025.覚悟

 11月に入ったとある日。今日は模試だったせいで明け方まで勉強していたから少々寝坊気味であった。既に時計の針は7時40分を指しており、あと15分以内に家を出ないと遅刻が確定してしまうところだった。


 そこで、急いで制服に着替えて、何気なくスマホを開いてみると……なぜか恵介と峰岸さんから合計10件以上の不在着信があったことがわかった。まさか二人ともそんな激しいモーニングコールをする特殊性癖はないから、緊急事態なんだろう。

ひとまず、かけなおすことに。朝から恵介の声を聴くのもあれなので、峰岸さんの方にかけることにした。


 とりあえず忘れ物がないか確認しながら通話を始めると、3コールもしないうちにつながった。


「あ、もしもし。連絡くれた?」

「あ、五十嵐君やっと起きたわね! ちょっと大変なことになったのよ! 遥が……遥が!」

「え……!?」

「その……おい、ちょっと待て落ち着け。いったん俺に代われ」


 遥がどうしたんだろう……。”いったいどうしたんだ”という質問が僕の口から飛び出す前に、変に落ち着いている恵介の声が聞こえてきて、どんどん大きくなっていく。


「お~……聞こえるか? 俺だ。幸は動揺しまくってるから俺が代わりに説明するわ」

「う、うん。頼む」

「ああ。実は、今朝遥が廊下の通路で倒れているところが発見されてな。まだ命に別条がない状態だったからいいが、ひとまず救急車で中央病院に運ばれたんだ」

「そんな……!」

「まあ落ち着け。さっきも言ったが”今のところ”命に別状はない。ただ、最近熱出してたから精密検査をすることになった。アレなら……」

「わかった、僕も行く。中央病院でいんでしょ?」

「お、おう」


 最後にどこに恵介たちがいるかを確認した僕は、すぐに電話を切って最低限の荷物を持って2階の自室からリビングまで降りて、玄関を出ようとする。循環バスに乗れば15分くらいで病院に行けるはずだ。


 そんなことを思いながら靴を履いて外に出ると、偶然ガレージから姉さんが乗った車が出てきて、珍しく特別焦っているであろう僕の前に停まった。


「なに? あんた急いでるの?」

「中央病院に行かなきゃいけなくて……!」

「今日学校じゃないの……? まあいいわ、何かわけがありそうだから乗せていってあげるわ。ほら、乗りなさい」

「うん……!」


 姉さんが乗せていってくれるというので僕は慌てて助手席に滑り込む。今日はもう荒い運転でもいいから早く連れて行ってほしい、そんな気持ちだった。


  〇 〇 〇


 病院に着いた僕は姉さんにお礼を言ってから本棟ではなく西館にある救急外来の待合室まで急ぐ。この時点で既に朝礼は始まっていて、車の中で姉さんが学校に遅刻することを言ってくれているからその点は大丈夫だ。

 いや、そんなことを気にしている暇もない。病院の中は走れないので病院の外にあるロータリーを全力疾走して西館に突入。途中で救急隊員さんとすれ違い、救急車用の出入り口からすぐに中に入ってちょっと行けば、すぐに恵介と峰岸さんが座っている待合室に着くことができた。電子機器類の関係ですぐにスマホの電源を切っておいてよかった。


「お、来たか」

「はあ、はあ……遥は?」

「ああ。今はレントゲン撮ってる。とりあえず落ち着け」

「う、うん」


 やけに冷静な恵介の言葉に、焦っていた僕は少し冷静さを取り戻した。一方、峰岸さんは席に座ってただ俯いているだけ。それがさらに不安をあおってきた者の、僕までが混乱したらこの場はさらに混乱してしまうと思い、なるべく冷静を装う。ちなみに二人は学校に一切連絡はしていないらしい。それほど急な出来事だったのだろう。


「そういえば会長は?」

「多分だが、昨日委員会があっただろ。それを朝礼の全校放送でうんたらがあるからそのために早くに学校に行ったんじゃないか?」

「じゃ、じゃあ新庄さんは……」

「……昨日は、帰ってないみたい」


 峰岸さんがボソッとそう一言だけ言う。昨日は父さんも帰ってきてないから相当忙しくしているんだろう。あの時、父さんの誘いに乗っていたら、少しは2人の苦労を減らせたのかな……そんな思いが頭の中をよぎる。


「いつくらいまでかかりそうなの?」

「ん、おそらく10時ごろだろ。それで軽く結果を聞いた後学校に行くわ」

「そうだね、そうしよう」


 未だに時計の針は9時手前を指している。どうやら、あと1時間は待つ必要があるらしい。


「はぁ~……まさかやりたくねぇ模試をこんなことで回避する羽目になるとはな。皮肉なこった」


 恵介はそう最後に吐き捨てると、片手をあげながら「飲み物買ってくらぁ」と歩いて行った。


  〇 〇 〇


 結局、その日は僕は学校に行くことはなく、峰岸さんと一緒に緊急で遥にあてがわれた個室の病室にいることになった。恵介は一度家に帰ってから私服姿で現れ、僕と峰岸さんにコンビニのおにぎりとお茶を渡してくれた。


