第54話 ジーゲスリード講和会議2日目 1

 帝国歴628年3月30日、ジーゲスリード講和会議の2日目の開催前、午前中。

 ショウマ・ジェムジェーオンは、捕縛していたドナルド・ザカリアス大将と面談を行うため、グランドキルンの謁見室に連行するよう命じていた。


 しかし、ザカリアスがショウマの召喚命令に応じなかった。


 事情を説明するため、謁見室に現れた若い憲兵が、哀れになるほど萎縮しながら、直立不動の姿勢で、ショウマに謝罪した。


「大変、申し訳ございません。幾度にも渡って、ショウマ・ジェムジェーオン様の命令をザカリアス大将に伝え、連行を求めました。しかし、ザカリアス大将は『小官の身柄はジェムジェーオンではなく、講和会議に委ねられている。連行するのであれば、皇帝陛下の代理人であるヴァイシュ・アプトメリア侯爵の命令書を持ってきたまえ』と断固拒否の姿勢を続けて、お連れできませんでした」


 ショウマはこの場に同席していたジェムジェーオン東家当主レオン・ジェムジェーオンとロイ・パーネル中将のふたりと、目を合わせた。

 パーネルが厳しい表情で憲兵に詰め寄った。


「ザカリアスはジェムジェーオン軍属で臣下の身分であろう。ショウマ様の命令に従う義務がある。強制的に連行することもできたであろう」

「しかしながら……」


 レオンが薄い笑みを浮かべながら憲兵に近づき、肩を叩いた。


「貴官も板挟みで大変だな。この場では私たちから咎められ、直接の上官からは連行のストップを言い渡されている。そんなところではないのか」

「い、いえ……」


 憲兵がバツの悪い表情をみせた。


 ――当たりだな。


 ジェムジェーオンの政治的主導権を巡る争いはすでに、幕が開いていた。ザカリアスたちの陣営が憲兵上層部に手を回したということだ。

 ショウマは、憲兵を慰労するように目を合わせた。


「仕方ない。ご苦労だった。下がってよい」


 憲兵がホッとした表情をみせたあと、もう一度、頭を深々と下げた。

 憲兵が部屋を退出した。

 それと同時に、ショウマは尋ねた。


「どう思う?」


 この部屋にいたのは、ショウマの他に、レオン・ジェムジェーオンとロイ・パーネル中将の2人だった。カズマ・ジェムジェーオン、ギャレス・ラングリッジ元帥、イアン・ブライス内務大臣は、2日目の講和会議の準備に向かっており、不在だった。

 レオンが紅茶の入ったティーカップを手に取った。


「ショウマ様は、ずいぶんとザカリアス将軍に嫌われているようですな」

「小官はザカリアスがショウマ様と直接顔を合わせようとしないのは、何かを隠しているからに他ならないと思います」

「だからこそ、ザカリアスはショウマ様を嫌いなんですよ」


 パーネルが不快な表情をレオンに向けた。


「小官は、軍属の人間です。使用者の主観が混じる『好き嫌い』などの情緒的な表現を、避けて話すよう訓練を受けてきました」


 パーネルの口調は、レオンの言葉に対する反発が含まれていた。

 パーネルに詰められたレオンは、表情を一切揺るがさず、微笑を浮かべていた。

 洗練された容姿と相まって陰で『ジェムジェーオンのプレイボーイ』と叩かれることも多かったが、慇懃な態度をとりつつ相手の出方を窺っていくことが、レオンなりの他人に対する身の処し方なのだと判ってきた。


 レオンがティーカップを置いた。


「私の言い方では、パーネル将軍には伝わらなかったようですね。表現を修正します。ザカリアス将軍は、講和会議に出席している誰かと、秘密裏に繋がっています。そして、その人物はショウマ様と立場を対峙する者であると思われます。だからこそ、ザカリアス将軍は正面切ってショウマ様の召喚命令に応じなかったのでしょう」

「まさか! ヴァイシュ・アプトメリア侯爵といいたいのですか」


 レオンが首を振った。


「アプトメリア侯爵ではないと思います」

「ですが、ザカリアスはヴァイシュ・アプトメリア侯爵の命令書を求めたと、先ほどの憲兵が口にしてたではありませんか」

「アプトメリア侯爵の立場や性格からして、ザカリアス如き小者を取り込むとは思えません。それにアプトメリア侯爵には、動機が見当たりません」

「では、なぜ、ザカリアスはわざわざ、アプトメリア侯爵の名を挙げたのですか」

「皇帝代理人アプトメリア侯爵といえども、講和条約締結前の現段階において、内乱の当事者であるザカリアス将軍の身に関する命令を下すには、講和会議出席者の同意をとる手続きが必要になります。そこで、ザカリアス将軍と繋がる出席者が、何らかの理由を述べて、容易に承知しなければ、短時間に同意を取付けられない。ザカリアス将軍はこれを知っていたのだと思います」


 パーネルの表情は、依然不服そうな顔つきだった。レオンの説明に納得していないことを物語っていた。


「仮説の一つとしてはあり得ると思いますが、断定するには材料が乏しいのでは」

「アプトメリア侯爵がこの件を裏で仕組んだのであれば、ザカリアス将軍に名前を出させるはずがありません。アプトメリア侯爵は皇帝陛下の代理人として中立の立場で、講和会議に臨むと公言しているのです。己の立場を危うくします」


