第56話 ジーゲスリード講和会議2日目 3

 帝国歴628年3月30日、ジーゲスリード講和会議の2日目が始まった。


 2日目の口火を切ったのは、アルベルト・パイナス伯爵だった。

 アルベルトが金縁眼鏡の位置を正しながら、余裕の笑みを顔に浮かべた。


「早速ですが、ジェムジェーオンから、昨日の会議でバルベルティーニのクーペル卿が提出した書簡の検査結果を、報告してもらえますかな」


 バルベルティーニ伯爵代理人クーペルが頷いた。

 ショウマ・ジェムジェーオンはひとつ深呼吸した。ジェムジェーオンのイアン・ブライス内務大臣に鑑定結果を報告するよう促した。


 ブライスが無言のまま、ショウマと目を合わせ確認してくる。

 書簡を鑑定したジェムジェーオンの右筆官は、特殊なインクと印章の形態、書簡に用いられている用紙を分析し、この書簡を本物であると結論付けていた。


 ショウマはブライスに向かって首肯した。

 事前にブライスから報告を受けた時、ショウマはありのままの事実を会議のなかで報告するよう伝えていた。


 改めてショウマの意を確認したブライスが、書簡の鑑定結果を読み上げ始めた。

 ブライスの声色のなかには、苦々しい感情が含まれていた。

 アルベルトとクーペル両人が頬の緩みを隠せない様子が、目に飛び込んできた。


 ショウマは努めて冷静に、鑑定結果を聞いた。

 皇帝代理人ヴァイシュ・アプトメリア侯爵の方に目を向けると、腕組みをしながら目を瞑って結果を聞いていた。


 ブライスが報告を終えると、早速、アルベルトが追い打ちを仕掛けてきた。


「クーペル卿にお聞きしたい。バルベルティーニがジェムジェーオンに向けて派兵したのは、この書状に従って、つまり、アスマ・ジェムジェーオン伯爵からの要請を受けて、ということで間違いありませんな」


 クーペルが恭しく答えた。


「仰せの通りです。パイナス伯爵」


 アルベルトとクーペルの息はぴったりだった。

 見え透いた芝居を見た気がした。

 ショウマは込み上げてくる食傷感に吐き気を覚えた。


 次に発言したのは、腕組みをほどき、目を開けたアプトメリア侯爵だった。


「バルベルティーニの主張は理解した」


 アプトメリア侯爵の言葉と同時に、クーペルが破顔した。


「皇帝陛下の代理人であらせられるアプトメリア侯爵に、我らバルベルティーニの主張をご理解いただいたこと、恐悦至極にございます」

「吾は書簡が間違いなく本物であると理解した」


 アプトメリア侯爵の言葉には、微妙なニュアンスが含まれていた。

 敏感に含意を嗅ぎつけたクーペルが、気持ちが先走るのを抑えながら、早口に返した。


「そうです。間違いありません、バルベルティーニが持参した書簡は本物です」

「そう大きな声で主張せずとも、吾もブライス卿が説明した鑑定結果を聞いている。この書簡が偽物であると疑っているわけではない」


 クーペルの目は疑いの色が消えていなかったが、アプトメリア侯爵に答えた。


「そうですか。安心しました」


 数舜の沈黙。

 アプトメリア侯爵が続けた。


「ただ、しかしな……、吾は在りし日のアスマ・ジェムジェーオン伯爵と、幾度となく交誼を重ねた。その際に、吾はアスマ伯から伯爵後継者について不満を聞いたことはなかった。いや、むしろ、次代は安泰だと話していたのを記憶している。吾が記憶するアスマ伯と、書簡に記載された内容が、どうしても結びつかない」


 クーペルが追い詰められた表情を浮かべた。青い顔で、捲し立てた。


「アプトメリア侯爵、ご理解ください。我らバルベルティーニは、書簡が本物であるからこそ、わざわざ軍勢をジェムジェーオンに派遣したのです」


 アプトメリア侯爵が一喝した。


「判っている」


 クーペルだけでなく、パイナス伯爵アルベルトの顔からも余裕の表情は消えていた。

 アプトメリア侯爵が続けた。


「吾は書簡自体の真贋ではなく、書簡に記載された内容に違和感を覚えていると言っている。それに、一方に意見を聞いただけで物事を判断しては、公平さに欠ける。反対側の言い分も確かめたい。ショウマ・ジェムジェーオン卿の意見を聞きかせてもらえないか」


