水無月 ひとコマひとコマのミヤコダさん

水無月




 何度目かのキス

 ミヤコダさんこと架乃かのがなかなか離れてくれなくて、ちょっともがいた。

「か、のっ、ねえ、ちょっとスト…っぷ」

「やだ」

 架乃は時々わがままだ。

 私はもうキャパオーバーで、熱いやら恥ずかしいやらでパニックを起こしかけているのに、お構いなし。


 架乃の舌が私の唇を割り込もうとするので、私はぎりぎりと音がしそうなくらい歯を噛みしめて、それを妨害する。

 最近の私たちの間で繰り広げられている攻防戦だ。

 架乃がやりたいことは分かる。

 でも、私、まだ、そんなの無理。


「…深弥みや、わたし、歯を食いしばれとは言ってない」

 架乃の拗ねた顔が少しだけ距離を取る。私は肩で息をしながら文句を言う。

「ひ、人が嫌がることはしちゃいけないって教わりませんでしたか」

「わたしは嫌じゃないし、深弥だって本気で嫌がってないもの」

 架乃はそう言って、舌先を私に見せながら、にっと笑い、私からようやく離れてくれた。





 1ヶ月半前、恋人になってほしいと言ったのは私で、架乃はそれに応じてくれた。

 最初は舞い上がるくらい嬉しかったけれど、いや、今もとても嬉しい。


 でも、架乃のことだけにうつつを抜かしていられないほど私は忙しかった。

 今年から始まった演習は、実験とレポートのコンボが続いてる。

 この演習はけっこう大事で、落としたら留年するかもしれない。2年前期のキモだ。

 そんな中で、5月の最終の土日に初夏祭が行われ、私のクラスは、焼き鳥店、まさかの3回目の「ケミカルチキン」を出店し、売り上げ記録を更新したが、クラスの大半がレポートを落としかけた。

 架乃は架乃で、暇ではなさそうで、バイトやレポートで結構ばたばたしている。


 その隙間をぬうようにして架乃はうちに来て泊まっていく。

 一緒にいる時間は短い分、密度が濃くなった感じがする。


 架乃は基本マイペースなので、大人しくしている日もあれば、今日みたいにベタベタくっついて離れてくれない日もある。

 私はそれに振り回されて、物足りなかったり、今みたいに一杯一杯になったりしている。

 特に、こんなふうにぐいぐいと迫られるときは、架乃の方が私よりずっと経験豊富?なので、子供すぎる私は架乃のやることに付いていけなくて、ぐるぐるする。


「深弥は大胆なくせに純情だから」って架乃が笑う。私の何が大胆で何が純情なのか、よく分からない!





「ただいまー」

 今日も、バイトを終えた架乃が私の部屋に、自分の家のように入ってくる。

 一回、自宅に帰ってシャワーを浴びて寝る支度を終えていて、泊まる気満々だ。


「深弥、今日は実験結果の処理は大丈夫なの?」

 食卓の上に置いてあるレンタルしてきたブルーレイに気が付いた架乃が尋ねる。

「うん、大丈夫ですよ。明日は午前中の講義が休講になりましたからね。気になってたアニメ借りてきたんです」

「へえ、アニメなんだ」

「一応ホラーっぽいんですよ」

「え??アニメにほらぁがあるの?」

「架乃、アニメもあんまり見てないんですね…」

 私は、架乃にどこまで映画の知識を与えられるのだろうか…。



 両親と一緒におんぼろな家に引っ越してきた少女。両親は仕事で忙しくて少女はつまらない。隠されていた小さな不思議な扉を見付け、ネズミを追いかけて扉をくぐると、また自分の家に着く。その世界に住んでいる少女の両親は少女の願いどおりだったけれど、ただし、その目はボタンでできていた。楽しいボタンの世界と誰からも構ってもらえない現実の世界。ボタンの世界に住むためには、目をボタンの目に付け替えればいいと言われた少女は……



「ねえ、深弥、これアニメだよね」

「ですね」

 私はソファーの上で架乃に背中から抱き抱えられながら映画を見ていた。

「わたし、雪女がれりごーれりごー歌うアニメをちょっとだけ見たけど、なんか、それと違って動きがギクシャクしてるけど、これ古いの?」

 ……雪女がれりごーって…Dィズニーに抹消されそうなことを言うなあ。

「これは、ストップモーションっていう手法のアニメーションですよ。普通のCGアニメとは全く違う特殊な撮影方法です」

「すとっぷぽーしょん?」

「モーション!」

 私は、一時停止する。

「え、なんで止めちゃうの?」

「ストップモーションが何か分かって見た方が面白いからですよ」


 私は、このあいだの動物園で買ったアデリーペンギンのぬいぐるみを持ってきて、ちゃぶ台の上に載せると、ちゃぶ台の上を横切るように少しずつぬいぐるみを動かしながらスマホで撮影した。10枚くらい。

