1月 正月の魔女とミヤコダさん
元旦
「みーーーやーーー、お雑煮が冷めるから、早くこっちに来なさいよーー」
お母さん、声が大きい。
私は文太=シーズー5歳雌、女の子だけど文太=をもふもふし続けている。
「文太、後でお散歩行こうね」
お散歩という単語に反応して喜んでいる文太の顔をくしゃくしゃする。ホントおまえは可愛いなあ。
自分の部屋に連れ込んでいた文太を連れて、リビングに行く。
「はい、あけおめ」
お母さんは若者言葉を使いたがるお年頃らしい。
「あけましておめでとうございます。お餅は一つでお願いします。文太は返しません」
「あんた、何、新年最初の台詞がそれ?」
「それでございます」
「大学で何を勉強してんのかねえ」
お母さんは文句を言いながら、お雑煮をよそってくれる。私はそれをありがたく受けとる。
「…おいしい」
「わかりみ」
なんか間違ってるけど、訂正はしないでおく。
文太と一緒に、川沿いの土手を歩く。市内を流れる一級河川だ。あちこちに年末に降った雪が残っている。川の上流の山は真っ白で、もうすぐこっちの方も雪が積もるだろう。いつもだったら、犬の散歩やジョギングする人がいるけれど、元旦だけに人は少ない。
「ああああああああああ」
文太と土手を歩きながら、私は声を出す。もちろん、辺りに誰もいないのを確認して。
クリスマスからこっち、ずっと恥ずかしくて仕方がない。思い出しては一人で悶えている。
クリスマスの朝、目を覚ますと頭痛がして、口が乾いて気持ち悪かった。
「起きたー?体調どう?気持ち悪くない?」
先に起きていたミヤコダさんから声が掛かって、声の方を向いて目を開ける。
「ご飯、お粥にしてあるから食べて。わたし、もうバイトの時間だから行くね」
「…あ」
体を起こす。頭が重い。
「いいから、ゆっくりして。じゃ、行ってきます。あ、わたし、親に早く帰ってこいって言われたから、今日の夕方、バイトが上がったら、そのまま帰省するんだ。もう講義ないし。」
「…うん…」
頭が動かない。ミヤコダさんが、寝ている私にちょこちょこと近付いてきてしゃがむ。
「ふふ、二日酔いだね。お水いっぱい飲めば治るよ」
私の頬にちょっとだけ手を当てる。
「4月からずっと、カヌキさんにはお世話になったね、ありがと」
言いたいことがあるんだけど、まとまらない。
「無理しないで、起きれるようになったら起きればいいから。あ、鍵が開けっぱなしになるから、できるだけ早く鍵だけは閉めて」
ミヤコダさんの指が私の頬から離れ、そのまま立ち上がった。
「……昨日の夜、覚えてる?」
きのうのよる?
「覚えてないよね、あ、気にしなくていいよ。……何でもないから」
ミヤコダさんがにっこりと微笑む。私のぼんやりとした頭に、その微笑みが残像になって残る。
「良いお年を」
頷くだけで精一杯だった。
その後、布団から這い出るまで15分を要した。
ミヤコダさんに言われたように玄関に鍵を掛けて、それからトイレに行って、部屋とキッチンを見渡すと、すっかり色々片付けられているのに気付いた。
テーブルの上には、ラップしたお粥と漬け物とお湯を入れるだけの味噌汁。
ありがたくいただく。心の中でミヤコダさんに深く深くお礼をした。
そして、昨日の夜のことを思い出していく。
乾杯して、プレゼント交換して、もらったブルーレイがすっごく嬉しくて、映画見て、映画見ながらスパークリングワインをちょっとだけ飲んで?ちょっとじゃないな、結局、瓶に残ってた分を全部飲んで…、映画が凄く綺麗で、綺麗なシーンが出る度にミヤコダさんがため息をついていて、その息の音につられてミヤコダさんの横顔見たら、……映画じゃなくて横顔に見いってしまって、
覚えてないよね、というミヤコダさんの微笑み
何を覚えていない?
!!
ああああ覚えてる!
お酒で、たがが外れたんだ。あの横顔を見てたら、どうしてもどうしても、……キスしたくなって。
でも、ミヤコダさんに避けられて、唇にはキスできなくて、抱き締められて……それで、それで、それからは覚えてない。
恥ずかしすぎる!!
