018.霞ケ浦の夕陽

 茨城に来て2日目の朝、目を開けると天井は正月以降見ることのなかったものに変わっていた。床は一面畳で、窓際に張られた障子からはうっすらと朝日が部屋に差し込んできている。


「……もう朝だ」


 昨日の夜はいつの間にか眠りについていた。やっぱり広島から牛久まで大量の荷物をもって移動したから疲れたんだろう。布団のわきに置いてあったスマホを確認すると、時刻は7時4分。確か21時くらいには寝てたと思うから10時間くらいか……明らかに寝過ぎた。


 多分朝ごはん出来たらいとこのうちのどっちかが起こしに来てくれるとは思うけど、自分から行けばその手間もいらなくなるからいいだろう。寝巻から着替えて洗面所で顔を洗ったり歯を磨いてからリビングに行ってみると……もぬけの殻だった。


「あれ? 誰もいない……」


 そういえば洗面台を使っているときも誰も来なかった。この家には6人もいるんだから誰か一人くらい来てもおかしくなかったんだ。冷蔵庫の方面に行ってみると既に朝ごはんは出来上がっている。じゃあどこに行ったんだ、そう思いながらふとリビングに置いてあった紙を手に取って読んでみる。


「……朝のラジオ体操開催のお知らせ?」

 

 そこには自治会が主催して小・中学生向きに朝のラジオ体操をここから車で8分くらいのところにある比較的大きい公園でやるという旨のことが書き記されていた。日程を見てみると、思いっきり今日の日付が書かれていた。つまり今はここに行っているんだろう。


「え~っと、20分に終わるんだったら、もう少しで帰ってくるんだ」


 リビングの時計は既に21分を指している。だから30分までには帰ってくるだろうと思い、テレビの電源をつけながらソファーに座って朝のニュースを見ることにした。


  〇 〇 〇


 その後、朝のラジオ体操から帰ってきたみんなと一緒に朝ごはんを食べていると、”今日は何をしよう”という話題になった。


「今日は特に来客とかの予定はないから遠出するなら今日かしら」

「あ~、でも海斗と陽菜は夏休みの宿題をしないと……」


 そういえば僕も夏休みの課題は持ってきている。学校の心優しい数学の先生は夏期講習の前半をわざと夏休みの課題を教材にしているから授業中に終わらせている。あと残っているのは現代文の読書感想文とか、理科系の一問一答、松坂先生が出した好きなスポーツのレポート、とかだろう。読書感想文の本はまだ読み終わってないから……今日どこか行くなら移動中に読んじゃおう。


 あとは行くところだけど、それはもう決まっている。この季節に茨城に来たら絶対にするべきことが!


「そうだ、翔君はどうするんだい?」

「僕は行きたいところあるのでそこに」

「そうかい? 場所を言ってくれれば送っていくけど……」

「あ、大丈夫です。ただ、釣り竿は借りていきます」


 釣りに行くならなおさら、というおじさんの誘いを丁重に断って部屋に戻って準備を進めいていく。スマホで近くのバス停から出ている駅行の路線バスを調べてみると、ちょうど20分後に一本あったので急いで身支度を整えて倉庫にあった折り畳み式の釣り竿とルアーをもってバスに飛び乗って駅に行く。そこからは電車に乗って土浦へ出てからまたバスに揺られることに。


 そうして着いたのは――霞ケ浦の釣り場だった。学校の長期休暇の時は父さんとよく一緒に訪れて水面を眺めながらただゆっくりとする時間、それがなぜか楽しかった。だけど今日は一人だ。


 僕がいつも来ているところは特に場所代とかはかからないので、あまり人がいなくて魚がいそうな場所に行って持ってきた釣り竿を組み立て始める。キャンプをする気はないけど持ってきた小型の折り畳み式の椅子も組み立てて長期戦をする気は満々だ。


「それじゃあ……よし、いけっ」


 今回はルアー釣りだから青虫とかの餌は一切使わない。今日の狙いはひとまずバスとかにして、フナとかも狙ってみよう。

 もちろん簡単にかかるはずもないから椅子に座って、そのままかかるのを待ってみる。四葉町にも漁港があるからできたんだろうけど……今年に入って釣りを本格的にするのはこれが初めてかもしれない。