 検査の結果、判明したのは末期がん。既に遥の小さい身体の全身に魔の手は広がっていて、もう1年は持たないだろう。そういう結果だった。ただ、気がかりなことはこの夏まではまだまだ症状が抑えられていたこと。アンドロメダシンの効果もあるだろうけど、ひと夏の青春を送りきったのが満足だったかのように、一気に症状が進み始めたのだという。


 ”今から懸命に治療しても助かるかどうか――”


 四葉町での担当医だという初老の内科医は、今にも首を横に振りたそうにしながらそう言葉を濁していた。


「やっぱり、って感じだよな、やっぱ」

「……何が」

「言っただろ。アンドロメダシンの効果は3年も持ちゃいい方だ。それは希望の光でもあるし、ただの延命処置に等しいかもしれない。治療法が確立されて、そしてそれを受けることができるかどうか、それはわからねぇ。そういうことだ」


 病室の壁によりかかって、腕を組んでいた恵介は、持っていたリュックから1つのファイルを取り出して、僕に手渡してきた。そこに書かれていたのは……アンドロメダシンの治療をするときに出されるパンフレットと、その同意書だった。


「どうして、これを――」

「遥もこうなった。これからどうなるかは俺にだってわからねぇ。だから、お前にはもっと知ってもらう必要があるって思っただけだ」


 嫌なモノを見るように、渡した後は目を閉じる恵介を横目に、僕はそのパンフレットを開いていく。そこにはアンドロメダシン投与治療の工程や効果が事細かに書かれている。そして、同意書にもだいたい同じことが書かれていた。そしてわかったことは、このアンドロメダシンは身体に非常に強い負荷をかける成分も大量に含まれているため、一度投与されたら二度目はないということ。

もし、二度目をやろうものなら、身体に負担がかかりすぎてその場で心筋梗塞などになり死亡してしまう可能性が非常に高いらしい。


「それを見てもらえりゃわかるかもしれねぇが、俺たちは死にかけの状態から無理やり生き延びた言っちまえばゾンビみたいな存在だ。最初はこの詳細を話せば、せっかく俺たちによくしてくれた翔は怯えて俺たちから離れてくかもと思った。いや、本当はその方がよかったんだろうが、俺たちはお前のことが気に入ってたんだろうな」


 恵介が話したことは簡単だった。自分たちは多かれ少なかれ数年以内に命を落とす可能性が高い。もしその時が訪れて僕を悲しませたり、精神的な負担をかけるくらいなら最初から突き放した方がよかった、今までもそうしてきた、と。


 でも、僕は違った。なぜかわからないが、最初に茜屋であの話をして、それからまた改めて話してみて。僕が自分たちに真剣になってくれていると感じたらしかった。


「悲しいがもとは俺たちは全員ボッチに近い状態だ。だから先生とか看護師さんとか以外で俺たちのことを真正面から真剣に付き合ってくれたのがうれしかった。そんで、ズルズル進んできたんだ」

「……うん」

「俺はお前のそういうところがいい所だと思う。そして、遥もそこが好きなんだろうよ……。本当はこんなことはしたくねぇんだ。だけど、もうお前は信用できるからよ。悪い、本当にこれは俺の自己満足だが、俺たちの現状がどうなのか、知ってもらいたい。それを見て俺たちと距離を取って離れるのもお前の勝手だ。できれば……俺はしてほしくない」


 つまるところ、全部を知って僕がみんなから離れるのが怖かったということだろう。正直に言うと、前までの僕ならこの話を聞いたら離れていったかもしれない。でも、今は違う。むしろ、僕の方がみんなから離れられないんだ。


 この四葉町という小さい街で、一番最初から一緒に話して、過ごして。友達よりも、もっと大事だからこそ。


「そんなこと、するわけないよ」

「……そうか。そう言ってくれると助かるわ」

「……僕は、ちょっと行ってくるよ」

「どこにだ?」

「父さんのところ」


 恵介の話を聞きながら考えた。もしかしたら、もしかしたらだ。父さんたちが開発している医療ポットなら、遥を助けることができるんじゃないか――と。あの時感じた、僕の手で作ったもので、遥――いや、みんなの希望を繋ぎ止めるモノを作れるんじゃないか。


 そう感じていたのだ。


 僕は病室を出ると、病院前のロータリーに行って近くにいたタクシーを捕まえて飛び乗る。


「お客さん、どこまで?」

「 新庄工業の広島四葉支社前まで」

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