去年の春  ポシェット

インターミッションその2


 




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「あの二人、別れたって」



 少女は、同級生たちの噂話に耳をそばだてた。

 高校3年生の12月。年が明ければ重要な試験がある。

 そんな大事な時期でも、女の子たちは校内のスキャンダルニュースの噂にざわめく。

 ましてやそれが、校内で目立つカップルの破綻ならば尚更だ。




 少女は教室の2階の窓から外を見る。


 ちょうどその彼女の方が校門に向かっていくところだった。

 すっと背を伸ばして、前を見詰めて、一人悠々と歩いている。彼女はいつも姿勢が良く、堂々としている。

 すぐに誰かが彼女に声を掛けて近寄っていく。

 校門を出る頃には、彼女は3人の女子生徒に囲まれていて、何か面白い冗談でも聞いたのか、大きな口を開けて笑っていた。

 そこには恋人と別れたという悲壮感は全くなかった。





 彼女自身は、目立ちたいと思っているようではないのに、何かにつけて人目を引く。


 整った顔や女らしい体つき、そして仕草が高校生にしては大人っぽすぎて、制服が似合わない。

 成績は上位だが、かと言って品行方正ではなく、叱られるか叱られないくらいに髪を染め、化粧もしているので見た目は派手だ。

 酒好きをからかわれているところを見たこともある。

 スカート丈の長さで生活指導の教師と衝突することは少なくないが、その教師とも笑顔で対等に渡り合っている。

 一方では、明るく気さくなのか、教室でもどこでも、周りにはいつも男女問わず誰かがいて、賑やかに華やかに過ごしている。


 少女は、いつもそんな彼女をいつも盗み見ていた。彼女の噂があれば、それに耳を傾け、時にはこっそりと彼女に近付いて、彼女の情報を宝物のように集めていた。




 少女が彼女を知ったきっかけは、彼女が少女の幼馴染と付き合い始めたことだった。


 よくある少女漫画のように、弟のように可愛かった幼馴染の男の子が、中学校に入学した途端に男らしくなったことに気付いて、少女は幼馴染を異性として意識し始めた。いつか自分が幼馴染と結ばれるのだと期待するようになった。


 しかし、気が付くと幼馴染は少女ではなく、彼女と交際を始めていた。


 同じオーケストラ部で同じ弦楽器パート。

 背の高い幼馴染と彼女は、並んで立っているだけで絵になる。そんな二人が熱心に練習している姿を見掛けるたびに少女は自分が横入りするような隙はないことを思い知らされた。


