皐月 カヌキさんがとぐろを巻く
皐月
目が覚めた。
自分の部屋じゃなくて、カヌキさんの部屋だ。
ああ、また映画見て、そのまま泊まったんだっけ…
… 架 乃
カヌキさんがわたしの名前を呼んだ声を思い出す
いきなり脈拍が上がった。
そうだ、わたし、たち、昨日から
目を開ける
いない
隣に寝ている筈のカヌキさんがいない
一瞬、焦る。
でも、キッチンの方から音がした。
ああ、そっちにいるんだ。
安心して、また目を閉じた。
「……私がなりたいのはミヤコダさんの『恋人』です」
「私ではミヤコダさんの恋愛対象にはなれませんか?」
昨日の切羽詰まった顔のカヌキさんを思い浮かべて、その言葉を頭の中でリピートする。
にやける
ふと思い立って、自分で自分の体に触った。感触は寝間着のスウェット地だった。
脱いでない
ということは、キス以上は手を出していない、筈。
「そろそろ起きませんか?パンが冷めちゃいますよ」
「はーい」
キッチンにいたのは、いつも通りのカヌキさんだった。
余計なことを言わず、もくもくと先にトーストを食べている。
昨日のキスは、夢だったのだろうかと、一瞬とまどったが、カヌキさんがわたしの顔をちらっと見て、すぐに目をそらしたので、夢じゃなかったと実感できた。
「おはよ」
「…おはようござい………」
ます が尻つぼみで聞こえない。
そんなに恥ずかしがられると、こっちが恥ずかしい。
「カヌ、深弥、今日、どっか行こ」
ぴくっと震えて、パンの咀嚼を止めるカヌキさん。
「…どっかって?」
「うーん、行きたいところある?」
「ミヤコダさ……架乃さんは行きたいところありますか?」
「架乃だけ、さんは、いらない」
うわ、眉間に縦じわができた。まだ、呼び捨てに抵抗を示すか。
「昨日、さんざん、呼び捨てしてたのに」
カヌキさんの額の縦じわが深くなり、顔が赤くなり、口許がちょっと歪む。多分、昨日のナニかを思い出しているんだろうなあ。
「じゃあ、動物園に行こうか」
「動物園?」
「うん、うちの大学で、カップルが行くと必ず別れる、っていう伝説のある地元の動物園」
「……そんな噂あるんですか?」
「らしいよ」
確か、モリが大学で最初にできた彼氏と行ってすぐに別れた筈だ。モリの失恋は伝説のせいではないと思うけど。
どこの大学にも、地元の動物園に行くと別れる伝説があると聞いたことがある。本当だろうか?
「そんなとこに、わざわざ行くんですか?私と1日で別れたいんですか?」
カヌキさんが口を尖らせた。
「最初から、障害を乗り越えに行くの」
胸を張って言うわたしを見て、カヌキさんが苦笑いする。
「やっぱり、…架乃って変」
ゴールデンウィーク明けの土曜日。
親子連れで動物園は混んでいる。
小さい子たちの邪魔にならないように歩く。
「動物園って小学校以来かも。うわ、大きい」
カヌキさんがアジアゾウを指差しながら言う。
泳ぎ回るシロクマに見とれる。
キリンを見上げる。
なぜか、サイをじっと見詰める。
カヌキさんは、どうやら大きい動物が好きらしい。
「架乃、ワニとかヘビとか大丈夫ですか?」
ハ虫類館には、ワニとかヘビがいっぱいいた…。映画のワニは怖かったのに、動物園のリアルのワニは動かないので怖くない。顔だけ出してぷかーっと浮いている、お間抜けなワニもいた。
ヘビは見ている分にはきれいだなあと思うけど、やっぱり気味が悪い。
わたしがニシキヘビを首に巻いてみたら、カヌキさんが逃げた。
ドロドロヌルヌルした化け物の映画は好きなくせに、リアルでは弱虫だ。
「帰ったらヘビに襲われる映画を見ましょうか」
「マジ?」
「ははは、マジです」
「ペンギン行きたいです。アデリーペンギン好きなんです」
カヌキさんがわたしの手を引っ張る。
「深弥、すっごい楽しそうなんだけど」
誘ったわたしより、絶対楽しんでる。
「楽しいですよ!あれ、あれがアデリーペンギンです」
白黒のシンプルなペンギンを指差しながら、カヌキさんは恥ずかしそうに笑い、それから他の客に聞こえないように耳打ちする。
「だって、恋人と二人でお出掛けですよ」
