3月 逃げたいよミヤコダさん(後編)
3月
「逃げた女は大抵、雪国に向かって、そこで旅館の仲居をやるんだよね」
何を言ってるんでしょうか、ミヤコダさん?
大学受験終了後にダッシュで運転免許をとった後、ほとんどペーパードライバーだった私は、今、必死でミニバンを運転している。ほぼ初めて運転する大きな車で、車幅感覚が分からず、後ろをぶつけてしまいそうで怖くて仕方がない。助手席でミヤコダさんは鼻歌を歌っている。運転したことのない人は気楽だなあ。
逃げた女である私は、雪国の旅館の仲居ではなく、ミヤコダさんの親戚のペンションで住み込みのアルバイトを始めた。
この辺りは気候が良いので、一足早く春の花が咲く。春休みもあって3月は客が多く、特に、今年は予約が増えて、人手が足りなかったので、私は丁度良く駆り出された形になった。
ミヤコダさんは、高校時代から休みになるとペンションを手伝っていたという。どおりで長く帰省するわけだ。
4月の頭までの約3週間ここで過ごす。大学のある街にも地元にも私はいない。
ここで私が知っている人はミヤコダさんだけだ。
「
ぺこりと頭を下げると、ミヤコダさんの叔父さん夫婦が迎えてくれた。叔父さんがオーナーだ。
「こちらこそよろしく頼みます。今年はちょっと人手が足りなくてねー、助かるわー」
オーナーとミヤコダさんは少し顔の雰囲気が似ている。
「深弥ちゃんね、よろしくね」
叔母さん…マダムかな、マダムは優しそうで物静かだ。料理担当とのことだった。
それと、オーナーも映画好きで、私と話が合ったのがありがたかった。
好きな映画俳優か映画監督の名前を尋ねられて、最近、気になるホラー映画の監督の名前を挙げたらよしよしと握手を求められた。どうやらオーナーのお眼鏡にかなったらしくて安心した。年上の映画ファンから見たら、私なんてまだまだ薄っぺらい。
「時間が許す限り、映画を観なよ。若いときに感動した映画はずっと残るかんな。映画の知識や情報なんてWikipediaに書いてあるから覚えんでもいいんだ。面白いのも面白くないのも、たくさん観てさ、それで何かを感じることが大事だと僕は思っとるよ」
「はい!」
オーナーが私の苦手な、ウンチク垂れの映画マニアじゃなくて良かった。
「へー、叔父さん、映画好きだったんだ、知らなかった」
血のつながった姪であるミヤコダさんは、私に会うまで映画に興味がなかったので、オーナーの趣味を知らなかったようだ。
このペンションにもいくらかソフトが本棚に並んでいるというのに、全く気にしたことがなかったというから驚きだ。
「架乃、お前はなあ。」
「そもそも架乃は、昔から、これといった趣味がないのよねえ。強いて言えばヴァイオリン?」
「うーん、なんか違うんだよねえ。好きなんだけど、そんなに巧くならなかったし」
『架乃』と呼ばれながら、身内とフランクに話しているミヤコダさんが新鮮だった。
表情も言葉遣いも、いつもより少しだけ子供っぽい。
私も家族と話してるときは、こんな感じなんだろうか。
ペンションのアルバイトの仕事は多岐に渡る。接客、料理補助、清掃などなど。
私は運転免許を持っていたので、お客の送迎も担うことになり、駅や周辺の観光地の場所や道を覚えることから仕事が始まった。
「大丈夫、しばらくはわたしも一緒に案内するからさー」
「……」
「カヌキさん、顔が怖いよー」
「道案内だけしていてください。気が散ります」
「せっかくのドライブなのに」
「ドライブじゃないですよっ」
ただ逃げたというだけでなく、忙しくて悩むことからも逃避できる。
朝は早いうちから起きて、朝食の準備の手伝いと掃除。
朝食が終わったら、公共交通機関でお見えになったお客様を最寄り駅か、観光ポイントまで送っていく。
オーナーが忙しかったら、チェックアウトの清算もする。
戻ってきて、朝食の片付けと、部屋の片付けと掃除。
ここで休憩。私は寝る!