 アプトメリア侯爵の言葉に、会議の出席者の目が一気にショウマに向いた。


 ――さて、どうするか。


 会議出席者が無言の圧力を押し掛けてきた。

 敢えて、ショウマは意見を述べることを拒んだ。


「書簡は本物と判定されました。この書簡に記載されていることは、私にとって不都合な内容となっています。そのなかで、私が思っていることを述べたとしても、筋が通らないのではありませんか」

「吾が構わないから述べよと申しているのだ。内容は承知している。そのうえで、卿の意見が訊きたい。書簡の真偽ではなく、内容についてどのように考えるのかを」


 ショウマは慎重に言葉を選んだ。


「この書簡に目を通して、率直に感じたことを申し上げます。私は父アスマが他国の軍隊を頼みにして、自国の問題を処理するはずはない、と感じました。父アスマが私を廃嫡しようと考えたならば、後顧の憂いがないように、自分の手を汚して私を処分したと思います。さらに、昨今、ジェムジェーオンと交流のないバルベルティーニ伯爵を頼りにしたことも疑問です」

「確かに」


 ショウマの説に相槌を打ったのは、今日これまで一切発言してこなかったオリバー・ライヘンベルガー男爵だった。

 ふむ、アプトメリア侯爵が、再び腕組みをした。


「では、それらを踏まえたうえで訊こう。ショウマ・ジェムジェーオン卿は、どうしてこの書簡が存在すると思っているのか」

「判りません」

「卿の発言の意味するところを、もう少し詳しく聞かせてもらえるか」

「はい。いま申し上げた通り、私には、父アスマがこの書簡の内容をバルベルティーニ伯爵に依頼したとは思えません。しかし、書簡にジェムジェーオンの国璽が押されている以上、書簡を偽物と否定できません。これを否定しては、国家同士で信用を得るのは難しいと考えます」


 そうか、アプトメリア侯爵が小さく表情を緩めた。


「では、吾も正直な感想を述べよう。この書簡に目を通したとき、ショウマ・ジェムジェーオン卿と同様の感想を抱いた。しかしながら、アスマ・ジェムジェーオン伯爵本人が亡くなったいまとなっては、書簡の真偽を確かめようがない」


 パイナス伯爵アルベルトが敢然と異を唱えた。


「皇帝陛下の代理人たるアプトメリア侯爵は、国家同士で交わされた正式な文書を、個人の意見によって否定されるおつもりですか。ショウマ・ジェムジェーオン卿も書簡自体を否定しないと仰っているではありませんか」

「まあ、待て」


 アプトメリア侯爵が右手を前に突きだし、アルベルトを制した。


「バルベルティーニ伯爵国の主張は認める。正規の外交文書をもとに出陣したと唱えるのは理がある」


 バルベルティーニ伯爵代理人クーペルは懐疑的な目で応じた。


「理があると仰っていただけるのであれば、当方の要求であるイル=バレー要塞割譲の要求を、ジェムジェーオンが呑んでいただけると捉えてよいのでしょうか」

「そう急かすな」


 アプトメリア侯爵がクーペル、アルベルト、ショウマの順に目を合わせてから、話を続けた。


「そこでだ、吾がジェムジェーオンとバルベルティーニ両国に折衷案を提示したい。そもそも、両国の境のイル=バレー渓谷に、あれほど巨大な軍事施設、イル=バレー要塞があることが両国が抗争する原因となっている。それならば、要塞そのものを失くしてしまえばいい。要塞を棄却する方向で進めてはどうであろうか。ジェムジェーオンはバルベルティーニ攻略の重要な橋頭堡を失う代わりに、バルベルティーニは領土割譲を要求しない。互いが歩み寄るべきであろう」


