長月 戸惑ってしまうミヤコダさん(前編)
長月
新幹線駅から在来線に乗り換えて数駅で、私の生まれ育った街に着く。
県内では大きな市だけれど田舎は田舎だ。大学のある街の方がまだ少しだけ開けてる。
見慣れた駅の改札口から出てきた
スポーツブランドの大きなスポーツバッグを肩に掛けノースリーブに膝下までのワンピース。胸元をやや開けてラフに着こなしている。
「架乃!」
手を振って声を掛けると、大人っぽい顔が、くしゃっと崩れた。すました顔と笑った顔のギャップが大きいことを思い出した。
大股でずんずん真っ直ぐにこっちに歩いてくる。相変わらず歩くの早い。
1か月会ってなかっただけなのに、なんだか懐かしい気がしてしまうのは、ずっと会いたかったからだろう。
「深弥、来たよ」
「お疲れさまでした。わざわざすみません」
私は架乃に頭を下げて、バッグを持とうとしたら断られた。
「ギプス取れたんだ」
今は、サポーターをしているだけだ。暑くて蒸れるから嫌なんだけど、肘を伸ばしすぎたり曲げすぎたりするとちょっと痛むので付けている。
「はい、骨の折れたとこはつながったみたいですよ。まだ、ちゃんと曲げ伸ばしはできないですけど…」
「…くるまの運転くらいはできます」
駅の近くのパーキングに止めてあったお母さんが普段使いしている軽自動車に乗り込んだ。
「私が運転すると、兄が中学生が運転してるみたいだってバカにするんです」
架乃がふふんっと鼻で笑った。
「髪切って、一段と幼くなったものね」
「一段と、は余計です」
ほっとする。
電話越しじゃない少しハスキーな声と、もの言いに。
「とりあえず、家に行きます。今日は、休んでください」
「はーい。お世話になりまーす」
架乃は、9月からの新学期に合わせて、アパートに帰る前の3泊4日、我が家に滞在することになっている。私も、その数日後にはアパートに戻る予定だ。
「で、申し訳ないんですけど、まずは、うちの両親の挨拶とお礼を聴いてあげてください」
「うあー、なんか、ゆーうつー」
「すみません」
「丁寧ね、深弥のご両親は」
「ははは、私と似て頭が固いんです」
「今の、つっこむとこ?」
「そんなことないよ、って言うとこです!」
他愛のない話をしているうちに家に着く。
2階建てのどこにでもある一軒家。小学生のときに新築したから、まだ築10年くらいかな。
両親と文太さんと、あと兄貴も住んでいる。
「ただいま、お母さーん、ミヤコダさん、来てくれましたよー」
玄関のたたきでお母さんを呼ぶ。
そういえばミヤコダさん、って呼んだの久しぶりだ。
ててててててっ
文太さんがいち早く玄関に駆け付けて来て、すぐに架乃にじゃれつこうとした。
お客様が大好き過ぎる文太さんは絶対に番犬にはなれない。
「文太さん、ダメよ、服に毛がついちゃう」
「文太さん!!会いたかったあ」
私が止めるよりも早く、架乃がしゃがんで文太さんの脇に手を入れ、胸元にじゃれつかせていた。
長い指が文太さんの毛を掻き分けるようにして撫でている。
…どっちにも、ちょっと嫉妬する。
文太さんは私の犬だし。
私、まだ架乃に触ってないし。
「いらっしゃい。都田さん」
「あ、お招きありがとうございます」