夕方になると、必要だったら最寄り駅までお客様をお迎えしに行く。
そして、チェックイン後のお客様の案内。
で、夕食の準備。
夕食が終わったら、オーナーとお客様たちの夜の団らんを見ながら片付け。
さすがは都田一族というべきか、オーナーはギター、マダムはピアノが弾けるので夜は賑やかだ。
私は、演奏は全くできないので、お酒やおつまみの提供を手伝っている。
ときどきミヤコダさんは、ヴァイオリンを披露する。…格好いい
大学祭のとき、人前で演奏し慣れていた理由がようやく分かる。
ミヤコダさんは、ここで弾く方が高校のオーケストラ部で弾くより楽しかったらしい。
深夜になる前には、音楽は終わる。
最後まで付き合う必要はないので、私は早めに上がって寝てしまう。
最初の3日間はかなりきつかった。だけど。
「架乃、深弥ちゃんはよく働くなあ。しかも、運転できるし、会計やれば暗算が早いし、接客できるし」
私がいないと思って、ミヤコダさんに私を褒めてくれるオーナーの声が聞こえたときは嬉しかった。
それを聞いて、すごいでしょーとミヤコダさんが胸を張る。
「わたしの1番の友達は、小さいけどハイスペックだからね」
ミヤコダさんが自慢できる友達で良かった、とふわっとうれしくなった。
うん、頑張ろう。
ハードだけど充実した逃亡生活!
これでいいのか、と思わないでもないけど。
あれから彼からのLINEは2~3回あった。相変わらず既読スルーする。
どうやら、アパートは自力で見つけたらしい。
私のアパートからは離れているところなのでほっとした。
ほっとした
…なんで?
理由は分からない。
でも、ほっとすることなんだ。
少しずつ、私は、自分の気持ちを振り返り始めている
「深ー弥ーちゃん」
「…なんですか?」
オーナーもマダムも名字は都田さんなので、「ミヤコダさん」と呼ぶと3人が振り返る。
必然的に、オーナーたちの前では、ミヤコダさんを「架乃さん」と呼ばざるを得ない。
それに、マスターとマダムが私を「深弥ちゃん」と呼ぶので、ミヤコダさんまでそう呼び始めた。
4ヶ月ももめていた呼び名問題が、いきなり解決しそうだ。
私が仕方なく「架乃さん」と呼ぶとミヤコダさんがにやにやするのが腹ただしい。
まあ、ミヤコダさんも、「深弥」と呼び慣れたわけでもなさそうだけど。
「眉間にしわ寄ってる。何か考えてた?」
ミヤコダさんが私の額を指差す。
私は中指で眉間を撫でる。どうも、ふとした折りに、そんな顔をしているらしい。
「つらつらと。…考える、というより、あれこれ思い浮かべてる、感じです」
「そか」
使っていないツインの客室を私たちはあてがわれ、ほぼ24時間、ずっと一緒に過ごしている。
今は休憩中。ミヤコダさんは隣のベッドの上に座って本を読んでいたが、私の眉間が気になったらしい。
私は、ベッドに横になって物思いに耽っていた。
「大丈夫?疲れてない?」
「逃げた女は雪国の旅館でこき使われるものでしょ」
「…まだ、余裕ありそうだね」
「はは、余裕なんてないない、これ以上は無理ですよ」
なら、いいかと言って、ミヤコダさんは読書に戻った。
静かになって、私は休憩時間を寝て過ごす。
多分、ミヤコダさんは私が休めるように気を遣ってくれているのだろう。
そうして、1週間が過ぎ、2週間目も終わろうとしていた。
「深弥ちゃん」
夕御飯の後片付けをしていたところをマスターに声を掛けられた。
「はい。何でしょう」
「今夜は、お客さんがホールに出て来ないけん、ここのテレビで好きな映画観ていいよ」
やった!
ここでバイトを始めてから映画を全然観てなかったので、気分が上がる。
「好きなの選んで」
と言っても、本棚に並んでいる映画のブルーレイやDVDにホラーの類いはほとんどないことはチェック済み。
本棚を眺めていると、オーナーが一人の俳優を気に入っているのが分かる。
子役から最新作まで、多分、その俳優の出演作をほとんど集めているようだ。
私は、その俳優のある主演作を手に取った。スリラーだ。
「お、深弥ちゃん、渋いとこ選ぶねえ」
「気になってたんです、これ。役作りが凄いじゃないですか」
その俳優は、いわゆるカメレオン俳優で、役柄に合わせて体型まで変えてしまう。この映画では30㎏のダイエットをして骸骨のような体型になって演技したことで、当時はとても話題になったらしい。
「えー、なに?わたしも映画見るー」
私がディスクをケースから出そうとしていると、片付けを終えたミヤコダさんが首を突っ込んでくる。
「架乃も映画を見るようになったのか?」
「深弥と友達になると、もれなくほらあ映画が付いてくるんだよ」
オーナーに変なことを言わないでほしいな、と思ったけど、好きな監督の名前でオーナーにはホラー好きなのはばれているのを思い出した。
「深弥ちゃん、架乃に何見せたの?」
