10月 カヌキさんと沈黙する

10月


「ちょっとだけ上見て。睫毛長いから、そんなに目はいじらなくて大丈夫かな」


 わたしの部屋に、初めてカヌキさんが来ている。正しくは、連れ込んでいる。

 前期試験が終わった解放感の中、今日、わたしとカヌキさんは、海沿いのショッピングビルに併設された映画館に行くのだ。

 昨日、映画だけでなく、買い物や食事もしようと誘うと、カヌキさんは快く了解してくれた。調子に乗って、化粧をさせてくれ、服を選ばせてくれと頼んでみたら、ずずずずずっと後ずさりして逃げられた。

 今は、わたしがカヌキさんの部屋を急襲し、無理やりわたしの部屋に拉致したところだ。

 わたしの持っている服を着せて、顔を作る。


 スカート嫌い?そんなこと言わない!なんで、わたしが着ると子供っぽかったワンピが、カヌキさんだと大人っぽくなるの?足がすーすーする?当たり前じゃん。ほら、眼鏡外して。コンタクトないの?そんなにファンデ厚く塗らないから、ちょっとだけだから、あ、でも眉毛ちょっと整えさせて、眼鏡はまだ!コンタクト持ってるなら、そっちが。え?映画見るときは絶対眼鏡?仕方ないか。さて、口紅どの色がいいかな?まず下地…こら、逃げないの!

「よし!可愛い!」

 とりあえず納得できる出来になった。

「写真、撮っておこうか。……あれ、カヌキさん、なんでそんなに疲れてるの?」

「………」


「あ、靴!!」

 わたしが玄関で叫ぶと、

「……もう勘弁してください」

 カヌキさんがわたしの家の玄関で膝を付いていた。

 さすがに、わたしの靴のサイズではカヌキさんには大きい…。とりあえず、たまたまカヌキさんがワンピースと同型色のスニーカーを持っていたから、それで手を打った。


「…ひどいですよ。無理やりミヤコダさんちに連れ込まれて、下着姿にされて、着せ替えされて、顔いじられて」

 カヌキさんがぶつぶつ文句を言いながらバスに乗る。

「でも、可愛くなったよ」

 バスの中、何を言われても「でも、可愛くなったよ」しか返さなかったら、カヌキさんはため息をついて黙った。

 可愛いは最強、って何かのドラマの台詞だっけ。

 姿見で自分を見たカヌキさんだって、なんだかんだ言っても、いつもと違う雰囲気の自分に驚いて、まんざらでもない顔をしていたのをわたしは知っている。

 ご機嫌な気分でバスに乗り、映画館のあるショッピングビルに向かっていく。


「で、今日は何の映画を観るの?」

 映画の話を振った途端、カヌキさんがうれしそうに顔を上げた。

「昔の映画のデジタルリマスター版のリバイバルなんです!映画館で観るチャンスなんて滅多になくて」

「………でじりばん?」

 すっとカヌキさんが無表情になる。

「ミヤコダさん、映画のことになるとバカになるんですね」

「映画のことしか頭にない人にバカって言われた…」


 わたしたちは笑う。

 初めて二人で出掛けるのだ。楽しくないわけがない

 秋が来て、少し肌寒くなったけれど、余り気にならない。

 まだ、昼過ぎで、日差しは十分に暖かかった。


 まるで、中学生のときの初めてのデートのように舞い上がっている。



 この街で暮らすようになってから、わたしは何回かこの大きなショッピングビルに一人で来ていて、自分のお気に入りのショップを見付けてあるし、どこにどんな店があるのかは、多少は把握できている。

 ここでも、カヌキさんを引っ張り回して、あちこちの店を覗いて回る。服、雑貨、アクセ、そして靴。


「カヌキさん、ちょっとこれ履いてみて」

 少しだけ踵が高い靴。秋冬の色。今日の服にも合う色味を捜す。あんまり女らしいデザインだときっとカヌキさんは嫌がる。シンプルで細目のラインの……。

「うん、これだ!」

「はい??」

 カヌキさんが、どの靴がどの靴で何がどうだか分からないと混乱している間に店員さんを呼ぶ。


「これ、ください。このまま履いていきます」

「みゃ、ミヤコダさん?!」

 みゃ?