ミヤコダさんに嫌われた?でも、たぶん、嫌われてはいなかったように思う。いつもどおりだった。
酔っぱらってたから、って許してくれたのだろうか?
でも、私は分かってる。
お酒のせいだけじゃない。
もともと抑えていた願望が我慢できなくなっただけ。
「バカだ、私」
文太がぶんぶん尻尾を振って、もう帰ろうと私の顔を見ながら訴えるのが分かった。
「そうだね、寒いから帰ろうね」
その後、家族で祖父母の家に行ったところ、伯父さんから、もう今年は20歳になるからと酒を勧められて、私は断った。そうしたら、最近の大学では酒の飲み方を勉強しないのか、と伯父さんが呆れた声をあげ、大学を卒業した家族や親類がみんなうんうんと頷いていた。
そして今、父と兄と伯父ら数名が酔いつぶれて、炬燵で雑魚寝している。母を含む残りの大人たちは会話にならない会話で盛り上がっている。去年までは、私もあの酔っぱらい同士の謎の会話の輪の中でひたすらおせちをつついていた。
今まで気付かなかったけど、うちの家系って酒が好きなのに酒に飲まれる人しかいない。
…私もそうだったようだ。
「もう、お酒なんて飲まない」
私は新年に禁酒の誓いを立てた。
三箇日が終わり、文太に泣く泣く別れを告げて、私はアパートに戻ってバイトにいそしむことにした。
講義が始まるのは10日頃からだから、ミヤコダさんはまだ帰って来ないだろう。
レンタルビデオショップでのバイトが終わってアパートに戻った。
今日、借りてきたのは、70年代のイタリアのホラー映画のリメイク。
もとの映画は有名で、このリメイクも大筋は同じらしい。でも、すべてのネタや設定をパワーアップさせて凝縮しきれなかったようなリメイクだった。
舞台は1977年のベルリンの壁崩壊前の西ドイツ。主人公は、アメリカから有名なモダンダンスの舞踊団に入団した。不可思議な現象が続く中、主人公は次の公演ではメインのダンサーに選抜される。一方、この舞踊団には、舞踊団を「魔女の結社」と言い残して行方不明になった少女がおり、その少女の精神科医も巻き込まれていく。
東西のドイツの分断、冷戦下の緊迫感、コンテンポラリーダンス、魔女、アーミッシュ、とにかく情報が多すぎて、内容が濃すぎて、しかも何だか意識が高くて。
なかなか理解が付いていかず困惑してしまう。面白いとか怖いとか感じている暇はなくて、不安ばかりが募っていく不気味な映画だった。……私はこういうの好きだ。
凄い迫力のダンスシーンが始まったところでドアベルが鳴った。私はリモコンで音量を下げる。
「カヌキさーん、ミヤコダです」
え?今日は何日だっけ。まだ5日。
「は、い」
ドアを開けると、いつもどおりのミヤコダさんが立っていた。紺色の細身のダウンジャケットに鮮やかな色合いのマフラーを巻いている。どうやったら、マフラーをその形に結べるのか、さっぱり分からない。
「あけましておめでとう。今年もよろしく。はい、お土産。いつも同じお菓子でごめんね」
頭が回らない。
「あ、おめでとうございます」
「ふふ、もしかして、まだ二日酔い?」
ぷるぷると首を横に振る。
「だって、顔赤いよ」
すっと私の頬にミヤコダさんの手が延びてきたので、びくっとして後ろに下がって避ける。
その私の反応を見て、ミヤコダさんの笑顔が少し固まってしまった。
「か、帰ってくるの、早かったですね」
なんとか取り繕いたくて質問する。
「ああ、明日、ボランティアサークルの活動があったから」
「そうなんですか」
「…どうかしたの?」
……
「…カヌキさん?」
……
私が黙っていたら、明らかにミヤコダさんの顔が曇った。
「ごめんなさい!!」
大声で謝罪する。とにかく、あのクリスマスイブの夜のことを謝ろう、と思い付いた。
「え?何を謝ってるの?」
「あの、クリスマスイブの夜、私……」
「クリスマスって……え?」
ミヤコダさんが目を見開いた。
「もしかして記憶あるの?何を、どこまで???」
玄関で話すのも寒いので、私はミヤコダさんに部屋に入ってもらうことにした。
キッチンの椅子に並んで座る。
そこで、ようやく私は映画を一時停止した。
後でもう1回見直さなきゃ。
「……寝ちゃったところまでは記憶あるんだ、びっくり」
「はい、お恥ずかしいところをお見せして、すみません」
