皐月 カヌキさんと百夜を過ごそう
5月
4月になって、わたしたちは無事2年生に進級した。落とした単位はないので、再履行する講義はない。1年のときより一般教養と呼ばれる講義が減った分、専門の科目が増えて、人文棟と呼ばれる学部の棟で講義を受けることが増えた。カヌキさんも同じで、なんとか演習だか基礎実験だかが増えたとか言ってて、やはり理学部棟の授業が増えて、教養棟で見掛けることが減った。
時折、カヌキさんを学食で見掛けると、白衣を着ていることがあって、理系なんだなあ、と改めて思う。
学食では、カヌキさんと女の子の友達が一つのテーブルにいて、その周囲に少し距離を取っていつも白衣の男たち数人が陣取っている。
クリスマスにカヌキさんを誘おうとしていたヤツらだよな、あれ。
カヌキさんは、あいつらに守られてるんだか、狙われてるんだか。
学食でカヌキさんがわたしに気付いて
手を振ってくると、わたしたちも手を振り返す。2年になってからは、大抵、アライとモリとニトウと四人で歩いているからだ。ニトウは可愛いモノ好きなので、カヌキさんを見ると嬉しそうだ。
「カヌキさんと、また、飲みに行きたい」
「ニトウ、お前には、もう飲ません」
ニトウにアライが本気で突っ込んでいる。ニトウの酒の粗相はアライが始末することが多いらしく、最近、酒癖の悪いニトウに腹を立てているらしい。
大学では、自分の限界酒量を把握することも大切な課題だよ、ニトウ。そしてカヌキさんも。
「ミヤ、カヌキさん、彼氏いないって本当?」
恋愛話の好きなモリがわたしに尋ねてくる。
「自分で聞けば?」
そう答えるわたしはその答を知っている。つい10日くらい前に聞いたばかりだ。
「今度、そーするわー。飲み会、企画したらカヌキさん誘ってね」
「モリ、あんた、カヌキさんとこの理学部男子との合コン狙ってるでしょ」
わたしの突っ込みに、モリがうふっと笑って偉そうに言う。
「酒と恋と女の友情はさ、大学の必修単位だと思うのよ」
言い得て妙だ。
「そういうミヤは、彼氏つくらんの?」
ニトウがこっちに矛先を向ける。
「つくらん」
わたしは、ニトウの訛りを真似ながら、あっさり答える。
「勿体ないねえ、クィーンになったのに。どうして?」
「クィーンは関係ないでしょーが。…まあ、いい人がいたら、また考えるよ」
わたしは軽く流す。実際、その気は全くない。
「まあまあ、ミヤにはカヌキさんがいるし」
アライが余計なことを言うと、みんながそうだったとけたけた笑う。
わたしも笑った。
そんな感じで、わたしの大学生活2年目は穏やかに始まった。
そうこうしているうちにゴールデンウィークがやってくる。
春休みに帰れなかった分、さすがに帰省しようかと思っていたわたしに、ペンションを経営している叔父から電話が入り、ゴールデンウィークも手伝ってくれと泣きつかれた。叔母の料理とか、叔父の人柄やサービスが好評で、予約が増えたものの、信頼できる従業員やアルバイトを見付けられなかったらしい。
『できれば、
叔父夫婦はカヌキさんも期待している。今なら仕事を新しく教える必要がないし、春休みにはよく働いてくれたからだ。
「あ、はい。大丈夫ですよ。今バイトしてないし」
あっさり引き受けるカヌキさんである。
春の住み込み3週間のアルバイトのときに、それまでバイトしていたレンタルビデオショップを辞めたので、時間は空いていると言う。
「4月29日から5月5日まで6泊7日間だって」
はいはい、とカヌキさんは言いながら、スマホに予定を入力していた。
「でも、ミヤコダさんが一緒じゃなかったら、やりませんよ」
スマホを見ながらカヌキさんが言う。
「大丈夫、また24時間ほぼ一緒にいるから」
「それなら、いいです」
「ねえ、飽きない?わたしとずっと一緒にいて」
きょとんとした顔でカヌキさんがわたしを振り返る。
「……ミヤコダさんって、私の人生で最大にエキサイティングな存在なんですが」
なんだ、それ?