「ね、見て」

 スマホの写真アプリでアニメーション再生して架乃に見せる。

 ぬいぐるみがちゃぶ台の上を滑っていく動画ができていた。

「ああ、高校のとき、みんなでコマ撮りの動画つくったことある」

 ストップモーションは知らないのに、コマ撮りって言葉は知ってるんだ。

「この映画もこれとおんなじで、人形を少しずつ動かして撮った映画なんですよ。背景や小物も動かしてます。ちょっとでも失敗したら、そのカットは全部最初から撮り直しです」

「それって凄くない?」

「物凄いです。めっちゃくちゃに綿密な作業だから、1本の映画をつくるのに何年もかかることがあるんですよ」

 私はぬいぐるみを片付ける。それから架乃の隣に座る。

「だから、心して見て下さい」



「うっわ……そう思って見ると怖い」

 場面場面で行われたであろう作業の煩雑さを想像したらしく、架乃は目を細めた。

 しかも、もともとのお話も子供向けにしてはダークでおどろおどろしい。

 アニメーションなんだけど、これもしっかりホラーだ。



 エンドロールを見ながら、架乃が言う。

「なんで、こんな手間暇掛けてまで、映画を撮るんだろう」

 私は頷きながら答える。

「なぜかは分からないけれど、私みたいな映画を見る人のために、これだけの労力を掛けて作品をつくりあげてくれる人たちには感謝しかないです」



「わたし、映画見てるときの深弥の目が好き」

 架乃は、私の頭を撫でる。

「だから、わたしも映画をつくってくれる人たちに感謝する」

 私の顔がかーっとなる。



「架乃は、そんなことばっか言うから、困る…」

 ソファーに座って、口と鼻を両手で覆う私の前に、架乃が立つ。

 腰を屈めて、右手で私の両手を口から剥がして、左手で私の顔を上向かせ、上から私に口づける。


 また、攻防戦が始まる?


 と思ったけれど、架乃は少しだけ唇を離して、座ったまま天井を見上げさせるかのように私の顔を上を向かせた

「噛まないでね」

 と囁いて、再び顔を寄せてくる。


 え?


 私の歯は架乃の舌を拒めず、攻防戦はいきなり決着が付いた。





「上向くと顎に力が入りにくいの」


 息も絶え絶えになって、ソファーから崩れ落ちそうになっている私を抱き止めながら、架乃が笑う。

「一生懸命、歯を食い縛ってる深弥を見てるのも楽しいんだけど、そろそろ、ちょっと我慢できなくなっちゃった」

 無理に歯をこじ開けられたわけではない、ないのだけど、そんなのあり?と私は混乱した頭の中で文句を言う。

 言葉にする余裕がない。




「…架乃、子供向けのアニメで……発情しないで」

 私の精一杯の皮肉に、あはは、と架乃の笑い声がして、恥ずかしがりながらも私も笑った。


 こんなことに、いつか私は慣れるのだろうか。

 …慣らされるんだろうなぁ







 6月も下旬になると、梅雨が本格化して雨の日が増えていた。


 通学も買い物も大変、洗濯物も乾きにくくて大変。

 そんなことを思いながら、日々は過ぎている。


 夏が近付いて日は長くなってきたけれど、雨が降ると街は少し暗い。

 4限までみっちり講義を受けて、それから同級生らと実験計画の話し合いをすると6時を回っていた。

 アパートの前に着いたときには、辺りはすっかり暗くなっていた。


 架乃から夕飯の材料を買って帰るってメッセージがさっき来てたから、架乃はまだ帰っていないようだ。


 傘を閉じて水を切り、階段を少しだけ上がる。




「あなたは誰?」


 小さな声がしたような気がした。

 同時に、背負ったリュックを引っ張られたのか私はバランスを崩した。



 ストップモーションのアニメのように

 視界がぎくしゃくと変わっていく。



 体が後ろにひっくり返りそうになる。


 後頭部を庇おうとして、咄嗟に体を捻る。


 右手が階段を滑る。


 右の手のひらが地面に着き、そこに全体重がかかる。


 手首がふつう以上に後ろに曲がった感じがした。




 2、3段とはいえ、手首から階段を落ちた。

 手首の次に肘、肩、そして体が地面に着き、そのまま、ぐしゃっと雨に濡れた階段下に転がった。


 視界がぐるっと回って、目の前には横になった駐輪場があった。

 右腕を下にして、地面に横たわっていることに気付いた。


「う、あ」

 次の瞬間、右腕の痛みに呻いた。


 仰向けになって、右腕を解放するが、痛みは余り変わらない。


 左側に重心を掛けて、左手を使ってなんとか上半身を起こす。

 ずるっとお尻を滑らせて、階段の手すりに寄り掛かった。


 右腕が痛い


 雨が冷たい





 地面の上、私の眼鏡が雨に打たれているのが見えた。















◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「コララインとボタンの魔女」(2009)


今年は、これにて更新おしまいです。

読んでいただいてありがとうございました。

良いお年をお過ごし下さい。


  うびぞお

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