架乃は文太さんをそっと手放して、お母さんにお辞儀をする。文太さんは、早速お母さんの足元にてててっと移動した。
「上がって上がって。散らかってるけど。とりあえず深弥の部屋にでも荷物を置いて、のんびりしてて」
「はいっ、そうさせていただきます」
架乃が緊張していて面白い。
私の部屋に入った途端、架乃がガクンと手と膝を床に付けた。
「緊張したあ」
気持ち広い8畳の部屋。
物が少ないので広く見える。
ベッドとテーブル、棚。小さなテレビ。
「何をそんなに緊張してるんですか?らしくないですね」
私は、架乃のスポーツバッグを部屋の隅に置く。
「…普通に友達の親に会うくらいなら、愛想良くするだけでいいから気楽なんだけど」
架乃がふーっと息を吐く。
「好きな人の親に、絶対に悪く思われたくない、と思ったら緊張してしまった」
「ははは、大丈夫ですよ」
好きな人、て言葉に顔が緩む。
私の両親には、帰省するまで架乃にどれだけ世話になったか、きちんと話をしてある。
病院の付き添いに始まって、毎日の包帯の巻き直しに加え、最初の頃は着替えも食事も洗濯も手伝ってもらっていたと伝えた。お母さんが心配していた以上に架乃に迷惑を掛けていたことがお母さんにばれて、だから帰ってこいって言ったのに、と結構怒られた。それでも最終的には、いい友達がいて良かったと両親は安心したようだ。
「必ずしもいい友達ではないんだけどな」
その話を聞いた架乃が、そんなことを言いながら、ずずっと四つん這いで私に近寄ってくる。
私はずずずっとお尻を滑らせて後ろに下がる、が、すぐにベッドに背中が当たる。
迫ってくるかと思った架乃は、私の前に止まり、手の平を上に向けて、左手を私の方に伸ばしてきた。
お手をするみたいに、右手をその手に乗せると、架乃は膝い立ちになって手を握ると、軽く私の右手を軽く曲げ伸ばしした。
「本当にもう痛くない?」
「うん、無理しなければ全然痛くないですよ」
「…それなら良かった」
キュっと架乃の手に力が入った。私もその手を握り返した。
「握力はまだ全然戻ってないんです」
「リハビリしないとね。わたしの手ならずっと握ってていいよ」
「そうします」
架乃の左手を揉むように、キュっキュっと力を入れたり抜いたりした。
「深弥あー、お父さん、帰ってきたから」
お母さんに呼ばれて、階下のリビングに向かった。
階段を降りるまで、手は繋いだままだった。
リビングに入ろうとドアを開けた途端、目に入ったのは正座をしている両親だった。
??
そして、架乃の前に深々と頭を下げた。……え?これって土下座…?
「いや、ちょっと、頭を上げて下さい!!」
私も驚いたが、架乃は相当に驚いて慌てていた。
ばっとお父さんが顔を上げた。
「都田さん、深弥のために、本当にありがとうございました」
架乃は架乃で、ばっとその場に正座した。
「わたしは、当然のことをしただけなんです。こんな、こんなことを、ご両親にさせてしまうなんて、そんな」
そして、架乃も正座して頭を下げる。それに両親がまた頭を下げる。
私は、呆然として、立ったままだったが、
「ねえ、もうやめて。3人とも普通に座ろう、ねっ」
3人に声を掛けた。そもそも、私が階段から落ちたのが原因なのに!