「こないだ『エクソシスト』見せたら、架乃さん怖がって泣いてましたよ」
それを聞いて、ミヤコダさんが、きーってなって赤い顔で拗ね、オーナーだけでなく、キッチンにいたマダムまで「知らなかった。架乃がホラー映画で泣くんだ」と笑った。親戚内では、ミヤコダさんは、あんまり泣かない子で通ってきたらしい。
別の映画では号泣したことは黙っておいてあげよう。
主人公の男は、工場で毎日働いているが、謎の不眠症のために1年間もまともに眠れておらず、その体は痩せさらばえていた。同じ工場に一人の男が現れてから、その生活が変わり始める。主人公は仕事中にその男を見ていたために事故を起こし、同僚は腕を切断してしまう。しかし、主人公以外は誰もそんな男を見ていなかった。そこから、主人公は、現実と幻覚を行き来し始め、何が真実で何が幻覚なのか分からなくなる。幻覚に翻弄される中、主人公は真実と向き合うことになる…
「こういう話だったんですね」
「そう、痩せた男の話じゃなくてさ、逃げ切れずに追い詰められた男の話なんだ」
私とオーナーが演出や演技についての感想を話し合っているそばで、ミヤコダさんとマダムはダイエットの話になっていた。
逃げ切れずに追い詰められた男
主人公が逃げ切れなかったのは、罪悪感があったからだと私は思った。
罪悪感に追い詰められる
罪悪感って……
「深弥、叔父さんがあさって休みにしてくれるって。この辺、二人で観光しよっか?」
ここで働くうちに、ミヤコダさんは、名前呼びに慣れてきたらしく、ときどき呼び捨てされるようになっていた。
「マダムの軽自動車、借りてもらえますか?」
私は、自動車の運転には慣れたのに、いまだミヤコダさんを『架乃さん』と呼ぶのには慣れない。
「おっけー、借りとくね」
早咲きのしだれ桜
桜並木と菜の花
観光地特有の怪しげな博物館
海辺のカフェ
そして岬の灯台
高台にある灯台に向かって歩いていく。
春の海風は強いけれど、それほど冷たくはない。
灯台の周りは、1月下旬には水仙が咲くそうだが、今は何もない。
4月になると、蓮華とかの春の花が咲くらしい。
今はまだ春に少しだけ足りなくて、もの寂しい風景になっていた。
二人で遠出するのは、去年の秋の映画館以来で、あちこちを笑いながら歩いて回った。
ミヤコダさんも観光したことはほとんどなかったという。
でも、あのときと違うのは、私たちの距離。
秋頃から手を繋いで歩くことが増えていったのに、今のミヤコダさんは薄いベージュの春コートのポケットに両手を突っ込んで、私の少し前を歩いている。歩くペースは足の短い私に合わせてくれているけれど、いつも半歩くらい離れている。
そういえば、全くと言っていいほど、ミヤコダさんは私に触れなくなった。
寂しくて、ちょっと前を歩くミヤコダさんに手を伸ばしては、元に戻していた。
けど、我慢しきれなくて、袖を指でつかんでしまった。
「ん?歩くの早かった??」
灯台に向かう階段で、ミヤコダさんが私を振り返る。
「…」
なんて言おう
「繋がないよ、手は」
言いよどんでいたら、先に言われてしまい、顔を上げてミヤコダさんの顔を見た。真面目な顔だ。
「わたしね、狭量で嫉妬深いの」
階段の途中で足を止めて、ミヤコダさんが私を見下ろす形となった
ミヤコダさんの袖から、私の指が離れる。
「彼氏がいるときは、その人の1番じゃなきゃ嫌だから、彼氏が女に限らず他の誰かと近付くのは許せなかった」
「だから、自分も、男女関係なく、恋人がいるって分かった人とは誤解されない程度に距離を取るの」
それを聞いて私が眉尻を下げると、ミヤコダさんはふっと微笑んだ。
「でも、カヌキさんは、わたしの1番の友達だよ」
「…うん」
頷いた。今の私に頷く以外はできない。今は、その手にも袖にも手を伸ばせない。
今は
灯台に着いた。灯台の向こうは崖だ。
夕焼けが始まった海は少し荒れて、海面に白い波が立つのが見える。
春の強い海風が、私たちの髪を巻き上げる。
ミヤコダさんの耳に私のあげたピアスが着いていて、夕陽を跳ね返した。
「逃げた女は、雪国の旅館で発見されたら、後は海に身投げするしかありませんよね」
私がつぶやくと、ミヤコダさんが笑った。
「やめてよ、カヌキさん。今ここでダイブするんじゃなくて、夏に海水浴に来ようよ。あの水着着てさ」
「嫌ですよ!あれは、人前では着たくないです」
二人で笑った。できるなら夏もアルバイトをしに来れたらいい。
「ミヤコダさん」
「ん?」
「逃げるのは終わりにします」
海から吹いてくる風は塩辛かった
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「マシニスト」(2004)
主演:激痩せしたクリスチャン・ベール
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