2月 カヌキさんと誕生日(中編)

2月15日夕方


 駅から少しだけ離れた場所にある居酒屋。座席数の割りに敷地は広め。飾りは少なく、シンプル。アライが予約したという一番奥まったテーブルにわたしたちは陣取った。


「…私、居酒屋って初めてです…」

 カウンターの後ろにずらっと並べられた酒瓶を珍しそうにカヌキさんは眺めている。

 クラスコンパに出ない真面目なカヌキさんは、飲み会というものを知らないと言っていた。高校生のときからお姉ちゃんと飲みに行っていたわたしとは違う。

「カヌキさんは飲んじゃダメだよ」

「分かってますよ。ていうか、ミヤコダさんもダメですよね」

 カヌキさんが拗ねる。すぐ唇を尖らせるところは子供っぽい。


「え、ミヤって現役合格なの」

「二浪か三浪してるかと思ってた」

「絶対年上」

「サバよんでるっしょー。本当は28とか」

「あんたたち、人が老け顔で悩んでるの知ってて」

「え、あの、今日はミヤコダさんを祝うのでは…」

「ああ、祝ってる祝ってる」

「まず、飲み物オーダーね、はい、ビールの人、中指立てて」

「やめろっつーの」

「カヌキさんの手前、本日は成人のみアルコール可」

「えええ、わたしも飲みたい!」

「ミヤコダさん?」

「はい、本物の成人の二人は何飲むのー?」

「「ビール!」」

「シャンディガフ!」

「ミヤ、どさに紛れようったって、そうはいかない」

「…飲ませて。水で薄めるから」

「最初っから水割り飲む気かよ」

「ノンアル、コーラとジンジャーエールとウーロン茶」

「勝手に決められたー」


 乾杯前から大騒ぎになった。

 アライは勿論、モリとニトウとも飲むのは初めてなんだけど、この子ら、相当調子が良い。アライとニトウは一浪しているから、既に成人しているのでアルコール。残りの十代3人は残念ながら、誠に遺憾ながらノンアルコールだ。カヌキさんを酔わせるわけにはいかないので諦めた。当のカヌキさんが、わたしがお酒を飲ませてもらえないのを知って、したり顔になっているのが小憎らしい。


「じゃ、乾杯ねー」

 アライがジョッキを持ち上げる。

「本日はー、都田架乃のぉ、還暦の祝いに集まっていただき、誠にありがとうございまーす」

「おーい」「「「かんれきー!」」」「かんれき…」

「ではー、かんぱーい!」

「「かんぱーい」」「「おめでとー」」「かんれきー」「かんれきー」「かんれきー」

「19歳なんだってば!!!」


 乾杯の音頭の後には、すいすいと料理が運ばれてくる。

 特に奇をてらったメニューではないけれど、若い女の子向けで、野菜多目だ。刺身をカルパッチョにしてくれるとか、フライと一緒に、野菜やフルーツのフリッターが盛ってあったりとか。


 秋頃から急に親しくなって、その親しさが学内だけでは収まり切らなくなっていたわたしたちは、ふざけながら一気に距離を詰めている。

 そこにカヌキさんが自然に混ざっている。カヌキさんは、大学に入ってから自分の好きなことに空いた時間を割り振っていて、わたし以外の人付き合いはほぼ最低限にしているだけで、別に人見知りでも人付き合いが嫌いな訳ではない。むしろ、雰囲気を読んで相手にペースを合わせる方だ。今も、一人だけ学部が違うとは思えないくらい馴染んでいる。



「カヌキさん、映画好きなのー?映研とか入らんかったの?」

 ニトウは酒が入ったせいで言葉が少しなまってきた。ふだんは無理に標準語にしているらしい。

「いやあ、覗いてみたら意識高い系の人に上から目線で蘊蓄語られまして」

「うわあ、ありそー」

 そこにモリが乱入する。

「カヌキさん、彼氏いないのー?私ねー、きのー振られたー。本命チョコ拒否られたー」

 そこからモリを慰める会が始まる。


 カヌキさんが他の子と楽しそうに話しているのを見てるのは意外に楽しかった。カヌキさんの色んな顔が見れるからだ。そう思っている間に、カヌキさんとモリが同郷だと分かって、二人にしか分からない、謎のローカル言語を言い合い、ひしっとハグし合っているのを見たときは、さすがにちょっとイラっとした。



