024.からげんき?

 所々で木の葉が色づき紅葉となる11月のある日、赤い葉っぱが地面に落ちる前に僕が”何かしたい”欲求は今にも地中に埋まりそうになっていた。土曜日のうちに宿題は終わらせた。特に家で誰かの手伝いをすることもないし特にみんなと何かする約束していることはない。やや広い部屋に敷いてある芝生に似たカーペットに寝っ転がり、アザラシのようになるくらい暇だった。


「へぇ、昨日は広島が勝ったんだ」


 何をするでもなく、現代人の身体の一部と化したスマホをいじって興味のあるものを調べて独り言を呟く。このループは簡単には途切れないだろう……。秋晴れの青空から窓を通じて入ってくる心地いい太陽光のせいで徐々に眠くなってきたころ、珍しくスマホが聞き慣れた電話の着信音を歌い出した。


「ん……峰岸さんから? 珍しい」


 見ていたニュース記事に割り込んで着信を知らせる画面には峰岸さんという登録名が目立つように表示されている。今まで彼女から電話が来たことなんて片手で数え切れることしかなかったのに。

 ひとまず電話に出てから要件を聞けばいいか。


「はい、もしもし」

『お、翔か? 俺だよ、俺』

「……なんで峰岸さんからの着信で恵介が電話に出るのさ」

『ん、ああ。俺、家にスマホ忘れてな。借りてるんだわ』


 普通、女子のスマホを「借りた」の一言で片づけられないんじゃないかと思うんだけどなぁ……。恵介はそういうところは一切気にしない性格だから特に疑問を持つことはないけど、せめて持ち主が最初に電話に出てほしかった。不安になるじゃないか。


「それで、なんで峰岸さんの携帯から僕に?」

『ああ、今から頼れるのがお前だけなんだよ』

「えぇ? どうしたんだよいったい」

『……学校に生物の宿題になってる問題集を忘れた。なんとかして取りに行ってくれねーか?』

「さすがにそれは無理だね」


 今日は日曜日。うまくすれば野球部の影に隠れてこっそり恵介の席まで行って取ってくることもできただろうけど、今日に限って野球部は他校に練習試合に行っている。僕のクラスメートが言っていたから間違いないはずだ。


『はっはっは、まあそれは俺のミスだからいいとして。実は昨日から遥のやつが風邪こじらせたらしくてな。ちょっと部屋まで行って様子見てやってほしいんだわ』

「はぁ!? なんで僕が? っていうか風邪ひいてたなんて僕は聞いてないけど」

『本当は金曜日から体調悪かったらしいけど、その日行けば次の日は休みだからって無理して行ったらしいんだが、そのせいで熱も出ちまったんだと』


 確かに金曜日の遥は少しからげんきでいつものお転婆っぷりがないなとは思ってたけど……無理していたんじゃ本来の明るさも半減するわけだ。ちなみに、昨日は峰岸さんが看病して帰ったとのこと。


「それでなんだけど。なんで僕なの? 峰岸さんがあれなら会長とかいるじゃん」

『俺と幸は今定期検診中なんだ。今ちょうど俺の番が終わって幸がやってるから借りてる。で、会長だけど今日は岡山でアドバイザーとして講演やってるんだわ』


 なるほど。確かに講演をする前なら病人を看病して風邪をもらうわけにいかない。本人だけならまだしも、講演に参加した人たちにまで風邪をうつしちゃうから。だから会長じゃなくて峰岸さんが看病してたんだ。


「それで、西岡君は言うまでもなし、と」

『あいつ、今日はeスポーツ部の大会でてるぞ』

「うん、わかった。とりあえず準備するよ」

『おう、じゃあ遥にはこっちから言っとくわ』


 途中からスピーカーにして、もう一度充電器にスマホを繋げてから今度は立ち上がってリュックに手を伸ばす。暇だったから用事ができるのはいいことだけど、病人を看病しに行く用事はいいことのうちに入らないだろう。


「えーっと、今が9時30くらいだから……11時までには行けるって言っといて」

『おう、なるべく急いでやれよ。なんせ寝言で翔のこと言ってたらしいしな~』

「それじゃあ連絡よろしく」


 ハンガーラックにハンガーをかける音のせいで最後の方は何を言っているか聞き取れなかったけど、たぶん急いでいってくれると助かる、的なことを言っていたんだろう。ひとまず部屋着から着替えの服を持ってきて電話を切る。


「あ……何を買って行けばいいか忘れた」


 まあいっか。今はすぐに行くことにしよう。


  〇 〇 〇

 

 すぐに身支度を整え、いつものリュックを背負って家を出た僕は丁度駅の方面からやってきた循環バスに乗って学校近くのバス停で降りる。走るよりも140円払って移動した方が何分も早いからだ。姉さんから出かけるときに少し借りてきたから、遥に聞いてから買い出しに行くことにしよう。


「そうと決まれば、うん」


 降り立ったバス停から歩道を進み、やや小規模の交差点を右に曲がって住宅街に入る。その時点から見えているほかの家よりも大きい建造物に向かって歩を進める。200mしか離れてないのに、ここから見えているのにどこか遠くに感じてしまう。だから小走りで学生マンションのエントランスまで急ぐ。