 そのうちに少女は彼女について知りたくなった。


 始まりは、自分の幼馴染を奪われたという子供っぽい嫉妬だった。

 幼馴染がどんな女に引っ掛かってしまったのか、どうやったら奪い返せるのかを知りたかった。

 違うクラス、違う部活だから、意識していなければ幼馴染と彼女を見付けることはできない。

 少女の目は、いつも二人を探していた。


 彼女のようになれば、幼馴染を取り戻せるかもしれない。

 ふと思い立って、同じような色に髪を染め、化粧の仕方を真似た。

 友達からは、派手なイメチェンと言われただけで、素地が違いすぎるのか、彼女に似せていることには気付かれなかった。

 少女はがっかりした。



 そうしているうちに、幼馴染を慕う気持ちよりも、彼女のようになりたいという気持ちが強くなっていることに、少女は気付いた。

 二人を覗き見ていても、少女の視線は幼馴染ではなく彼女に釘付けになる。


 笑う唇の動きと、ちらっと見える赤い舌と白い歯のコントラスト。

 直線的な鼻梁と、それが顔に落とす影。

 形の良い耳と、耳たぶの透明なピアス。休日にはどんなピアスに付け替えられるのだろうか。

 そして瞳。絶対に自分の方には向かない視線。




 ある日のこと


 少女は、いつものように幼馴染と彼女をこっそり追い掛けた。

 二人は、学校の人目のないところで抱き合っていた。

 少女は、少し離れた物陰に隠れて、二人が口付ける姿を覗き見ていた。

 テレビの中ではない、生々しいキスシーンを見て、少女は唾を飲み込む。

 二人の顔が離れた瞬間、少しだけ開いていた彼女の唇と、見えた舌にぞくっとする。

 さらに、幼馴染は、彼女のシャツの胸のボタンを一つ外し、そこに手を入れて動かす。

 彼女がびくんと体を震わせ、眉根を寄せた。

 すぐに、「こんなところで調子に乗らないで」と幼馴染は彼女にたしなめられ、その手を引っ張り出されていた。

 照れたような、でもまんざらでもない幼馴染の顔。男の顔をした幼馴染を少女は初めて見た。

 そのやり取りから、少女は、自分と同じ年齢の二人が、もう自分とは違うのだと理解した。


 その後、幼馴染の家から出てくる彼女を見掛けることもあった。

 人目がないと思っているのだろう、軽く口付けをして、そのまま二人で自然に腕を絡ませて並んで歩いていく。

 おそらく、幼馴染は彼女を家か駅かに送っていくのだろう。

 少女は、彼女の家の最寄り駅までしか知らない。

 幼馴染は、彼女の家も、彼女の部屋も、ベッドも知っているのだろうか。


 悔しい…

 二人の親密な雰囲気が自分にもたらした胸の痛みに少女は困惑し、それから自覚する。



 自分は彼女になって幼馴染に抱かれたいのではなく、自分が彼女と抱き合いたいのだと。






「あの二人別れたって」


 少女には、幼馴染と彼女が別れた理由は分からなかった。

 幼馴染は指定校推薦で地元の大学に入学が決まり、彼女は県外の大学を志望しているので、合格すれば遠距離恋愛になる。

 先に大学合格を決めた幼馴染が煩わしかったのか、遠距離恋愛が面倒だったのか、それとも他の理由があったのか。それを知っても何もならないと思うと、少女は二人が別れた理由を調べる気にはならなかった。