 突如提示されたアプトメリア侯爵の案に対して、ショウマは頭を急回転させた。


 ――まさか、アプトメリア侯爵からこんな落とし処が示されるとは。


 ジェムジェーオン伯爵を継承するショウマにとって、威信失墜に繋がる領土割譲は、到底受容れられなかった。だが、アプトメリア侯爵から提示されたイル=バレー要塞撤廃は、バルベルティーニ伯爵国との和平樹立という名目があれば、ジェムジェーオン市民から納得を得ることが可能だ。


 アプトメリア侯爵がショウマに意見を求めた。


「どうかな、ショウマ・ジェムジェーオン卿」


 ショウマは頭のなかで、もう一度、案を吟味した。

 結論は変わらない。


「私はアプトメリア侯爵の案に同意いたします」


 おお、ショウマが躊躇せずに同意したことに、会議主席者一同がざわついた。

 ジェムジェーオン陣営、ギャレス・ラングリッジ元帥とイアン・ブライス内務大臣が、一瞬目を見開いた。ショウマが視線を送ると、一瞬の後、両者とも首肯しショウマの意見に同意を示した。

 ショウマはアプトメリア侯爵が満足気に頷いているのを確認して、続けた。


「私からも、お願いがあります。現在、バルベルティーニ伯爵国の軍が、イル=バレー要塞とともに東部の都市サローネを占拠しています。バルベルティーニは、サローネから、即時に撤退していただきたい」


 サローネは首都ジーゲスリードから東に40㎞に位置する港湾都市で、通称「風の街」と呼ばれている。内陸の首都ジーゲスリードとオリエール河で結ばれ、首都の外港として機能していた。それだけでなく、地形がもたらす強い風と背後に連なる活火山を利用して、ジェムジェーオンの約20%の電力を生産している。重要な戦略拠点だった。

 アプトメリア侯爵が、クーペルの方に身体を向けた。


「どうなのだ、バルベルティーニ伯爵代理人」

「もちろん。サローネに駐留するバルベルティーニの軍勢は即時撤退します」

「よかろう。で、吾が提案したイル=バレー要塞廃棄に関して、バルベルティーニ伯爵国の意見を聞きたい」


 クーペルがハンカチで額を拭った。


「こ、この件については、本国に確認させていただきたい。1日だけ時間をいただけないでしょうか」


 ショウマは内心でほくそ笑んだ。


 ――バルベルティーニはミスをした。


 アプトメリア侯爵の提案は、決してバルベルティーニ伯爵国にとって不利なものではない。バルベルティーニにとって、イル=バレー要塞はバルベルティーニ伯爵国の首都イワイと一日の距離に位置する「喉元に突き刺さった骨」で、攻略は宿願だった。奪取できなくとも、存在を無くしてしまえば、目的は果たせる。

 クーペルの返答は、明らかに、アプトメリア侯爵の気持ちを害した。見る見るうちに、顔色が変わっていった。

 アプトメリア侯爵が語気を荒げて、クーペルに迫った。


「なぜ、この場で返答ができないのだ」


 クーペルがアプトメリア侯爵の顔色を伺いながら、返答した。


「小職ひとりの所存で決定するには、あ、あまりに事案が大きく、本国の了解を……」


 ますます、アプトメリア侯爵が声を荒げた。


「決定ができないだと! なぜ、これしきのことが決定できない者がこの会議に出席しているのだ。吾は要請したはずだ。バルベルティーニ伯爵本人がこの会議に出席するようにと。もし、代理人が出席するにしても、重大な決定ができる全権委任された人間でなければならないのは、当然であろう」


 アプトメリア侯爵の口調は、怒髪天を衝く勢いだった。

 クーペルが何も言えず下を向いたままだった。


「吾は皇帝陛下の名をもって、伯爵本人の出席を要求したはずだ。バルベルティーニは皇帝陛下や吾を軽んじているのか」


 クーペルが嘆願するように顔を見上げ、頭を振った。


「滅相もありません」


 バルベルティーニ伯爵代理人クーペルは、アプトメリア侯爵の激憤を前に、窮地に陥った。

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