2月 カヌキさんとお誕生日(後編)
2月15日 夜
9時半頃、バスはアパート近くのバス停に着いた。アパートまでは5分かそこら。
どちらともなく、手を繋いで歩いていく。
今日の飲み会のことを笑って話しながら。
アパートの前に着くと、カヌキさんが顔を上げた。
「ミヤコダさん、ちょっとうちに寄ってもらえませんか」
「泊まっていい?」
「いいですよ」
カヌキさんは、いきなりわたしが行っても大丈夫なくらい部屋を整えている。
部屋が散らかっていると落ち着かなくて映画に集中できないかららしい。
逆に、カヌキさんがうちに来ることはほとんどない。うちに来たのは、一度、拉致監禁したときくらいだ。あ、それで恐れをなしてうちに来ないのか。
シャワー浴びて髪を乾かして寝る支度を整えてから、カヌキさんちに行く。
夏には半居候していた時期もあって、カヌキさんちで過ごすことには、すっかり慣れてしまっている。
「おじゃましまーす」
カヌキさんはパジャマ姿で歯を磨いていた。
勝手に上がって、とジェスチャーで言うので、いつもどおりTVのある部屋にずかずかと入り、ソファーベッドの上に胡座をかく。
テレビには天気予報が映っていた。テレビの前には、レンタルしてきたらしいブルーレイが置いてある。
「お呼び立てしてごめんなさい」
カヌキさんが歯磨きを終えて、TVの部屋に入ってくる。
手には小さな紙袋。
「あらためまして、お誕生日おめでとうございます」
わざわざ、わたしの前でちょこんと正座をして、うやうやしく差し出してくる。
「私、よく分からないで選んでしまってるので申し訳ないです。でも、使ってもらえると嬉しいです」
今日、わたしはクリスマスにカヌキさんにもらったバレッタを髪に付けていた。
カヌキさんは、何も言わなかったけれど、わたしの髪を見ていたのは気付いていた。
それを思い出しながら、紙袋から小箱を出して、リボンと包装紙を丁寧に剥がして、蓋を開けた。
プリンセスのティアラの形を模した小さなピアス。
「ミヤコダさんはクィーンだから」
てへへとカヌキさんが照れる。
そんなカヌキさんを見ていたら、どうしても、今このピアスを付けたい!という衝動に駆られた。ふだん使いのピアスをすぐに外そうとして、カヌキさんが引いていることに気付く。
「うわぁ…、ピアスって、本当に耳に穴が空いてるんですね」
「人間の体に穴が空く映画を好んで見るくせに、耳たぶの小さな穴にビビるの?」
「う」
「折角だから、これ、付けて……ってダメか」
カヌキさんが嫌そうな顔をして、ぷるぷると首を横に振っていたので、付けてもらうのは諦めて洗面所に行って自分で付けた。
「お、可愛い!」
わたしには可愛すぎるかな、と思ったけれど、そうでもない。多分。
「見て見て、カヌキさん、似合うよね!」
「はい!」
カヌキさんが今度はうんうんと首を縦に振る。
「ミヤコダさんって耳もきれいですね」
「え?耳??」
昔から容姿を褒められたことは少なくないけど、耳を褒められたのは初めてかも。
「耳の形にきれいとかってあるのかな」
「きっとあります」
耳を見るために近寄ってきていたらしく、カヌキさんの声が間近から聞こえて、ちょっとだけ驚く。
距離を確認しようと、少しだけ首を曲げたら、もう、すぐそこにカヌキさんの顔があった。
「ミヤコダさん?」
カヌキさんも顔を上げて、わたしを見る。
やっぱり睫毛長いな
わたしの右手が勝手に動いて、カヌキさんの顔から眼鏡を外す。
カヌキさんは、眼鏡を外しやすいように少しだけ顔を左右に動かした。
ソファーの背もたれに、そっと眼鏡を置く。
レンズ越しではない瞳を見たのは久しぶりだ。
カヌキさんは、なぜ眼鏡を?というように、きょとんとした顔をしている。
右手の拳を緩く握って、その人差指と中指の背で、カヌキさんの頬に触れる。
その手がそのまま、カヌキさんの顎の下に触れて、顎を持ち上げた。
右手だけが勝手に動いているような。
いや、右手だけじゃなかった。
顔が、カヌキさんの顔に自分の顔が吸い寄せられる。
カヌキさんが長い睫毛を伏せた。
「…っじゃない!!」
左手が我に返り、わたしとカヌキさんの顔、口の前に潜り込んだ。まるでカヌキさんの口を塞ぐように。
やばい、本気で、やってしまいそうになった。
「ミヤコダさん、どうして?」
カヌキさんが上目使いでわたしを見る。なんで、そんなに恨みがましい雰囲気なの。
「え…だって、友達だし」
「友達だって、…してもいいと思います」
確かに、しちゃ悪いっていう決まりはないよね。普通はしないだけで。
「えーと、えと、カヌキさん、わたしがファーストキスの相手でいいの?」
カヌキさんが目を見開き、それから、視線を反らすように、眼球だけが右上に動いた。
「……ごめんなさい。…ファーストキスじゃないです」
ちょっと脳みそにガンっていう衝撃が来た。え?そうなの?