 だが、もう幼馴染と並んでいる彼女を見ることはないのかと思ったとき、自分と彼女をつないでいた何かが切れてしまったように感じた。




 その晩、少女は、ご近所の幼馴染という立場を利用して、幼馴染の家を訪れて上がりこんだ。

 けろりとしていた彼女と違い、ベッドに寝転がっている幼馴染はひどく落ち込んでいる風だった。

 それを見て、二人は別れたのではなく、幼馴染が振られたんだ、と少女は悟った。


「慰めてあげようか?」


 少女は幼馴染を誘う。

 幼馴染の寝転んでいるベッドに座り、顔を近付けた。

 幼馴染は、一旦は拒否して、少女の顔を避けようとしたものの、少女が無理やり唇を押し付けてきて、その舌で唇を舐められていると、その誘いに抗えなくなった。


 幼馴染に抱かれながら、彼女もこのベッドでこうして抱かれたのだろうかと思った。

 幼馴染に身体中をまさぐられ、その感触をどう感じたのだろうかと想像した。

 同じ男に抱かれることで、男を挟んで自分と彼女とつながったように思えた。

 彼女と自分が同じ紐で縛られているようで、破瓜の痛みですら愉悦に感じられた。







 4月



 違う学科への補欠合格だったが、少女は彼女と同じ大学の同じ学部に滑り込むように進学することができた。


 入学式で周りを見渡すと、制服ではなくなった彼女は、一段ときれいで大人っぽくなっていた。

 初めて見た私服姿に胸がときめく。


 高校のときのように、これからまた、離れたところから彼女を目で追ってしまうのだろうと予感した。


「へぇ、あの子、きれい」

 たまたま少女の隣に座った新入生が、彼女をこっそり指差していた。

 その声には、感嘆だけでなく、僻みも入っていた。


 その瞬間、少女は暗い黒い気持ちに囚われる。

 私だけが彼女を見ていたい。

 そのためには、これ以上、彼女に人を近付けたくない。

 幼馴染みのように彼女に恋人ができるのも、友人たちが集まってくるのも不快だったのだ。

 自分だけが彼女と繋がっているべきだ。

 男であろうと女であろうと。


 そのためには、彼女を貶める。




「私、あの子と同じ高校から入ったんだけどさ、あの子、高校のときから男好きで有名だったんだよ」

「ふーん」

「…誰とでも寝るんだって」


 自分以外の同級生から嫌われてしまえばいい

 バカな男しか近寄らないようにすればいい


 少女は、悪意の種を撒いた。





 10日ほどが過ぎて、学部全体のオリエンテーションを兼ねた合同授業があり、少女は、彼女と同じ教室にいた。

 教室といっても高校と違って広い講堂のような教室だった。テレビに出てくる大学みたいだな、と少女は思ってから、自分がもう大学生になったことを思い出した。

 段差のある席が、教壇を取り巻くようにずらっと並んでいる。

 机の波に飲み込まれそうだったが、見回して彼女を見付けると、彼女が少女の錨となった。


 少女は、こっそり彼女の斜め後ろに座った。

 高校時代には、こんなに近くに座ったことはなかった。


 彼女は几帳面にノートを取る。文字は意外に男らしく右上がりだった。

 ときおり、髪を書き上げる。

 髪の隙間にうなじが覗くと、金のネックレスの細い鎖が見えた。


 初めての近さに、全てが手の届く距離にあることに少女は興奮した

 あと少しで、ひとつになれる。そんな期待すらした。



 魔が差した、というのは、そんなときのことを言うのだろう。



 休憩時間、彼女が荷物の入ったトートバッグを置いて少しだけ席を離れた隙に、少女は、トートバッグから化粧品が入っていそうな化粧ポーチを抜き取った。

 化粧品のブランドが知りたかった。

 同じリップを使いたかった。

 そうすれば彼女とキスができるような気がしたからだ。


 少女は、授業が終わるとすぐに抜け出してトイレに飛び込み、彼女のポーチを開いた。



 それは化粧ポーチではなかった。


 財布、スマホ、手帳、鍵…


 

 よく見ると長い肩紐がついていて、それは化粧ポーチではなく、貴重品の入った小振りのポシェットだった。

 それらを見て、少女は自分がとんでもないことをしたと気付いて、我に返った。

 自分のしたことが犯罪行為であること。

 そして、これらがなければ彼女が相当に困るであろうこと。


 もう取り返しがつかない。

 教室に戻って彼女にこれを返す気力も勇気も少女にはない。


 教室にこっそり戻ると、もう、彼女は席にはいなかった。

 ポシェットが抜き取られていることに気付かなかったのかもしれない。


 少女は、隠れるように彼女が座っていた席に近付くと、机の中にポシェットを押し込んだ。



 鍵がなくて家に入れない。

 スマホがなくて誰とも連絡を取れない。

 お財布がないから何も買えないし、どこにも行けない。


 そのことに彼女はいつ気が付くのだろう。


 初めて、自分が彼女に影響を及ぼしたのだと気付いた。


 少女はその日、公園で夜を過ごした。

 あえて家に帰らず、誰とも連絡を取らず、食事もしなかった。


 きっと、彼女もこの街のどこかで、同じように夜を過ごしているに違いない。

 私も同じだ。

 私と彼女は繋がっているのだ。

 少女は嬉しくて仕方がなかった。公園の肌寒さですら自分を包む毛布のように感じられるほど舞い上がった。






 少女の撒いた悪意の種は発芽し、枝を伸ばす。


 春の終わりには、彼女は孤立していた。見る限り、いつも独りだった。

 高校時代のような華やかな笑顔を見ることはほとんどない。

 でも、彼女は変わらずに、すっと背を伸ばし、前だけを見て悠然と歩いている。

 一人であることを全く気にしていないように。



「大丈夫、私だけは、ずっと一緒にいるよ。あなたを見ているよ」


 少女はほくそ笑み、彼女に全く聞こえない小さな声で話し掛けた。




 眠る前、いつも少女は下着に手を入れる。


 この指は、彼女の指だ。


 だって、私は彼女と一つだもの。

 快楽の中で、いつも彼女は少女に笑い掛けている。






 少女はもはや少女ではなく、



 女であった。









◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


いつも読んでいただいて、ありがとうございます。


インターミッションの1話目は、委員長=カヌキさん、

2話目は、彼女=ミヤコダさんのお話でした。

(ちなみにポシェットとは、第1話で、ミヤコダさんとカヌキさんが出会うきっかけになった、ミヤコダさんが大学に忘れてきてしまったというポシェットのことです)


インターミッションでは、ちょっと普段と違う雰囲気で書いてみようとしました。

結論として、己の力不足に直面しました。

もう一つ、1日おきで公開するというのにも、なんとなく挑戦してみました。

これは完全に無謀でした……三日おきくらいのペースに戻ります。



うびぞお 

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