葉月 カヌキさんが足りない
葉月
7月の終わりに実家に戻って、8月になった。
当たり前だけど、暑い。
正月以来、半年以上実家に帰ってこなかったので、お姉ちゃんに叱られた。
親は、基本わたしには好きにさせてくれてるので、何も言わなかった。わたしを案じるのは、いつもお姉ちゃんだ。
高校のときの友達も、それぞれの地で、それぞれに学生生活を送っているらしい。久しぶりに友達とちょっと集まって、それぞれの近況を報告し合って、昔みたいに騒いだ。
わたしが大学でぼっちだったことがみんなに知られていた!なぜ!?
地元にいても特にやることはないので、お盆が近くなったら、いつもどおり叔父さんちのペンションにバイトに行くことにした。深弥がけがをしたことを知った叔父さんが、心配すると同時に、深弥がアルバイトに来れないことを知って嘆いていた。
実家の自分の部屋も半年振り。
机の上には教科書やら大学受験の問題集やら参考書がまだ残っていて、高校生・受験生だったときの自分の名残がたくさん残っていた。クローゼットの中には、高校のときに着ていた服や、似合わなかった制服がまだ仕舞われている。
18年間のわたしがいた部屋。ここはわたしが一番落ち着く場所だ。
でも、本を読んでいても何をしていても、うまく集中できなくて、わたしは大きなため息を付く。
一人で過ごしていると、ため息が止まらなくなる。
あの夜、ホッケーマスクを顔に付けた怪人が暴れまわる映画をBGMにして、
一人になると、その時のことばかりを思い出してしまう。
——————
まさか、そんな展開になるとは思っていなかったけれど、わたしは気持ちを抑えられなくなって、つい、深弥を押し倒してしまった。
それに対する深弥の反応は、なぜか、わたしの裸を見たいというものだった。
なんで、そんなことをリクエストされたのか今もって分からない。
それに、それって、誘ってるとしか思えないわけだけど。
大胆なくせに純情な深弥の場合、誘って煽っておいて、わたしに火が点くと、そこまでのつもりじゃなかったって後でパニくる、ということが過去にあった。
でも、今回は違った。深弥は、あの時、何が起きるのか覚悟していたと思う。
性欲に身を任せてしまいたいけれど、どうすればいいのか、よく分かんなくてうにゃうにゃしていたわたしに、深弥は言ってくれた。
「じゃ……
深弥は、わたしの衝動の歯止めをやすやすと外してしまう。
——————
「架乃ー、ちょっとこっち手伝ってー」
「…はーい」
お姉ちゃんに呼ばれたので、わたしは、深弥のことを一旦頭から外した。
「架乃、明日の夜、飲みに行かない?もちろん奢る」
「奢りは当然でしょうが。でも、仕事はいいの?」
「大丈夫、大丈夫」
「
「全然大丈夫。出張でいないし。妹と飲みに行くなんてノーカンノーカン」
「ねー、お姉ちゃん、わたしがまだ一応、19歳だって知ってる?」
「高校生のときから、やさぐれたOLにしか見えないことなら知ってる」
久しぶりに
夕食前後の手伝いを終えて、自分の部屋に戻ると、スマホに深弥から写真が送信されていた。
「…なんで、今日も文太さんの写真かなぁ」
いや、可愛いんですけどね。
わたしがほしいのは文太さんじゃなくて、飼い主の方の写真なの。
『飼い主の写真が欲しい』
わたしがメッセージを送信すると、すぐに、文太さんと、文太さんを頭を撫でるギプスの付いた右手の写真が送られてきた…。
ギプスが肘部分だけに短くなっている。
『手じゃなくて顔見せて』
『や』
つれない一文字が返ってきた!