てててててっ
3人も床に直に座っているのが嬉しくなってしまった文太さんが、尻尾をぶんぶん振りながら、3人の間をてて、てて、ててっと駆け回り、一瞬にして、その場の緊張感がなごみに変わった。さすがは文太さん。
それをきっかけに、3人は正座をやめて、改めて、お父さんと架乃がリビングのソファーに向かい合って腰掛ける。
「まあ、堅苦しいのはやめましょう」
とお父さんが言い出した。
「この後、僕、お酒飲んじゃうんで、多分、お話がまともにできなくなると思うんですよ」
だったら飲まなければいいのに、と思うのだが、弱い癖に酒好きなのが我が一族…。
「だから先に、お礼について、お話しておきますね」
お父さんと架乃が話をしている間に、私とお母さんが夕食の支度をする。まあ、ほとんどお母さんが作ったり買ってきたりしてあるので、それを並べるだけだ。
「僕らもね、最初はお金を包もうかと考えたんですけど、それは、却って、都田さんの心意気に失礼だと思うんですよ」
架乃が真面目な顔で頷く。
「でも、僕らとしてはどうしてもあなたにお礼がしたい。そこで、妻と一緒に考えたんですが、都田さん、旅行はお好きですか?」
「あ、はい、好きです」
「この街から自動車で1時間もいくと、山と湖で有名な観光地があります。冬場はスキー場としても有名なんですけど、ご存じですか?」
「はい、深弥さんから、そこのお土産をいただいたことがありますから」
「せっかくですから、観光しに行って下さい。僕らが交通費と宿泊費を出しますんで」
「え、いや、そんな」
架乃がお父さんに押されてちょっと困っている。
「ですよね。普通だと断られちゃうと思いましたんで、先手を打って、僕らが明日のホテルを予約しておきました。深弥と一緒に行ってきちゃって下さい」
「え!?お父さん、私も聞いてませんよ、それ」
私が割り込むと、お父さんが肩をすくめた。
「言ってませんから、深弥も知らないでしょうね」
そう言って、お父さんは宿泊先のホテルのパンフレットをくれた。
わ、これ、ちょっと良いリゾートホテルだ…。
架乃も目を丸くしている。
「ちゃんとご馳走のディナーも予約しておいたからねー。カジュアルで大丈夫だから気楽に行ってきなさい」
お母さんも口を挟んできた。
「深弥にまでいい思いをさせるのはしゃくなんだけど、かといって都田さん一人で行かせるわけにもいかないし、私達が行くっていうのも都田さんは嫌だろうし、大学生にもなって親子連れっていうのもねえ。ま、この子は見た目が中学生か」
お母さんまで、ひどい!童顔は母親譲りだっていうのに。架乃は架乃で笑い過ぎだし!
その後の夕飯は4人で楽しく食べた。
お父さんと架乃は一緒にお酒を飲んで、お父さんだけが先に潰れて寝てしまった。
お父さんと同じだけビールと日本酒を飲んだ筈の架乃はけろっとしている。
そして、今、お母さんと架乃はすっかり打ち解けて、架乃は大学のこととかバイトのこととか話してて、お母さんも文太さんのことや仕事のことを話して、ちょっと盛り上がっている。
私は、文太さんをもふもふしながら話を聞いて、時々、口を挟む。
架乃がうちの親たちと仲良くしているのは、ちょっと恥ずかしいけど、なんだか嬉しかった。
「お風呂、いただきましたー」
架乃がお風呂を出て、私の部屋に戻ってきた。私は、お風呂に入っている間に布団を用意しておいた。
「そこのベッドだけでいいのに」
言うやいなや、布団に押し倒されていた。
あっという間に体温と心拍数が上がる。
あの夜を思い出してして、からだが熱くなる。
「お、お風呂に入らせて下さい!」
「いいよ、後で」
「待ってくだ」
「一ヶ月と、今日半日、我慢させられたから待つのやだ」
出た。架乃のわがまま。
「…大丈夫、しないから。でも少し抱き締めさせて」
「…は、い」
そうか、しない、のか。
がっかり半分、安心半分。そうか、私ちょっとがっかりしているのか。
私も、架乃の背中に手を回してみる。
緊張して、服しか掴めない。
「久々のガッチガチ。なんで、こんなに緊張するの」
架乃の笑い声が耳のすぐ横から聞こえる。息が当たってこそばゆい。
「…慣れないんだから仕方ないじゃないですか」
つい文句を言う。私は、こういうことろが可愛くないな、と自分でも思う。
「うん、慣れられちゃうのもつまんないかも」
でも、架乃は私が少しくらい文句を言っても、全然気にしてくれない。だから、可愛くしなくても別にいい。
いつの間にか、「ミヤコダさん」より「架乃」に慣れてしまったように、いつか私もこの腕の中に慣れるのだろうか。
これが当たり前になる
そう思ったとき、私は服の布地から指を離して、両手でしっかりと背中をぎゅっとして、架乃のからだを自分のからだに引きつけていた。
布越しに架乃の肋骨の感触がして、無意識に骨と骨の間を指先でなぞった。
ん
って、小さな声がして、架乃のからだが少しだけぴくっと震えた。
その反応に脳が揺さぶられるような気がした。
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