水無月2 カヌキさんは水底に沈む(後編)

 ばっさり

 本当にばっさりと


 カヌキさんは髪型をショートにした。




「左手だけじゃ今までみたいに結んだり下ろしたりできないし、そもそもと梳かすこともできないんだから仕方ないです」


 けろっとした顔で言った。そして、


「中学生とか小学生とか言ったらぶちます」

 ギプスの付いた右腕を振り上げて、凄んできた。良かった、言う前で。


「ツーブロックじゃなければいい…」

 さらさらセミロングが好きだったわたしは少しいじけている。

「ドライヤーくらい、わたしがかけるのに」


「少しでも、自分でできることは自分でやりたいんです」

「そこは、頼れるだけ頼ってくれていいの」


 きっと睨まれた。

「そういうの嫌だから」

「逆の立場だったら同じこと言うくせに」

「そうだけど」

 カヌキさんは右腕を触る。

「怪我したのは私だから」


 意地っ張り


「お世話したいのにな」

「十分してもらってます」


 わたしの作った炒飯の盛られた皿を左手に持ったれんげでこつんと叩いた。

 わたしたちは早めの夕食を摂っていた。


「昨日から架乃かのには感謝しかないです」

 ふっと息を吐く。

「まだこれから、どれくらいの迷惑をかけるかと思うと…」

「迷惑なんかじゃ」




 そこにピンポーンとドアベルが鳴った。


「どなたですか?」

 カヌキさんはいぶかしげにドアの向こうに尋ねた。




「私よ」



「お母さん!?」


 お母さん!?

 ざーっと血の気が引いた。


 カヌキさんのお母さんて心の準備が全然できてないんだけどわたしが恋人でーすなんて言える状況じゃないし親に紹介とかまだそんな考えていなかったどうするって隠すよねそういうの相談しておけば良かったていうかわたし今日どんな服着ていたっけメイクけばくないかな


