8月 火照るのはミヤコダさんのせい
8月
大学に入って初めての夏休み。
私は8月の上旬に1週間くらい帰省した。高校時代の友達たちと海水浴に行く約束をしていて、友達はみんなで色違いでお揃いの水着を着ていくのだと楽しみにしていたけれど、台風で中止になった。人前で水着になりたくないと思っていた私には好都合だった。
結局、アパートで試着だけしたオレンジ色のビキニは、ミヤコダさんにいきなり胸を寄せて持ち上げられたという強烈な記憶を残して、私の手によって実家のタンスにしまわれた。気が乗ったら来年の夏には出番があるかもしれない。南無。
帰省しても、さして出掛けるところもなく、家族でご飯を食べに行って、母親の家事を手伝って、犬の散歩をしまくって、祖父母に顔を見せて、友達たちと騒いで、あっという間に時間が過ぎた。そういえば、友達たちは髪を染めていて、いかにも女子大生って感じの見た目に変わっていたけれど、中身は高校時代と何にも変わっていなくて安心した。私も髪染めようかな。
「たまには彼に連絡くらいしたら」と友達に言われた。連絡したくないのは向こうだろうと私は思っているから、地元に帰ってきても私からは何もしなかった。
彼とは、もう何もないのだろうと思う。
お盆はバイトの稼ぎどきなので、さっさと大学のある街のアパートに帰ってきて、ひたすらバイトして、あとは好き放題映画を観て過ごした。
去年の夏は受験生という存在だったので、補講だの夏期講習だのに追い詰められ、全然映画が観れなくてつまらなかったから、今年はそれを取り返したかったのだ。
映画三昧で、好きな時間に好きなだけ映画を観て、つまらなかったら寝落ちする。ちゃんとご飯を食べてなくても遅い時間まで起きてても、親にも誰にも怒られない。天国じゃん、独り暮らしの夏休み。
なお、ミヤコダさんも帰省中。「隣がいないから好きなだけ、おっきな音で映画見てね」と言われたので、ありがたく殺戮シーンの悲鳴やヘヴィメタルやおどろおどろしい音楽を大きな音で堪能することができた。昔のホラー映画ってなんでヘヴィメタルが使われるんだろう?
そんなとき、ミヤコダさんに今度はどの映画を見せようか、と、ふと考えてしまうことがある。
7月にミヤコダさんはエアコン工事が終わるまでの2週間、うちで居候をしていた。
ミヤコダさんと私は、どれくらい親しくなったのか、よく分からない。何度も一緒のベッドで寝て、抱き合ったことすらあるのに、彼女のことは、学部学科くらいしか知らない。お土産をもらったから出身地は知ってる。
実は、名前すら、知っているのはお互い苗字だけだ。
でも、私にとって、大学に入学してから知り合った人で、一番親しくなったのはミヤコダさんであることは間違いない。
ミヤコダさんもそう思ってくれているといい
と、思っている間にピンポーンと呼び鈴が鳴った
ドアスコープから覗くと、ミヤコダさんだったので、はーいと返事をする。
「ミヤコダです!カヌキさん、今、大丈夫?お土産持ってきたよ」
声を聴いただけで、ふわっと何かあったかい感じが胸に沸く。無意識に顔が笑ってしまうので、何とか、平静を装う。
「お帰りなさい、ミヤコダさん」
ドアを開けると、実家のある地元の土産を抱えたミヤコダさんがにこにこと笑って立っていた。
「20日振りくらいかな、ただいま、カヌキさん」
ミヤコダさんの髪は、少しだけ短くなっていて、色合いも変わっている。軽い感じになったけれど、やっぱりきれいだと思う。
そのまま、二人でファミレスに行った。
帰省していたミヤコダさんの部屋の冷蔵庫はほぼ空だということだし、私は、ここのところ、まともに食事もしない怠惰な生活をしていて、お互い、家にろくな食べ物がなかったからだ。
「夏休みの課題とか、終わりましたか?」
「短期でやったバイトが大変でねー」
「お父さんて、どうしてろくなこと言わないんですかね」
「カラオケでバラード縛りしたがるヤツがいて」
「秋物の服がないんです」
「まだ前期試験の準備なんかしてないよ」
…
…
他愛のない話が延々と続いてしまう。
なんだろう、つい最近、地元の友達とたくさん喋りまくったのに、今は、話しても話しても物足りない感じがする。
ミヤコダさんも話を終わらせる気配がない。
夕方にファミレスに来たのに、もう8時近くなっているのに気付いて、私たちは、慌てて店を出てアパートに戻った。
アパートの階段を上ると、一番奥が私の部屋。その手前、隣がミヤコダさんの部屋だ。
ミヤコダさんが先に部屋に着いて、鍵を開ける。
「じゃあ、また」
と私が挨拶をすると、ミヤコダさんがちらっと私を見た。
「……まだ、一緒にいたいかな…」
小さな声が聞こえた。聞こえない振りなんて、器用なことは私にはできない。
「うち、来ますか?」
ぱっとミヤコダさんの顔が明るくなる。
「うん!ちょっと支度してから行くね」
多分、ミヤコダさんは、寝巻きと枕とタオルケットを持ってくるだろう。
30分後、ドライヤーを当てたばかりのふわふわの髪で、寝巻きと枕とタオルケットと、ブルーレイを1枚もって、ミヤコダさんは私の部屋にやってきた。
「じゃじゃーん。ブルーレイ」
「いや、見れば分かりますけど。何ですか、これ?」
ミヤコダさんは、ふふんと笑う。
「カヌキさんが観たことないって言ってた映画。これって8月の定番の映画だよね」
!!まさか、あれか?