高校のときから、ちょくちょくアルバイトしていて慣れているとはいえ、叔父のペンションの仕事はやっぱりハードだ。
春休み同様、カヌキさんは仕事の合間合間でぐったりしている。
でも、昼休憩のときのカヌキさんは春休みのときと少し違った。
わたしたちの部屋は使っていないツインの客室なので、ベッドが二つある。
二つあるのに、カヌキさんは、わたしが座って本を読んでいるベッドに毎日潜り込んでくるようになった。
「狭くて体が休まらないっしょ、それじゃ」
カヌキさんは、そんなわたしの言葉を無視して昼寝をし始めた。
それじゃ、わたしが落ち着いて読書できないよ。
仕方なく、体を少しずらして、スペースを作った。
疲れているのだろう、すぐに、すーすーという寝息が聞こえ始めた。
起こさない程度に髪を撫でる。
染めたことがないという、全く痛んでいない黒髪。
ゴールデンウィークだけど、この辺りの日差しには、もう夏が混ざっていて、昼間は汗ばむくらいだ。
カヌキさんの髪もほんの少し湿っていて、いつもほどさらさらはしていない。
「すぐに夏が来るね」
そう呟くと、カヌキさんが薄く目を開ける。
うん、と小さく頷いて私の手に触って、また眠りに落ちた。
1週間なんてすぐに過ぎる。
最終日まで全く遊びに行く暇もなく働かされ続けて、わたしは叔父を睨みつけながら給料袋を掴んでいた。なんか割りに合わない…
「まあまあ、バイト料はちょっと弾んでおくからさ」
「今度は、ゆっくり二人で遊びに来てね」
叔父と叔母の声にカヌキさんは微笑むものの疲れた様子を隠せない。
「あ、深弥ちゃんには、おまけ付けるでね」
叔父が渡したのは映画のブルーレイソフト。
花冠の女性の泣き顔のアップとその後ろに青空。表情と空のコントラストが強くて、なんか物悲しさと不安を与えるパッケージの絵だった。
カヌキさんは、じっとそのジャケットを見て、それから抱き締めるようにブルーレイを抱え込んだ。
「これ、ありがとうございます!!」
カヌキさん、めちゃくちゃ嬉しそう。
え、てことは、それホラー映画なの?そんなにジャケットが色鮮やかなのに???
「俺、映画館で観たかったわ、それ。凄くいいよ」
「すごく評判ですよね」
なんだか叔父とカヌキさんが盛り上がっている。二人とも目がきらきらしている。
気になる…
「帰ったら、一緒に見ていい?」
「ミヤコダさ……
叔父夫婦の姓もわたしと同じ都田なので、叔父たちの前ではカヌキさんは、わたしを「架乃さん」と呼ぶ。
そう呼ばれると、実は、結構照れる。
わたしも、それに合わせて叔父たちの前ではカヌキさんを「深弥」と呼び捨てにしていて、春休みからちょいちょい呼び捨てにしてはいるのだけど、内心、「深弥」は呼び慣れなくて、心の中では、まだ「カヌキさん」と呼んでいる。
「じゃ、明後日の金曜日か土曜日の夜に一緒に観ますか?」
わたしは、うん、と頷いた。
そう簡単には泣かないぞ。
そう思いつつ、この間、悪魔払いの古い映画で泣いたのを思い出した。あれ、マジ怖かった。
あれと同じくらい怖かったらどうしよう。
約束の日、それが5月7日
わたしは駅前のカフェでのバイトを続けている。長期休みにシフトを抜ける私をよくもまあ雇ってくれているもんだ。
講義の後、6時から9時までのバイトシフトを終えて帰宅すると、わたしはシャワーと着替えを済ませ、いつものとおり勝手知ったる隣のカヌキ家を訪問した。
「お疲れさまでしたー」
カヌキさんが出迎えてくれた。カヌキさんも寝る支度を終えており、映画を見たら寝るだけの状態になっている。
「うーん、ソファがいいかベッドがいいか。どうしましょうね」
「ちょっと時間が遅いからベッドにしちゃえばー」
「じゃそうします」
カヌキ家の大型テレビの前にあるソファーベッドのソファー部分のマットレスを引っ張り出すとソファーはセミダブルベッドに変形する。そこに敷きパッドと掛け布団を敷けば、すぐに寝られる状態になる。背もたれは残ったままなので、寝転がっても座ったままでもテレビが見れる。優れものだ。
部屋のスペースを食ってしまうのが欠点だけど。
「ところでミヤコダさん」
背もたれに自分用の枕を置いて、寄り掛かって映画を見ようかと思っていたわたしにカヌキさんが声を掛けてきた。
「…ちょっと聞いてほしいんです」
あれ、真面目で緊張している表情だ。ちょっと頬が赤い。
「実は、今日で、私が失恋してちょうど1ヶ月です」