「あら、髪型変えたんだ。あ、先輩が来てくれていたの?」


 カヌキさんのお母さん。やっぱり小柄で可愛い感じだけど、ダークグレーの渋めのパンツスーツだ。…先生みたい。


「先輩じゃなくて」

 カヌキさんがわたしを紹介してくれようとしたけど、遮って自分から挨拶した。

「隣に住んでおります都田といいます。人文学部の2年です。香貫さんにはいつもお世話になっています」


 丁寧な言葉遣いを心掛けて深々と頭を下げた。

 悪い印象を持たれたくはない。


「あら、深弥みやと同い年なの、大人っぽいからてっきり先輩だと思ったわ。深弥の母親です。世話になっているのは娘の方ですよね。きっとご面倒をお掛けしてる筈。」

 お母さんはペコペコと頭を下げてくれた。

「ごめんなさい、急なことで手ぶらで来てしまって」

「いえ、そんな」


「どうしたの?お母さん、仕事は??」

「どうしたもこうしたも、大丈夫なの?」

「電話で言ったとおりだから。大丈夫」


「大丈夫じゃないでしょうが!」

 ぴしっとたしなめられて、カヌキさんがちょっと首をすくめた。


「あ、わたし、失礼します」

 母子の会話には邪魔だろうと思った。キッチンには椅子は2脚しかないし。


「都田さん、よね。ここにいてもらえないかしら。深弥はそこに立たせておけばいいから」

「いえ、お邪魔だと思うので」


「第三者がいた方が冷静に話ができるのよ。私もこの子も感情的にならなくて済むから」


 わぁ。口調は穏やかだけど、有無を言わせない感がある。


「では、わたしが立っています。深弥さんは怪我人なので」

 せめて、椅子くらいはカヌキさんに譲る。


「そう、ごめんなさいね。話し合いは早く済ませるから」


「深弥」

 お母さんはカヌキさんを見る。

「…はい」


「家で療養しなさい」


「「!」」


「ここで一人で生活しながら大学に通うのは、その腕じゃ無理でしょう。治るまで家に帰ってきなさい」


「…無理じゃない…」


「無理でしょ。一人じゃ」


「…今、大事な演習のコマがあって、帰れない」


「自分の単位のために、人様に迷惑を掛けるべきではないでしょ」


「でも」


「今の深弥は、誰かの負担になる」




 言い合いにもならなかった。

 お母さんの言うことは正論だからだ。

 カヌキさんもそれは分かっている筈だ。

 今朝から、何とか、できるだけ一人で頑張ろうと思って、髪を切ったり必要なものを買ったりして、できるだけの準備をしていた。

 それでも、確かに、お母さんの指摘するとおり、わたしやクラスの誰かの協力は必須だ。誰かの支援や協力を犠牲として捉えれば、カヌキさんの考えていたことは、図々しいということになる。


 カヌキさんは実家に帰ることなんて、丸っきり頭にはなかっただろう。


 それは、わたしもだ。

 一緒に頑張ろうと思っていた…



 10分くらい話し合いをして、カヌキさんは言い返せなくなって、涙目のまま押し黙った。短くなった髪が震えている。


「帰る支度は、お母さんが手伝うから」


 カヌキさんは椅子に座ったまま動けないでいる。


「深弥、ね、支度を」




「待って、待って下さい!」


 カヌキさんの横に立っていたわたしは声を出した。


「確かに、今の深弥さんは一人では生活できません。でも、助けることは、わたしにとって負担でも迷惑でもありません」


 ゆっくり、はっきり言った。


 このお母さんには感情的になっても勝てない。

 焦るな、無理に説得しようとするな、わたしの気持ちを伝えろ。


「都田さん、そう言ってくれるのはありがたいけれど」


「…わたしは、去年から、深弥さんにたくさんたくさん助けてもらいました。つらいときに深弥さんはわたしを支えてくれました」


 去年の春からずっと助けられてる。

 鍵をなくしたときに始まって、

 エアコン工事がなかったとき、

 変な噂が流されて友達ができなかったとき、

 大学祭のとき。


「でも、これは、その恩返しではないんです」


 カヌキさんが顔を上げてわたしを見た。


「意識してはいないのですが、多分、わたしも深弥さんをいろいろ助けてます」


 カヌキさんがかすかに頷いた。


「…今のわたしたちは、そうするのが自然なことなんです」


 助けるとか支えるとか、あえてやってる訳ではなくて。

 迷惑でも負担でもない。

 ただ、それが、


 この人と一緒にいるということだから。



 テーブルの下。お母さんから死角になってるところで、カヌキさんの左手がわたしの指先をきゅっと掴む。



「わたしが、います」



 沈黙が落ちる


 わたしは立っているから、見下ろすような形になってしまっていたけれど、カヌキさんのお母さんとわたしは見詰め合った。

 お母さんは、わたしからカヌキさんに視線を写して、それからまた、わたしに戻す。


「…都田さん」


「はい」


「深弥をお願いしても構わないのね」


 覚悟しろってことだ、とわたしは構えた。


「…はい」





「お母さん?」


「深弥、必要な講義が終わったら、すぐに帰ってきなよ」


 カヌキさんから肩の力が抜けた。お母さんがにっこり笑う。


「そうしないと、もう2度と文太さんと散歩はさせない」

「え!!やだ。帰ります」

 おい、誰だよ文太さんて?



