11月 クィーンはミヤコダさん(前編)
いよいよ、大学祭。
私は長袖のTシャツを着て、ジーパンを履いて、大きすぎるクラスTシャツを着てから、いつものパーカーを羽織った。
白いTシャツの前には「砕けフラスコ」、後ろには「ぬるめの液体窒素」と極太の黒マジックで書かれている。こんなカッコ悪いTシャツを着るのは6月の「初夏祭」以来だ。でも、これは私たちクラスの焼き鳥店「ケミカルチキン」のユニフォームだから、仕方ない。
正直、秋の本祭でも本当にまた「ケミカルチキン」をやると思ってなかった。私は自分のクラスの団結力を侮っていたらしい。
それから、ミヤコダさんに頼まれた服を一揃い。バッグに入れて持ち上げる。
「ホントに着るのかな、これ?」
ミヤコダさんは、11月に入ってからバタバタしていた。
大学祭のミスコンに出ることになったのだ。うちの大学ではキャンパスクィーンと呼ぶ。
ミヤコダさんによると、別にミスコンに出たかった訳ではないらしいが、出ない訳にはいかなくなったと言う。
キングとクィーンには、ホテルでのディナーチケットがプレゼントされる。
ミヤコダさんには、「誰とでもヤる女」という悪名がいまだに付きまとっていて、狙ってくる男子学生は少なくない。
その中の一人のバカ男が大学祭実行委員の幹部と裏で手を組み、バカ男がキャンパスキングに選ばれ、ミヤコダさんがクィーンに選ばれるよう画策しているらしい。ホテルでディナーとミヤコダさんをいただくつもりだそうだ。ミヤコダさんが断らない前提で話が進んでしまっているらしい。
ミヤコダさんのクラスの大学祭実行委員の子は、ミヤコダさんをコンテストに応募させろと幹部とバカ男に半ば脅され、困りに困って、春から頑張ってきた実行委員を辞める覚悟で、泣きながらミヤコダさんにバカ男に狙われていることを教えてくれた。
「そんなの、わたしがクィーンに選ばれてから、そのバカ男を振ればいいだけじゃない。やるからには、ちゃんと実力で選ばれてやるし」
とミヤコダさんは啖呵を切ってしまったらしい。それから、クィーンに選ばれるためになんだか準備している。最近では、その話を聞いた同級生たちの中にミヤコダさんの協力者も現れ、そのおかげで友達が増えたということだ。
忙しそうだけど、それはそれで楽しそうだ。今までで一番生き生きしてる。そんなミヤコダさんを見るのはうれしい。
でも、そのためにミヤコダさんに余り構ってもらえなくなった私はちょっと寂しい。
アパートの駐輪場で自転車を出していたら、丁度、ミヤコダさんも駐輪場に現れた。
さすが、本日のメイクは気合いが入っている。
「おはよ、カヌキさん」
「今日は決まってますね、ミヤコダさん」
「ははは、ありがと。午前中のパフォーマンス、良かったら見に来て」
うん!と私は頷く。ちゃんと出店のシフトは空けてもらってある。
「で、狙い通り、クィーンに選ばれたら、ごめん、ちょっと巻き込む」
「渡された服を見たときに覚悟しましたよ」
仕方がないと私が言うと、ごめんね、とミヤコダさんが手を合わせる。
「私でいいんですか?」
「わたしがカヌキさんじゃないと嫌なの」
「…じゃ、うまくいったら、クィーンに選ばれた女の子が豚の血浴びる映画を一緒に観て下さいね」
「ちょ、そんな映画あるの……?」
あるんですよー、と笑いながら自転車のペダルを踏み込み、二人で大学に向かう
秋の本祭は、初夏祭よりも規模が大きい。
クラス、サークル、ゼミ、個人有志で、店を出したり展示をしたり、パフォーマンスをしたり。店の方は一般の業者も結構入っている。
イベントの数も店の数も、初夏祭の倍くらいありそうだ。
市の内外から人が集まってきて、街を上げての祭のようになっている。
午前中のステージのメインイベントが、キャンパスキングとキャンパスクィーンのコンテストだ。