 お手洗いも広めで清潔で、鏡が大きい。トイレがきれいな店は良い店だ、うん。

 ちょっとだけメイクを直そうかと、思っているとアライが入ってきて、さっと用を済ませて出てきた。わたしはまだ鏡の前にいたので、アライが手を洗いやすいように体をどかす。


「ありがとね、アライ」

 ん?と手を洗いながらアライが顔を上げる。

「楽しいお誕生会をどうも」

「ふふん、お礼は体で払ってもらおうかな」

 アライはそんな冗談ばかりを言う。


「ミヤ、酔っぱらいの戯言だと思って、聞き流してほしいことがあるんだけど、いいかな」

 アライがちょっと真面目な顔をする。酔ってなんかいないくせに。

「あんた、私のこと、いい人だと思ってない?」

「いいヤツって思ってるよ。あんたがいなかったら、わたしの大学生活はかなりきつかったから」

 鏡の中のアライと目が合う。

「アライには感謝してる」


「やっぱり。ミヤは相当なお人好し」

 鏡の中でアライが目を伏せた。

「私さあ、ミヤが誰とでもヤる女って聞いたから」

 わたしは少しだけ眉をひそめる。


「私ともヤるかな、と思って近付いた」


 わたしは鏡から目を外して、隣にいるアライを直接見た。

 横顔のアライは目を伏せたままだ。

 つんつん頭の金髪。ピアスだらけの耳。冬なのにダメージジーンズの穴から素肌が見える尖ったファッション。

 そのファッションが周りから浮いていた。私も嫌われていたから、同級生から敬遠されている者同士、たまたま一緒に行動するようになって、たまたま気が合って友達になれたのだと思っていた。

 バカらしい噂を気にしないヤツだと思っていた。


「だから、あの噂を聞いて、ミヤに飛び付こうとした男共と同じ」

 アライが自嘲するように口角を上げる。

「いや、寂しそうにしてるミヤに漬け込んだから、一番卑怯者だな」


 …わたし、一番危険なヤツと仲良くなってたのか。

 ぷっと笑ってしまった。

 アライが目を丸くして、わたしを見る。

「アライ、わたしが好きなの?わたしとヤりたいの?」

 わたしは腕を組んでアライを横目で見た。

「あら、ヤらせてくれるの?」

「絶対イヤ」

 わたしはイーっと歯を見せた。

「うん、私もミヤとは今の友達の関係の方がいい」

 アライもにやっと笑う。

 どんな下心があったのか、今となってはもう関係ない。ましてや、アライの性的志向なんて気にならない。ただ、アライが友達として、一緒にいてくれて良かったという事実だけがそこにある。



「どうせなら、今は、カヌキさんを抱いてみたいな」



 !!!!