「謝んなくていいのに。あと、そんなに恥ずかしがらないで。わたしまで恥ずかしくなるから」
そうは言っても。
ミヤコダさんも私から目を逸らせた。耳が赤くなって金色の小さなピアスが目立っている。
私はお茶を入れようかと立ち上がろうとしたが、ミヤコダさんがそれを手で止めた。
「わたしたちは、お隣で、お友達で、いずれは、親友になりそうな気はしてるんだけれど、正直、なんだか違う」
ミヤコダさんがふーっとため息をついた。
「少なくとも、わたしは今まで、どれだけ親しい友達でも、キスしたいとは思わなかった」
ミヤコダさんに、お前は友達じゃない、と言われた気がして、ガンと殴られたみたいに目の前が真っ暗になった。
テーブルの上にあった手と膝の上にあった手が、ストンと下に落ちた。
その振動でテーブルの上のリモコンが落ちて、一時停止していた映画が再び再生され始めた。
「……私、もうミヤコダさんの、友達じゃ、なくなるんですか?」
ミヤコダさんが私を見て驚いた顔をする。
「なんで?なんでわたしとカヌキさんは友達じゃなくなるの?」
「だって、キスしたいなんて、友達じゃないって言ったじゃないですか」
自分でも驚くくらい、ミヤコダさんを責める口調になってしまった。
テレビの画面ではダンサーたちが躍り狂っていた。
なんか、血が飛び散っている。
クライマックスに向けて何かが起きようとしているらしいけど、今の私はそれどころじゃない。
「もう、親友どころか、友達にもなれないってことですよね」
テレビの画面では、血まみれの部屋でほとんど全員が殺されているようだった。
何かひどい事件が起きているみたいだった。
「カヌキさん、最後まで聴いてよ」
聴いてよ、と言いながら、ミヤコダさんは次の言葉が続かなくて、沈黙が落ちてくる。
「…ダメ。うまい言葉が見付かんない」
ミヤコダさんは眉をしかめていた。
「率直に言えば」
「わたしも、カヌキさんにキスしたくなったことがある」
「友達にそんな欲求を持ったのは初めて」
え?
「カヌキさんは、私にとって何?」
「友達なのか親友なのか、何なのか、いくら考えても分からない」
ミヤコダさんは、一瞬黙ってから吐き出した。
「でも、隣にカヌキさんがいてくれないと嫌」
「友達でも何でもいいから、一緒にいてよ」
そこまで途切れ途切れに言って、最後にミヤコダさんは、私からそっぽを向いてしまった。
テレビの中では、主人公が老いた精神科医に何かを話し掛けている。
老いた精神科医が死にかけている。でも主人公の表情は優しい。
「……ごめん、帰る。もう恥ずかしすぎて、ダメ」
ミヤコダさんは立ち上がり、私に背を向けて玄関に向かおうとした。
私は思わず、そのダウンジャケットの裾を掴んで、また、離す。
ミヤコダさんが玄関の前で立ち止まる。
髪の隙間から見えている耳が真っ赤なままで、背中だけでも恥ずかしがっているのが伝わってくる。
映画はエンディングロールが終わり、メニュー画面になった。
「私、まだミヤコダさんの友達でいいんですよね」
私は、ミヤコダさんの背中に声を掛けた。
ミヤコダさんの背中が少し揺れて、それから、ちょっとだけ振り向いて、横目で私を見た。
「架乃って呼んでくれたら、親友にしてあげる」
気付いたら、あんなに恥ずかしかった気持ちは消えていた。
ミヤコダさんが私と同じようなことを感じていたことが分かったから。
「……それなら友達でいいです」
「カヌキさん、そこは架乃って呼ぶところでしょ!」
ミヤコダさんは、強情すぎるとぶつぶつ言いながら、拗ねたような顔で、私の部屋から出ていってしまった。
かと思うとドアが開き、
「その映画、わたしも見たい!明日また来るから、返却しちゃダメだからね」
と言い残して、今度こそ隣の自分の部屋に帰っていった。
きっと、ミヤコダさんは、明日になったら、何事もなかったかのように笑顔でこの部屋に来て、我が物顔で私のソファーにあぐらをかいて、映画を見て怖がって、いつもみたいに泊まっていくだろう。
ねえ、ミヤコダさん
結局のところ、私はあなたにキスしていいの?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「サスペリア」(2019)
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