——————
されたいように、して
ああ、それなら分かる。
わたしは、自分の体のどこをどうすればどう感じるかを知っていたから、深弥がわたしを同じように感じてくれればいいと思った。
指で
唇で
舌で
まだ他人が触れたことがない深弥のからだを、わたしは辿る。
声が上がったり、からだが跳ね上がったりして、反応したところは何度も。
からだを捩って逃げようとしても逃がさない。
何か訴えたそうな目をして、わたしを見たら、キスで答える。
その表情に、声に、反応に、わたしのからだも敏感になって興奮する。
どうしよう、好きで、好きで、止まらない。
溢れる
二人とも、呼吸が荒くなり始めた。
そこに触れたときは、さすがに抵抗して足を閉じようとしたけれど、わたしの顔を一瞬見て、深弥はすぐに諦めて力を抜いて受け入れた。
深弥が何度もからだを震わせながら、眉を寄せ、声を上げる。
深弥にとって、それは初めてだと気付いていたけれど、わたしは手を止めない。
多分、もう、そろそろ。
や…何これ、変…怖い
わたしの背中に回された左手に力が入り、指が背中に痛いくらい食い込む。
ギプスの付いた右腕もわたしの脇をぎゅっと抑えている。右腕は、わたしの背中を抱えたくても届かない。
包帯に包まれた右手の指先が行き場をなくして震えていた。
架乃、か、の、架乃、架乃、か
深弥は何度もわたしの名前を呼び
それから声にならない声が途切れて
力の抜けた深弥の左手がわたしの背中からずるっと落ちた。
——————
「で、半年以上も家に帰ってこないってことはさ、ようやく大学で新しい彼氏ができたの?」
お姉ちゃんがたまに行くというカクテルバーで、わたしは、バーテンさんに勧められるままに色がきれいなカクテルを飲んでいた。
「家には帰ってないけど、春休みとゴールデンウィークは叔父さんとこでアルバイトしてたんだよ。」
「そういえばそうだった」
「で、彼氏なんていないから」
「なーんでー?」
「なんで、って言われても、いないものはいないもん」
そういや、わたし、中学校時代から、彼氏ができたり変わったりする度にお姉ちゃんに報告させられていた。
なぜに?
「ええ、おかしいな。じゃ化粧変えた?」
「特には。…お姉ちゃん、しつこいな」
「だって、架乃、お顔がエロくなって帰ってきたんだもの」
ぶっとカクテルを吹いた。
「お姉ちゃん!!」
「やー、それは恋してる顔でしょ、架乃ちゃん、お姉ちゃんにはお見通しだよ」
わたしは頬に手を当てる。
お酒では顔は赤くならないけれど、お姉ちゃんの攻めには弱い。
「…ホントに好きな人はいる」
そこまでは、仕方なく答える。
「おーや、珍しい。架乃が自分から好きになるなんて。どんな人?教えてよ」
「いーやーだー」
ほっぺたをぎゅっと掴まれた。痛い。
「まさか、不倫とかじゃないでしょうね。お姉ちゃん、それは許さないよ」
いきなり目がマジになった。
「ひょんなんひゃない」
「本気で本当に好き?」
うん、とわたしは頷く。
「それなら、いい」
「いいんだ」
「うん、お姉ちゃん、架乃にはいい恋をしてほしいだけ」
「…いい恋って何?」
そう尋ねると、お姉ちゃんは笑ってカクテルを飲み干しただけで、答えてはくれなかった。
そのタイミングでスマホが振動した。
「おや、その人から?」
お姉ちゃんがいやらしく笑った。
実際、深弥からだった。
「…見る?わたしの好きな人」
「見る!!」
へそ天で寝る文太さん
「人じゃないじゃん!!」
お姉ちゃんが怒った!