カヌキさんて、こんな可愛いこと言うんだ。
ひととおり見終わって、動物園の高台にある展望台で休憩することにした。
ベンチに座ってペットボトルのお茶を飲んで、一息つく。
5月の風。
この街は海が近いので、少し湿度が高い。
東側に太平洋が広がっている。
「…まだ、実感がない、です」
カヌキさんはペットボトルを両手に持って、足を前に投げ出すように座っている。
「ミヤコダさん、じゃなくて、架乃を見てると自分でいいのかなあ、って思ってしまうんですよ」
「そんなこと」
「あ、そんなことないって知ってますよ。変なホラー映画が好きで慇懃無礼で強情で融通がきかなくてお洒落が嫌いで酒癖の悪い私のことが好きって言ってくれましたから」
うわあ、わたしの言ったこと根に持ってる。
「でも、本当に、いいんですか?架乃は今までずっと、男の人と付き合ってきたでしょう?」
「深弥だって、そうじゃない」
「私は、ちゃんと付き合ったのは一人しかいないし」
「ちゃんと、って……わたしだって、今まで自分がちゃんと付き合ってたかどうかなんて分かんない」
お茶を飲む。冷たさが喉を下っていく。
去年の秋
初めて二人で海岸沿いのショッピングビルにある映画館に出掛けた。
今思えば、わたしは、あの頃からカヌキさんのことを恋愛対象として、感じていたと思う。
ただ、その感情が「恋」だと気付かなくて、強引に「友情」を当てはめていた。
もう明らかに、お互い「友情」なんかじゃなかったじゃんって、今なら分かるんだけど、昨日、カヌキさんに言われるまで本当に気付いてなかった。
「わたし、半年以上前から、深弥のことが好きだった」
ペットボトルを持っているカヌキさんの手に触れた。カヌキさんの肩に力が入って緊張したのが伝わってくる。
カヌキさんに彼氏がいることを知ったとき、すごく動揺したのを覚えている。
うじうじ悩んでいるカヌキさんを見て
別れちゃえばいいのに
って本気で思ってたけど、別れる別れないを決めるのは本人たちだから、わたしにははっきりとは言えなかった。
どっちにしても、わたしは友達でいられるからいいやって思いながら、でも、もし、カヌキさんが彼氏と別れなかったら、カヌキさんを取られてしまうって思って、嫌で嫌で仕方なかった。
「さっさと別れなよ」って何回言おうと思ったか。
ペンションの同じ部屋で、隣のベッドに寝ているカヌキさんに、何度キスしようと思ったか。
今、思い出しても、春休みのアルバイト中は、ちょっとキツかった。
「…本当にずっと好きだった」
カヌキさんに聴かせるつもりはなく、呟く。
「うううう」
カヌキさんが小さな唸り声を出して、わたしの手が触っていない方の手でペットボトルを頬に当てる。顔が真っ赤だ。
「お茶が熱くなっちゃいます。もう十分です」
「深弥、好き」
耳元で囁くと、カヌキさんはペットボトルを地面に落として、両手を顔で覆って小さくなってしまった。
ペットボトルがころころ転がって行くのをわたしは何だか楽しくなりながら見送って、それから慌てて拾いに走った。
動物園からの帰り、ゴールデンウィークのバイト料が入ったわたしたちは、地元で有名な洋食店で少しだけ豪華な夕飯を食べた。
それからまた、カヌキさんの家に帰って
キスをして
……ヘビの映画の2本立てを見せられた。
映画撮影隊がアマゾンで巨大なヘビに食われる映画と
飛行機の中で数千匹の毒ヘビが乗客を襲ってくる映画
動物が襲ってくる映画は、怖いっていうより、驚かされるシーンが多くて心臓が休まらない。
いつかまた、あの動物園に行ったとき、ニシキヘビをカヌキさんの首に巻いてやろうとわたしはひそかに決意した。
わたしの恋人は怖い映画でわたしを怖がらせて喜ぶ。
でもわたしは、彼女のそんなところも気に入っている。
うん、とっても
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「アナコンダ」(1997)
「スネーク・フライト」(2006)
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