「…高校のとき、彼氏と…………キスだけですけど」
や、それを言ったら、わたしは処女ですらないわけだけど
初めてじゃないと嫌だ、なんて、思わないけど
けど
わたしのなけなしの理性は、どうする?
カヌキさんの目がわたしをじっと見る。
カヌキさんがしゃべるたびに、最後の砦になってる私の左手の掌を彼女の唇がくすぐる。
そして、細い声でわたしを呼んだ
「……架乃…」
理性のタガが外れて遠くへ飛んだ
わたしとカヌキさんを隔てていた筈の左手を、カヌキさんの耳の後ろに当てて、そのまま、カヌキさんの顔をわたしの顔に引き寄せる。
触れた瞬間、カヌキさんの肩がピクンと震えた。
カヌキさんのあごに当てていた右手でカヌキさんの左肩をつかんで、もっと自分に引き付けようとしたけれど、カヌキさんの肩には力が入っていて動かない。
少しだけ、唇を離すと、瞬間カヌキさんの肩から力が抜けたのが伝わってきた。
力が抜けたところを、右腕をカヌキさんの背中に回して引き寄せ、もう一度、自分の唇をカヌキさんのそれに押し付ける。
逃げようとしたけど、逃がさない。
ただ、唇を強く重ね続けるだけのキス
熱い
離れたくない
唇で唇をなぞる
カヌキさんの上唇を自分の唇で軽く挟むと、カヌキさんが歯を噛み締めている感触がした。それと、わたしの腕の中で、余りにもカヌキさんがガチガチに固まっていることに意識が向いて、我に返った。
顔を離して、カヌキさんの頭を自分の肩にそっと押し付けるようにして、抱き締めると、カヌキさんは、わたしの肩に顔をぎゅーっと押し付けて、名前を呼ぶどころか、顔も見せてくれなくなってしまった。
小さいカヌキさんが、更に縮こまって、震えて、わたしにしがみついている。
あれ?
わたし、何か間違えた?やらかした?
翌朝、朝御飯を食べながらカヌキさんが借りてきた映画を見た。
映画が始まれば、いつものカヌキさんだった。
誕生日に殺されては誕生日の朝に戻ってきて、また殺される話だった。
生き返るたびに主人公は、殺されないように、犯人を探すように、真実を探すようになっていく。
それにつれて、最初は性格の悪いビッチだった主人公が、だんだん魅力的になっていく
「もしかしたら、ミヤコダさんが一緒に映画見てくれるかなと思って、誕生日の映画にするか、バレンタインの映画にするか悩んで、これ借りてきたんです。存外、面白くて良かった」
カヌキさんがわたしを見て楽しそうな顔をした。
その顔を見て、わたしは昨日のことを気にしていない様子にちょっと安心する。
しかし、この映画バカの友人は、なぜ最悪の誕生日を繰り返す話をあえて誕生日に選ぶのだろう。
「面白かったですか?」
「え?うん。でも、これ、怖いってのと違うよね。これもほらぁ映画?」
「あー、確かに。そんなにぞっとはしませんね。そう言えば、これ続きあるそうです」
「それは、ちょっと見たいかも」
本当に言いたいことがあるときの、別の会話は上滑りする感じがする。
カヌキさんは、昨日のあれをどう思っている?
聞いてしまおうか。
無意識にピアスをいじっていた。
その、ちょっとした沈黙を破ったのはカヌキさんだった。
「…ミヤコダさん」
「ん?」
「……私、いつか、ミヤコダさんをちゃんと名前で呼びたいです」
胸がふわっとした。
「いつか、って。今からでも呼んでいいし」
無理、というようにカヌキさんは、顔を左右に一往復させた。
「いつか、です」
「名前で呼んでも、もう何もしないよ」
ええ、本当に。今はもう、わたしの理性のタガは戻ってきている、筈。
「実は、昨日は、予想外の、予想以上のが来て……ビビりました」
わたしはぷっと吹き出す。
そうか、怖くなって小さくなっちゃったんだね。
ビビるって言葉は似合わないけど。
「でも、…キスするより、名前を呼ぶ方が恥ずかしいです」
「なんで?なんか、それ、おかしくない?」
カヌキさんの小さな訴えに、わたしの声が大きくなる。
「分かんないです、そんなの。でも恥ずかしいんです!」
逆ギレ気味に、カヌキさんが私をにらむ。
「大体、ミヤコダさんだって、私のこと名前で呼んだことないじゃないですか?!」
え、そうだっけ?
「……み」
うわ、むちゃくちゃ恥ずかしい!
「ほーら、呼べないでしょ」
なぜかカヌキさんがドヤ顔をする。
「ミヤコダさんも、いつか、私の名前を呼んでください」
すぐに呼べるようになるよ、と思ったけど、ちょっと自信がなくて、口にはできなかった。
多分、わたしたちは、そう遠からず名前で呼び合うだろう。
そのときには、わたしたちの関係性はどうなっているのだろうか。
何はともあれ、Happy Birthday!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「ハッピー・デス・デイ」(2017)
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