「夏にあげ損ねた誕生日プレゼントの代わり。そのスニーカーより、こっちの方が可愛い」

「ま、待って待って、そんなに勝手に決めないで下さい、困ります」

 焦っているカヌキさんを見ると、してやったりという気分になる。

「何が困るの?そんなに気にするほど値段は高くないよ。いつもカヌキさんが履いてるスポーツシューズと大して変わらないし」

「こんな、プレゼントしてもらうなんて、私…」


「…ずっとお礼をしたかったの」

 4月に初めて泊めてもらって、夏には居候させてもらって、…泣いたときには慰めてもらって。

 こんな靴なんかでは、割りに合わないと思うくらい、カヌキさんには助けてもらってる。

 機会があったら、何らかの形でお礼をしなくては、とずっと思っていたのだ。

「だから、もらって」

 ここで、必殺、上目使い。なぜかカヌキさんはこれに弱い。ここぞというときに使うべし。

 ぐっと喉を鳴らして、カヌキさんが頬を染めて、少しのけぞる。

「…もう…っ」

 ふ、チョロいぜ。


 お勘定して、履いてきたスニーカーを紙袋に入れてもらうと、カヌキさんはそれを受け取った。

「ミヤコダさん、プレゼントの仕方が男前ですね」

 カヌキさんが苦笑いをしながら言う。…褒められたってことでいいのかな。

「靴なんて、人に買ってもらったの初めてです」

 ふひひ、とカヌキさんの顔は苦笑いから照れ笑いに変わる。今日のカヌキさんは色んな表情を見せてくれる。

 その顔を見て、私も笑わずにはいられなかった。プレゼントできて良かった。



 フードコートで早めの夕食を済ます。カヌキさんは時計を見てばかりいて、映画の時間が気になって仕方がないようだった。

 大きなスクリーンで映画を観ることができる映画館に行くのが大好きだけど、高校時代はお金がなくて、そんなには行けなかったこと、この街にまだ慣れてなくて一人で映画館に行く勇気が持てなかったことなどを、カヌキさんはとつとつと話してくれた。

「生まれる前の映画って、映画館で観る機会なんて本当に少なくて。あってもいわゆる名画ばかりで」

「今日観るのは名画じゃないの?」

「アカデミー賞を幾つも獲ったから名画って言えるかもしれないです。ただ…」

「ただ?」

「猟奇殺人モノなんです」

 …なんで、そんなにうっとりした顔で物騒なこと言うかな、あなたは。

「あと、私が今まで観た映画で、1番好きかもしれないラブシーンがあります」

 !?猟奇殺人でラブシーン???



 連続女性殺人事件が起きる。被害者はいずれもふくよかな若い女性であり、皮を切り取られ、口腔には珍しい蛾のサナギが押し込まれていた。そして、新たに政治家の娘が誘拐されてしまう。新人の女性FBI捜査官は、その捜査のため、厳戒な刑務所に閉じ込められている連続殺人犯に会って情報を集めようとする。連続殺人犯でありながら博士と呼ばれる彼は、天才であり医者であり芸術家である。博士は新人捜査官に少しずつ事件解決のヒントを与えていく……


 傷つけられた死体、狂った犯人、そして何より、聡明さと狂気が入り交じった博士と主人公の女性FBI捜査官の対峙が印象に残る。飲み込まれるように物語が目まぐるしく進んでいくのに、わたしは圧倒される。