応募者から選ばれた各10人の男女がステージに立ち、観客と審査員の投票でキングとクィーンが選ばれる。
午前中は出場者の紹介とそれぞれのパフォーマンスがある。
大学内の広場に建てられた特設ステージに私が駆けつけると、もうたくさんの人が集まっていた。
「カヌキさーん」
ミヤコダさんの同級生さんたちから声を掛けられ、ここで一緒に見ようと誘われて、空いている席に座らせてもらう。
隣には、アッシュグレーの髪のピアスいっぱいの人が座っている。最初はこの派手なファッションが怖かったけれど、この人とミヤコダさんはとても仲が良くて、見た目と全然違うというのはもう分かってる。
「カヌキさん、そのクラスTシャツすごいヤバいねえ。出店やってるんだっけ」
「焼き鳥やってます。良かったら、後で食べに来てください。奢りますから」
「…変なもの入ってない?」
入ってません。
歌う人、ダンスをする人、手品をする人、円周率をそらんじる人、クィーン候補は、皆さん見た目がきれいだけでなく多才だった。
惜しみなく拍手する。でも、一番きれいなのはミヤコダさんだ。
ミヤコダさんはどんなパフォーマンスをするのだろう??
次はいよいよミヤコダさんだ。
白いロングのワンピースで颯爽と登場する。ノースリーブだ。手足の長さが強調されている。
「8番、人文1年の都田架乃です」
……架乃、カノさん、っていうんだ。そうか…ミヤコダさんは、ミヤコダカノさんなんだ。
知り合って半年、初めて名前が分かった。
「「「ミーヤー!!」」」
隣の人たちの大きな声援にびっくりする。
初夏祭のときには、仲間外れにされて泣いていたミヤコダさんだったけれど、今はすっかり友達に囲まれているみたいだ。
良かったなあ。
ミヤコダさんは、手を振って声援に答える。それから司会の人からの当たり障りのない質問にそつなく答えていく。
そして、パフォーマンス。
ミヤコダさんは持っていたケースからヴァイオリンを取り出した。
えええ?
そして、クラシックではなく、メジャーなアニメ映画の主題歌をアップテンポで演奏し出す。
音楽の素養の欠片もない私は凄く驚いた。私にはすごく上手に聞こえた。本当に巧いのかは分からないけれど、少なくとも素人ではない。
「高校でオケ部だったんだって」
私が目を丸くしていると、小さな声で隣に座っているミヤコダさんのお友達が教えてくれた。
そして、サビの直前で、ふぃっと演奏を止めてしまう。
そして、マイクに唇を寄せて目を閉じると、サビのフレーズだけをアカペラでバラード風にして歌い上げる。
もともとちょっとハスキーな声だけに色っぽい。
会場からほうっとため息が起きる。
歌がピタリと止まると、一瞬ステージが静かになる。
ミヤコダさんは、そこで目を空けて、にやっと微笑んだかと思うと、同じサビのフレーズをテンポを上げてヴァイオリンで弾き上げた。
曲が終わり、ヴァイオリンの弓が宙に浮き、ミヤコダさんが脱力したように両手を一瞬下ろし、それから会場を向いて深々とお辞儀をした。
わっと拍手が響き、ミヤコダさんは、はっとしたように顔を上げて、にっこり笑った。
「やるなあ、ミヤったら」
「素敵すぎる」
「惚れるわあ」
お友達たちがそれぞれに興奮した声を上げる。私はステージから降りていくミヤコダさんをずっと目で追っていた。
「カヌキさん、悪いんだけど、これ、ミヤのとこに持っていってあげて」
アッシュグレイの髪の人が、私に紺色のカーディガンを手渡してきた。
「え、あ、はい」
頷いて、私はステージ下手の裏に向かった。
次の人のインタビューが聞こえてくる中、私は、出場者の控えている場所に向かった。
他のクィーン候補の人たちと笑って話しているミヤコダさんを見付けて、ちょこちょこっと近寄った。