——————
わたしは、大きく息を吐いた。
ぐったりしている深弥に、体重を掛けすぎないよう注意しながら、額にへばりついている前髪をはらって、それからそこに口付ける。
また、やり過ぎたかも。
罪悪感のような背徳感のようなものが過る。
でも、それ以上に、充足感とか達成感の方が遥かに強くて、わたしは、満たされていた。
自分でもびっくりするくらいに。
深弥の呼吸が少しずつ緩やかになって、うっすらと目を開けた。
目尻には涙が溜まっている。
「大丈夫?」
尋ねると、わたしと目を合わせて、かすかに頷いた。
「続ける?」
わたしが耳元で言うと、深弥は、頭を1回だけ往復させた。
むり、と唇が動く。
そして両腕を顔の上に乗せて目を隠すと、はあー、っと長く息を吐いた。
その分、あらわになった胸元を首筋からつーっと指で撫でると、
びくん
と震えた。
深弥は腕をずらして、怒ったように、わたしを薄目で睨んだ。
それから、その視線がテレビの方に動いた。
テレビの中ではアイスホッケーマスクの怪人が、まだ暴れている。
…放心して横たわったままの深弥の右手を取る。
ギプスの包帯を確認すると、包帯に緩みやずれができていたので巻き直した。
そうしているうちに、深弥は、うとうとし始めている。
おやすみと、声を掛けたときには、もう目は閉じられていた。
長い睫毛が頬に影を付ける。その影がちらちらするのはテレビの光のせいだ。
裸の肩にタオルケットをかけて、エアコンの温度を少し上げる。
わたしはTシャツをかぶるように着て、リモコンでテレビを消そうとした。
たまたまだろうけど、ちょうど
アイスホッケーマスクの怪人がテレビの中でわたしを見るように立っていた。
ずっと、こいつに見られていたような気がして、ちょっと恥ずかしくなった。
——————
お姉ちゃんと飲みに行った次の日のこと。
麦茶をコップに入れて運んだ。
リビングではお姉ちゃんが
わたしも空いてるソファーに腰かけると、テレビには映画が映っていた。
親友である4人の女の人たちの、結婚やら子育てやら恋愛やら何やらばたばた騒がしい映画だった。もともとはドラマだったので、ドラマを見ていないと4人の関係性とかはよく分からないが、分からなくても楽しめてしまうつくりになっていた。
全般に、やたらファッショナブルでゴージャスでセクシー。主演の女優さんが可愛い。すごく美人ではないのだけど、とにかく魅力的だ。主人公を含めて4人とも素敵な大人の女性。4人それぞれに事件が起きて、みんな悩んで、でも、なんだかんだで解決していく。なんてノーテンキでハッピーな世界。
でも、ホラー映画じゃない映画って、楽しいけど、何か刺激が足りないって感じてしまう。
すっかり深弥に毒されている。
ははは、それこそホラーですね
深弥の声が聞こえたような気がして、わたしの口角が上がる。
「架乃、あんたが映画を見るなんて珍しいじゃない」
「架乃ちゃん、映画嫌いだったっけ」
お姉ちゃんと
「うん、映画はあんまり見ない。見ても、最近はほらぁばっかりで」
「お、ホラーって?」
「こないだ見たのは、アイスホッケーマスクのおばけが暴れるやつ」
「ああ、13日の…」
「なんで、わざわざそんなもの見てるのよ」
お姉ちゃんが呆れたような顔をした。
わたしは、ちょっとね、とだけ答えて、3人分のコップを片付けた。
…分かってしまった。
普通の映画が物足りないんじゃなくて、
足りないのは、深弥だ。
『ペンションのバイトはいつまでですか?』
自分の部屋に戻ってポケットのスマホを確認すると、クッションの上でよく寝ている文太さんの写真と一緒にメッセージが届いていた。
「もしもし、深弥?」
声が聴きたくなったこともあって、通話をすることにした。
『わざわざ電話させてしまってごめんなさい』
相変わらずの丁寧語。声質は子供っぽさを残すけど、口調は冷静。
最初は堅苦しいと思ったものだったけれど、今は、これが普通。
声を聴いているだけで、ほっとする。
『ご迷惑でなければ、お願いがあるんですけど』
深弥のご両親が、改めて、きちんとわたしにお礼をしたいとのことだった。
別に、お礼なんていらないのだけれど、儀礼的に、こういうときは断ってはいけないのかな、とも思う。
でも、お礼って、なに??
『では、バイトが終わったら、何日か、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「13日の金曜日」シリーズ(1980〜2009)
「セックス・アンド・ザ・シティ」(2008)
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