 交差点を渡って、さらにその奥にある角を左に曲がり、そして見えてくる寮の看板を無視してマンションの中に突っ込む。


「ついた……!」


 学生寮ということもあって、下校時間以外はセキュリティの関係上でエントランスの自動ドアは閉まっている。あだから部屋の番号を押してインターホンを鳴らして中から開けてもらうしかない。


「えーっと……」


 忘れかけていた部屋番号を入力して確定ボタンを鳴らすと、ピンポーンとチャイムが鳴る。これで彼女の部屋にも来客を知らせる音が鳴ったはずだけど……10秒、20秒と経っても返事が来ることはない。

もう一回、そう思ってもう一度ボタンに手を伸ばした時、いきなり「ブチッ!」とスピーカーが変な音を発した。


『はーい……誰ぇ?』

「あ、遥? 僕だけど」

『えーっと……僕……名前は?』

「五十嵐翔だよ」


 そう名前を告げると、若干遅れてスピーカーから『え? え、えぇ?』と困惑する声が聞こえ、それがどんどん大きくなっていく。何かまずいことでもあったのかな。


『ちょ、ちょっとそこで待ってて!』



 最終的にエントラス全体に響く声で待っているように言われてブチッと通信を終わらされた。本当に突然のことで止めることもできず……10月の心地よい気候が入り込んでくるエントラスで待たされることに。


「どーすればいいんだ、これ」


 結局、僕は次に遥がエントランスのスピーカーから呼ばれるまでに15分間を呆然としながら立ち尽くすだけだった。


  〇 〇 〇


「もぉー! 早い! 早すぎるよ!」

「えーっと、ごめん?」

「そうだよ、ボクまだなんの準備もしてなかったんだから!」


 かなりの間エントランスで待たされた僕は、無事に追い返されることなく遥の部屋に入れてもらった。玄関で待ち受けていた遥になぜか軽く怒られながらリビングの方に案内してもらう。それに準備してなかったり時間を忘れるのっていつものことなんじゃ……。


「キミが11時に来るっていうから30分くらいから準備しようと思ったんだよ!?」

「そ、そうなんだ……」

「だ・け・ど! 今が何時何分かわかる!? キミは40分も早く来るじゃん! まだ何にもこっちは準備しなかったんだよ!?」

「え……」


 そういえばさっきから急がなきゃ、早く行かなきゃってなって何時何分かなんてことは気にしてなかった。30分に一本の循環バスもたまたま来るのが見えたから乗ったし……準備をする段階だと1時間30分以上の余裕があったはずなんだ。


       ――あれ、なんで僕こんなに急いでたんだろ。


「私だって女の子なんだから、色々準備があるんだよ? 汗だくだったからシャワー浴びたり部屋の掃除とか……って、聞いてる!?」

「え……?」

「はぁ~……呆れたぁ。とりあえず、今度から来るなら時間通りに来てよ?」

「それはいいけど……多分時間通りに来ても時間忘れてたりするんじゃないかな……?」

「そ、それはっ……! だってさ……!」


 図星だったらしく、遥は熱が出てるせいもあるとは思うが、顔を赤くしながら手を前にしながら言い訳の言葉を探し始めた。僕は忘れてないぞ……つい先々週もみんなで広島まで行くときに30分以上遅れてきたことを……!


「と、とにかく! 今度から気をつけてよ!?」

「う、うん……」

「わかったならよし! それで、お昼ご飯食べてないよね? 何か食べてくでしょ……何がいい?」

「作ってくれるのは嬉しいけど、安静にしないと」

「だーいじょうぶっ! ただの風邪だから! 何でも作るよ!」


 張り切りながら台所に立ってフライパンと返しをこちらに掲げてみせる遥を見ると、本当に大丈夫かもしれない、と思ってしまう。布団近くのテーブルには水と薬が何種類かおいてあるし、もしかしたらそれのおかげで治りかけてるのかもしれない。


「それで、結局何がいい?」

「そうだなぁ~……炊き込みご飯とか?」

「いいねぇ、ボクもその気分だったんだよ! 確か冷蔵庫に昨日サッチーが買ってきてくれた生牡蠣があったはずだから牡蠣の炊き込みご飯にしよっか」


 一般家庭にあるものより二回りくらい小さい冷蔵庫を開いた遥が次々に野菜を取り出していく。一応峰岸さんに今の様子を教えたら「それなら大丈夫そうだけど、一応無茶しないようにしっかり見張っといて」と返ってきたので「了解」と言っておいた。


「さてさて、にんじんは半月切りにしてくれようか……それともいちょう切りにしてくれようか……難しい悩みですなぁ~」


 峰岸さんへの返事を打ち終わってスマホを閉じながら背後のキッチンを見てみると、いつの間にかエプロンをした遥が少し気怠そうな顔をしながらにんじんを前にして考え込んでいる。それから一拍置いてこっちに顔を向けて「どっちがいいと思う?」と聞いてきた。風邪にしてはかなり薬の数が多かった気もするけど……ここまで回復すれば明後日くらいには学校に来てくれるだろう。


「ねぇ、結局どっち?」

「……お任せで」


 


 そんなことがあった日から数日後――



 遥が倒れたという報せが僕のもとに届いた。

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