「ミヤコダさん」
「カヌキさん!あ、カーディガン持ってきてくれたんだ、ありがとう!」
振り返って私を見たミヤコダさんは、少し頬が上気している。
「どうだった?」
カーディガンに袖を通しながら、感想を求めてくる。
「うん、すごくすごくすごくすごくすごく格好良かったです」
「そう言ってもらえて良かったぁ。緊張したああああ」
よく見ると、ミヤコダさんは、頬から首筋にかけて滴が流れるほど汗をかいていた。手を見ると少し震えている。
あんなに堂々としていたのに。
ハンカチを出して、汗をぬぐってあげる。
「よく頑張りましたね」
ミヤコダさんはくしゃっと笑った。
「付け焼き刃だよ、もう、全然弾けなくなっちゃってて焦った。実家からヴァイオリン持ってきて、カラオケで毎日必死で練習しちゃった」
ステージで格好良かった都田架乃さんより、今目の前で笑ってるミヤコダさんの方が私は
私は…
「午後3時、集計結果が発表になります。投票用紙はあちこちで配布されておりますので、どんどん投票お願いします」
司会者の声が響いた
「じゃ、また後でね」
ミヤコダさんは、他の候補者と一緒に午後の部についての打ち合わせに行ってしまった。
「カヌキさん」
アッシュグレイの髪の人に呼ばれた。
「ミヤから渡されてる服、持って来てるよね。結果発表のとき、着る?」
「着ておきますね」
私は頷いた。ミヤコダさんが、あれだけ頑張ったんだから協力する。
時間が来て、私は女子トイレでミヤコダさんに渡されていた服に着替え、それを隠すためのブカブカのジャージを着た。ジャージが大きすぎて、袖をまくる。
トイレから出てくると、アッシュグレイの髪の人が、櫛とブラシと野球帽子を持って待っていた。
「ちょっと、髪もいじらせてね」
はいはい。髪を整えてもらい、それを隠すように野球帽をかぶって、これで準備は万端。
ところが、だ。
「今年のキャンパスキングは!」
そもそも肝心のバカ男がキングになれなかった。
スポーツマン風の教育学部の3年生がキングに選ばれていた。ステージに上がったキングがはにかんでいる。実に爽やかだ。ぬめっとした顔の漠然イケメンのバカ男が選ばれるわけがなかった。
ミヤコダさんのあの苦労は、何のためだったんだろうか。
私も、ミヤコダさんのお友達たちも明らかに脱力していた。
みんなバカ男がミヤコダさんにステージで思い切り振られるのを楽しみしていたのだから。
「キャンパスクィーンは、8番の都田架乃さん!!」
拍手が起こる。私たちも拍手する。
「ミヤー!」
お友達さんたちの声援に、ちょっとドキッとする。
まあ、ミヤコダさんが選ばれたんだから、それはそれでヨシにしよう。
ミヤコダさんがキングと並んで立つ。二人とも背が高いので、お似合いのカップルに見えた。
「今年のキングとクィーンも並ぶと絵になりますねー。」
司会者が二人を持ち上げる。
「去年のキングとクィーンは、このコンテストでカップル成立して今でもラブラブだそうなんですが、今年のキングとクィーンはいかがですか?フリーですか??」
キングが顔を赤くする。
「えええと、いや、僕は……」
なぜか、口ごもる。
「では、クィーンは?」
「わたしには、彼氏がいますので。」
ミヤコダさんが堂々と彼氏宣言をすると、おおおおっと会場がざわめく。
「うそついてんじゃねえぞぉ!」
観客席に降りていたバカ男が喚く。そんなにキングになりたかったのか。
「いやあ、うそだと思いたい男性がいるようですねえ」
司会者がフォローしようとする。
ミヤコダさんがにっこり笑って、会場を見渡し、私を見付ける。
「わたしの彼氏、ここに呼んでいいですか?」
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