 カヌキさんが映画にはまるのが分かるような気がした…



 映画館が終わってショッピングビルを出る。カヌキさんがスキップを踏むように歩いている。見たかった映画を映画館で見れてご満悦らしい。

「ミヤコダさん、あれ、乗りませんか」

 ふと、ご機嫌なカヌキさんが思い付いたように、海辺の観覧車を指差した。

 色んな色のネオンがきらきらと光りながら回っている。ああ、そういえば、そんなものもがここにあったな、なんて思いながら頷く。

「うん、いいよ」


 観覧車に乗って、街と海を見下ろす。海側は真っ暗だけど、街の方は赤と黄色が光る夜景が見えた。

 カヌキさんは、夜の海ってこんななんだ、と夜景ではなく海側を見てつぶやいている。

 顔に陰影ができて、いつもより少し大人っぽい。

 観覧車は狭いけれど、窓が大きいから視界は広い。狭いアパートの部屋の中では見たことのないようなカヌキさんがそこにいた。

 カヌキさんから、わたしはどんな風に見えているのだろう。

 夜の観覧車で一番高いところまでいくと、世界に二人しかいないみたいだと思ったけれど、それを口にするのはかなり恥ずかしかったので、わたしは一人でくすっと笑った。

 カヌキさんは、そんなわたしを見て、不思議そうな顔をした。




「ねえ、カヌキさん」

 観覧車が下に降り始めたところで、わたしが声を掛けると、何?というようにカヌキさんはわたしを見て首をかしげる。

「今の映画、凄くって怖くて面白かったけれど、ラブシーンどこにもなかったよ」

 はははっとカヌキさんが笑った。

「やっぱ、分かりませんでしたか」

 カヌキさんが映画初心者のわたしをバカにするときのドヤ顔をした。


「指と指です」


 囚われている博士と女性FBI捜査官の間には常に鉄格子があり、鉄格子を挟んで会話をすることしかできない。

 しかし、博士は隙を見て、女性FBI捜査官に彼女の肖像画を描いたスケッチを鉄格子越しに手渡す。そのとき、博士は女性FBI捜査官の指に自分の指を沿わせる。

 カヌキさんは、それをラブシーンだと言うのだ。映画ファンならみんな知っている有名なシーンなのだという。

「えええええええ?あれがぁ」

 ラブシーンと聞いて、いちゃいちゃを想像していたわたしは、肩透かしをくらってがっかりする。

「ミヤコダさんは、がっかりすると思ってましたよ」

 どうやらお見通しだったらしい。




 ガタンと揺れて、観覧車がもうすぐ地上に着くことが分かった。

 わたしはぴょんと先に飛び降りたが、カヌキさんは履き慣れない靴のせいか、降りようとしてちょっとよろけた。

「おっと、危ない」

 咄嗟に右手を差し出して、カヌキさんの左手を取る。

「あ、ありがとうございます」

 カヌキさんは、わたしの右手をじっと見て、それからきゅっと握った。

「帰りましょうか」

 と、カヌキさんは言い、バス停の方に向かう。


 わたしの右手を握ったまま



 バス亭でも、バスの中でも、バスを降りてからも、わたしたちは手を繋いでいた。

 いつの間にか、指と指が絡んでいて、いわゆる恋人繋ぎになっている。

 気恥ずかしくて、わたしは何も話し掛けられなかったし、カヌキさんも何も言わなかった。

 ただ、黙って、手を繋いで、ゆっくりとアパートへと向かう。

 わたしの手より小さくて、少し熱い手。指がわたしの手に吸い付くようだ。

 アパートが近付いてきて、長い一日が終わることに気付いた。


 わたしの部屋の前でカヌキさんが口を開いた。

「今日はありがとうございました。靴、大切にします」

「気にしないで、履き潰して」

 わたしが答えるとカヌキさんはにこっと笑う。

「…今夜は、うちに来ますか?」

 離れがたくて頷きそうになるけれど、半日みっちり遊んでカヌキさんも疲れただろうと思う。

「残念だけど、今日はやめておくね」

「そうですか」


 カヌキさん顔の表情は特に変わらないけれど、繋がれた手を見て、それから、名残惜しそうにゆっくりと手を離す。

 最後にカヌキさんの人差し指が、わたしの人差し指をすぅっとなでた。



 今日観た映画のラブシーンのように



「じゃ、おやすみなさい。服はクリーニングして返しますね」

 カヌキさんは、ペコっと頭を下げ、くるっと後ろを向き、自分の部屋のドアに飛び込んでいく。


 わたしは、自分の部屋の前にしばらく立って、カヌキさんの手が離れてしまった自分の右手を見ていた。

 それから、ドアを開けて中に入り、後ろ手でドアを閉めて鍵をかける。

 ドアによりかかり、ずるずるっと上がり口に座り込んで、両手を合わせて鼻を覆う。


 顔が熱い




 カヌキさんの指が、わたしの指をなでていったとき、

 背中がぞくっとした。

 この感覚をわたしは知っている。







 わたしはカヌキさんに欲情した










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「羊たちの沈黙」(1991)

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