 あっ、パーネルが小さく叫んだ。


「貴公の言う通りです。アプトメリア侯爵が皇帝陛下の代理人という立場を掲げているからこそ、ザカリアスはその威を借りるかたちで、名を出したのか」

「ここで、パーネル将軍にお尋ねしたい。ザカリアス将軍がショウマ様の召喚に応じなかったこと自体、不思議とは思いませんか」

「どういう意味でしょうか。小官には、貴公が何を言いたいか、理解が追い付いていないですが……」

「これまで、ドナルド・ザカリアスという人間を見てきた限り、彼が自己犠牲に溢れるタイプの人間とは思えません。そのザカリアス将軍が、近い将来、自身の主君となるショウマ様の命令に従わないのは、どういう理由からだと思いますか」


 確かに、パーネルが考え込んだ。

 レオンが自分のこめかみに右手の人差し指を置いた。


「ザカリアス将軍はショウマ様の命に反しても、他の人間から何らかの利益がもたらされる。私はそのように考えています」

「そうか。これまでのザカリアスであれば、今後の身の振り方を考えて、ショウマ様の召喚を、自身をアピールする絶好の機会と捉えて、進んで出頭してくるに違いないと」

「そうです。この場でショウマ様に向けて、ザカリアス将軍は自分に都合のいい議論を展開していたことでしょう」

「小官がこの場に呼ばれたのは、ザカリアスが亡きフェアフィールド元帥閣下に責任を押し付けることを防止するため」

「その通りです」


 ショウマは割って入った。


「パーネル」


 パーネルが、ショウマに顔を向けた。


「貴官が述べた通り、ザカリアスは何かを隠している。だた、ザカリアスが召喚に応じるか否か。私にとって、それ自体が講和会議に向けた重要な材料となっている」

「召喚に応じること自体が、ザカリアスに対する踏み絵だったのですね」

「そうだ。これで、ザカリアスは講和会議に参加している誰かと繋がっている可能性が高くなった。そして、パーネル。貴官をこの場に呼んだのには、ザカリアスが召喚に応じた際に言質を取ること以外に、もうひとつ理由がある」


 レオンがティーカップを手に取った。

 ショウマの強い視線に、パーネルの顔が強張った。


「もうひとつの理由とは、何でしょうか」

「貴官が隠し持っている父アスマからマクシス宛てに送ったの書簡と、マクシスが調査した資料を、私に提出してもらいたい」

「昨日、小官は、元帥閣下が処分されたと説明したはずです」

「だが、存在する。そうであろう。マクシスが貴官にそのように説明するように求めたのだとしてもな」


 パーネルが腕を組んで項垂れた。


「将来、真実を明らかにする貴重な資料を、マクシスが処分するはずがない」

「どうして……」

「私は知っている。貴官の行動は、悪意に基づくものではなく、亡きマクシス・フェアフィールド元帥の遺志に従っていることを。貴官のマクシス・フェアフィールド元帥に対する忠義は疑いなく本物だ。私が望むのは、もし、マクシスであれば、この状況において、どうするかを想像してほしいということだ」


 沈黙。

 依然として腕を組んで項垂れたパーネルが、何も言わず考え込んだ。

 レオンがティーカップを持ちながら、ショウマとパーネルの様子を窺っていた。

 ショウマは何も言わず、ジッとパーネルを見据えていた。

 パーネルが顔を上げた。


「小官、いや、フェアフィールド元帥閣下ですら、ショウマ様を過小評価していたのかもしれません」


 ショウマはパーネルの続きの言葉を待った。

 パーネルが観念するように頷いた。


「……判りました。ショウマ様であれば、資料をお渡ししても、短慮を起こすことはないでしょう。もし、元帥閣下がご健在であれば、この判断を選択したことでしょう」

「助かる。ありがとう、パーネル」


 なおも、パーネルの表情は苦渋に満ちていた。

 レオンが姿勢を正し、パーネルにお辞儀をした。

 ショウマはパーネルの手を握った。




 パーネルが謁見室を出て行ったあと、ショウマ・ジェムジェーオンは深く椅子に腰掛けて、目を瞑った。


 ――ドナルド・ザカリアス。


 戦場での実戦能力には疑問があるが、官吏としては有能、典型的な制服組の軍人。実戦叩き上げの人間からの評判は、はなはだ悪い。自組織や自己の利益に繋がる正論を組み立てることに長けており、制服組と軍服組の軋轢を生む元凶とされている。

 スマートな外見の裏に、旺盛な野心を隠していた。その意味においては、一連の騒動を起こす動機があるといえるが、当時のザカリアスは、国内はともかく、秘密裏に国外のバルベルティーニ伯爵国と密約を結べるほど実力を持っていなかった。


 ――こんなところか。


 だが、全体を整合させるピースを欠いていた。


「ショウマ様、よろしいですか」


 呼びかけてきたのは、部屋に残っていたレオン・ジェムジェーオンだった。

 ショウマは思考の海から引き戻された。


「昨日、いずれ、スン・シャオライ中佐に確認したいことがると仰っていましたが」

「ああ」

「いま、お会いになりますか」

「時間は大丈夫なのか」

「講和会議の開始まで、まだ2時間ほど時間があります。ショウマ様さえよろしければ、スン・シャオライ中佐をお呼びします。すでに、グランドキルンに参上させております」


 ショウマは頭のなかで、講和会議の準備とスン・シャオライ中佐との面会を、天秤に掛けた。


「スン中佐を呼んでくれ」

「承知しました」


 レオンが立ちあがった。スン・シャオライ中佐を呼ぶために、部屋を出て行った。

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