 カヌキさんのお母さんの滞在時間は僅か1時間だった。


 朝、カヌキさんから電話を受けて、すぐにあれこれ片付けて、カヌキさんを連れ帰るために新幹線の距離を急いで駆け付けたとのことだった。


 わたしたちは、お母さんをバス停で見送って、アパートに戻る。

 最終の新幹線でとんぼ返りするのだそうだ。


 たぶん、仕事が大変なんだろうに。いいお母さんだと思った。


「ね文太さんて?」

「え?うちの犬。雌だけど文太さん。超賢くて超可愛いシーズー5歳」

「なんだ、わんちゃんかぁ」

 わたしはカヌキさんの眉間をつついた。

 犬にまで嫉妬させんな、もー。




「今日はありがとうございました。私、絶対家に連れて帰られるって思ってました」


 ベッドに入って灯りを消すと、カヌキさんはわたしにお礼を言った。


「私、母には敵わないんです。母は愛情深いだけでなくて、とても理解があるんですよ」

「いいお母さんじゃないの?慌てて駆け付けたのに、わたしの意見を聞いて、あっさり引いてくれたし」

「そうですね。子供の事情を酌んでくれる方です」


 カヌキさんはふーっとため息をつく。


「絶対に子供を言い負かせられるのに、子供の意見をしっかりと認めてくれる。不満なんか持てないんです」

 うん、とわたしが頷く。



「それが息苦しいんです」



「母と意見が食い違って話し合う。当然のように言い負かされるけれど、こちらの言い分もある程度は通してもらえるんです。でも、それが何だか、全て、母の掌の上にある感じで、こちらの意見を通す分まで計算されているように感じてしまう。大概は些末なことなんですけどね。」


 泳いでいるつもりで、沈んで溺れてから、泳がされてたことに気付く


 カヌキさんはそう表現した。

 不思議な母子葛藤、というよりカヌキさんの自立心の問題だろう。

 

 もうすぐ20歳。

 大人だけど学生だから、大人になり切れないわたしたち。

 母の愛に甘えたいけれど、それはわたしたちの自立を邪魔してくる。



「でも、今日の母にとって架乃は計算外だったかな。絶対連れ戻す気満々だったのに諦めてくれたんで驚きました」


 わたしのこと、どう思われたのか、ちょっと不安になる。

 悪くは思っていないように感じたけれど。




「話が変わりますけど、私の体感で、ホラー映画って、父と子より母と子の物語が多いと思うんです」

「そうなの?」

「数えたわけじゃないから、正確には分かんないですけどね、邦画でも海外映画でも」



「母の愛は、ときに呪い」



 カヌキさんは、そう言って、ある映画の話をした。


 ストーリーはうろ覚えなんですけど、

 離婚寸前の夫婦がいて、母親は幼い娘を連れて古いマンションに引っ越すんです。

 今みたいな梅雨の季節なのか、雨が降り続いてばかりいて、じめじめした雰囲気で。

 そのマンションでだんだん怪奇現象が起きるんです。そのターゲットは娘。

 実は、昔、そのマンションで死んだ子供が、娘を連れていこうとしていたんです。

 それに気付いた母親は、自分が身代わりになることを決意します。


「元は邦画で、ハリウッドでも映画になってるんですよ」

「深弥はハリウッド版がやっぱり好きなの?」

「うーん、一長一短なんだけど、結局どっちもそんなに好きじゃないかも」


「なんか嫌なんですよ。母親は自己犠牲のつもりで死んでいく。でも、娘にとっては、他の子に母親を盗られて、母のいない人生を歩まされたってことじゃないですか。その娘の気持ちがなおざりにされてるみたいで。なのに、最後に母親が元気に成長した娘を見て微笑むみたいな描写があって納得いかなかったんです。それが妙に印象に残ってる」



「…母親の愛情は、娘にとっては必ずしも愛情としては伝わらない、ってこと?」


 そういうことですね、とカヌキさんは呟いた。

「深い愛情だって分かっているのに、どうして私はそれを素直に受け取れないんだろう……」

 それが、オトナになるってことかもね、と言えるほどわたしもオトナではない。



 そして静かになった。


 前の晩ほど腕は痛んでいないようだから、今日は楽に眠れるのかな。

 わたしは仰向けの姿勢から、隣の方を向いて、カヌキさんが寝てるかどうかを確かめようとした。




 カヌキさんはわたしを見ていた



 薄明かりの中、目が合って、カヌキさんが微笑んだのが見えた。


「架乃の気持ちは届いてるから」

 


 わたしは右手を伸ばして、同じように伸ばされてきたカヌキさんの左手を握った。
















◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「仄暗い水の底から」(2002)

「ダーク・ウォーター」(2005)



うびぞお、勢いだけのファンタジー書きました。

よろしければ、見てやって下さい。


https://kakuyomu.jp/works/16816927859848035300

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