「一緒に見よ」
ミヤコダさんが、そそくさとブルーレイをセットする。
私がとまどっていると、ミヤコダさんは、ソファーのど真ん中、テレビの真ん前の位置で、大きく足を開いてソファーにどっかと座る。
「ここ、座って」
膝の間を指差す。
「ね?カヌキさん、ここ座って」
ミヤコダさんの前に立っている私をミヤコダさんがちょっと首をかしげるようにして見上げる。ここで、その上目遣いはずるいと思う。その目をすれば、言うこと聞くと思ってるんだろうな。……そうだけど。
ミヤコダさんは普通にソファーに座って、私は、その膝の間に挟まるように床に体育座りをした。一応、ソファーに寄り掛かることはできる。足で挟んで逃がさないぞ、って意味ですかね。こんなところに座らせなくても私は逃げないのに。
ミヤコダさんは満足そうに、左腕を私の首に回して、右手でリモコンを操作した。
映画が始まる。あああ、やっぱり。
日本が誇る有名なアニメスタジオで作られた、戦時中の兄妹のアニメだった。蛍がきれいらしいけど、観たことないから知らない。
絶対可哀想な話だと思うと観ることができない、とミヤコダさんが居候しているときに話した覚えがある。
「日本の小学生全員が戦争の勉強名目で見せられてると思ってた、この映画をまさか自称映画好きのカヌキさんが見ていないなんて」
ミヤコダさんはニヤニヤしている。
「日本人なんだから、これ見なきゃダメだよ、絶対」
「それ、ミヤコダさんが、映画で私にドヤりたいだけですよね」
ふふん、と笑われた。
それにしても、ミヤコダさんが寝巻きににしているハーフパンツから形の良い足が延びているのが気になる。つい、足に目が向いてしまうし、なぜか、ペディキュアが視界にひっかかる。ああ、この爪の形が好き………って、私、足の爪フェチじゃない筈。
思考が勝手に浮かんでは消える。こんなんじゃあ映画に集中できない!!
「足に肘置いていいからね」
よくないです!私はミヤコダさんの足にさわらないよう、両手で自分の膝を抱えこむしかなかった。
そうこうしているうちに、映画に心を奪われてしまう。映像が美しいだけに、余計に哀しい。
最初から主人公が亡くなっているところから始まる。
彼がその死にたどり着くまでを、嫌になるくらい丁寧に丁寧に描いている。
あああ、だから観たくなかったのに。
「…しまった」
頭の上からミヤコダさんの声がする。
「この映画、わたしも見ててつらい…」
この人、本当におかしい、と思って私は苦笑いする。
あえてずっと避けていた映画を遂に観てしまった。
ミヤコダさんに見事にしてやられたことになる。
エンドロールまで来て、目尻にたまった涙を拭いて私は立ち上がり、麦茶を入れて、私よりも泣いているミヤコダさんに渡した。
「この映画、ホラー映画より怖くありませんか?こんなできごと、戦時中では普通だったのかと思うと」
「うん、怖いね…」
ミヤコダさんは麦茶をくっと飲み干し、私はコップを受け取って、シンクに自分の分のコップと二つ並べて置いた。
一つきりのコップがあるシンクより、バランスがいいなって感じる。
それから、元の場所にちょこんと座った。
ミヤコダさんの膝の間。
「え?」
ミヤコダさんがちょっととまどう。
「カヌキさん、まだ、そこに座るの?」
ミヤコダさんは私を足の間に座らせて、映画を観ている間、私を逃がさないようにしていた。
映画の終わった今、もう私はそんなところに座る必要はなかったのに、無意識に自ら彼女の足の間に座ってしまった。
普通に隣に座るよりも、ある意味近い。からだの横には足があって、頭の後ろにはおなかがある。密着しているわけではないけれど近い。
恥ずかしくなった私は首を後ろに曲げて、ミヤコダさんの顔を下から見上げると、ミヤコダさんの顔もちょっと赤くなってて、恥ずかしそうだった。
「…ミヤコダさんが自分で私をここに座らせたんじゃないですか」
居直って私は文句を言って、それからミヤコダさんの足を肘掛けにするように腕を乗せてみた。顔には出さなかったけれど、すべすべで、しっとりしたその感触にちょっと驚いていた。
「もう、困るなあ」
何が困るのか分からないけど、ミヤコダさんはそう言って、ソファーから滑り落ちるように、私の後ろに座り直し、私の肩に両腕を回す。座って背中から抱き締められている状態だ。私の目の前でミヤコダさんの腕が組まれてた。私は、ミヤコダさんの足から落ちてしまった自分の手をどうしていいか分からなくなる。
ああ、また近すぎる。
「…ミヤコダさんたら、甘えん坊ですか?」
この雰囲気を壊したくて、聞いてみた。
「……久しぶりに会って分かったんだけど、わたし、3週間、カヌキさんに会えなくて淋しかったみたい」
ぶわっと沸き上がるようにかーっとなって背中が熱くなって、顔が火照る。
私たちは、友達というには、からだの距離が近すぎて接触も多すぎる。
心の距離をもっと縮めたいのに、それに追い付かない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「火垂るの墓」(1988)
うびぞおは、冒頭しか観たことがありません。観れない…。
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