2月 カヌキさんと誕生日(前編)
2月
海沿いのこの街では、雪がほとんど降らない分、冷たい強い風が吹く。
自転車通学に耐えられなくなった私は、30分掛けて歩いて大学に通うようになり、気が付くとカヌキさんも、講義の時間が合うときだけ徒歩通学に付き合ってくれるようになった。
歩きながら何かを話すこともあるし、何も話さないときもある。
ただ一緒に並んで歩いていく。
年が明けてから、なんとなく一緒にいる時間が増えた。
講義やバイトの都合が合わなくて、丸一日会えない日もよくあるから、始終べたべたしているわけではないけれど、ようやく、自分達の間の丁度良い距離感が見えてきた感じだ。
今日も、学生生協の前で待ち合わせて一緒に帰ることになっている。
カヌキさんが生協で売っている映画の前売り券の一覧表を眺めているのが見えた。
映画のことを考えてるときのカヌキさんの顔は真剣。
瞬きをするのも勿体ないのか、じっと表を凝視している。
「カヌキさん」
わたしが声を掛けると、カヌキさんの視線がこっちを向いて、わたしに気付くと、目を細めてにこっと笑った。そして、とことこと近付いてくる。
カヌキさん本人は自分のことがかわいくないと思ってるらしいけど、どう見ても可愛い生き物だ。
「ミヤコダさん、帰りにスーパー寄りますけど、いいですか?」
「おけ」
わたしは頭の中で、自分がスーパーで買うべき物を考える。
朝御飯の食パンを買っておくべきか。
それからバイトに行く時間を考える。今日は遅番で7時から10時まで。
「今日は、ミヤコダさんはバイトですね。少し急いだ方がいいかな」
カヌキさんは、わたしのバイトのシフトを既に把握している。わたしはカヌキさんのこと、そこまでは分からない。負けてる。
「大丈夫だよー」
カヌキさんに答えて、マフラーをちょっと巻き直して、とりあえずスーパーに向かおうとして二人で歩き出した。
「よっ、お二人さん」
そこへ、わたしと同じ専攻クラスの友人の一人が生協から出てきて声を掛かてきた。
友人のアッシュグレイだった髪は、今はベリーショートの金髪になっており、そのためか、カヌキさんが誰??という顔になっている。
カヌキさん、大学祭のときにこの友人とちょいちょい話をしていた筈なのに、顔じゃなくて髪の色で認識していたらしい。
「カヌキさん、仕方ないけど、この人の名前を教えてあげる。アライ、っていうの。こないだまで髪の色が濡れた新聞紙みたいだった人、覚えてるでしょ」
「おらあミヤぁ!!仕方ないとか、濡れた新聞紙とかって、ひどいじゃんか!」
友人が憤慨しているようだ。大丈夫、わたしとあなたの友情はこれくらいでは壊れない。
「ああ、髪の色が変わってたから、分かりませんでした。アライさんっておっしゃるんですね、カヌキです」
カヌキさんがペコリと頭を下げた。
「なんで、そんなによそよそしいの、カヌキさん」
友人改めアライが泣き真似をする。
「カヌキさんって、慇懃無礼なところあるから」
とわたしが言うと、カヌキさんは、アライから顔を背けて、わたしにだけ聞こえるように、ちっと舌打ちをした。
ちょっと気に入らないと、すぐ舌打ちをする悪い癖があるんだよね、カヌキさん。
「新しいに、居るのイ、
「荒野の井戸じゃないんですね」
「うん。カヌキさんはどんな風に書くの」
「香りを貫きます」
「お、なんかカッコいい!」
「はは、元はただの地名ですよ」
カヌキさんとアライが楽しそうにしてると、ちょっとつまらない。焼き餅だな、こりゃ。
「で、何かあったの?」
とりあえず、会話に割り込んでみる。
「そうそう、ミヤ、15日の夕方から予定を空けられる?」
わたしは、スマホでスケジュールを確認する。2月15日は土曜日で、バイトのシフトは午後だから夕方から空いている。
「カヌキさんは?」
「え、私ですか?えーと、シフト入ってるかもしれないですけど、今なら変えられるから大丈夫です」
2月15日って、わたしの