 その瞬間、頭の中で、本当にカチンと音がするくらい、頭の中が沸騰した。


「アライ、言っていい冗談と悪い冗談がある」


 バンっと音を立てて、アライの背後にある壁に右手を付いた。

 わたしの声が低い。

 アライが驚いて、明らかに怯えた。

「ーーーーあ、ごめん。今のは失言。撤回する。」

 ふーっとわたしが息を吐く。

「うん、わたしもゴメン」

「いや、ミヤが謝る必要はないよ。私が悪い。…にしても、今の怒ったミヤ、怖すぎ。もう二度と変な冗談は言わないし、カヌキさんにはちょっかいは出さない」

 アライは、胸の前で掌を合わせて私に謝罪した。



 そこに、ドアが開いて、カヌキさんが入ってきた。

 わたしもアライも驚く。


 カヌキさんは、ちらちらっと、向かい合って立っているわたしとアライの顔を見て、そのまま、個室の方に入っていく。

 片手壁ドンしている私と、その私を拝んでいるアライ。

 カヌキさんはどう思ったのだろうか。


 何となく気まずい。


 水の流れる音がして、カヌキさんが出てきた。すたすたとこちらに歩いてくる。

 わたしとアライは、互いに両端に飛びすさるようにして、カヌキさんに手を洗ってもらう。


 カヌキさんは手を拭くと、右手でわたしの左手を握る。それから、わたしたち二人に向かって軽く頭を振って、外に出ようという仕草をする。

「戻りましょ」


 アライの前でカヌキさんと手を繋ぐのは気恥ずかしい。

 ちらっと鏡の中にいるわたしたち3人が目に入った。


 カヌキさんは背が低いので、アライを下から見上げるようにして、じっとアライを見詰めている。

 カヌキさんの口は笑顔の形だけど、目は全く笑っていない。

 アライは、そんなカヌキさんを見て、多少たじろいでいる。

 わたしだけが間抜け顔だ。


「カヌキさん、そんな威嚇しなくても、ミヤは取らないから」

「そうですか。なら、いいです」


 え、何、その会話?


「さあ戻ろう、戻ろう」

 アライが後ろから、わたしたち二人の肩に手を回す。


 お手洗いから出ると、モリとニトウがバレンタインデーのチョコの効果的な渡し方を論じ合っていた。

 熱心になりすぎて、わたしたち3人が戻ってきたことに気付いていない。

 吊り橋効果をいかにしてバレンタインに活用するか、ってところで、ようやくわたしたちに気付く。

 カヌキさんが吊り橋効果とは何かと質問しながら会話に加わり、わたしとアライが説明し始めて、また話が盛り上がった。



 9時頃、ようやくお開きにすることにした。

 すっかり出来上がったニトウをアライとモリがタクシーで送っていくと言う。

 わたしとカヌキさんは、少し方向が違うこともあって、駅前からバスに乗ってアパートに戻ることにした。

「カヌキさあああん、行かんでよおおおおお」

 バス停でバスを待っていると、遠くからニトウの声が聞こえた。

「ニトウ、あいつも飲ませたらダメなヤツだったか」

 わたしが呆れていると、カヌキさんは、くっくっと笑った。


 バスの中でカヌキさんは、楽しかったと言った。

「なんか、久々に女子っぽい話をしました。高校のときみたい。同じ専攻の女子もいるけど、周りが男だらけだから、あんまり女子だけになることがないし、一緒にいても、つい講義とか実験の話をしちゃうんで」

 わたしも、自分と親しい3人の同級生が、予想以上に面白い子たちで安心していた。

 まあ、アライにはちょっと驚かされたな。


「あと、ミヤコダさん、お手洗いでは、ごめんなさい」

 ふっとカヌキさんが軽く頭を下げた。



「アライさんに嫉妬しました」



「ふだんだって、アライさんが、ミヤコダさんと一緒にいる時間がいちばん長いじゃないですか。前からちょっとずるいな、羨ましいなという気持ちはあって」

 そりゃ、アライは同じ専攻だから、今のとこ、全部授業一緒だし。

「今日、トイレの扉を開けたら、ミヤコダさんとアライさんが壁ドンで見つめ合ってて」

 実際には、怒ったわたしがアライを威圧していたんだけど。

「絶対、ミヤコダさんを渡したくないって思ってアライさんを睨み付けてしまいました」


「アライさんに失礼なことをしました」

 カヌキさんが顔を両手で覆う。


「…本気で人に嫉妬するなんて初めて。どす黒い感情が沸くってこういうことだったんだ、……です」



 取って付けた「です」が可笑しい。

 カヌキさんの背中に手を置く。


「わたし、アライたちがカヌキさんと仲良くなりたいって言ったり、カヌキさんがニトウと楽しそうに話したりしてたとき、何度も妬いてたよ」


 カヌキさんが指の隙間から横目でわたしを見た。


「カヌキさんとモリがハグしてたときは、イラっとした」


「そう、だったんですか?」


「うん、そう」


 カヌキさんは、手を顔から離し、体を起こして座席に寄り掛かった。

 心なしか表情が緩んでいる。

 本当に、今日のカヌキさんは色々な顔を見せる。


「カヌキさん、今ちょっと嬉しいでしょ?」


「……はい」






「嫉妬してもらえると、嬉しいって、わたしも今知ったばかりだよ」

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