッドのきしむ音が思ったよりも大きくて気になる。

 ときどき、自分の、自分とは思えないような声が、その音に重なる。

 隣の部屋に響いてやしないかとふと不安になるけれど、すぐにどうでもよくなってしまう。


 思考できない


 自分に何が起こっているのかを考えたいのに、考える間をもらえない。



——————



 呼吸が少しずつ整ってきた。

 私の中に起きていた何かが急速に静まっていく。


 架乃は、仰向けの私の隣に寝そべって、肘を立てて手に顔を乗せ、私の様子を眺めていたようだった。

 私が目を開けたことに気付くと、「大丈夫?」と尋ねてきた。

 私は瞬きで「大丈夫」と答えた。

 人差し指が私の額をつつく。最近、よく、ここをつつかれる。



「ごめん…こないだと違って、痛いこともした」

 何をされたのか、思い出して、顔が熱くなる。痛くないって言ったら嘘、ていうか意識すると今も痛い。

 ただ、嫌じゃない。

「…架乃が優しいから、平気」

 架乃がうつ伏せになって私にからだを寄せてきて、私のからだの左側にくっつく。

 その動きでベッドがきしむ。


「優しくなんかないよ。深弥はわたしのものだって独り占めしたかっただけ」


 既に独り占めしてると思うんだけど。

 でも、分かる。

 私も架乃を独り占めできているなんて自信はない。

 どれだけぴったりくっつくことはできても、絶対一つにはなれない。


 だから、深く繋がりたくなる。



 左側を下にして横向きになり、架乃と向かい合う。

「……私も、もっと架乃に触りたい」


「見たいの次は触りたい?どうぞ、好きなとこ、好きなだけ触って」

 架乃は、あっけらかんと言うと、そばから、私の右手を甲の上から握って持ち上げ、そのまま、自分の胸に当てた。

「わ」

 その柔らかい感触に、私はびっくりして手を引いてしまう。

 架乃がそんな私を見て苦笑いする。


「おいおい頑張ろうか」

「はい…」


 そんないじけた私の顔が、どうやら架乃のスイッチを再度押してしまったみたいで………



——————



 翌朝、私は架乃に起こされた。

 まだ、早い時間だったけれど、熟睡できたので、すっきり起きることができた。

「深弥、あそこ行こうよ」

 ホテルの部屋の窓から、少し離れたところにある山の展望台が見えていた。



 山の上の高台にある展望台から、二人で湖と街を見下ろしていた。

 朝の涼しい風が吹いている。架乃の栗色の髪が風で揺れている。

 今日もよく晴れそうで良かった。


「あそこらへんがうちです。あの川沿いが文太さんの散歩コースなんですよ」

 私が指を指す。


「きれいなとこだね」

「田舎ですよ、映画館が一つしかないんですから」

「基準はそこか!」


「深弥、この展望台も元彼と来たの?」

「自動車がないと来れませんから、高校生カップルには無理ですね」

 まだ、そのネタで冷やかすのか。


「じゃ、ここにしよ」

 ?


 架乃は私の左手を取ると、小指にシンプルなシルバーの指輪をそっと嵌めた。


 とくんと胸が鳴る


「今年も遅くなっちゃったけど、誕生日プレゼント」


 自分の手と架乃の顔とを、私の視線は行ったり来たりする。

 くすっと架乃が笑う。

「ごめん、指輪なんて、ちょっと重いかな、わたし」

 ぶんぶんと私は首を降る。


「…本当は、薬指に嵌める指輪がいいかな、って思ったけど、それはまだ無理」

 私も頷いた。

「なんかさ、薬指の指輪って、まだ重くって。深弥をそこまで縛れないし、わたしもまだ縛られたくないの」

 そうだね、って思いながら、指輪をじっと見る。

「だから、今はまだ、これ。ペアのピンキーリングがちょうどいいかな」


 気が付くと、架乃の左手の小指にも同じ指輪が嵌められていた。


 

 それから架乃は、ネックレスのチェーンもくれた。

「実験中は指輪できないだろうから、こっち使って」

 金属が変色することもあるので、指輪はできないって、前に話したことがあったのを覚えていてくれたらしい。

「ははは、さすが、いたれり尽くせりですね」

「ふふん、気が利くでしょ」


「そろそろホテルに戻って朝御飯にしましょうか」

「うん、バイキング楽しみ!」

 私たちは、ホテルに向かって手を繋いで歩き出した。


「付き合い始めて最初の誕生日は、ちゃんとしたいなって思って準備してたのに、いきなり大ケガして誕生日どころじゃなくなっちゃうんだもん。で、誕生日の前に帰っちゃうし」

 歩きながら、ちょっと拗ねた口調で架乃が言う。

 私は左手を広げて小指の指輪を見る。

「…私、あれが誕生日のプレゼントだと思ってたから」

「あれって?」

「映画観ながら、した、あれ、です」


 一瞬の沈黙


「やだ、うそ、マジ?」

 架乃が大きな声を出す。

「違う、違うよ、あれは、衝動的にやっちゃったものだし。それに、どっちかって言ったら、プレゼントもらったのわたしって感じじゃん!」

「そんなに否定しないでくださいよ!恥ずかしいじゃないですか」

「本当にそんな風に思ってたの?やだ、ヤバい!」

 しぶしぶ頷く私。

「だって、初めてだったから絶対忘れられないし。…なんか、嬉しかったし」

 左手を握ったり開いたりして指輪の感触を確かめながら、ぼやいた。

 あれは誕生日の記念なのかな、って思ってたのに、違ったみたい。



「深弥って…」

 架乃は、道端にしゃがみこんで、くっくと笑い始めた。ひどい。

 笑いやむと、しゃがみこんだまま、架乃は下から私を見上げる。


「深弥って、わたしのこと、本当に好きなんだ」


 その上目使いで、その台詞はやめてほしい。ひどく、ひどく照れてしまう。




「どうしよ、すっごい嬉しい」


 その言葉とくしゃっとした笑顔を見て、私は、惚れ直すって言葉の意味が分かった。

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