「じゃ、ミヤのバースデー飲み会やるから、よろしく」
アライが歯を見せて笑う。
「あと、メンバーはモリとニトウね」
大学祭辺りからわたしとつるんでる子たちだからカヌキさんとも顔見知りだろう。
「え、え、私、行っていいんですか?」
カヌキさんがちょっと戸惑っている。
「カヌキさんさえ良かったら是非来て。一人だけ学部違うことになるけど、モリとニトウって、大学祭のときに一緒にキャンパスクィーンのステージ見た子たちだから、カヌキさんも顔は知ってるよ。ていうか、そのモリとニトウがカヌキさんを呼べって言い出したし」
「えええ?」
わたしが驚く。あの子たち、よくカヌキさんはミヤには勿体ないくらい可愛いとか言ってたな。
「私もそうだけど、うちらカヌキさんとも仲良くなりたいんだよ」
「私、サークルとか入ってなくて、友達が少ないから、そう言ってもらえると嬉しいです」
カヌキさんが、本当に嬉しそうな顔をしている。
わたしは狭量で独占欲が強いので、カヌキさんが他の女の子と仲良くなるのはちょっと嫌だけど、まあ、カヌキさんと友達になりたいという皆の気持ちは分かるので、許すしかない。
それに、やっぱり祝ってもらえるのは、嬉しい。
半年前だったら、同級生が私を誘うときは、騙して利用するときしかないんじゃないかとすら思っていた。
「アライ、美味しいお店選んでくれてるでしょうね」
「まかせて。私、地元民だから大丈夫。通ですよ、通」
アライが親指を立てた。若干怪しいと思いつつ、わたしは人差指を立てる。
「条件がひとつある」
「何?」
「誕プレや奢りはなし。そんなお金があったら、その分旨いもの食べよう」
ぷっとアライが吹き出す。
「さすがはミヤ。じゃ、主賓含めて全員でおおむね割り勘にするか」
「良かったですね、誕生日に祝ってくれる同級生ができて」
スーパーに寄って買い物をしてアパートに向かう途中、カヌキさんが、ふっと言う。
「そうだねえ」
3ヶ月前まで、カヌキさん以外の大学の友達はアライだけだった。
それで泣いたこともあった。
「カヌキさんが、お祝いしてくれれば、それでいいもん」
「ははは、嘘つきですね、ミヤコダさんは」
わたしの強がりをカヌキさんが笑い飛ばした。
まだ時刻は夕方なのに、すっかり辺りは暗い。街灯と住宅の灯りの中を並んで二人で歩く。
立春は過ぎたけれど、春はまだ先の話で、わたしとカヌキさんの間の隙間を風が通っていく。
ビニールの買い物袋が風にあおられてガサガサと音を鳴らす。その音に紛れるように、カヌキさんが呟く。
「でも」
「私が」
「いちばんの友達だから」
胸が跳ねる。
……この子は、どんな顔して、こんな口説き文句を言うようになったんだろう。
カヌキさんの表情が見たくて、隣から、少し背をかがめて首を伸ばすようにして、カヌキさんの顔を覗きこんだ。
そんなわたしにカヌキさんが気付いて、目が合う。
決まり悪そうに、カヌキさんは、すぐに目を反らせて前を向く。
ちょっと口を尖らせてるのは恥ずかしいから?
暗くて、よく分からないけれど、多分、今、カヌキさんの頬は赤い。
その頬に唇を落とす
カヌキさんはそこで足を止めてしまい、わたしはそのまま歩き続けたので、わたしたちの間の距離が広がっていく。
「……な」
後ろから、カヌキさんの動揺する気配がしたけど、無視して、わたしは歩き続ける。
「…ミヤコダさん、ずるい」
小さな声が後ろから聞こえてきて、わたしはにやっと笑った。
後ろを振り返ると、カヌキさんは頬に手を当てたまま立っている。
「帰ろうよ、カヌキさん。わたし、バイトに遅刻しちゃう」
声を掛けて、わたしはまた前を向いて歩き出す。
てけてけてけ、とカヌキさんが小走りでわたしに追い付いた。
恥ずかしそうな悔しそうな顔。
ほっぺにちゅーしたの3回目だよ
って言ったら本当に怒られそうだから、黙っておこう。
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