「おとーさん、これでいいの?」

「ああ、それでいいんだよ。あとはお魚さんが来てくれの待とうね」


 丁度僕と同じくらいに来た親子が同じように仕掛けを作って釣りの準備を始めている。そういえば僕が初めてここにきて釣りを習った時もあんな感じだったか……。記憶があいまいで思い出せないけどだいたいあの親子と同じ会話をしていたはずだ。それで最終的に魚がかからずに「暇だ」って騒いでしまった。今となってはその暇な時間に何かを考えて過ごすのが面白いからやめられない。


 水面に浮いたウキを見つめながら、そして竿を少し動かしながら。波で揺れる水面をただただ見つめる。どうも人間は機械的な行動なら無意識でもできるらしい。僕の頭はすぐにこの数か月のことに移っていった。


 全てはあの日――四葉高校に転校した初日に始まった。名も知れぬ同級生を助け、そして仲良くなってから、そして……あのことを知ってしまった。普通に生きていればまず聞くことは少ないはずの4文字の言葉。命が続く時間を指し示すあの4文字に込められたすべての意味。それを聞いた途端に怖くなった。あの人たちは何も怖くないのに……。


「こないねー」

「釣りっていうのはね。ゆっくりゆっくり待つものなんだよ」


 みんなも、もとはあんな親子のような生活をしていたのだろうか。峰岸さんは5歳くらいからずっと病院の中だったらしいけど……それ以外は聞いたことなかった。

もしも、もしもだ。僕たち6人の中で一人がいなくなったらどうなっちゃうんだろうか。僕は悲しめるのか、それとも拒絶してしまうのか。何かの間違いでそれがもし僕だったとしても、みんなは悲しんでくれるのか――


「……きた!?」


 そんな深い考えは竿から伝わる突然の重みで覚まされる。生物特有の筋肉からくる重み、そして動き、間違いなく魚がかかった。そこそこの手ごたえを感じながら、僕は魚の動きに合わせてリールを巻いていく。暴れている魚が疲れて弱ってきたところで一気にリールを巻いて釣り上げる。そういえばまだケースに水を入れてないのを思い出したので、慌てて水をクーラーボックスみたいなやつの中に入れて、針を取った魚をその中に放流する。どうやら狙いのバスではなくてフナのようだ。


「う~ん……これは帰るときにリリースしよ」


 確かフナも食べれるはずだけどまだ小さい個体だ。多分水とかを変えれば帰りまで生かしておけると思うから撤退するときにリリースすることにしよう。


 そんな調子で釣りを続けながら深い考えに囚われていくこと数時間。正午も3時のおやつの時間も過ぎて、次に気付いたときには空が優しいオレンジに染まろうとしているところだった。いつの間にかバケツの中にはバスとフナが合計で6匹も入っていて、どこか涼しい気候になっていた。


「もう18時前か……」


 今から急いでバスに乗って帰っても19時くらいになってしまうかもしれない。とりあえず釣った魚は全てリリースして、釣り竿を折りたたんで帰る準備をする。僕の隣でやっていた親子は当たり前だけどとっくのとうに撤退してしまっている。


 携帯を久しぶりに見ると、グループには読み切れない量のやり取りがなされていた。夏休みの課題の話題に始まり、世間話に移って最終的に今度の旅行の準備がどれだけ終わってるかの話になってしまっている。とりあえずお土産に夕日が水面に移る霞ケ浦の景色を写真に納めてグループの方に送っておいた。


 そのあと、10分くらいかけて全部の片付けを終えて駅の方に歩いていると、一台の見慣れた車が僕を通り越してすぐそこに止まった。よくよくナンバープレートを見たら、それはおじさんが持ってるやつで……。


「あ、やっぱり!」

「あ……やっぱり」

「こっちのほうに遊びに来てたのかい?」

「え、ええ……偶然」


 その後、土浦のショッピングモールに行った帰りだというおじさん家族の乗るワゴンに無理やり乗せてもらって帰ることになった。

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