ああ、そんなになるか。早いなあ
わたしは、膝を立てて膝の上に両腕を抱えておくようにして座った。体育座りだ。
カヌキさんは、そんなわたしの前で正座した。
「失恋からの気の迷いだったら困るから1ヶ月しっかり考えました」
「何を?」
カヌキさんはちょっと目を伏せた。
「ミヤコダさんのことです。……もう、手を離されたくないんです。だから考えました」
カヌキさんは、正座している膝の上の手をきゅっと握り締めた。
「ミヤコダさんは、私のことを、『一番の友達』とか『親友』みたいに思ってくれているのは重々承知してます」
わたしは、まだ、状況が読めないでとまどっている。
「…でも、私には、『友達』も『親友』も違和感がずっとあって…」
え?この話の流れって……
わたしはごくんと唾を飲み込んだ。
「……私がなりたいのはミヤコダさんの『恋人』です」
鼓動が早くなった。
カヌキさんは、顔をあげて、わたしを見る。
「私ではミヤコダさんの恋愛対象にはなれませんか?」
カヌキさんが震えていることに気付いた。
膝も、膝の上に置いた手も、声も。
精一杯の真剣な顔だ。
どうしよう
どうしよう
どうしよう
どうしよう
なんて、なんて返事をすればいい
わたしは
わたしの気持ちは
言葉を出す前に、もう先に、わたしの体が反応していた。
正座をしているカヌキさんの前に、膝立ちになって、両手でカヌキさんの眼鏡を外すと、右手をカヌキさんの顎から頬に当てて、少し顔を持ち上げて
「…架乃って呼んだら、『恋人』にしてあげる」
じゃ、友達でいいです、ってまた言う?
カヌキさんが、口を少し開けて、ぱくぱくさせた
それから、すーっと息を吸って吐いた。
「… 架 乃 」
たまらず唇を重ねる
次に頬、まぶた、ひたい、顎、そして、また唇に戻る
すると、カヌキさんの手が私の寝間着のすそを震えながら握り、カヌキさんもゆっくり膝で立って
自分の唇をわたしの唇に押し付けてきた。
少しだけ顔を離す
「架乃」
キス
「架乃」
キス
…
…
…
なお、わたしも、カヌキさんを深弥と何度も呼んでみたけれど、赤くなるだけでキスしてくれなかった。
それから、カヌキさんではなくて深弥に叔父がくれた映画を、わたしは深弥をその背中から抱き締めて、べったりくっついたまま見た。腕の中にはガチガチになっている人がいるが、まあ、それはそれ。
なんだか頭がぼーっとして、最初はストーリーがうまく入って来なかった。
でも、ガチガチな人は、すぐに映画に集中し始め、それに釣られて、わたしも画面から目を離せなくなっていた。
精神疾患を抱えた妹が無理心中し、家族を全員亡くした主人公の女子大学生は精神的に不安定になり、恋人もそんな彼女に別れを切り出せずにいた。ぎくしゃくした関係のまま、彼女は彼の友人達と一緒にスウェーデン旅行に出る。スウェーデンからの留学生が彼らを故郷の小さな村の夏至祭に招待していたのだ。白い民族衣装を着た村人たちは彼らを歓迎するが、その翌日、村人全員の食事会の後、最も高齢である男女が死ぬ。それは村の儀式であった。彼女もその恋人も、仲間達も異様な儀式に否応なしに巻き込まれていく。季節は、白夜の夏。夜になっても明るい青空のままであり、村中が色とりどりの美しい花で飾られている……
「救われない、救いの物語か…」
深弥が感想をクールに呟く。
私の方は、途中から、不安で怖くて仕方がなく、ぬいぐるみを抱えるように、後ろからぎゅっと深弥に抱き付いていたので、映画の最後に「だから言ったのに」とドヤ顔で笑われた。
ていうか、映画が始まるまで、いい雰囲気だったのに、この映画って主人公カップルが酷い目に遭うから、ムードとかそういうの色々結構ぶち壊しだよね。しかも、今、とってもいい顔でスマホで映画のこと調べてて、背中にくっついてるわたしのこと忘れてるよね。
まったくもって映画バカ
「ねえ深弥、わたしと映画、どっちが好き?」
「映画」
即答されたわたしは、それはもう、ぎゅーぎゅーに抱き締めて、締め上げて、二人でそのまま笑い転げた。
5月7日は記念日
最初の思い出の映画はもちろんホラーだ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「ミッドサマー」(2019)
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